年下狼の恋
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待ち合わせは、忠犬で有名な像の前だった。
なんで私、来ちゃったんだろう。
そんな後悔にも似た気持ちでナマエは空を見上げる。
一方的に押し付けられた約束事なんだから、忘れたフリをして来なければよかったのに。
そんな気持ちが頭を巡るも、きっとそんな非道にはなれないんだろうなと自嘲する。
沖田に言われた言葉が自動的に再生される。
『次の休み、空けておいてくだせェ。デートでさァ』
こちらの都合なんて一ミリも考えていないような、ともすれば不躾とも感じられる誘い方。
だが不愉快になるどころか、その言葉を思い出すだけで顔が熱くなる。
(デートって……相手、沖田くんだよ?)
真選組一番隊隊長。
剣の腕は江戸でも指折り。
普段はドSで悪戯ばかり。
仕事はサボり気味。
そして、自分より十二も年下の男の子。
そんな男とデート。
ナマエは自分の手をぎゅっと握る。
歳だって離れてる。
立場だって、かたや警察の役職もち、かたや一介の飲食店の店員。
職に貴賎はない、なんて綺麗事は言えるけれど。
実際、住む世界が違うと思ってしまう。
そのとき「姐さん」と、後ろから声がした。
振り返ると、沖田が立っていた。
いつもの黒い制服ではなく、初めて見る私服姿だった。
普段とは違った沖田の雰囲気に、ナマエの心臓が跳ねる。
「お、おはよう」
「おはようございまさァ」
沖田はいつもの軽い笑顔だった。団子屋に来る時と何ら変わらない顔つきだ。
こんなに動揺しているのは私だけなんじゃないか。そんな思考が胸中を巡る。
「待たせていやせんでしたか?」
「ううん、私も今来たとこ」
「じゃあ行きやしょう」
エスコートするかのように自然に歩き出す。沖田のそんな動作に、ナマエは少し驚く。
てっきりいきなり手を引かれたり、からかわれたり、距離を詰められたり、そんな悪戯めいたことをされるものだと思っていた。
だが、沖田は普通に歩いている。
ナマエの歩幅に合わせて。
訪れたのは、水族館だった。
そんな場所を沖田が選んだことに、ナマエは内心驚いていた。
てっきりテーマパークみたいな騒がしい場所を想像していた。
人をからかったり、平気でバズーカをぶっ放したり。
ナマエの中で沖田は、そういうアクティブで危なっかしいイメージだったからだ。
入場料を支払おうと財布を取り出しかけたところで「必要ありやせん」と、その手を止められた。
沖田の懐から出てきたのは、事前入場チケットだ。
用意周到すぎる……こういうところ、ずるいなって思う自分がいる。
そんな私の驚きを読み取ったのか、沖田くんがさらりと言う。
「大丈夫でさァ。俺、姐さんよりも稼いでいるんで」
ムードもへったくれもなさすぎる。いや、悲しいくらいに事実だけど。
館内に入ると、すっと温度がいくらか下がったような感覚がする。
薄暗い部屋の中で、真っ白なベルーガが出迎えてくれる。
こちらを物珍しそうにつぶらな瞳で見つめたかと思えば、バブルリングを発射された。
「わ、わ、すごい! いきなりバブルリングが見れちゃったよ!」
「へえ。そんなにすごいものなんで?」
「そりゃ、もう! 水槽で見れたら幸せが訪れるっていうんだよ!?」
「そいつァ幸先がいいや。いきなり姐さんがはしゃぐ姿も見れたことだし」
「う……わ、忘れて……こんな歳で水族館でテンション高くなってる姿なんて……」
「別にいいじゃありやせんか。誰かに迷惑かけてるわけでもあるめぇし」
「私が構うの!」
「俺如きにはプライベートな姿を見せたくないってことなんですかィ」
捨てられた子犬みたいな、しゅんとした表情をされれば良心が痛んでしまう。
「その……そういうことじゃなくて……年甲斐もなくはしゃぐ姿を見られるのは恥ずかしいっていうか……別に沖田くんのことを嫌ってるとか警戒してるとかいうことじゃなくて……」
「なんでィ。落ち込んで損しやした」
さっきまでのしょんぼりした顔はどこへ行ったのか。
もうすっかり、いつもの沖田くんだ。
やっぱり、ずるいな。
この人、本当に調子が狂う。
普段ならもっと簡単にあしらうことができていたはずなのに、今はどうしてだろう。沖田くんの些細な動作に反応せずにはいられない自分がいる。
水槽の中のベルーガが、キャキャと笑っているような気がした。
*****
クラゲの展示部屋は、とても幻想的だった。
暗い水の中にぼんやりとクラゲが発光している。
ゆらゆらと泳ぐクラゲを見ていると、時間が止まっているかのように感じる。
ひとつひとつのクラゲの水槽はそんなに大きくないためか、気がついた時には同じ水槽を覗き込む人が多くなっていた。
「姐さん、こっち」
腰に手を添えられ、沖田くんの近くに引き寄せられていた。
突然の密着に、私の心臓が思わず跳ねる。
「お、沖田くん……近い……」
「デートなんだし、これくらい普通でさァ」
「で、デートならそうかもだけど……」
「俺、ちゃんと言いやしたよ。デートしやしょうって」
しましょう、なんて優しい勧誘の仕方じゃなかったはずだ。
容赦のない決定事項だったはずだが、彼の中ではなかったことになっているようだ。
「それに、いい歳した男女が二人っきりで出かけることを、デートと言わずなんて言うんですかィ」
「それ、は……」
「んじゃ、『デート』の続きと洒落込みやしょう」
やけに『デート』という言葉を強調されてしまい、どうあっても意識してしまう。
そんな私の動揺を見透かしたかのように、沖田くんがニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「そんな顔をするって事ァ、ちったァ俺を『男』として意識してくれているんですかねィ」
「ち、ちが……くもないけど、違わなくもないというか……」
「姐さんのそんな顔、初めて見やした。デート誘った甲斐があったってもんでさァ」
ずるい。そんな満足げな顔で言われたら、何も言えない。
「し、仕方ないでしょ……こういうふうに男の人と歩くの、初めてなんだから……」
顔から火が出そうだったが、違和感があることに気づく。
沖田くんが岩のように動かなくなったのだ。
「えっと……沖田くん……?」
「初めて……いや、待て……マジで……?」
「なに……?」
何かぶつぶつ言っているけれど、まったく聞き取れない。
沖田くんの方を向こうとしたのだが、頭をがっちりと掴まれて顔を見ることができなかった。
「あー……しばらくクラゲでも眺めていてくだせェ」
「ちょ、ちょっと沖田くん!?」
「ほら、クラゲ好きでしょ? クラゲですよー」
「クラゲは好きだけど! なんか子供扱いしてない!? 私年上なんだけど!」
「デート中に年齢のこと出すなんて野暮ってもんでさァ」
「ぐうの音も出なさすぎる!」
私の頭が解放されたのは、水槽のクラゲの上下運動が十往復を超えたあたりだった。
クラゲの水槽を離れたあとも、二人はいくつもの水槽を巡った。気づけば館内の照明は少しだけ夕方の色を帯びていて、歩き疲れた足が甘いものを欲しがっていた。
普通のメニューもあるが、目を引くのは水の生き物を模したフードだろう。
キラキラしたクラゲのソフトクリーム、コツメカワウソのアイシングがされたドーナツ、ペンギンの顔が描かれたアイスが乗っているクレープなどがある。
「姐さん、なににしやすか?」
「んーっと……あざらしパフェにしようかな」
私が指差したのは、いちごパフェの上にあざらしが乗っかっているやつだ。
「んじゃ買ってきやす」
「ちょ、ちょっと待って! 今度は私がお金出す────」
「あー。ここ、警察手帳ないと払えないみたいでさァ」
「それだと大半の人が支払いできないよね!?」
そんなツッコミをしている間に、すたすたとレジに向かっていってしまった。
「なんでこんな時だけ足が速いの!?」
さっきまで私の歩幅に合わせていてくれていたとは思えない速度だ。
あっという間に沖田くんの姿を見失ってしまい、私に残された手段はイスに座っていることだけだった。
*****
「姐さん、ひとくちくだせェ」
買って来てくれたスイーツを食べていると、あ、と口を開けて待っている沖田くん。
仕方ないなあと思いつつ、ひと匙分すくって彼の口の中へ運んであげる。
「ん。少し甘ェけど、うめェ」
そう言って、唇に少しだけついたクリームをぺろりと舐めとる。
その姿がやけに扇情的に見えてしまって、沖田くんから視線を逸らす。
しかし、パフェを再び食べようとしていた時に気づいてしまった。
これって、間接キスになるのでは……?
いやいやいやいや。いくらなんでも意識しすぎでしょうよ、私。
そんな中高生みたく、いちいち間接キス如きで反応するわけないでしょう。私、大人だよ?
パフェを口に含んだ瞬間「あ、間接キス」と向かいの席から聞こえてしまい、平常心を保っていたはずの私の心が再び乱れる。
「な、なにを……」
「どうしたんですかィ。そんなに動揺して」
「べ、別に動揺してなんて……」
「そう言う割にはどもっていやせんか?」
にやにやと笑う彼の瞳は確信めいている。
上がってしまった熱を冷ますかのように、パフェを一気にすくって口に含んだ。
*****
「それにしても、どうして水族館なんて選んだの?」
お互いにスイーツを食べ終えて落ち着いた頃、私から訊ねてみた。
確かに水族館はデートスポットとして有名ではあるが、私の持つ沖田くんのイメージとかけ離れていた。
すると彼はぼそりと呟いた。
「……ボールペン」
「え……?」
「店でいつも使ってるボールペンに変なタコついていたから、こういう場所好きなんじゃないかなって思っただけでさァ」
変なタコ……?
あ、メンダコのことか。
「よく見てたね、そんなところ」
「姐さんのことならなんでも知りたいんで」
何事もないかのように、さらりと言ってのける。
私に照れさせてやろうとも、堕としてやろうとも微塵も考えていない声色だ。
彼にとってはただの事実を陳列しているにすぎないだろうけど、私にとっては超弩級の爆弾だ。
「そう、なんだ……」
「あとは電話番号とスリーサイズさえ教えてくれれば完璧なんですけどねィ」
「電話番号はともかく、スリーサイズなんて教えないからね!?」
「ってことは、電話番号なら教えてくれるんで?」
悪戯が成功した子供のような邪悪な笑みを浮かべている。
どんどん墓穴を掘っている気がする。
彼の手のひらで踊らされている。そんな気がするのだが、不思議と嫌な気持ちにならない自分がいるのも確かだ。
*****
水族館を出る頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
帰り道を、二人は並んでゆっくり歩く。
沖田くんが、前を見たまま口を開く。
「今日はどうでした?」
「え?」
「デート」
さらっと言うその単語に、ナマエの顔が熱くなる。
「……楽しかった」
こんな時に意地を張っても仕方ないため、正直に答える。
気恥ずかしい想いは何度もあった。だが拒否感は一切湧いてこなかったのだ。
「そりゃよかった」
沖田くんが優しく笑う。
その微笑みがやけに大人びて見えて、どきっとする。
「姐さん」
沖田くんがいつもより優しい声音で私を呼ぶ。
その視線が、いつもと少し違う。
からかうような目じゃない。
いつもと違う真剣な目に、ナマエの胸がざわつく。
「俺、今日、結構頑張ったと思うんですが」
「うん。すごく紳士だった」
「そうでさァ。本当はもっと触りたかったんですけど」
ナマエの顔が一瞬で赤くなる。
「なっ……!」
「きっと、姐さんが逃げるから」
沖田が一歩、ナマエに近づく。
ナマエの心臓が跳ねるも、同じ距離だけ下がることはしなかった。
「でも、今日わかったんで。姐さんは俺のこと、嫌いじゃねぇってことに」
逃げ場がないことを悟り、ナマエは視線を逸らす。
「…………」
「図星でさァ?」
ナマエは何も言えない。
何も言えなかった。
沖田が言ったことは事実だから。
「まだ逃げやすか?」
その声は優しいのに、絶対に逃がさないという響きがあった。
ナマエの胸が、ぎゅっと握られるかのように苦しくなる。
「……怖いの」
ぽつりと言う。
その小さな声に、沖田くんの目が少し柔らぐ。
「歳も違うし、周りだって。沖田くんは真選組で、私はただの店員で」
ナマエは言葉を探す。
「私なんかと付き合っても、いいことない」
沖田くんは黙って聞いていた。そして小さく笑う。
「姐さん、俺、そんな弱そうに見えます?」
ナマエは顔を上げる。
沖田くんは真っ直ぐ見ていた。
「周りがどうとか、歳がどうとか、全部関係ねェ」
風が柔らかく吹いて、ナマエの髪が揺れる。
「俺、姐さんが好きでさァ」
ナマエの心臓が大きく鳴る。
沖田くんがもう一歩近づいた。
距離が、もう逃げられないくらい近い。
「だから、もう逃がす気ねェんで」
今まで聞いたことない本気の声に、ナマエの顔が真っ赤になる。
「覚悟してくだせェ」
その距離はあと少しで、キスできるくらいだった。
息を呑んだまま、ナマエは一歩も動けなかった。
頭が、逃げなきゃ、と思考する。
体が、どうして逃げる必要があるの、と思考を拒否する。
ふたつの影が橙色の光の中、徐々にひとつになっていった。
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