甘ったるい地獄
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全部、受け取る
バレンタイン当日。
高杉家の食卓。
白い皿の上に、ハート型のガトーショコラが一つ。
ワンホール。
「……パパ」
紫苑が少し緊張した声で言う。
「……これ」
「…………」
高杉は目を伏せてから、ゆっくりと顔を上げた。
「……作ったのか」
「……うん」
「……一人で?」
「……ママと一緒に」
紫苑はそっと付け足す。
「……簡単って、書いてあったから」
高杉は何も言わずにフォークを取った。
切り分けない。
そのまま。
「……パパ?」
「…………」
一口。
しっとり。
濃い。
カカオの主張が、強い。
(……これは…………一切れで十分なやつだな)
だが、高杉は止めない。
二口目。
三口目。
紫苑は息を殺して見ている。
「……おいしい?」
高杉はすぐに答えた。
「……ああ」
嘘はない。
だが、量の問題だ。
(……ワンホールは……想定外だが……)
四分の一。
半分。
胃の奥が、じわりと重くなる。
だが、フォークは置かれない。
「……パパ」
紫苑が、少し不安そうに言う。
「……無理しなくて……」
高杉は首を振った。
「……無理じゃねェ」
静かに。
「……全部、受け取る」
その言葉で、紫苑の目が少し潤む。
「…………」
三分の二。
フォークを置く一瞬もない。
高杉は食べることを選択にしない。
これは、逃げないと決めた行為だ。
最後の一口。
皿が空になる。
沈黙。
高杉は、しばらく動かなかった。
「…………」
紫苑が恐る恐る言う。
「…………パパ……?」
高杉はゆっくり息を吐いてから、言った。
「……良いケーキだ」
「……ほんと?」
「……ああ」
紫苑は、ほっとしたように微笑む。
「……来年も作っていい?」
高杉は、一拍置いてから答えた。
「……サイズを考えろ」
紫苑「……?」
「……気持ちは嬉しい」
「…………」
「……だが、来年は切り分けよう」
紫苑はくすっと笑った。
「……うん」
その夜。
高杉は胃薬を飲みながら、静かに窓の外を見ていた。
妻が隣で言う。
「……全部食べる必要、なかったのよ」
「……分かっている」
「……じゃあ、どうして」
高杉は低く答えた。
「……途中までは、失礼だろ」
妻は少しだけ笑った。
「……あなたらしい」
高杉はもう一度、胸の奥に残る重さを感じる。
だが。
それは、不快じゃなかった。
愛は時々、胃に来る。
それでも──
全部、受け取る。
それが、この父親のやり方だった。
