不器用な距離
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拾話 一種一瓶 〜情けない夜ほど、忘れられない〜
「飲み会やるから、お前も来いよ」と、銀時にそう誘われたのは数日前のこと。
場所はスナックお登勢。
つまりは、万事屋の一階で行うとのことだ。
万事屋にお邪魔する時はいつも陽が高い時間帯しか訪れないため、そのお店に足を踏み入れる機会がなかった。朝日が昇ると共に活動を開始し、夜が更ける前には就寝しているという手本のような規則正しい生活を送っているため、なかなか都合がつかないことが多い。
開始時刻は十八時からと聞かされていたが、仕事があったために一時間ほど遅れての参加だ。「遅れてでもいいから来いよ」と銀時に言われてしまい、素直にその言葉に甘えることにした。
手ぶらで行くのは失礼になるかと思い、店で作った芋けんぴと上等なお酒を持っていく。スナックなのだからお酒には困らないだろうが、念のために。
「ごめんください」
スナックお登勢の引き戸を引く。お登勢さんがこちらを見て、顔を綻ばせる。
「おや。久しぶりだね。調子はどうだい」
「ぼちぼちってところです」
「
絢香、というのは、わたしの師匠の名前だ。
師匠とお登勢さんは昔からの知己のようで、師匠からよくお登勢さんの話を聞かされていた。その大半が嫉妬というか愚痴みたいなものだけれども。師匠がお登勢さんのことを嫌っているということではなく、好きだからこそ、尊敬しているからこそ湧いて出る感情のようだ。
わたしのお店の場所を紹介してくれたのも、お登勢さん経由だ。そのお登勢さんのよしみで、わたしのお店である甘味処リコリスのプレオープンの人手を募ってくれた。その人手こそ銀時たちだ。五年間行方が知れなかった銀時と引き合わせてくれたようなものだから、お登勢さんには感謝しかない。
「わたしがいなくなって少し寂しいみたいですけれど、元気でやっていますよ。最近は『孫の顔を見せてくれ』なんて言われちゃって」
「まぁ、気持ちはわからないでもないけどね。アタシらの感覚で言えば、アンタにゃ子供がいてもおかしくない年齢なんだろうし」
「憧れはありますけれど、今はお店の方が手一杯で。それにお相手もいないですし」
「アンタみたいな器量の良い娘なら、引くて数多だろうに」
「わたしとしては、せめてお店の応援してくれる人がいいと思っていまして。店舗のお話しすると、みんな渋い顔をなさるんですもの。困っちゃうわ」
「アンタも難儀だね」
「わたしの夢ですもの。譲れないこともございますわ。あと、こちら。つまらないものですが、酒の肴にでもなればと思いまして」
手土産をお登勢さんに渡す。
「気ィ使わせたようで悪いね」
「わたしにとってはアウェイも同然ですから、これくらいのことは」
聞けば、銀時の知り合いたちが参加する飲み会だという。銀時の現在の交友関係はあまり知らない餡子であるため、知り合いが殆どいない場だ。新参者が手土産もなしに参加しては
「よォ
声の主に、無遠慮に肩を抱かれる。
「銀時」
既に赤ら顔になっている幼馴染みの名前を呆れながら呼ぶ。
この幼馴染みは、そこまでお酒に強くないのに加減せずに飲むからタチが悪いのだ。本人はお酒が好きなようなので好きなだけ飲ませてあげたいのは山々だが、高確率で気分が優れなくなってもどしてしまうので心配の方が勝ってしまう。
「あんた、もう酔っ払ってんの?」
「まだ酔ってねーしィ!」
「酔っ払いはみんなそう言うのよ。こんなに真っ赤な顔しているのに、何言っているのかしら」
赤く色付いた鼻を軽く摘んでやる。鼻を摘まれた本人は特に気にする様子がなく、わたしの手元を覗き込んできた。その仕草は、夕飯のおかずを盗み見ようとする子供のようだ。
「なんか甘いもんねェの?」
「芋けんぴ作って持ってきたから、後でもらっていらっしゃい」
「おっ、やりぃ」
「餡子。来てくれたのだな」
「小太郎。あんたも来てたのね」
「なになにー? ヅラっちの知り合い?」
グラサンの男性が、小太郎と仲が良さそうにして肩を組んでいた。こちらの二人も赤ら顔だ。
「紹介しよう。俺たちの幼馴染みの、餡子だ」
「初めまして。
「あ、どうも。長谷川たいぞ……」
「餡子。この人はマダオな」
「まだ、お……?」
グラサンの男性の自己紹介に、銀時が横槍を入れる。
聞き慣れない単語に、思わず疑問符を付けてオウム返しをしてしまう。
「まるでダメなオッさん、略してマダオ」
「違うからね!? まるでダンディなオッさん、略してマダオだから! って違う違う! そうじゃなくて! 長谷川泰三です。もしかして、かぶき町に新しくできた甘味処の店長さん?」
「あら。ご存知だなんて嬉しいですわ」
「有名だよ。甘味は美味いし、店員はみんな美人揃いだってね」
「ふふ。そんなに褒めても何も出てこないですよ」
「オジさんも行きたいとは思っているんだけどね、女性客ばっかりで緊張しちゃうっていうか、こんなオッさんが甘味処に行くなんてちゃんちゃら可笑しいっていうか」
「お気になさることはございませんわ。銀時だって、よく一人で来るんですもの。是非ともいらしてください。店内で食べるのが恥ずかしいというのならば、お持ち帰りの品もいくつかありますので、よければ利用してみてください」
「あ、そ、そう? じゃあ近いうちに行っちゃおうかな」
「ええ。お待ちしておりますわ」
「長谷川さん。言っとくけど、餡子に手ェ出すなよ?」
「出さないよ!? 俺にはハツがいるからね!? だいたい銀さんの知り合いの女の子に手ェ出したりしないって」
「餡子!!」
可愛い声と共に、後ろから軽い衝撃が加わる。女の子特有の柔らかい体の感触がする。背後を見やると、思った通りの人物が抱きついていた。
「あら。神楽ちゃん、こんばんわ」
「こんなところに居たら、マダオ臭が移るアルヨ」
「移んないから! そんなもん移んないからね!?」
「それより餡子に紹介したい人がいるアル!」
そう言って神楽ちゃんに手を引かれ、ある人物の前で立ち止まる。
「姉御アル!」
姉御? ということは神楽ちゃんのお姉さん?
血縁者にしては、神楽ちゃんに似ていない気がする。というか、夜兎の外見的特徴が見受けられない。
笑顔とポニーテールが素敵なお嬢さんだ。
「初めまして。志村妙です。餡子さんのことは、新ちゃんや神楽ちゃんから聞いています。とても素敵な方だって」
『志村』姓ということは、新八くんのお姉さん?
「そんな風に紹介されてたなんて、なんだか照れちゃうわ」
「そうそう。餡子さんにお近づきのしるしに、食べてもらいたいものがあるんです」
パカリ、と重箱の蓋が開けられる。
朱色の内箱の中心には、炭の塊みたいなものが。
「私、玉子焼きしか作れなくて」
玉子焼き? 玉子焼き??
玉子焼きって、あの玉子焼きよね?
黄色で、ふわふわしていて、好みで出汁や砂糖を混ぜて焼く卵料理。餡子がよく作る料理のうちの一品である。
餡子の脳裏に思い浮かべた玉子焼きと、目の前にある玉子焼きの姿がどうしても合致しなかった。イカ墨や海苔を混ぜただけでは表現しきれない暗黒に染まった、それ。
どんな悪食でも思わず躊躇するような瘴気を纏っている。いや瘴気を放つ玉子焼きって何。それ本当に料理?
「よかったら餡子さんも、おひとつどうぞ」
「おい、やめとけ餡子。そんなもん食ったら腹壊すぞ」
「銀さん、今のどういう意味ですか?」
「ナンデモゴザイマセン」
お妙ちゃんが笑顔で、いつのまにか会話に参加していた銀時の顔面を片手で掴む。ミシミシと音が鳴っているのは、わたしの気のせいだろうか。見かけによらず、随分と剛力の持ち主のようだ。
「あっ。もしかして玉子焼き、お嫌いでしたか?」
「そんなことないわ。い、いただくわね……」
推定玉子焼きは、紫色のオーラを放っている。
見た目がどうあれ、食べ物から精製されているものであれば問題はないはずだ。
そう思い、玉子焼きらしきものを口に含む。
途端、劇薬にも似た刺激が体を突き抜ける。
似たようなものは幼い頃から散々口にしてきた。
フグ、サソリ、ヘビ、ヒガンバナ、チョウセンアサガオ、スイセン。スズメバチやムカデといった毒虫も食べさせられたこともある。それらに比べれば生理的嫌悪感は少ない。
おおよそ食べ物とは思えない食感がする。これなら毒虫の方がマシ……いや、どっちもどっちだ。
「と、とても独創的なお味ね……」
嬉々として食べさせてくれるということは、彼女はこの玉子焼きに何ら不審な点があるどころか、良作と思ってのことだろう。
そうなんとか言葉を紡ぐと、彼女は破顔させる。
「そう言ってくれて嬉しいわ。みんな私の玉子焼き食べると美味しさのあまり失神しちゃうから、味の感想をなかなか聞けないのよ」
「そ、そうなのね……」
常人であれば即失神するのも納得の刺激物だ。
他の人に被害が行かないよう、玉子焼きと思われるものをなんとか完食する。
「喜んでもらえたようでよかったです。また作ってきますね」なんて言われてしまった。二度目の衝撃に体が耐えてくれるのだろうか。
「……やっぱお前スゲェな。普通あんなもん食ったら、おっ死んじまうけどな」
銀時がお疲れ様と言わんばかりに、お酒の入ったグラスを渡してくれた。それを受け取り、銀時と軽く乾杯する。
「まぁ、昔は定期的に毒物を摂取させられていたもの」
「蛇を噛ませられたり?」
「それもあったけど、一番多いのは食べ物に毒が混ぜられているパターンね。フグ毒とか、水銀とか。お偉いさんの毒味役をするから、なるべく同じ状況を作らないといけないでしょう?」
「毒味って……下手したら死ぬやつだろ」
「普通はそうでしょうね。四方草家は毒への耐性もあるし、回復も早いもの。死んだとしたら、四方草家たる器ではなかった。それだけのことよ」
毒への耐性がない四方草の者への対応は、それは酷いものだ。殴られたり蹴られたりといった暴力行為こそないが、明らかに差別される。態度がおざなりになったり、着るものや食べるものに格差をつけられる。
体格に恵まれなかったわたしへの対応は、初めこそあまり芳しくなかった。だが四方草家特有の黄緑色の瞳を受け継ぎ、他の者より優れた《血》を所持していたことが明らかになると、手のひらを返したように大切に扱われるようになった。それはもう厳重に。
「それにね、わたし一度死にかけてるの。戦争中のことじゃないわよ。あんたたちと出会う前のこと。毒味役として初めてお呼ばれした時にね、運悪く当たったのよ」
でも生き残っているからこの場合、《運良く》になるのだろうか。胃の中のものを全て吐き出して、呼吸ですらままならなくて苦しくて、体が言うことを聞かなくて、三日三晩高熱に魘されて。それでもわたしは生き残った。
「折角の飲み会だっていうのに、湿っぽいお話ししちゃったわね」
「そういうの全部吐き出してこその飲み会だろ。まァそんな話聞いてやれるの、俺ぐらいしかいねェと思うし」
確かに。一般人にこんな話をしたら、次の日から態度が余所余所しくなってしまうこと間違い無しだ。
「まだ全員と挨拶してねェだろ? 紹介してやるよ」
「あら。随分と顔が広いのね」
「そりゃ、なんてったって万事屋だからな。色んな事に関わってきたんだよ」
よっこいせ、と小さく掛け声をして銀時が立ち上がる。
「じゃあ、まずは────」
*****
ひとしきり銀時から紹介を受け、宴も
「お登勢さん、そろそろお暇させていただきますね」
「明日も仕事かィ?」
「そうなんです。飲み会の途中で抜けるのは気が引けますけど」
「もう帰るのか?」
しとどに酔った銀時が訊ねてくる。
「ええ。明日も朝早くからお仕事があるんですもの。あんたもまだ飲むのなら、ほどほどにしておきなさいよ」
「家まで送る」
「大丈夫よ。この時間なら夜が更けるってほどじゃあないし」
「それでも、女一人で夜道は危ねェだろ」
「そこそこ距離あるのに悪いわよ」
「酔った女を一人で歩かせるほど碌でなしじゃねーよ」
「あんたの方が酔っているじゃない」
「餡子」
お登勢さんが、呆れを含んだ笑みで言う。
「いい女は男に恥かかすもんじゃあないよ」
「そういうこった。んじゃ、俺ァちぃと抜けてくっから」
銀時に手をひかれて、外へ出る。
通常の町ならば静寂に包まれていてもおかしくない時間帯だが、かぶき町ではこれからが本番の時間だ。ネオンが煌々と瞬き、酔っ払いや呼び込みの喧騒が絶え間なく聞こえてくる。
夜の涼しい風が、アルコールで熱った体に丁度いい。
秋も深まり、夜の寒さの厳しさがいっとう強まってきた。
「うー、さぶ」
「ほんとよね。そろそろ、お汁粉の準備しなくちゃ」
吐く息が、仄かに白く染まる。
「お前んとこのお汁粉って餅? それとも白玉?」
「わたしのところのはお餅ね。良い七輪を買ったものだから、それで焼いてお出しするの」
「餅焼く為だけに七輪買ったわけ?」
「まさか。お団子を焼く時にも使っているわよ」
「お前のみたらし団子、美味かったもんな。あれ、七輪で焼いてたからか」
「あら、ほんと? お団子はあまり自信なかったから、そう言ってもらえてよかったわ。和菓子の世界じゃまだまだ新参者だから、どうしても気後れしちゃってね。魂平糖のお団子とか美味しいんだけど、やっぱ嫉妬しちゃうわね」
「そういやお前ってさ、何で甘味処開いたワケ?」
その質問にドキリとする。
「そのまんま店の後継者になった方が、金とか色々と面倒じゃなかっただろ」
銀時が言うことにも一理ある。
わたしが甘味処を立ち上げた理由。その理由をお店の出資をしてくれた辰馬は勿論、師匠のお店に居た時から知っている小太郎にも話したことがある。晋助には言っていないが多分、なんとなく勘付いていることだろう。
甘味処を開けば、甘いもの好きの彼ならばいつか訪れてくれるのではないか。長年消息不明だった彼がわたしの甘味処にふらりと立ち寄ってくれるのではないか。
用事なんてなくてもいい、前のようにみんなが集まって笑い合う空間を作りたかった。だなんて、そんな乙女みたいな理由を本人に言えるわけがない。
だからわたしは、理由の一部だけを話す。
「わたしの作った甘味で、喜ぶ場所を作りたかったの。っていう理由じゃご不満かしら」
完全な嘘ではない。客が甘味を楽しそうに食べて、幸せそうな顔を見るのは好きだ。ただ、その顔を一等見たいと思ったのは銀時だっただけのこと。
彼は納得したのかしていないのか判断が難しいニュアンスで「ふぅん……」と相槌を打つ。
その後も他愛無いことを話す。どこそこの和菓子屋のあれが美味い。あそこの喫茶店がリニューアルした。あっちのケーキ屋に新商品が出てた。などと、その話題は甘味に関することだったものの、それが今の自分たちらしい会話だろう。過去をほじくり返すことはお互い得意ではないし、嬉々として話すことでもないからだ。
ネオンの煌めきが段々と少なくなり、街灯と家の明かりがぽつりぽつりと点っている町並みに移り変わっていく。この辺りはかぶき町の中心街からは離れているため、建てられている建物は家屋が多い。店舗もあるのだが、わたしの店のように自宅と一体化しているものが殆どだ。
やがて、わたしのお店の入り口に着く。
防犯用に取り付けてある提灯の灯りが、周囲をぼんやりと照らしている。
「お前ん宅、玄関無ェの? 店と兼用?」
「お家の玄関は裏手にちゃんとあるわよ。お店の玄関に荷物置いてあるから、それを回収したいのよ」
懐からキーケースを取り出して、鍵穴に刺そうとする。
ぬっと影が差して、手元が暗くなり見づらくなってしまった。己の影ではないから、原因は残るもう一人の影だろう。
「ちょっと、銀時……」
見にくいからズレて。そう続けて言おうとしたのだが、玄関扉と銀時の体との間に挟まれる。
顔の横には、銀時の腕が。
この前読んだ少女漫画で見たやつだ。
壁ドン、というやつだ。
こんなことされて本当にときめくのだろうかと疑問に思っていたのだが、少なからずそれなりの好意を抱いている相手にされるのは、そう悪いものではないみたいだ。
現に今、この空間から本気で抜け出そうとしない自分がいるのだから。
「ぎ、銀時……?」
「餡子…………」
銀時の顔が近付いてくる。
このパターンも、少女漫画で見たやつだ。
ヒーロー役の男の子が、ヒロイン役の女の子に接吻するというもの。
ということは、つまり?
マジでキスされる五秒前というやつでは?
いやいやいやいやいやいや。銀時とはそういう関係ではないし。何より銀時がわたしに対してそういった感情を向けているとは限らないし。告白どころか交際すらしていない相手にいきなりキスを迫るだなんてそんな節操無しなんてこと。そりゃあ、まあ、お互いにいい
彼の体温が、ぐっと強まるのを感じる。
「ちょ、待っ……」
ぽすり、とわたしの首元に顔を埋められる。
「…………気持ち悪い」
「………………え?」
「吐きそう」
「待って待って! ここで出すのはほんと勘弁してっ!」
急いで玄関の鍵を開けると、銀時を引き摺るようにしてお店の厠に連れていく。
「マジ無理。もう無理。動くと出る」
「お掃除大変なんだから、厠行くまで我慢してっ! 間に合わないなら、せめて厠の床にしてちょうだい! 飲食店で吐瀉物撒き散らされたら消毒するのほんと大変だし神経使うし後処理面倒なんだから止めてよっ!?」
*****
マジで情け無ェ。
それなりの好意を寄せた女に背中をさすられながら、マーライオンと化していた。食中毒だとか、体調が悪くて、なんて理由なんかじゃない。ある意味、体調不良だけども。
酒の飲み過ぎで気持ち悪くなって吐いていた。
顔色ひとつ変えずに介抱するこいつには頭が上がらない。
出すものを出し切ると、餡子の肩を借りてなんとか立ち上がる。
「ちょっと待ってて」
店の椅子に銀時を座らせ、厨房へ引っ込んでいった。
止める気力も元気もないので、机に顔を突っ伏す。吐き気は治まったが、気持ち悪さは未だ銀時の体内で燻っていた。
ことり、と何かが机の上に置かれる。
「梅昆布茶よ。気持ち悪いの、少しはマシになるでしょ」
「悪ィ……」
一口、梅昆布茶を啜る。
出汁の旨みと、梅の酸味がじんわりと体に沁み渡る。
そういえば甘味処リコリスのドリンクメニューに梅昆布茶があったなと、ぼんやりと思い出す。
「ほんとはお薬とか飲ませた方がいいんだろうけど、生憎と持ち合わせがなくて」
餡子は二日酔いになることはない。酒に強いというのもあるが、二日酔いになるほどの量を飲めないというのもある。そもそも酒の許容量より、胃袋の限界が来る方が早いのだ。それはそれである意味羨ましいが、本人はほろ酔い以上になれないことを残念がっている。
へべれけに酔った餡子も見てみたい気もするが、自分以外の誰かにその姿を見られるかと思うと癪に障る。
それに、彼女は薬が効きにくい体質だ。市販薬など持っているわけがない。市販薬程度の効力など、彼女には何の意味も持たない。
「限界越えるまで飲むところは相変わらずね」
銀時の毛先を、隣に座った餡子が指でくるくると弄んでいる。
「なに? 幻滅した?」
「まさか。今更でしょうよ。何回あんたたちの二日酔いのお世話したと思っているのよ」
ごもっともな意見だ。昔は調子こいて飲み比べ勝負を仲間内でして、翌日には仲良く二日酔いになっていたなんてことはザラだった。餡子とも何回か勝負したのだが一回も勝てなかったうえに、介抱までされたというオチ付きだ。
「もしかしてお前、意外とダメンズ好きだったりする?」
「そんなわけないでしょ」という言葉が返されると思ったのだが、餡子からの返事がない。
「…………ちょっと否定しづらいわね」
気まずそうに餡子が答えた。
触れてはいけないものに触れたような、知ってはいけないことを知ってしまったような、開けてはいけない扉を開いてしまったような、後味の悪さが胸中を占める。まさか、こんなところで幼馴染みの性癖を知ってしまうとは。
「お前……マジか……」
「いや、ほら、あの、あれよ。相手の世話を無意識にしちゃうというか、思わず甘やかしちゃうというか、手のかかる子ほど可愛いっていうのもあながち嘘じゃないっていうか、弟妹がたくさんいたから面倒見てた影響もあるっていうか、結果的にダメンズになっちゃってたというか」
わたわたと慌てふためきながら少し早口で言う。
「前に付き合った人たちだってダメンズといえばダメンズだったし、わたしってもしかして男性を見る目がないのかしら」
肩をがっくりと落として、気持ちが沈んでいるようだ。ここまで気が滅入っているのは珍しい。酒が入って、気持ちが揺さぶられやすくなっているのだろうか。
「そう落ち込まなくてもいいんじゃねェの? ダメンズになっちまうのは、男がお前の優しさに甘えてるだけだろ。お前はちゃんと、いい女だよ」
そう言ったところで、はたと気付く。
傷心の女につけ込む、悪い男の図になってない? と。
おそるおそる、餡子の顔色を伺う。
その伏し目がちの瞳は、何を語らっているのだろうか。この位置からでは、あまり表情が読み取れない。
「餡子……?」
「やだ。こっち見ないで」
餡子の顔を覗き込もうとすると、両目を餡子の手のひらで覆われた。
「餡子サン? 何も見えないんだけど」
「うん。何も見ないで」
彼女は少し震えた声でそう言った。
銀時の目を覆っているだろう手のあたりをつけると、その手首を掴んで強引に引き剥がした。銀時の周りの女性陣と比べても、餡子の腕力はそう強いものではない。だから拍子抜けするほど簡単に視界を開くことができる。
餡子の透き通るほど綺麗な黄緑色の瞳が、ほんのりと赤く染まっていた。それが酔っているものなのか、はたまた銀時の赤い瞳の色を反射しているものなのかは定かではない。
餡子の目は所在なさげに視線を彷徨わせている。銀時に視線を合わせたり、逸らしたりを繰り返すばかりだ。長いまつ毛の先が、頼りなさげに揺れている。
この辺りは住宅地だからか、かぶき町とは思えないほど静かだ。時計が秒針を刻む音と、銀時の心臓の音が五月蝿いくらいに空間を支配している。
餡子の手首を掴んでいた手を、手のひらへと移動させる。その刺激に触発されてか、餡子の腕がピクリと反応する。緩慢な動作で餡子の細い指の間を、銀時の太い指が絡み合うようにして侵食していく。少しだけひんやりとする指先。それに反比例するかのように熱を持っている手のひら。短くも丁寧に切り揃えられている爪先。それらに指を這わせていく。
もっと、この熱を味わっていたい。
もっと、奥深いところまで。
もっと、もっと。
けたたましい電子音が、静かな店内に突如として響き渡った。二人して体をビクリと震わせ、音の発生源へと見やる。餡子の店の電話が鳴っていた。
餡子が急いで立ち上がり、受話器を手に取る。
「はい、甘味処リコリスです。……ああ、お登勢さん」
銀時は頭突きでもするかのような勢いで、机に頭を打ちつける。暴走列車の如く邪な想いで覆い尽くされそうな思考をリセットしたいと思っての行動だった。
……あっぶねェ。今、餡子に何をした?
あのまま電話が鳴らなかったら、餡子に何をしようとした?
初めて見る表情に興味がそそられてしまった。あんな顔をするんだと思うと同時に、これ以上のことをしたらどんな顔をするのだろうと思ってしまった。
あんな、想い人にしか見せないような顔で。
瞳を潤ませ、頬を朱に染め、唇を震わせて。
そしてなにより、あそこまで触れていたにも関わらず、銀時の手が振り払われることがなかった。
餡子の性格からして本気で嫌がるのならば、抵抗らしい抵抗を見せるはずだ。それを見せなかったということは、単に異性として見られていないだけか。
それとも────。
「銀時。神楽ちゃんが眠たそうだから、戻ってこないなら新八くんのお家に連れて行きたいみたいなんだけど、どうする?」
「あー……戻るってババアに伝えといて」
「誰か迎えに来てもらうようにも伝えましょうか? それともタクシー呼ぶ?」
「いや、いい。一人で戻るわ」
「ほんとに大丈夫?」
「吐いて少しはスッキリしたし、なにより梅昆布茶で気持ち悪さがマシにはなったからよ」
「……わかった。お登勢さん、銀時が今から戻るみたいです。……ええ、お願いします」
チン、と受話器を置く音がする。
残った梅昆布茶を一気に胃袋へと流し込んだ。少し温くなったそれは、難なく銀時の体内へと吸い込まれていく。
「気を付けて帰りなさいな」
「わーってるよ」
「ちゃんと水分取って安静にしてるのよ」
「おう。あんがとな」
ひらりと後ろ手に振って、甘味処リコリスを後にする。
気付けばスナックお登勢を出てから、二時間近くが経っていた。まだ、どんちゃん騒ぎをしている最中だろうか。
戻ればきっと、下世話な質問の応酬が待っていることだろう。そうなる前に神楽を言い訳にして、とっとと万事屋にずらかってしまおう。
そんなことを思いながら、未だ活気付いている夜のかぶき町を歩いていった。
