年下狼の恋
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昼下がりの団子屋では徐々に落ち着きを取り戻している。
座っている面々は、そのほとんどが見知った顔だ。だが砂糖に混じった胡椒の粒のように、いっとう目立つ異質な存在がいた。
「いやぁ、やっぱり美人だねぇ」
三十代くらいだろうか。町人風の男がにやにやしながらナマエに話しかける。
「団子も美味いけど、看板娘が一番だ」
ナマエはそれを「ありがとうございます」と、営業スマイルで受け流す。
お客として来ているのだから向けられて当然のリップサービスなのだが、男はその向けられた好意を自分だけに向けられたものとでも思っているのだろうか。
男は団子を食べ終えても帰らない。
お茶を飲み終えても帰ろうとしない。
男よりあとに来た客が何組か帰っていくほどの時間が経過しようとも、帰る気配は一向になかった。
手か口が開けば、ナマエに話かける始末。よくもまあ、しゃべりかける言葉がこんなにも思いつくものだと感心する具合だ。
「姐さんさ、今度一緒に飲みに行かない?」
「え、あの」
「ほら、仕事終わりとか。こんな店で団子売ってるの勿体ないって」
ナマエは困った顔で笑う。
「ごめんなさい、そういうのはちょっと」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
そのとき、暖簾がめくれた。
「お邪魔しまさァ」
隊服を着た沖田総悟だった。
店に入った沖田は、一瞬で状況を理解した。
男の下卑た視線に、ナマエの困った顔
沖田はゆっくり歩いて、いつもの席に座る。
「団子三本」
いつも通りの沖田の声色に、ナマエはほっとした顔になる。
「沖田くん、いらっしゃい」
男は沖田をちらっと見る。
「弟さん?」
「違いまさァ。そういう関係じゃねェんで」
「へぇ」と、男が笑う。そしてまたナマエを見る。
「で、さっきの話。今度飲みに────」
男がナマエを再び誘った瞬間、沖田が立ち上がり、静かに男の椅子の横に立つ。
「お客さん」
男は見上げる。
「なんだ?」
沖田は笑っていた。
いつもの笑顔。
だが目は笑っていない。
「姐さん困ってるんで」
男は鼻で笑った。
「関係ないだろガキ」
その言葉が放たれた次の瞬間、男の腕がぐいっと捻り上げられる。
「……っ!!」
椅子ごと軽く引きずられ、男の腕がミシミシと小さな悲鳴をあげる。
男の方とて、決して貧弱な体をしているわけではない。それにも関わらず、男は沖田に敵わなかった。
「気安く姐さんに触るんじゃねェ」
声が低い。男の顔が引きつる。
「なんだお前」
「ただの客でさァ」
男の腕を解放し、薄く笑う。
「この人に手ェ出す客は気に入らねェんで」
男は沖田を睨む。
だがその目を見て、すぐに逸らした。
こいつはやばい、という野生的な直感だった。
「……ちっ、覚えとけよ」
そう言って出て行った。
途端に静かになる店内。
ナマエはただただ呆然としていた。
沖田は何事もなかったように席に戻り、団子を食べる。
「沖田くん。喧嘩しちゃダメでしょ」
ナマエは少し怒った顔で言う。めっ! という感動詞が聞こえてきそうな声色だった。
沖田はそんな叱りを意に介さず、団子を飲み込む。
「喧嘩じゃねェです」
「でも!」
「牽制でさァ」
ナマエは言葉を失う。
「姐さん、俺言いやしたよね。堕としてみせるって」
その言葉にナマエの心臓が跳ねる。
沖田はなおも続ける。
「他の男に取られるつもり、ねェんで」
そう沖田が宣言した途端、店の空気が静まる。
ナマエの顔が徐々に真っ赤になる。
沖田は団子をナマエの方に向けて言った。
何かを宣誓するかのように。
伝説の剣のように恭しくも、絶対的な強者感を伴って。
「覚悟していてくだせェ」
年下狼は、どうやら本気らしい。
*****
それから数日。
沖田総悟は団子屋に行かなかった。
別に忙しいわけじゃない。
仕事はいつも通りだ。
巡回もする。
サボりもする。
土方をからかう余裕もある。
だが、行けなかった。
「お前、団子屋行かねぇのか」
いつものようにアイマスクをして縁側でサボる沖田に向かって、土方は尋ねる。
「行きやせん」
「なんでだ。いつもサボりに行ってただろうが」
「迷惑らしいんで」
「は?」
沖田があまりにもあっさり言うものだから、つい素っ頓狂な声を出してしまう。
「姐さんに言われやして」
あの男の一件のあと。
閉店後の団子屋で、ナマエは沖田に言った。
「沖田くん。もう、あまり来ない方がいいかも」
「団子食いに来るのもダメです?」
「そうじゃなくて」
ナマエは言いにくそうに続けた。
「沖田くん、真選組でしょ。ああいう喧嘩とかもし問題になったら、私のせいで迷惑かけちゃう」
沖田は黙って聞いていた。
「それに私なんかで時間使うのも、もったいないし」
その言葉で、沖田は少しだけ笑った。
「なるほど。振られたってことですかィ」
軽くいつもの調子で言う沖田に、ナマエは慌てて否定する。
「ち、違う! そうじゃなくて! ただ、沖田くんのために……」
「俺のため?」
沖田は静かに聞いた。
ナマエはゆっくりと頷く。
「うん。だって沖田くんは若いし、これからもっと素敵な出会いとかあるだろうし」
続け様にナマエは言う。
「沖田くんは、もっと若い子と恋をするべきだよ。私はもう、そういう歳じゃないの。沖田くんの未来の邪魔になりたくない」
沖田は小さくため息をついた。
「……姐さん」
ナマエが顔を上げる。
沖田は、いつもの笑顔だった。
だがどこか少しだけ、疲れた顔をしていた。
「俺、そんな軽く見えます?」
ナマエは言葉を失った。
「若いから、とか。そのうち飽きる、とか。そういう感じで、姐さん思ってるでしょ」
ナマエは何も言えなかった。実際、その通りだったからだ。
性格云々の前に、自分よりも若すぎる故にだった。
沖田のことをプレイボーイだと思っているわけではなかったが、物珍しい年上女性に恋愛感情にも似た何かで引き寄せられているだけ。そう思っていた。
沖田は微かに揺れ動く目を伏せた。
「……俺は」
不意に言葉を止める。
そして、いつもの軽い口調に戻した。
「ま、いいや」
くるりとナマエに背を向ける。
「団子美味かったでさァ」
暖簾をくぐって店の外へ出る。
ナマエは、ただ立ち尽くしていた。
沖田の黒い背中を、見えなくなるまで見つめていた。
*****
土方はため息と共にタバコの煙を吐く。
「お前、それで終わりか」
沖田は肩をすくめる。
「嫌がられてるとこに行く趣味はねェんで」
「…………」
土方は沖田をじっと見る。
こいつがこんな顔をするのは珍しい。
相手が嫌がろうと迷惑がろうと、強引に通い詰めるものだと思っていた。
だが実際は頻繁に行っていた団子屋への足を止め、どこか魂の一部が抜け落ちたかのように意気消沈している沖田の姿がそこにはあった。
「総悟」
「なんです」
「本気だったのか」
沖田は少し考える。
「だったんじゃないですかね」
普段と同じ軽い口調。
アイマスクで目元は見えていないが、きっとその下の目は笑っていないだろう。
土方はため息と共に頭を掻いた。
「……めんどくせぇ」
「なんです」
「その女、絶対勘違いしてる」
「どういう意味で」
「女ってのはな、好きな男ほど遠ざける。迷惑かけるから、とか。歳が離れてるから、とか。全部、ビビってるだけだ」
沖田はしばらく黙っていた。
やがて親指にアイマスクを引っ掛けるようにして持ち上げる。
隠されていた目の奥には光が戻っていた。
「…………へぇ」
小さく笑う。
その笑みは儚げな少年のものではなく、碌でもないことを思いついた悪戯少年のものだった。
「じゃあ、もう一回行ってきやす」
「やっぱ行くのか」
沖田は笑う。
今度は狼の顔で。
獲物が絶対に逃げられないと確信したような笑みだった。
「だって俺、堕とすって言いやしたし」
亜麻色の髪の毛は、オレンジ色に染まりつつあった。
*****
江戸の空は、薄い橙色に染まっていた。
沖田総悟は団子屋の前で足を止める。
暖簾がまだ出ていることを確認して。
それはすなわち、営業中ということを示している。
だが、店の中は静かだった。
「いらっしゃ────」
ナマエが顔を上げる。
そして固まった。
「……沖田くん」
一週間ぶりだった。
沖田はいつもの調子で言う。
「団子三本」
ナマエは少し迷ってから、うなずいた。
湯気が上がるお茶と、いつもの団子を沖田の席に置く。
沖田は団子を一口食べ「美味い」と、ぽつりと言う。
ナマエは何も言わない。
前回のことがあったためか、空気が重い。
「姐さん。この前の話、本気で言ってたんです?」
ナマエはうつむく。
「……うん」
普段の快活とした弾むような声はどこへ行ったのやら。ナマエにしては珍しく小さな声だった。
「沖田くんに迷惑かけたくない。私のせいで、真選組の仕事に影響出たら困るし。それに……」
ナマエはぎゅっと手を握る。
「私なんかより、もっと────」
その瞬間、沖田が立ち上がってナマエの手首を掴む。
逃れようとも力強い手に、振り払うことは不可能だった。
距離が、一気に縮まる。
「姐さん。それ、逃げてるだけでさァ」
ナマエの瞳が揺れる。
「歳のせい。迷惑のせい。俺の将来のせい。全部、言い訳でしょ。自分が傷つかないための」
その言葉に、ナマエの胸がズキリと痛む。
「違う……!」
「じゃあ俺のこと、嫌いです?」
ナマエは言葉を失った。
揶揄ってくる少し強引な悪戯好きな少年という印象は持っていたものの、嫌いではないからだ。
捨てられた子犬のような表情でそんなことを聞かれてしまえば、例え嘘であっても否定することは叶わなかった。
「俺のことが嫌いならそれでいいです。けど、年の差を理由に遠ざけることだけはやめてくだせェ」
なにも答えられなかった。
指摘された通りの理由しかなかったからだ。似たような歳ならば、せめて五つ違いなら、と思ったこともあった。
それゆえ沖田のことが嫌いだから遠ざける、というわけではなかったのだ。
そんなナマエの逡巡を見透かしたかのように、沖田は困ったような笑みを浮かべる。
「やっぱり。嫌いじゃねェじゃないですか」
「でも……!」
「でももなにもねェ」
なおも否定しようとするナマエを、ぴしゃりと言いとどめる。
決して声を荒げているわけでも、怒鳴っているわけでもなかった。
だがその声色は落下してきた岩石のように、ナマエの逃げ道を塞いでいた。
「姐さん。俺、言いやしたよね」
沖田の目が細くなる。
獲物を見つけた狼みたいに。
「堕としてみせるって」
ナマエの心臓が大きく鳴る。
沖田はほんの少し顔を近づける。
恋人同士が秘密の打ち合わせをするような、囁く距離だった。
「逃げるなら捕まえますぜ」
その声は冗談から発せられるものではなかった。
完全に、本気の男の声だ。
そのことを直感的に感じ取ったナマエの顔が一気に真っ赤になる。
沖田は手を離し、何事もなかったように団子を一本取る。
「それと次の休み、空けておいてくだせェ」
「…………え?」
沖田は笑みを浮かべる。
今度は少しだけ優しく。
「デートでさァ」
夕暮れの光が、団子屋の窓から差し込んでいた。
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