不器用な距離



伍話 依々恋々 〜手の温もりだけは、変わらない〜



「珍しいな。今度の日曜日、休みなのか」

店内に貼ってある臨時休業のお知らせを眺めながら、銀時が呟くようにして言った。

万事屋三人が訪れている甘味処リコリスは、水曜と木曜が休業日だ。

そうでなくても、飲食店にとって土日祝というものは集客が望める貴重な営業日である。よっぽどの理由がなければ、日曜日という重要な曜日を休みにするなど考えられない。

三人が座っている机の上には、団子の串がジェンガのように積み重なっている。半分以上は神楽の腹に収まり、そのまた半分以上は銀時の腹に収まっていた。

「本当だ。日曜日なんて稼ぎ時でしょうに」

銀時につられるように、新八も言葉を漏らした。

甘味処リコリスの店主である餡子あんこが慣れた手つきで、温かいお茶を湯呑みに注ぎながら答えた。

「ええ。その日、デートなのよ」

「へえ〜、デートねェ……」


一拍の間を置いて、三人の声が重なった。


「デート!!?」


「おま……いつの間に、そんな相手が……!?」

「お菓子の材料を仕入れている業者さんの息子さんなんだけども、なんだか気に入られちゃって。向こうが俄然乗り気だから、とりあえず試しにデートだけでもって話になっちゃったのよ。早い話、お見合いみたいなものね」

「デートって、どこ行くアル?」

「それが聞いても『当日の楽しみにしておいてくれ』なんて言って、どこでデートするか言ってくれないのよ。待ち合わせ場所が駅前だから、その近くにある遊園地なんだろうけども」

ふぅ、と餡子が悩ましげにため息をつく。

「お世話になっている卸問屋おろしどんやさんだから誘いを無下にもできなくて、あまり乗り気じゃないのよね。まあ、大人の付き合いってやつよ」

そう言うと他の客の注文を取りに行くため、銀時たちの席を離れていった。



*****



来たる日曜日。

万事屋の三人は植木の陰に隠れて、餡子を遠くから観察していた。

以前銀時と共にホテルのアフタヌーンティーに赴いた時は品がある格好だったが、デートということを重んじているのだろう。今回は華がある格好だ。

着物姿であることには変わりないのだが、帯ではなくコルセットを巻いていた。それが餡子の腰の細さを、より強調している。通常の和服のままではなかなかお目にかかれない、体のラインが見えるのだ。

臙脂えんじ色の着物に黒色のコルセットという組み合わせは、モダンな雰囲気を感じられる。遊園地という場所を考慮してか、動きやすいようにと黒地に牡丹の花があしらわれているスニーカーを着用していた。

いつもよりやや高い位置かつ、左側頭部に結えられた髪にはいつものシンプルなものではなく、大きく煌びやかな飾りが付いた他所行きのかんざしが挿さっている。


「こちら神楽。相手の姿はまだ見えないアル。どーぞ」

「こちら銀時。あんぱんが美味い。どーぞ」

「こちら神楽。そのあんぱん寄越すネ。どーぞ」

「こんな近距離でトランシーバー使ってんじゃねェよ! いらないじゃん! 隣にいるんだから! どーぞ!」

「わかってねーな、ぱっつぁん。トランシーバーを使うことに意義があるんだよ。どーぞ」

「そーヨ。一度やってみたかったアル。どーぞ」

「オメーらは糸電話でも使ってろ」

そうひとしきり新八がツッコミ終えると、餡子に近づく男が現れた。餡子や銀時らよりも下に見え、新八よりは上に見える年代の男だ。

「あ。相手の男の人が来たみたいですね」

相手の男が餡子を見るなり、急ぎ足で駆け寄る。鼻の下を伸ばしているのが遠目で見てもわかるほど、浮き足立っているのが見て取れた。

「あんにゃろ、餡子にデレデレしやがって! あ! いきなり手ェ握りやがった! とんでもねー野郎だ!」

「そんな嫉妬心出すぐらいなら、とっとと告ればいいのに」

ちげーって、バッカ、おま、そういうんじゃねェよ。俺には餡子の幼馴染みとして、相手の男を見定める役目がだな」

「ヘタレの妄言アル。そのうち泣きながらバームクーヘン食べる事になるヨ」

「何その、いやに具体的な予言! いやいやいやいや、銀さんアレだよ? 餡子が幸せになれる相手なら、喜んでバームクーヘン食べるからね。銀さんバームクーヘン大好きだし!?」

そんな言い訳を繰り返す銀時に対し、二人は冷めた視線を送っていた。

「何なんだお前ら、その目は」

「オッさんの強がりほど見苦しいものないアル」

「言い訳するのも結構ですけど、餡子さんたち遊園地に入って行きましたよ」

「そういうことは早く言え! 俺らも続くぞ!」

「ところで銀ちゃん、お金あるアルカ?」

神楽の純粋かつ痛烈で的確な一言に、銀時の動きが止まる。


「………………ある」


ダラダラと冷や汗を流しながら消え入りそうな声でなんとか答える。

「何ですか、今の間は。もしかして今月の家賃分まで使う気じゃあ……!?」

「行くぞ神楽、新八」

「アイアイサー!」

「ちょっとォォォォォォ!? 人の話聞けや、クソ天パ!!」

「銀ちゃん私、この乗り放題パスのやつがいいネ」

「あん? 遊びに来てんじゃねーんだぞ。却下だ」

「実際遊びに来ているだろーが」

「これはだな餡子を悪い虫から守る、いわばガーディアンとしての活動だ。決して遊びに来ているわけではない」

「そういうのをストーカーって言うんですよ。身近で散々見てきたじゃないですか」

「あんなゴリラやマゾと一緒にすんじゃねェ!! 俺のはもっと神聖なもんなの!!」

「銀さん、鏡って知っていますか?」

はあ、と新八がため息を吐く。無事に入場を果たした三人は餡子たちに気づかれないよう、かつ餡子たちを見失わない距離を保っていた。

「いいか、神楽。手を繋ぐまでは許さねェけど許す」

「許すのか許さないのか、はっきりしてくださいよ」

「だが腰や肩に手を回して抱き寄せたら、やる事はわかってるな」

「餡子に不埒な事すると、私の傘が火を吹くネ」

ジャコン、と神楽が己の傘を構える。

「よォし、上出来だ」

「上出来だ、じゃないでしょーが!! 下手したら死人が出ますよ!?」

「安心するアル。餡子には髪の毛一本たりとも傷つけないネ」

「餡子さんじゃなくて、相手の方を心配してんの!! だいたい他の人にも迷惑がかかるだろーが!!」

「じゃあ神楽、男が抱き寄せたら『ママー!』つって餡子に抱きつけ。そしたら俺が旦那のフリすっから」

「アンタら結婚してるどころか、付き合ってすらいないですよね? そんな変な作戦は立てれて何で告白はできないんだ、このヘタレ天パは」

「これはいわば、相手の度量を推し量るわけだ。デートに娘と旦那が来てみろ。激怒するような奴なら餡子には相応しくないし、かといって怒りすらしない軟弱者なら餡子には相応しくねェ」

「どっちにしろ相応しくねーじゃねェか。推し量るの意味を調べてこい」

「いいか新八、よく覚えとけ。遊園地デートは、よっぽど仲が良いカップル以外はほぼ確実に失敗する。長すぎる待ち時間、歩き詰めの足、容赦なく降り注ぐ日光。雨なんて降ってきた日にゃ最悪だ。それらの複合的要因でカップルは破滅へと向かっていく。あとペアルックも駄目だな。両方が乗り気じゃないと精神的にキツいぞ。特に猫耳なんてのはな」

「それ僕のこと言ってんすか!? いつまで昔のこと引き摺り回す気だ!!」

「あと『いい所へ連れて行ってあげる』なんて言って、デート場所を伝えないのもNGだ。女は用途によって髪型やメイク、服装、履物を変える生き物だ。サプライズデートで喜ぶのは画面の向こうフィクションの女だけだ」

「現実の女は甘くないヨ」

「見てみろ、餡子の格好を。待ち合わせ場所が駅前だということから推測し、デート場所は付近にある遊園地だということを見抜いた。そのため歩いても疲れにくい履物を選んでいる。だが隣を歩いている女を見てみろ。遊園地にヒールのあるパンプスで来ている。あのカップルは、このデートが最後の出会いになるな」

「冷静に別のカップルの分析してんじゃねーよ! 何しに来たの、この人!?」

「餡子たちあそこ入っていったけど、アレ何アルカ」

神楽が指差したものはドラクエの魔王城のような建物だった。洋風の白い城壁の上から覗き込むようにして、ポップなデザインのドラゴンが眼下にいる人達を見下ろしている。

「ありゃライドシューティングだな」

「らいどしゅーてぃんぐ?」

オウム返しで聞く神楽に、新八が助け舟を出す。

「乗り物に乗って、レーダー銃で的を当てて得点を競うアトラクションだよ」

「なるほど。私の傘の出番アルナ」

傘をジャコン、と用意する。

「実弾で撃ったら、アトラクション壊れちゃうからダメだよ」

「女よりも得点稼いで腕の良い所を見せようって腹積りか。よりによって餡子相手なんてツいてねェな、あの男も」

「なんかあるんですか?」

新八の疑問に、銀時が言い淀む。

論より証拠。実際に見せてから説明した方が理解も早いだろう。そう思い、詳しく説明することを渋る。

「あー……見てりゃわかるさ」

数分もすると餡子たちの乗っている台が帰ってきた。

誰が何点獲得したか出入り口付近に表示されるため、アトラクションに乗っていない銀時たちからも、その数字を読み取ることができた。

「……あの。餡子さん、男性の倍以上の得点稼いでいるんですけど」

「本日のハイスコアって出てるアル」

「俺らの中じゃ、あいつの射撃の腕は群を抜いてたからな」

単純な銃の腕前は、辰馬より上だ。尤も当時は物資が不足していたということもあったが、奇襲を掛ける際に音が響くことをきらって銃よりも手製のボウガンや短刀を扱っていたことが多かった。

「あれでも手ェ抜いてると思うぞ」

餡子は「しまった」というような顔をしているのが、離れていてもわかった。なんとか取り繕って相手の男にはバレていないようだが、銀時は見透かしていた。

そう思いながら餡子の背中を見つめていると、両脇を小突かれる。そこまで痛くはなかったが、全く予期していなかった刺激に思わず声が漏れる。

「ッたァ!? なにすんだテメェら!!」

「なんか『自分だけはアイツのことわかってる』みたいな後方彼氏面がムカついたので」

「キショいアル」

「あんな商家のボンボンより俺の方が付き合い長いんだから、餡子のことわかっているのは当然だろーが! こちとら餡子と一緒に寝……」

餡子と一緒に寝たことがある。

そう言おうとして、言葉を途中で止めた。テンションに身を任せて要らんことまで言いそうになるのをグッと堪えたが、遅かった。

「え゛……銀さん、まさか……」

「餡子と一緒に寝たことあるアルカ!? いいなー。私も餡子と寝たいアル!!」

「神楽ちゃん、この『寝たことある』は、そういう意味じゃあ……」

五月蝿うるせェェ!! 普通の意味で餡子と寝たことあるんだよ!! これで満足かコノヤロー!!」

気恥ずかしさから、キレ気味に暴露する。

やはり、一時のテンションに身を任せてはいけなかった。身を滅ぼすことになる。今の銀時のように。

「へぇー。それって何歳くらいの時なんですか?」

「何歳って……ガキの頃だよ」

「その頃から餡子のこと好きだったアルカ?」

「《幼馴染みとして》餡子のことは好きだっつーの」

幼馴染みを強調して言うが、二人はニヤけた面で質問を投げかけてくる。人のこと玩具にしやがって。

「おら! 餡子たちが移動するから、俺たちも動くぞ!」

餡子とデート相手の男は休憩を挟みながら、アトラクションを楽しんでいく。メリーゴーランドやコーヒーカップといったおとなしめな乗り物の他にも、フリーフォールやジェットコースターなどといった絶叫系アトラクションにも乗り込んでいく。

餡子よりも相手の男の方が先にグロッキー状態になり、介抱されている。羨ましいという想いと、情けないところを見せやがってざまあみろ、という想いが交錯していた。


「銀ちゃん! 餡子とあの小僧、あそこに入っていったアル!」

神楽が指差した場所は、おどろおどろしい雰囲気を醸し出しているアミューズメント施設。お化け屋敷というやつだった。廃病院を模したその建物は、より一層恐怖心を煽る構造をしている。

「何々……『最上の恐怖をあなたに。迫り来る恐怖を乗り越えつつ、迷宮となった廃病院から脱出できるのか』だって」

新八が施設の概要説明を読んでいく。その説明文を聞き、血の気が失せていくのを銀時は感じていた。

餡子のデートの尾行ストーカーとはいえ、お化け屋敷に入るのは抵抗がある。

大人しく外で待っていよう。そう提案しようとしたのだが、神楽が興奮気味に銀時の腕を引っ張る。

「暗闇に乗じてイチャイチャしたい下心満載ネ! 早く行くアルヨ!」

「ちょ、待てって!」

銀時の制止の声を碌に聞かずに神楽が引き連れて入ってしまったため、行かざるを得なかった。

一体誰なんだ。ただでさえ怖いお化け屋敷と、ただでさえ行きたくない病院をくっつけた奴は。

キャストのお姉さんの「行ってらっしゃ〜い」という呼び掛けが「逝ってらっしゃ〜い」と聞こえたのは、銀時の気のせいだと思いたかった。

お化け屋敷入った途端、恐怖が襲ってくる。いや、違う。入る前からすでに怖い。病院内は当然ながら薄暗く、チカチカと明滅している蛍光灯もある。病院だとは思えないほど床や壁が薄汚れており、飛び散った血液も散見する。

ビクビクしている銀時とは裏腹に、神楽と新八は特に怖がっている様子は見受けられない。それよりも、餡子のデートの行方が気になるようだ。

「早く行かないと、餡子たち見失うアル!」

「神楽ちゃん、一人で行ったら危ないってば!」

急く神楽を食い止めるようにして、新八が後を追う。

「お前ら、勝手に行くなって!」

二人が角を曲がったので、遅れて銀時も同じようにして曲がる。その先は丁字路になっていた。分かれ道の真ん中に立ってみるも、二人の姿形はどこにも見当たらない。

「アイツら、どこ行きやがった……」

キィ、と扉が静かに軋む音の後に、得体の知れない呻き声が後ろから聞こえる。

見たくない。見たくはないが、見ずにはいられなかった。

ゾンビが。全身血塗れのナース服を着たゾンビが、いた。

こんな状況でなければ、ナース服なんて興奮材料にしかならないはずなのに。プラスに働く衣装なのに。

それが《お化け屋敷》と《ゾンビ》が合わさることによって、マイナスの印象を生み出していた。

甲高い悲鳴が、己の喉から絞り出される。

お化け屋敷に入った者としては百点満点の反応だろう。お化け役もにっこり微笑む対応だ。だがそんな応対をしたところで、お化けが消えてくれるわけでも、立ち止まってくれるわけでもない。おぼつかない足取りで、一歩一歩確実に銀時の元へと歩み寄っていく。

慌てて丁字路を左に曲がる。

途中に上へ続く階段があったから、一段飛ばしで駆け上がる。振り返ると、ゾンビは追ってきてはいなかった。ゾンビを撒いたことに、ひとまず安堵する。

「しばらくナースもの見れねーじゃねェか。ナースもので抜けなくなったらどうしてくれるんだコノヤロー」

誰かに言い聞かせるものではなく、恐怖を紛らわせるためにふざけ半分、本気半分でひとりごちる。

突如、男の絶叫が響き渡る。

前からなのか後ろからなのか、それとも上からなのか下からなのか。病院という構造上、どの方角から声が聞こえてきているのか判断がつきにくい。おまけに声が響く設計にしてあるのか、悲鳴の発信源の距離も測りかねる。

「ほんと、勘弁してくれよ……」

新八と神楽とは逸れるわ、ナース服ゾンビに追いかけららるわ、お化け屋敷に一人で置いていかれるわ、出口は見つからないわ、散々だった。ドSは打たれ弱いから、もう少しデリケートに扱ってほしい。

ひょっとして、餡子のデートの尾行をしたのがいけなかったのか。神様がデートの邪魔をするなと、お怒りになられたのだろうか。

悶々と答えのない自問自答を繰り返している時だった。

「ちょっと」

ぽん、と後ろから肩を叩かれる。

「ぎゃあああああ!!」

予期せぬ感触に、汚い高音が喉から捻り出される。

「びっ……くりした。なんでこんなとこに一人でいるのよ」

銀時がその声に気付き振り向くと、驚いた顔をした餡子が立っていた。

「あ、餡子……? お前、どうして……」

ふと違和感に気づく。あの男がいないのだ。餡子のデート相手もとい、一緒にお化け屋敷に入ったはずの相方が。

「一緒にいた男は……?」

「わたしを置いて逃げちゃったわ。肝のない男ね」

呆れ顔でそう言い放つ。

餡子はお化けの類いが苦手ではない。突然驚かされたらそれなりに驚きはするが、その程度だ。銀時より、下手したらその辺の男性より反応が薄いだろう。お化け屋敷クラッシャーかもしれない。

「あんたこそ仕事なの? それとも一人で遊びに……は流石にないわよね。あんたがお化け屋敷なんて、一人で入るはずないもの」

「じ、実は新八と神楽ときたんだけど、はぐれちまったみたいで……」

「じゃあ二人を探しがてら、外へ出ましょうか」

餡子が銀時に手を差し出す。

「それじゃあ、早く脱出するわよ。歩ける?」

「だ、だだ大丈夫だ」

微かに残った男の矜持で差し出された手を受け取ることができず、そう言葉では強がってみたものの、情けないことに膝が笑ってしまっていた。

「ほら無理しないで。わたしにもたれていいから」

「あ、あぁ……」

餡子が強引に手を繋いできたため、お言葉に甘えて縋るようにしてくっつく。

悲鳴が聞こえる度に、自身の体が強張ってしまうのを銀時は感じていた。そして条件反射のように辺りを見回してしまう。

キョロキョロと、忙しない子供のように周囲を見やる。曲がり角、半開きのドア、窓ガラス、天井の角、物陰、真後ろ。恐怖を感じる箇所は枚挙にいとまがない。故に、警戒心をあちこちに張り巡らす必要があった。

「あんまり色んなところ見てると、余計に怖いわよ。転ばないように足元だけ見てなさい」

「いや、ホラ、見えないところから来られると、びっくりするというか……」

「じゃあ、わたしだけを見てなさい」

澄んだ若草色の瞳が、真っ直ぐに銀時を見つめる。それは船を導く灯台のような、彷徨う旅人の道標になる北斗七星のような。突然ふっと消えてしまうことのない、確実に己を待ってくれる安心感のある輝きだ。


「それなら怖くないでしょ」


そういえば。昔、似たようなことがあった。


子供の頃、餡子と二人で暗い道を歩いていた。その頃から幽霊の類いが苦手だった俺はビクビクしながらも、女の前で情けない姿を見せてたまるもんかと意気込んでいた。

「ねえ」と、餡子に後ろから声を掛けられる。

「怖いから手、繋いでくれる?」

怖いからなんて言いつつも、怖さなんて微塵も感じていない声色で、手を差し伸ばしてくれた。

「し、仕方ねーな。今回だけだぞ」

幼いながらも立派に備わった男の意地とプライドが邪魔をして、素直に「手を繋いでほしい」なんて言えなくて。そんな憎まれ口を叩いて、餡子の手を握った。

それは銀時のものより小さくて、柔らかくて、少しだけひんやりしていた。自分の豆だらけで、分厚く、ザラついた手とは大違いだ。これが女の子の手なのか。初めて握る手に、そう思った。

「ね。二人一緒なら、怖くないわね」

餡子は大きな独り言のようにして言った。自分自身に言い聞かすようにしているが、銀時に向けた言葉だと理解できた。銀時の不安を拭い去るように言ってくれたのだと理解できた。

「ああ、そうだな」

同意するように言うのは恥ずかしかったから、相槌のように素っ気なく言ってしまう。


あまり差がなかった身長は、今は俺の方が高い。

手の大きさだって違う。少しカサついてふしくれだっている俺の手とは違い、彼女の手は白くて細くて滑らかだ。

しかし、その手の温もりだけは、昔と変わらない。その温かさは、何も変わっていない。


お化け屋敷を出ると、餡子のデート相手の男がやや青い顔をして待っていた。お化けへの恐怖心から顔色が悪いのか、それとも餡子を置いてきたことに気を病んでいるのだろうか。少し離れたところには新八と神楽もいる。

「や、やぁ、心配していたんだ。いつの間にかいなくなっていたからね」

男が餡子に抱きついている銀時に気付く。はんっ、と嘲り笑うように息を吐くと、嫌味ったらしく言い放つ。

「ところでしがみつかれている、しまりがない顔の男は誰だい? それでも男かい。情けない」

言い返したい気分になるが、男の言う事にも一理あるうえに、お化け屋敷で散々メンタルを削られてきたため咄嗟に反論ができなかった。

口先から生まれてきた男だと口語していたが、流石に今だけはその実力を発揮できずにいた。すると餡子がわざとらしく呆れたようなため息を吐くと、温度のこもっていない声色で言い放つ。

「女性を置いていく玉無しに言われたくはないわね」

「なっ……!?」

餡子のその言葉にカチンときたのか、男が声を荒げる。

「そんなだらしがない男より、僕の方がずっといいに決まっているだろ!? どう見たって僕の方がイケメンだし、お金だってあるし、それなりに栄えている商家の跡取り息子だ! そんな僕のどこが劣っているっていうんだ!?」

「たとえあなたの方がイケメンで、お金があって、社会的地位があっても、女性を置いて一人で逃げる男になんかなびかないわ。ちゃらんぽらんで、だらしがなくて、しまりがない顔でも、自分が怖がっていようとも女性を一人にしない男性を選ぶわ」

ツカツカと男に歩み寄り、下顎を片手で掴む。いわゆる顎クイというやつだ。ただし、ロマンティックの欠片もない。見ようによっては、恐喝や恫喝している場面にも見えるだろう。


「出直してきなさい」


その冷たい視線と声色にビビった男は、情けない悲鳴をあげながら一目散にその場を立ち去っていった。そんな啖呵を切った餡子を、新八と神楽は感嘆符をあげつつ拍手を送る。

「カッケーアル」

「見惚れちゃいました」

「なんかお腹空いちゃったわね」

う〜ん、と伸びをする。餡子の動きに合わせて簪がしゃらん、と鳴る。

「甘いものでも食べに行きましょうか」

「ヒャッホウ! 餡子の奢りアルカ!?」

「そうよ、わたしの奢り。好きなもの頼んでいいわよ」

「じゃあ私、パンケーキにするアル!! 五段のやつ!!」

「じゃあ僕、三段アイスで!!」

「ほら銀時、何ボーっとしてるの。あんたが一番はしゃぎそうなものなのに」

「……悪ィ悪ィ。何にするか考えてたわ」

頭をポリポリかきながら、餡子の隣を歩く。

「けど、いいのか? お得意先の息子なんだろ。パパに言いつけて、取り引きがなくなっちまうかもよ」

「なんて言いつけるのかしら。お化け屋敷入って、女性を置いて逃げましたって? それとも、正論言われて泣いちゃいましたって? あの子のプライドが許さないし、そこの親父さん器の大きい人だから、そんなことで取り引きやめるような人じゃないわ」

むしろ息子共々、謝罪に来るかも。

そう小声で呟いて、ふふっと笑う。

「お前、最初からフるつもりだったな」

「あら。人聞きが悪いわね。特定の相手を作る気がないだけよ。今のところは」

「それに」と、彼女は言葉を続ける。

「今は、小豆と砂糖がわたしの恋人だもの。彼らってば構ってあげないと、すぐ拗ねちゃうのよ」

店を構えたばかりだし、今は恋人を作るよりも、お菓子を作る方が優先なのだろう。彼女らしいと言えば、らしい。

どこまでも愚直で、真っ直ぐで、ひたむきで、自分の芯を持っている。そんなところを昔から好ましいと感じていた。《家》というしがらみがなくなった今の方が、生き生きとしているように思う。

「嫉妬深い彼氏持って、ご苦労なこった」

「あら、いいじゃない。それだけわたしのことを愛してくれているってことでしょ」

「なにお前、縛られたいタイプ?」

「度が過ぎるのは勘弁願いたいわね。拉致監禁とかまでいくと、トラウマが抉られるもの」

餡子は一般人と比べ物にならないほど誘拐の危険に晒され、家からは軟禁紛いのことをされていたと聞く。その数は両の手だけでは足りないだろう。餡子が松下村塾に途中で通えなくなったのだって、誘拐されたことがきっかけだった。

「けれど、多少の嫉妬なら可愛いものじゃない。そういう感情を表に出せるのは良いことよ。わたしは……ほら、淡白なところがあるから」

感情がないというわけではない。他人の機微に疎いというわけでもない。ただ、表に出せないだけだ。

我慢して、耐え抜いて、言葉を飲みこんで。それが美徳だと、当たり前だとされてきた家で育てられてきたから、感情をそのまま表に出して伝えることが苦手だということを銀時は知っている。それを彼女自身が自覚しているということも。

「ま、いいんじゃねーの? お前はそのままで。着飾れたお前だけを好きな連中なんて、碌でもねェ野郎だしな」

あれ? いつの間にか男の話になってない? 小豆と砂糖のお話しをしていなかったっけ?

そんな思考は他所に、彼女はふっと優しく微笑んだ。

「それもそうね」

「銀ちゃーん! 餡子ォー! 早く来るアル!!」

遠くから神楽が呼ぶ声が聞こえる。一足早く、お目当ての店の前に着いたらしい。

「ったく、ちったぁ落ち着けってんだ」

「無邪気にはしゃいでて可愛いじゃない」

「あいつの胃袋は可愛いなんてもんじゃねーよ。ダイソンもびっくりの吸引力だっての」

「確かに最初はびっくりしたけど、気持ち良く食べてくれるからわたしは好きよ。甘味に関しては、あんたも人の事言えないじゃない」

「いやいやいや、良識的な範囲だからね」

「普通は三人前の甘味をペロリと食べないわよ」

呆れ顔でそう言われた。美味しいものは美味しいのだから仕方ないだろう。

「まぁでも、甘味を食べている時の幸せそうなあんたの顔は結構好きよ」

「へ…………?」

その言葉に、思わずぽかんとする。俺の顔が好きって、そう言ったのか?

「そういう幸せそうな顔見ると、お菓子職人になってよかったって感じるもの」

なんだ、そういう意味か。ビビった。お客の喜ぶ顔が好きってことか。

「神楽ちゃんたち待たせちゃってるし、少し急ぎましょうか」

そう言う彼女は、あの男とのデート中では一切見せなかった楽しそうな顔をしていた。


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