短編
第3校舎の1階。オレンジ色の光が窓ガラスを反射するこの時間にだけ、ピアノの音が校舎に静かに響く。
この音が聴きたくて、音の鳴る教室の前の廊下でドアにもたれかかり、今日もこの特等席に座る。ピアノとかクラシックとか無縁で、譜面の見方もろくに分からない俺だけど。日によって弾き方が違うのを聴くのが好きだ。
音が軽くて弾んでる。
あは。今日は気分が良いっぽい。
ある日、卓球部の俺が部活終わりに忘れ物を思い出して教室に取りに帰ろうとした時が始まりだった。
田舎の婆ちゃん家の近くの、澄んだ川の様な流れるピアノの音が聞こえた。
思わず足を止めた。
俺だけ時間から切り離されたように、ピアノの音が鳴り終わるまでずっと立っていた。時計がないから、どのくらい経っていたのか分からなかったけど、足を止めた時より随分と外が暗くなっていた。
それからは、部活が終わるとすぐにこの教室の前に来るのが日課になっている。
弾む綺麗な音。
なんの曲なのか今日のも分かんなかったけど、弾いてる子に良いことがあったんだなって俺も釣られて嬉しくなる。
この日課も今日で2ヶ月ほど経とうとしている。最近は、……ちょっとどんな子が弾いてるのかなって…思っちゃったり…しちゃったりする……。
う〜〜駄目だって。
マジ。
まず盗み聞きしてる時点で俺ヤバいじゃん。
でも少しだけ…!チラッとだけっ…!
そう思って静かに立ち上がって窓に近づこうとした。
ら、音が止まった。
俺の心臓も止まりそうになった。
バレた?!!?!
聞こえるんじゃないかって思うくらい心臓の音がうるさい。
けど、片付ける音が聞こえるから、今日の演奏が終わったってことだったぽい。
あぁ…。途中からふわふわしちゃってあんまり聴けなかったや。
残念な気分になる。
ハッと意識が戻った。
待ってヤバいじゃん!
俺がいるのバレちゃう!
盗み聞きがバレ怒られるのが怖くて、そのまま忍び足で教室の前から急いで去った。
今日はいい日だった。授業で当てられることもなく、運動神経が悪い俺が体育で悪目立ちすることもなく、弁当も唐揚げ入ってた。
しかもだ。
なんといっても、今日は好きな人が体育の時間の卓球でかっこよく活躍しているのを見れた!
地毛らしい栗色のサラサラした髪を揺らし、人懐っこい顔で、勝った!と笑っていた。
踊り出したい気持ちで、押しては返す鍵盤と指先で遊ぶ。
夢中になって弾いていたが、気配に気付く。
教室のドアの前。
いつもの、顔も名も知らない客人だとすぐ気が付いた。
いつの頃からだったか。
なんのリアクションも無く、どんな演奏をしていても静かに聴いて、静かに去っていく。
聞き上手な人なのかもしれない。
俺の独り言を静かに受け入れてくれる存在が出来てからは、その人に今日の出来事を伝えるかのように演奏するようになっていた。
いいよ。
今日も俺の話を聴いてよ。
ポロンッ。と最後の一音を終えた。
満足の息を吐いて、片付けを始める。
と同時に上履きの掠れる高い音が聞こえて、今日も静かにドアの前から気配がなくなったのが分かる。
さようなら。
また明日。
次の日。
なんと俺は、女子に告られた!
部活の先輩で、卒業しちゃう前に俺と付き合って中学校最後の思い出を作りたいって。
小柄で目の大きな可愛い先輩だった。
付き合えたらワンチャン?!って思ってOKしようと思った。
でも、何故か昨日聴いたピアノの弾む音を思い出して。
答えに詰まって。
保留。
お陰で、嬉しいながらソワソワして今日の練習はぐだぐたしてしまった。クラスメイトにもいつバレたのかすげーイジられたし。
失敗にしょんぼりしたり、告白を思い出してウキウキしたり頭の中が忙しい。
けど日課になっているピアノの音のする教室に、今日も足を運んでいる。
ポロン…ポロンッ…。
あれ。
今日は、なんか、音が沈んでる。
教室に近づくと、聴こえた音が昨日とは随分違った。
あれ…どうしたんだろ。
いつものように座りながらソッと耳を傾ける。
悲しくて、胸がギュッてなる音。
時折、鼻を啜る音も聞こえた。
初めて弾いてる人自身が発した音を聞いた驚きより、同じような悲しさの気持ちの方が勝った。
聴いてるうちに俺も悲しくなって目がうるうるする。
いったいどうしたの?大丈夫?
ぎゅーって抱きしめたくなった。
音がとまっても、いつもの片付けをする音も聞こえず、静かなままだった。
立ち去ろうと思ってたけど、何の音も聞こえなくて不安になり、座ったまま中の音をジッと耳を澄ませて待っていた。
きょうもとびらのまえのひとはしずかだった。
かれはつきあうんだろうな。きっと。
くらすで、かわいいせんぱいにこくはくされたってともだちにやゆられているのをみた。
まだへんじはしてないっていってた。
でも。
おれもおんなのこだったらなにもかんがえずにこくはくできたのかな。
ゆうきがないだけなのに、ふもうなことをかんがえてしまう。
おとはしずみ、ゆびさきはおもく、なみだがあふれる。
ぐちをおえて、とびらのほうにいしきをむけるも、なんだかよくわからない。おれのはなをすするおとがおおきいからかもしれない。
きょうはあのひともかえったのかもしれない。
さびしいな。
ガラッ。
扉が開いた。
とびらをあけた。
人影が。
ひとかげが。
驚いて、思わず人影の主の方を見てしまった。
めをみひらいて、あしもとにいるひとをみた。
同時に声を発した。
「 」
ーーー→
多分付き合う。
実はクラスメイトの2人だったのでした。
卓球部の彼は別に聞き上手でもない。
でも特等席がピアノ前になり、演奏中は静かなところにギャップを感じる地味くんであった。
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