期末試験 前章-種蒔き-
3【終】
長い髪を揺らし、息を切らしながら廊下を走り回る生徒が1人。
あ。夏目副委員長だ。
どうしたんだろう。
そう通り過ぎた生徒は、普段は綺麗な黒髪を風にふわりとたなびかせ、穏やかな表情を浮かべているその人が珍しく焦った顔をしていることに不思議に思った。
それもすぐに、彼の漂わす柔らかな花の香りでうっとりとしてそれ以上のことは考えなかった。
人気のない廊下を走り抜けようとした拍子、雨に濡れていたために滑ってコンクリートに手をついた。
「はぁっ…はぁっ……いったぁ…。」
己の鈍臭さに内心自嘲し、立ち上がろうとした拍子に、同じ高さの視界の隅に白い布が映った。
ハッと視線を向けた場所は中庭だった。
激しい豪雨で見えずらいが、それは確かに白い布で、膨らみがあった。
丁度、横たわった人間の大きさの。
息を短く吸い、駆け出した。
雨に濡れることも構わず庭に飛び出し、倒れ込んでいる人物を確認しようと側まで来て、白いシャツに茶色い泥だけでなく、1箇所を中心に赤い色が広がっていることに気付き血の気が下がった。
頭部がある方を見て、想像していた人物であることが分かった。
「…いいんちょう…?」
震えた声は、彼自身でも泣いているのかと思った。
彼にとって塩島とは、中等部から今までずっと一緒のクラスで…友達、だった。
愉しければ、面白かったら良かった。
それだけなのに。
こんなことになるなんて、思ってなかった。
ぐちゃぐちゃに荒れた土に膝をつき、塩島の傷だらけの顔を注視すると、紫色になった唇が震えていた。
それを確認してすぐ、震える手でポケットから携帯を取り出して操作しようとして上手く画面が動かないことに苛立った。
そうだった、この雨粒のせいか。
屋根のある場所に移動しようとして、視界に入った物に目を落とした。
うつ伏せに倒れ込み、少し浮いたその腹部に刺さっているそれの黒い持ち手は彼の体の影に入っており、時折雨粒を弾いていた。
少し考え、震える手でつかの部分を親指と人差し指で引っ掛け、力一杯引き抜いた。
途端、血が吹き出た。
呻くように悲鳴をあげ、それでもまだ意識の戻らない塩島の顔を見て、何度も小さく謝り続けた。
急いで背負っていた鞄から真っ白なタオルを取り出す。
傷口に押さえ付け、塩島自身の体重で圧迫させるように身体の位置を変える。
じわじわと白色の面積が赤色に侵食されるのを見てから、屋内に走った。
携帯拭おうとして、手が真っ赤に染まっているのが目に入り、固まったのは一瞬だった。
シャツの袖を使って無心で携帯の画面を拭って操作し、耳に当てた。
「…救急車をお願いします、今すぐ」
***
これだけ蒸し暑いのに中にインナー着させるとか、家柄がバレるより何より、僕が暑さで倒れるとか思わないのかな。燕って。
体育で着替える時に柴君に「うわ…まじかよこの暑さで…?」って言われたよ。燕。
寮に着いてすぐ、洗濯機に放り込んだインナーを見て内心燕に文句を言った。
汗でベタつく体を流そうとそのまま風呂に入ろうと上を全て脱いだところで、ピンポーン、と音がしたことに気が付いた。
………このタイミングで…。
しょうがなくシャツだけ羽織った。
前を閉じようとして、摘んでいたボタンから手を離した。
まあ、前が開いてるくらいならいいか。
洗面所の扉を開け、玄関に向かいながら、そういえば誰だろうと考える。
柴君達ならラインで言ってくるだろうし。
なら、燕の関係かな。
それか燕本人だったりしてね。
たまに急ぎすぎてカード忘れそうになってるし。
基本的に僕が先に帰ってくるから問題無いんだけど。
扉を開ける前にドアスコープを覗いた。
……?
誰も、居ない?
廊下に見えるのは、いつも踏み心地の良い厚みのある絨毯だけだった。
途端に警戒を張り巡らせる。
鍵を回してゆっくりとドアを押し開いた。
目線を素早く左右に動かしたが、やはり、誰もいなかった。
ただ、扉のすぐ近くの絨毯の色が所々くすんでいるのに気がいった所で、扉のすぐ前の足元に丸められた布、ハンカチがあったことに気が付いた。
途端、飛び退いてそれと距離を取った。
閉じた扉の向こうに耳を澄ませる。
10秒…20秒………。
何も起きないことを十分に確認したあと、扉を開け、そっと下に手を伸ばした。
布を手にしてから初めて中に何か包まれていることを認識した。
坊ちゃんの学校らしい、触り心地の良い上等な素材のハンカチだと思った。
もう一度、左右の廊下を見て人影一つ無いことを確認して、布を手にしたまま扉を閉めた。
2つに折られただけのその布の端を摘み、慎重に捲った。
途端、見えた赤。
「……………え?」
布に包まれていたのは、血の付いたナイフだった。
遠くから聞こえてくる、救急車のサイレンの音がやけに耳に残った。
そして、燕は寮に帰ってこなかった。
長い髪を揺らし、息を切らしながら廊下を走り回る生徒が1人。
あ。夏目副委員長だ。
どうしたんだろう。
そう通り過ぎた生徒は、普段は綺麗な黒髪を風にふわりとたなびかせ、穏やかな表情を浮かべているその人が珍しく焦った顔をしていることに不思議に思った。
それもすぐに、彼の漂わす柔らかな花の香りでうっとりとしてそれ以上のことは考えなかった。
人気のない廊下を走り抜けようとした拍子、雨に濡れていたために滑ってコンクリートに手をついた。
「はぁっ…はぁっ……いったぁ…。」
己の鈍臭さに内心自嘲し、立ち上がろうとした拍子に、同じ高さの視界の隅に白い布が映った。
ハッと視線を向けた場所は中庭だった。
激しい豪雨で見えずらいが、それは確かに白い布で、膨らみがあった。
丁度、横たわった人間の大きさの。
息を短く吸い、駆け出した。
雨に濡れることも構わず庭に飛び出し、倒れ込んでいる人物を確認しようと側まで来て、白いシャツに茶色い泥だけでなく、1箇所を中心に赤い色が広がっていることに気付き血の気が下がった。
頭部がある方を見て、想像していた人物であることが分かった。
「…いいんちょう…?」
震えた声は、彼自身でも泣いているのかと思った。
彼にとって塩島とは、中等部から今までずっと一緒のクラスで…友達、だった。
愉しければ、面白かったら良かった。
それだけなのに。
こんなことになるなんて、思ってなかった。
ぐちゃぐちゃに荒れた土に膝をつき、塩島の傷だらけの顔を注視すると、紫色になった唇が震えていた。
それを確認してすぐ、震える手でポケットから携帯を取り出して操作しようとして上手く画面が動かないことに苛立った。
そうだった、この雨粒のせいか。
屋根のある場所に移動しようとして、視界に入った物に目を落とした。
うつ伏せに倒れ込み、少し浮いたその腹部に刺さっているそれの黒い持ち手は彼の体の影に入っており、時折雨粒を弾いていた。
少し考え、震える手でつかの部分を親指と人差し指で引っ掛け、力一杯引き抜いた。
途端、血が吹き出た。
呻くように悲鳴をあげ、それでもまだ意識の戻らない塩島の顔を見て、何度も小さく謝り続けた。
急いで背負っていた鞄から真っ白なタオルを取り出す。
傷口に押さえ付け、塩島自身の体重で圧迫させるように身体の位置を変える。
じわじわと白色の面積が赤色に侵食されるのを見てから、屋内に走った。
携帯拭おうとして、手が真っ赤に染まっているのが目に入り、固まったのは一瞬だった。
シャツの袖を使って無心で携帯の画面を拭って操作し、耳に当てた。
「…救急車をお願いします、今すぐ」
***
これだけ蒸し暑いのに中にインナー着させるとか、家柄がバレるより何より、僕が暑さで倒れるとか思わないのかな。燕って。
体育で着替える時に柴君に「うわ…まじかよこの暑さで…?」って言われたよ。燕。
寮に着いてすぐ、洗濯機に放り込んだインナーを見て内心燕に文句を言った。
汗でベタつく体を流そうとそのまま風呂に入ろうと上を全て脱いだところで、ピンポーン、と音がしたことに気が付いた。
………このタイミングで…。
しょうがなくシャツだけ羽織った。
前を閉じようとして、摘んでいたボタンから手を離した。
まあ、前が開いてるくらいならいいか。
洗面所の扉を開け、玄関に向かいながら、そういえば誰だろうと考える。
柴君達ならラインで言ってくるだろうし。
なら、燕の関係かな。
それか燕本人だったりしてね。
たまに急ぎすぎてカード忘れそうになってるし。
基本的に僕が先に帰ってくるから問題無いんだけど。
扉を開ける前にドアスコープを覗いた。
……?
誰も、居ない?
廊下に見えるのは、いつも踏み心地の良い厚みのある絨毯だけだった。
途端に警戒を張り巡らせる。
鍵を回してゆっくりとドアを押し開いた。
目線を素早く左右に動かしたが、やはり、誰もいなかった。
ただ、扉のすぐ近くの絨毯の色が所々くすんでいるのに気がいった所で、扉のすぐ前の足元に丸められた布、ハンカチがあったことに気が付いた。
途端、飛び退いてそれと距離を取った。
閉じた扉の向こうに耳を澄ませる。
10秒…20秒………。
何も起きないことを十分に確認したあと、扉を開け、そっと下に手を伸ばした。
布を手にしてから初めて中に何か包まれていることを認識した。
坊ちゃんの学校らしい、触り心地の良い上等な素材のハンカチだと思った。
もう一度、左右の廊下を見て人影一つ無いことを確認して、布を手にしたまま扉を閉めた。
2つに折られただけのその布の端を摘み、慎重に捲った。
途端、見えた赤。
「……………え?」
布に包まれていたのは、血の付いたナイフだった。
遠くから聞こえてくる、救急車のサイレンの音がやけに耳に残った。
そして、燕は寮に帰ってこなかった。
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