不器用な距離


壱話 合縁奇縁


「とっとと家賃払えっつってんだよ腐れ天パ!!」

「家賃なら先週払っただろーが!!」

「ありゃ先々月分だろ!?」

玄関口で繰り広げられているいつものコントを、新八は呆れながら眺めていた。言い争っているのは老年の女性と、銀髪の若い男性。ともすれば親子喧嘩の最中とも見られるだろう。だが親子なんて生優しい関係ではない。簡潔に述べるのであれば、大家と貸借人といった関係である。

銀髪の男、坂田銀時は江戸のかぶき町にて何でも屋、《万事屋銀ちゃん》を営んでいる。依頼料さえ払えば何でもやる店、よろずの事を売る店、それが《万事屋銀ちゃん》だ。

その《万事屋銀ちゃん》が居を構えている大家であるお登勢に、家賃のことで何回怒鳴られたかわからない。家賃を滞納しているためだ。
それも一ヶ月分や二ヶ月分の滞納など、まだ可愛い方。過去最高記録は新八の記憶の限りでは、五ヶ月だったか。

家賃の催促回数が二桁を越した頃には、数えるのを止めていた。毎回毎回飽きもせずに同じやり取りをしているなと、新八は他人事のように思っていた。

実際お登勢が「家賃を払え」と請求するのは銀時だけであるから、まさしく他人事だ。それでも、このようなことが続けばいつかは万事屋を追い出されるのではないかと、内心ヒヤヒヤしているのも事実だ。

二人の喧騒は、お登勢のコブラツイストが決まったことでひとまず終了していた。

いつものやり取りに疲れたのか、それともない袖を振っても金が落ちてこないと悟ったのか、お登勢が諦観した様子で別の条件を突きつける。むしろ家賃を払えないと見越しての頼み事だったのかもしれない。

ままあることだ。金を払う代わりに、労働を家賃の対価とする。口では言いたい放題けちょんけちょんに貶すこともあるが、この大家はなんやかんや優しいのだ。


「ったく、仕方ないね。ないなら体で払ってもらうよ」

「まさかババア、俺の体が目当か……!?」

「気持ち悪い妄想してんじゃねーよ!!」

お登勢は紫煙をくゆらせて、続きを話した。

「あたしの知り合いのお弟子さんが店舗を持つことになってね。先行開店するから数日間、その手伝いが欲しいんだとさ」

「お店って、何のお店なんですか?」

話の内容に惹かれて、新八は訊ねた。新八がいる方向とは違うところへ煙を吐き出してから答える。

「甘味処だよ。あたしの知り合いってのが和菓子屋の店主でね。そこから独立して甘味処を開いたってわけさ」

はんっ、と銀時があざけり笑う。

「ババアの知り合いなんてババアに決まってンだろ。しかもババアの弟子ってこたァ、それなりのババアっつーことだろ。そんな環境で喜んでタダ働きなんて、誰がするかよ」

先程のコブラツイストをかけられた恨みだろうか。わかりやすく拗ねている。そんな様子の銀時を諭すでもなく、宥めるでもなく、ただの事実を伝えるようにして事務的な抑揚で一息に口にした。

「ちなみに、店主は若くて綺麗なお嬢さんだよ」

「なにもたもたしてんだ! 今すぐ行くぞ!!」

銀時の現金すぎる言動に、新八は乾いた笑いしか出なかった。



*****



お登勢から指定された住所に行ってみると、その場所はすぐにわかった。かぶき町の中心街にあるような天にそびえるビル群や、隙間を埋めるように配置された飲み屋などといったものはなかった。先代から続いているような商店らしき建物がぽつぽつと建てられており、店と店を繋ぐようにして民家が建っている。

そこはかぶき町の繁華街からは離れているがゆえに、この町特有の騒がしさは微塵も感じられない場所だ。だが、そこに漂う空気は人情に溢れ、活気に満ちている。

「あ。ここですね。甘味処リコリス」

そこは一見すると、民家のようにも見える佇まいだ。だが一般の民家にしては大きい玄関扉。出入り口には『甘味処リコリス』と筆字で書かれている暖簾のれん。外には 緋毛氈ひもうせんが掛けられている 床几台しょうぎだいが配置されている。

それらの複合的要因でどこからどう見ても、立派な甘味処だと認識できる。

店先には開店祝いを示す花が所狭しと並べられており、華やかさを演出していた。その数の多さで、ここの店主がどれだけ慕われているかが窺い知れる。

新八は渡された地図と、目の前の建物を見比べる。

その甘味処の建物自体は華美でもなく、かといって野暮ったいものでもない。周囲の建物と比べ、悪目立ちしているわけでもない。昔ながらの江戸の街並みに溶け込んでいる。誰もが安心して甘味を楽しめるような、そんな雰囲気のお店だ。

ただ若い女性店主が切り盛りする甘味処、という点のみで見ればいささか華やかさには欠けるだろう。

しかし、この店には流行りの華やかさなど、必要ないようにも思える。ここの店主は、単なる思いつきで店を出したわけではないだろう。きちんと自分のやりたい姿を思い描いて開業したことが、外観から読み取れる。

「どーもー。依頼を承りました、万事屋でーす」

「アンタらがお登勢の紹介した万事屋かい?」

甘味処の出入り口の戸を開けると出迎えたのは、いかにも頑固そうな年配の女性だった。お登勢とは別の意味で癖者そうだ。

その姿を見て銀時が吠える。

「結局ババアじゃねーか!! 騙しやがったな、あのクソババア!!」

「この店の店主はあたしじゃないよ、勘違いすんなクソ天パ! あと誰がババアじゃ! 可愛らしいお嬢さんくらい言わんかい、たわけが!!」

「無茶ありすぎだろーがァァ!! そもそもなァ、ババアにババアと言って何が悪い!!」

「カーッ!! 失礼な若造だね!! 乙女の扱いがなってないよ!!」

「百歩譲っても、テメーのトシで乙女はねーだろ!!」
「女は何歳いくつになっても乙女なんだよ! 生涯現役で乙女な生き物なんだよ!!」

「いっぺん乙女の意味を調べてこいや!!」

「近頃の若いモンは礼儀ってヤツを知らないね。ああ、嘆かわしい」

「ババアを乙女と呼ぶのが礼儀なら、無作法者と呼ばれた方がマシだ」

十言ったら百返ってくるような、口達者なばあさんだった。息を吸うように毒を吐き、減らず口をたたく銀時と渡り合えるほどの言葉の応酬を繰り広げられるのだ。お登勢の知り合いというのも頷ける威勢の良さだ。

ばあさんが店の奥、おそらく厨房に向かって声をかける。

「例の万事屋が来たよ!」

「はーい」

パタパタと足音を鳴らして、店の奥から姿を見せる。

たしかに若くて綺麗なお嬢さんだ。銀時は、そう思った。

艶々と輝く紫がかった黒髪は、つむじより低い位置できっちりと一つにまとめ上げられている。飲食店の店長らしく、後毛やアホ毛といった取りこぼしの毛が見受けられない。

甘味処の店員の髪型といえば、という質問に対し、十人中十人が思い浮かぶ普遍的でありふれた髪型だろう。髪には店名と同じ花をあしらったシンプルなかんざしが挿さっている。

鮮やかな若草色をしたキリッとしたつり目がちの顔は、その者の精神の強さが表れているように感じる。

だが威圧的な雰囲気は一切ない。眉尻は柔らかく、おっとりとした雰囲気を醸し出しており、甘味処の店員としてぴったりの人相だ。

目鼻立ちは元々、はっきりとした顔立ちなのだろう。遠慮がちのメイクは、元の顔の良さを最大限に活かしている。

柳色の着物は動きやすさ重視なのか、通常見かけるものより丈が少しばかり短く、履いているショートのレースアップブーツのトップエンド部分まで見えている。歩くたびに下腿部かたいぶの肌色が、着物とブーツの隙間から見え隠れしている。

「万事屋さん、本日はよろしくお願いします。わたくし甘味処リコリスの……」

女性の言葉が途中で切れた。銀時の姿を見て固まってしまったからだ。ただでさえ零れ落ちてしまうのではないかというくらい大きな眼が、更に開かれる。

顔に変なものでも付いているのだろうか。それとも成人男性が甘味処を手伝うのは何かしらマズかったのだろうか、と銀時が内心焦り出す。その視線に耐え切れず、上擦った声を発する。

「あ、あのぉ〜、何か不手際でも……」

やがておそるおそる、答え合わせをするかのように訊ねる。

「まさか、銀時……?」

その声と呼び方に、銀時は聞き覚えがあった。改めて見れば、その顔にも覚えがある。髪型やメイクで着飾られているが、面影が確かにある。

最後に会ったのは五年程前だ。あの頃は着飾る余裕も、化粧だなんだやっている暇なんてなかった。だから思い出すのに少し時間がかかってしまった。それほどまでに目の前の女性と、昔共に戦った女性と変わっていたからだ。

「もしかして餡子あんこ、か……?」

互いに驚いた表情で指差し合う。行儀が悪いことは重々承知しているが、それでも指差し合う他なかった。

「お二人、知り合いなんですか?」

新八が訊ねたことで、ようやく二人の硬直が解ける。先に声を発したのは銀時の方だ。

「昔馴染みだよ、子供ガキん頃からの。しかし、女は化けるって本当だな。一瞬誰だかわからなかったわ」

「あら。そういう時は綺麗になっただとか、可憐になっただとか、きちんと言葉で表現するものよ。でもまぁ、褒め言葉として受け取っておくわ。あんた面と向かって人を褒めるの、昔から苦手だったし」

目の前の女性、餡子が上品に笑う。気品がありながらも嬉しそうなのが、声と表情から読み取れる。

ばあさんがため息を吐くと、餡子の肩にポンと手を置く。

「餡子。アンタ目利きは良い方なんだから、こんな死んだ魚みたいな目をしたヒモ男だけは止めておきな。こんな男と一緒になったって苦労するだけだよ」

「おう聞こえてんぞ、クソババア」

「やだ師匠、そんなんじゃないわよ。前に話したじゃない。幼馴染みの内の一人よ」

「銀さんと昔馴染みってことは、もしかして桂さんともお知り合いなんですか?」

「小太郎とも顔馴染みなのね。そうよ。そこの女の子よりも小さい時からのね。そちらの二人は、まさか銀時の隠し子……!?」

「んなわけねーだろ! 俺をいくつだと思ってんの!? お前と同い年なんですけど!?」

「ふふ。冗談よ」

「冗談でも止めてください、こんな腐れ天パと親子なんて」

「そーヨ。こんなロクデナシが親なんて嫌アル」

「お前ら俺を何だと思ってんの!? 俺、社長なんですけど!? お前らの上司だよ!?」

「あら。随分と慕われてるのね」

「どこをどう見たら慕われてるって思うわけ!?」

ったく、と銀時がひとりごちる。それぞれを親指で示し、簡潔に紹介する。

万事屋ウチの従業員だよ。メガネが新八、チャイナが神楽」

「あ、そうそう。自己紹介がまだだったわね。わたしは四方草よもぎ 餡子あんこ。ご存知の通り、甘味処リコリスの店主よ」

餡子はにっこりと微笑んだ。

「それじゃあここからは、ビジネスのお話しをしましょうか」

パン、と柏手を打つ。

先程の朗らかな雰囲気はどこへやら。女店主として、しっかりとした顔つきに変わっていた。

「今日から三日間、このお店はプレオープンになるの。万事屋さんにはこの三日間、従業員として手伝ってほしいの。初日はわたしがご招待したお客様だけだから、そんなに忙しくはないわ。二日目、三日目は一般のお客様を入れてのオープンになるから、とても忙しくなると思うわ。
初日だけはご招待したお客様にご挨拶があるから、基本的にわたしは手伝えないと思ってちょうだい。後から他の従業員の子たちも来るわ」

「おはようございまーす」と、示し合わせたかのように二人の女の子が顔を出す。こちらが先程、餡子が説明した従業員の子たちであった。

一人は元気溌剌、もう一人は内気と、正反対の女の子たちだ。

役者が揃ったところで、本格的な説明に入った。

甘味処リコリスのお品書きの説明、甘味の提供方法、その他細々とした飲食店としての接客方法、等々。

そんな説明をしていると、いつのまにか開店時間が差し迫っていた。

「それじゃあみんな、今日からお願いね」

店主の音頭で、営業が開始された。


店に入る客全員が「四方草ちゃん」やら「餡子さん」やらと、餡子に親しげに声を掛けている。

訪れている客は、和菓子屋に弟子入りしていた頃からのお得意様ばかりなのだろう。餡子ともばあさんとも親しげな感じだった。

餡子が和菓子屋に居た頃から足繁く通っていただろう太客から、砂糖や小豆などといった和菓子に必要な材料の業者関連、更には陶芸家や茶道家、華道家といった人たちまで店に訪れている。

「餡子ー、邪魔するぜよ」

聞き覚えのある声に銀時は反応した。現れたのはもじゃもじゃ頭が特徴の長身男、坂本辰馬だ。快活な笑い声に合わせて、下駄がカランコロンと鳴る。

「辰馬じゃない。スケジュール的にキツいって言ってたけど、来てくれたのね」

餡子が辰馬に駆け寄り、嬉しそうに握手を交わす。

「おんしの晴れ舞台やき。駆けつけないわけにはいかんぜよ」

ややあって店内にいる銀時を見つけ、空いた手を振る。

「おっ、金時じゃなか!」

「なんでお前がここに来てんだよ。あと金時じゃねーっつってんだろ」

「そりゃあ、わしが餡子の店の出資の手伝いをしたからじゃ」

「わたしは借りたものはちゃんと返すって言っているのに、聞かないんだから」

「わしの船で手伝うてくれた礼じゃ言うてるき」

「そんな大したことしていないわよ」

「難儀しちょった相手との取り引きを、いくつか取り持ってくれたきに。それだけで十分出資する価値あるぜよ」

「まぁおかげで予定より早くお店持つことができたわけだし、感謝してるわ」

「ってことは、辰馬の船に乗っていたのか?」

「そうね。半年くらいかしら。少し見聞を広げたくてね」

「しっかし、おんしらも人が悪いのう。餡子がこげな別嬪やったのに、誰も教えてくれんとは。久しぶりにうたら、とびきりの美人になってて驚いたにゃあ」

「そんな風に煽てても何も出ないわよ。まぁでも、あの頃は着飾る余裕なんてなくて、生きるのに必死だったわけだし。立ち話もなんだから、こっちにでも座りなさいな」

餡子が辰馬を空いた席へ案内するが余程スケジュールに無理をしているのか、快援隊へのお土産用の甘味だけ購入して満足そうに帰っていった。

今度来る時は他の連中も連れてくると、疲れを一切見せない朗らかな口調でそう言っていた。

餡子が言っていた通り、初日はそこまで忙しくなかった。客と談笑できる余裕があり、万事屋の営業も僅かながらすることができた。

だが二日目からは怒涛の忙しさとなった。

餡子とばあさんの二人は、厨房で甘味作りに没頭せざるを得ない状況だ。

大人しそうな従業員の女の子は戻ってきた食器を洗っていたり、調理を手伝っていたりしている。

もう一人の従業員の女の子は元気に来店した客へ挨拶したり、店内を駆け巡ったりと存在感が一番あるように感じられる。

万事屋の三人も例に漏れず、客と厨房の間を行ったり来たりを繰り返している。

ようやく地獄のような忙しさの二日間が終わった。

「あ゛ー……マジ疲れた……」

「なんか久々に全力で働いた気がします……」

「もう一歩も動けないアルヨ……」

万事屋の三人はぐったりとした様子で、店内の椅子にもたれかかっている。従業員の二人の女の子も同様だ。

厨房からお盆を持った餡子が現れる。

「みんなお疲れ様。甘酒作ったから、よかったらどうぞ」

「っぱ疲れた時には甘いものだよなあ!」

「餡子グッジョブアル!」

「あれ? でも甘酒なんてメニューになかったですよね?」

「知り合いの方から頂いたものなんだけれど、お店の商品として売り出すには量が少なくて。かと言って一人で消費するにも多くてね。賄いだと思ってちょうだい」

「俺ここに就職するわ。そしたら甘酒飲み放題だろ?」

「アンタなにアホなこと言ってんすか!?」

「おかわりアル!」

「遠慮ねェな、オメーはよ!!」

銀時と神楽のボケに、新八が次々とツッコミを入れていく。その様子を見て、餡子がくすくすと笑う。

「す、すいません。なんか見苦しいところお見せして……」

「いいのよ、気にしないで。銀時とあなたたちが元気で仲良くやっている証拠ですもの」

「そういやお前の店、結構たくさんの花置いてあったな」

餡子の店先に並べられていた花たちを思い出す。どれもこれも、立派な面構えをしていた。一番見栄えの良い鉢植えのもので、万事屋の家賃一ヶ月分くらいの値段はするだろう。

「ありがたいことに、みんな師匠のお店に居た頃から良くしてもらった人達ばかりなのよ」

「なんつーか……お前もちゃんと居場所作ってたんだな」

「あの後なんにもなくなっちゃったし、みんなバラバラになっちゃったからね」

そう言う餡子の瞳は、一抹の寂しさを抱いていた。その原因の一つに、銀時自身が関わっていることを自認している。昔馴染みの女性に寂しい想いをさせていたということに、胸の奥が少しだけ痛んだ。

それを振り払うかのように、餡子は明るく話題を変えた。

「あ、そうそう。たしか小太郎や晋助からも、お祝いのお花贈ってもらったわね。あの二人、本名で贈ったらわたしに迷惑がかかると思ってか偽名だけどね」

そう言って指差した花には『キャプテンカツーラより』と『ヤクルトボーイより』と書かれていた。その隣には『快援隊より』と書かれてある花が鎮座している。

「何やってんだアイツら……」

何がしたいのかよくわからない二人の昔馴染みの行動に、呆れた息が口から漏れ出る。しかし偽名を使ってまで新店舗祝いの花を贈るとは、律儀な奴らだ。

銀時はふと、引っ掛かりを覚える。

「ちょっと待て。開店祝いの花がヅラや高杉からも送られているって事は、もしかして……餡子に会ったの、俺が一番最後なのか……?」

「そういえば、そうね。晋助とは京都で勉強していた時に頻繁に会っていたし、小太郎は師匠のお店で働いていた頃からたまに連絡取っていたし」

「アイツら、知ってて俺に黙っていやがったな……!!」

桂や辰馬とはたびたび顔を合わせていたにも関わらず、餡子に会ったことすら黙秘されていた事実にほんの少しの殺意が湧いた。

「あんただけ噂がなんにも聞こえてこないし、なかなか会えなかったから、どこかでのたれ死んじゃったのかと思ったぐらいよ。最後に会った時のあんた、今にも死にそうな顔してたし」

そっと銀時の頬に触れる。それは壊れ物を扱うかのような丁寧な触り方だ。

そこに実在していると実感するためなのか、柔くふにふにと摘んだ。
「まぁ思ったより元気そうで、なによりだわ。昔に比べたら、随分と丸くなったみたいだし。そこの二人のおかげかしら?」

新八と神楽に向けたその眼差しは、とても優しいものだ。例えるなら母親のような、姉のような、近しい者に対する柔らかな視線だ。

「なんというか……こう言ったら餡子さんに失礼だと思うんですけど、銀さんの知り合いの方にしては上品な方ですよね」

新八の言葉に特段気を悪くするどころか、少し嬉しそうに餡子が言葉を返す。そこには半分ほど同情の声色が混ざっている。

「あら。若いのに口がお上手ね。銀時に苦労ばかりさせられてるのね」

「実はそうなんですよ」

「甲斐性なしの面倒見てやってるネ」

「嘘ばっかつくんじゃねーよオメーら! 逆だ、逆! 俺がオメーらの面倒を見てんの!」

「大変でしょうに、この人の世話するの。言う事聞かないし、自分勝手だし、黙ってすぐどっか行っちゃうし、しょうもないことばっかするし、酒癖悪いし」

「もう慣れました」

新八のどこか遠くを見ている目に、餡子はくすりと笑う。

「いつでもウチのお店にいらっしゃい。銀時の知り合いならサービスしちゃうから」

「マジでか! ヒャッホーイ! タダ飯ゲットアル!」

「餡子にあんま迷惑かけんじゃねーよ」

銀時が神楽の頭をペシンと叩く。

「あいだっ」と神楽が小さい悲鳴を上げ、銀時を恨みがましそうに睨む。

「餡子。もう貰ったかもしれねェけど、一応渡しておくわ」

銀時が懐から長方形の白い紙を取り出す。

そこには、

万事屋銀ちゃん
坂田銀時

と書かれてある代物だ。

電話番号と住所もその隣に記載されている。

自営業を営む人間なら大多数が持ち歩いている、名刺なるものだ。

「俺ん家そこだから。依頼があってもなくても、いつでも遊びに来いよ」

「ええ。そうさせてもらうわ」

銀時から貰った名刺を価値のあるもののように受け取り、宝物のように懐へ仕舞い込んだ。

「じゃあ、わたしからも渡しておくわね」

餡子が取り出した名刺は、銀時のシンプルなものに比べて華やかなものだった。それが女性ゆえなのか、飲食店ゆえなのか、はたまた本人の気質ゆえなのか判断が難しいところではあるが。

「そういやお前って、かぶき町に居なかったよな? 居れば万事屋俺らのこと大なり小なり聞いてておかしくねーだろうし、この店だってかぶき町の外れだしよ」

「師匠のお店がこの町から離れた所にあるのよ。この町にした理由も、師匠のお知り合いだっていうお登勢さんって方に勧められたのよ。少し騒がしい町だけど、人情に溢れた良い町だから気に入ると思うよってね」

「じゃあ銀さんと餡子さんが出逢えたのも、お登勢さんのおかげって事ですね」

「ええ、そうね。今回の事とは別にお礼しなくっちゃ」

「いいんだよ。あのババア、好きで人の世話ばっかしてっから。ほっときゃいいんだよ」

「鈍チンかと思ったけど、そこだけは馬が合うね。案外お登勢のこと、わかっているじゃないか」

「ババアと意気投合しても嬉しくも何ともねーけどな」

「減らない口だね。お登勢も、よくこんな野良犬拾ったもんだ。まぁアタシも人の事言えないけどね。手負いの獣みたいな目をしていた子が、こんなに立派な娘になって。アタシゃ鼻が高いよ」

「し、師匠……昔のことは恥ずかしいから、あんまり……」

「いいじゃないか。減るモンでもあるまいし」

困る餡子をよそに、ばあさんは話しを続ける。

「出会った当時は生きることがデフォルトになっていないというか、幽鬼のような朧げな存在というか。そのくせ瞳だけは爛々と輝いていて。体は生きているのに、精神は死んでいる連中なんて昔は腐るほどいたが、魂が生きたいと強く震わせている姿を見て興味が出たんだ」

どこか懐かしさを覚えるような、遠い目でばあさんは言う。餡子と初めて会った時のことでも思い返しているのだろうか。昔を語るその目は、弟子の一言で片付けるには優しすぎる目をしていた。

「アタシの店で試しに働かせてみたら仕事はすぐ覚えるし、気は利くし、文句のつけようがない娘だよ。なんで、こんな娘が一人で彷徨っていたのか不思議に思っていたよ。唯一の不満は、アタシの店を継いでくれなかったことぐらいかね。でもまぁ弟子が目的持ってやりたいってェなら、それを応援してやるのが師匠ってもんさ」

「師匠には感謝してもしきれないわ」

「そういう言葉は、店舗が順風満帆になるまでとっときな。これから反省会やらなきゃだろ」

「これで依頼は完了ってーとこだな。俺達ーるわ」

「今回はありがとう。助かったわ。依頼料についてはお登勢さんに渡す手筈になっているから、ちゃんと受け取るのよ」

そのお登勢に依頼料の大部分をピンハネされるだろうとは、口が裂けても言えなかった。

「わーってるよ」と、とりあえず当たり障りのない返事だけ返す。

「銀時」

甘味処から出て行こうとする銀時の背中を呼ぶ。

それに対し「なに?」と立ち止まって、餡子の方を振り向く。

彼女は、柔和な笑顔で言葉を口にする。

「またね」

『さようなら』でもなく『バイバイ』でもなく、『またね』と彼女は言った。それはこれからも会いましょう、と伝えているようなものだ。

だから銀時も同じように返した。

別れの言葉ではなく、再び相見あいまみえる言葉を。

「おう、またな」

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