期末試験 前章-種蒔き-

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惶から飛び蹴りを喰らったとは思えない程の軽い足取りで去っていったピアスマン。
腐っても3年Zクラス。

その後すぐ、風紀で抜けられない用があるらしい塩島委員長が早足でピアスマンとは反対の方向へ向かった。

惶と2人だけになり、張り詰めていた気を緩めて力を抜いた。
先のことを考えると良かったのかも知れんが、構えてない状態でこの再会は最悪だったな。
俺の心に深いダメージを負った。
癒せるのは純真なジャルタしか居ない。

よくがんばりましたね、トナカイさん!

……ふーー…。
脳内再生してセルフ自己回復。
万病に効くな、これ。

HPが増えたので、なんとも言えない表情のまま俺を見下ろしていた惶の予定を聞くことにした。
いやなんでそんな目で見てんだよ。

「惶はこの後なんかあんの?」
「…いや、今日は特にねェよ」
そうなのか。

じゃあ一緒に帰るか、と言おうとしたタイミングで惶が口を開いた。

「あー、悪い。荷物置いてきたから取ってくる。先行ってろ」
「いや、それなら俺も着いてくけど。…教室じゃないなら」
言った俺の目を見る惶。
片眉を上げ、ふーん、と言いたげだ。
なんだよ。

「…教室じゃねェが、Zクラスの校舎から近い所だ。
…来んのか?」
「行ってらっしゃいませ」

即答した。

分かっていたように俺の答えを聞いてすぐ、来た方に体の向きを変えてジョギングしていく惶を見送った。

さて、と。
俺もここからは早く離れたい。
惶も先に行ってろっつってたし、気を付けつつ先に帰るか。

…護身用にスタンガンとか買っとくべきか?そろそろ。
そもそも普通に買えんのかな。

眼鏡のブリッジを軽く押してズレていた位置を直し、そそくさと俺も廊下を歩いていった。



玄関の扉を閉め、帰り道で何かアクシデントが起こることも無く無事に寮部屋に帰ってこれたことに安堵した。

着替えるより先に冷えた飲み物を摂取したくなりそのままキッチンに向かった。
冷やしてあったペットボトルのお茶をコップに注ぎ、テーブルに持って行く。
椅子に座ってからコップを傾け、喉を通る冷えたお茶に体温がさがったように感じた。
うめえーー。

残り数口までに水位が下がったコップをテーブルに置いた。
何気なく携帯をポケットからテーブルに置いた拍子、黒い画面に俺の顔が写り、眼鏡をかけたままだったのを思い出した。
耳の横に手を持っていき、両手で眼鏡を外してコップの横に折り畳んで置いた。

あいつの話でこれを使う機会が無ければ良いんだけどな。

久しぶりに部屋から取り出してきた眼鏡の使い道に考えを巡らせていると、玄関から音がした。
その後すぐにリビングの扉に影が映り、開いた。

「おかえり」
「あぁ」

リビングに入った惶も考えることは同じらしい。
冷蔵庫から冷えたお茶をコップに移し、同じ様に俺の前の椅子に座った。
どっかりと腰を下ろして背もたれに腕を引っ掛け、コップに入っていたお茶を一息に全て飲み干した。
90度近く傾いたコップがコンッと軽い音を鳴らして机に移動するのを眺めた。

一息付く惶に少し気まずさを覚え、着替えに行こうと椅子を引いた時に視線を感じて前を見た。
下を見たまま目だけを俺に合わせて口が動いた。
一言。

「眼鏡」

めがね。
眼鏡?
単語だけでは意味が分からず、立ったまま続きを待った。

「……眼鏡、お前のか。それ」
あー。

俺からテーブルの上に視線を持っていくのに釣られて同じように眼鏡を見て頷いた。

「おん、そんなに目が悪いわけじゃないから普段使いしてないけどな。去年もたまにかけてた」
言いながら眼鏡を手に取って軽く揺らしてみせた。
「…そうか」
「あー、変だった?合ってない?」

考えるように気もそぞろな返事をする惶に苦笑いした。
去年は、特に言われなかったんだけどな。

「いや、そうじゃねェよ。……なんでもねェ」
目を合わせてすぐに視線をずらす惶を不思議に思った。
が、まあ、言及する程でもねえか。

「そ?…じゃあ俺着替えてくるわ」
「ああ」


部屋に戻り、ハンガーにかけたシャツを見て、僅かに詰めていた息を吐いた。

変だったか?
俺の態度。

机の上で照明の光を反射させているレンズをチラッと見て考える。
………まあ大丈夫か。
去年の上野もあんな感じだったけどすぐに慣れたし。


今年も使うことになるなんてな。
もう要らないかと思って捨てなくて良かった。




「カレーは2日目が美味え」
「そうだな」
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