不器用な距離
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玖話 朱唇皓歯 〜触れていいのは、視線まで〜
「ったくよォ。人のこと、こき使いやがって」
銀時が肩をポキポキと鳴らしながら、不満を少しも隠そうともせずにぶうたれる。長時間の肉体労働に、銀時の体のあちこちが悲鳴をあげていた。
日付は十月三十一日。
江戸での歴史は新しいが、ハロウィンという日だ。
子供たちがお化けの仮装をし、家々を回って「トリック・オア・トリート」という文言を合図にお菓子を
だが昨今ではハロウィンという非日常に便乗して、大人が好き勝手に仮装をし、酒を飲み、どんちゃん騒ぎを起こすというのが定着化してきている。
万事屋の三人は、朝からハロウィンイベントの特設会場の準備に駆り出されていた。そこそこ大きな規模のイベントらしく、機材の搬入やらテントの設営、会場の飾り付けとやる事は盛りだくさんだった。準備に勤しむスタッフもそれなりにおり、あの中の大半の人が夕方から行われるハロウィンイベントのスタッフとして、そのまま参加するらしかった。
深夜まで行われることに加えてアルコールを扱うということもあり、未成年が過半数を占める万事屋は準備の手伝いだけこなしてきたのだ。早朝より行われてきた労働時間を今し方、終えてきたばかりだ。長時間の肉体労働だったため、そのままハロウィンイベントに参加なんていう体力の余力は少なくとも、今の銀時にはない。
「まあまあ、いいじゃないですか。結構な額貰えたことだし」
嬉しそうに言う新八の手には、それなりに厚い茶封筒が握られている。あまり収入が芳しくない万事屋にとっては、ありがたい依頼内容であった。
「お腹ペコペコアル」
「帰りになにか食べていきましょうよ」
「なんか甘ェもん食いてェな」
世の中はハロウィン一色。町を歩けば飲食店は軒並みカボチャ製品を推しまくり、ハロウィンをモチーフとしたお菓子が全面に売り出されている。
ディフォルメされたお化けを模った棒付きチョコレート。黒猫をイメージしたエクレア。ジャック・オー・ランタン模様の粉砂糖がかけられたパンプキンパイ。骸骨のクッキー。目玉を模したグミ。ミイラのようなチュロス。蝙蝠の形をしているべっこう飴。
サブリミナル効果というやつだろうか。やたらと甘いものが食べたくて仕方がない。
「
「帰り道に餡子さんのお店あるし、丁度いいね」
「あいつの店、今日休みだぞ」
銀時の幼馴染みである餡子の経営する店舗、甘味処リコリスは水曜と木曜が休みだ。そして本日、十月三十一日は木曜日だ。
「休みなら仕方ないですね。別の甘味処にでも……」
甘味処リコリスの前を通り過ぎようと決めていたのだが、店の前に人だかりができていたため思わず足を止める。その殆どが子供だ。
「なんだろう……事故、とかじゃなさそうですけど」
よくよく見ると、子供たちの服はいつも見るようなものではなかった。
白いシーツを頭から被っている子。黒色のマントを纏った子。黒色のスカートに大きな三角状の帽子を被った子。橙色をした南瓜の着ぐるみを着用している子。左前の白い着物に三角の白い布を頭に付けた子。オーバーオールにカラフルな横縞模様の長袖を着た子。などと様々な衣装に身を包んでいた。
餡子がその視線に気付いたようで、ヒラヒラと三人に向かって手を振る。
やがて子供たちの集団が去っていき、餡子とようやく会話できるようになった。餡子が立ったことで、身にまとう衣服の全貌が明らかになる。
膝下まであるマーメイドラインのノースリーブワンピース。鎖骨まで見える襟ぐり。首には黒色のチョーカー。ワンピースと同じ色合いの、二の腕まである長手袋。赤色のハイヒール。髪はハーフアップでくくっており、金色のマジェステで留められている。全体的にタイトな服装になっているため、スタイルの良さが服の上からでも確認できる。紅く塗られた唇が、妙に色っぽく見える。
「あら。みんなもお菓子貰いにきたの?」
「僕たち仕事の帰りで、たまたま餡子さんの店に寄っただけで」
「餡子はなにしてたアルか?」
「今日ハロウィンでしょ? この辺りのお家とかお店が協力し合って、子供たちにお菓子配ってたの。よかったら、みんなもどうぞ」
籠からお菓子を手渡される。可愛らしいハロウィンモチーフのアイシングクッキーだ。銀時は蝙蝠、新八は白いお化け、神楽はジャック・オー・ランタンのクッキーをそれぞれ受け取る。
「その格好どうしたよ。洋装なんて珍しいじゃねーか」
「バイトの娘がコスプレ好きらしくてね。折角のハロウィンなんだからコスプレしないと! って押し切られちゃって」
「もう少し露出が多くてもいいと思うけどな。脚とか胸とか」
「晋助と同じこと言うのね。あんたたち、そういうところそっくりよね」
「は!? なに、あのヤローも来てんの!?」
「午前中で帰ったけどね。もっと谷間を見せろとか、スリット全開にしろとか」
ふぅ、と餡子がため息を吐いて、胸の下で腕を組む。
「体のラインが出て、これでも少し恥ずかしいっていうのに」
そこそこデカい餡子の胸が、腕を組むことによって更に強調される。そのことに本人は気付いていないのだろうか。
特に気にする様子もないようなので、目の保養にもなるし遠慮なく見させてもらうことにした。
「餡子めっさキレイアル! 本物の魔女みたいヨ!」
「ふふ。ありがと、神楽ちゃん」
「あ、あの、とてもお似合い、デス……」
新八が目を逸らしながら言う。
「新八くんもありがとう。お店、一応開けているんだけど寄ってく?」
「寄るアル!」
店内に入ると、見知った顔がいた。
その人物は左目に黒眼帯をしており、海賊を想起させる衣装を着ていた。
「……何してんだ、ヅラ」
「ヅラじゃない。キャプテンカツーラだ」
「天下のテロリストが、うかれぽんちな格好してんじゃねェよ」
「コスプレして堂々と町を歩ける日だと聞いたのでな。この日なら変装していても違和感ないだろう」
「普段から変装もせずに堂々と町歩いてるクセに何言ってんだ」
「ウチの店来るなら少しは変装しなさいって言っているのに、全く聞かないのよ。奥まった席に案内しているけども、真選組の方たちもたまに来るからヒヤヒヤするんだから」
「俺は《逃げの小太郎》だぞ。幕府の犬など、歯牙にも掛けぬ」
桂はキメ顔でそう言ったが、口元にクリームが付いているため台無しだった。
「つーかお前、何食ってんの?」
桂の手元には、白いクリームの上に茶色い粉がかかったものがある。見た目の雰囲気からするに洋菓子なのだろうか。
甘味処リコリスは、甘味処とその名が示す通り、置いてある品の殆どが和菓子だ。甘味処としては珍しくロールケーキやパフェなどもあるが、どちらも抹茶や小豆を使用して和のイメージを損なわせないようにしている。だからこそ、桂の手元にあるデザートが異質なもののように感じられた。
「何と言ったか……てとりす、みたいな名前の甘味だ」
「ティラミスね。横一列揃えても消えたりしないわよ」
「でもティラミスって洋菓子ですよね? どうしてまた急にメニューに出したんですか?」
「折角ならハロウィンにちなんだ甘味を出したいと思ってね。練り切りをお化けの形にするっていうのは師匠のお店にいた時からやってしたし、別のものでやってみたくて」
「てらみすってやつ、食べてみたいアル!」
「いいわよ。少し苦味があるけれど食べられるかしら?」
「私もう大人の女ヨ! コーヒーだって飲めるアル!」
「砂糖とミルクたっぷり入れてだけどな」
茶々を入れる銀時を、神楽がキッと睨み返す。
「銀ちゃんだって砂糖とミルクがなきゃ飲めないくせに」
「んだとコラァ。コーヒー牛乳だって飲めるぞ」
「大して変わらないネ」
「じゃあ餡子さん、それをみっつお願いします」
ギャイギャイと言い合う二人を無視しつつ、新八が注文を進める。
「ふふ。わかったわ。少し待っててね」
好きなところに座ってて。そう付け加えて、餡子が奥へ引っ込む。しばらくすると、三人分のお茶と甘味を乗せたお盆を持って現れる。長手袋は外してきたようで、露出面積が少し上がっていた。
「お待たせ。どうぞ、めしあがれ」
それは長方形の透明なカップに入っていた。側面が綺麗な茶色と白色で分けられている。地層の断面図のようだ。
西洋の墓標の形をした灰色のクッキーが刺してあり、その表面には白いチョコペンらしきもので『R.I.P.』と書かれてある。ココアパウダーがたっぷりとかけられた上部のクリームは、墓土を連想させられる。
「西洋のお墓をイメージして作ってみたの」
「んむっ! 美味しいアル!」
マスカルポーネチーズの滑らかな甘味と、エスプレッソが染み込んだビスケットの苦味が絶妙なバランスを作り上げている。添えられているクッキーも一般的なものに比べれば甘さが控えめになっており、ティラミスの風味を損なわせていない。
チーズケーキ系はガツンとくる甘さがないためあまり食さない銀時であったが、これは何個でも食べたいと思える逸品だった。
「お前、西洋菓子もイケるのかよ。なんでも作れるんじゃねェか?」
「流石になんでもは無理よ。でも、お口に合ったようで良かったわ」
自分のスイーツを食べ終わった様子の桂が、得意満面の顔で語り出す。
「そうだろう、そうだろう。餡子の作る甘味は美味いからな」
「なんでお前がドヤ顔してんだ」
「俺は餡子が師事されていた頃から店に通い詰めていたからな。つまり餡子の甘味作りの成長過程を見守ってきたというわけだ」
「はぁ!? 聞いてねェんだけど!?」
「言ってないからな」
「つーかお前ら、揃いも揃って餡子が江戸にいるってこと黙ってたろ」
「聞かれなかったからな」
「お前、餡子のことで他にもなんか隠してるだろ。吐け」
「どの事かさっぱりわからんな」
「天然ボケもいい加減にしやがれ」
「ちょっと。お店で暴れないでちょうだい」
銀時が桂にヘッドロックをかけようとしたが、間に餡子が入って仲裁する。
「というか、餡子が髪を下ろしている姿は久しぶりに見たな」
確かに。桂の言う通り、餡子が髪の毛を結っていない状態はあまりない。休日ですら、簡単にではあったものの髪を纏めていた。髪を下ろしているのは風呂上がりと就寝時くらいだろう。
「このお洋服って背中が開いているデザインだから、髪の毛上げちゃうと尚の事恥ずかしいのよ」
そう言って後ろを向き、背中に垂れている髪の毛を前に持っていく。肩甲骨の下までがっつりと開いているタイプだった。
これは髪の毛を下ろしていて正解だ。普段であれば日の元に晒されることのない白い肌が、暗い色の服と相まって、より映えている。下心を持った男連中が誘蛾灯のように引き寄せられてしまうだろう。
「あくまで子供たちのための仮装なんだし、あまり露出が多いのもいかがなものかと思ったのよ。髪が長くて丁度良かったわ」
髪の毛を元の位置に戻す。サラリとした黒髪が、ベールのように露出していた背中を覆い隠す。
少し外が騒がしくなってくる。それはきゃいきゃいと仲の良い友人らとはしゃぐような楽しげな声だ。しかし大人のハロウィンパーティーをするには、まだ早い時間だ。
「別の子供たちが来たみたいね。少し表に出てくるわ」
そう言って、くるりと踵を返そうとする。
慣れない履き物のせいだろうか。ぐらりと餡子の重心が横に傾く。
「あぶねッ……!!」
咄嗟に銀時が立ち上がって、彼女を支える。
ふにゅん、と柔らかい感触がする。
肩を、掴もうとした。
崩れそうだった彼女の体を、後ろから支えようとした。
それなのに銀時の手は、餡子の胸の上にあった。
餡子の後ろから脇の下を通り、鷲掴みするかのように触れていた。
それはもう、がっしりと掴んでいた。
少し力を込めると銀時の指が沈み込んでいくほど、それは柔らかいものだった。
あまりにも柔らかく気持ちのいい感触に、無意識に指の律動が開始される。ずっと触れていたい。そんな思考が銀時の脳内を覆い尽くしていた。
「銀時」
餡子が声を掛ける。それはブリザードより冷たい温度を持っていた。餡子は首だけを動かして、銀時の方を見やる。その瞳にも温度が宿っていなかった。そこには《怒り》や《羞恥》などの感情はなく、ただの《無》だ。美人が怒ると怖いというが、無表情の方がより怖いと銀時はひとつ学びを得た。
「何か申し開きはあるかしら?」
やけにゆったりとした口調で問いかけられる。
餡子は普段からゆっくりな話し方をする。それよりも遅い喋り方をしていた。万が一にも聞き逃しがないよう、相手に言い聞かせるような声の出し方だ。抑揚がほとんどなく、機械音声を聞いているような、得も言われぬ不気味さも併せ持っている。
「えーっとォ……」
ここで回答を間違えたら殺される。答えないでいても殺される。そう思い逡巡する。その結果、ある言葉が銀時の脳内を突き抜けていく。
「結構なお手前で……?」
「そう」
ふう、と餡子が息を吐く。
「歯ァ食い縛りなさい」
平手の状態になった餡子の手が振りかぶる。
気持ちの良い秋晴れの空に、爽快感のある音が響いた。
