期末試験 前章-種蒔き-

思わぬ遭遇



狼谷が突然走り出すまで、俺は全く気が付かなかった。

流石の身体能力を発揮して先を行く狼谷の後を追う。
柴さんは大体の見た目でなんとなく分かったが、対峙していた相手の顔までは分からなかった。
耳も目もまるで野生並みだな。

それにしても、噂をすれば、というやつか。
ピンポイントな人物がピンポイントな相手と現れたことにいっそ賛辞を贈りたい。

一層スピードをあげ、姿が見えなくなった狼谷の後を追い、階段を駆け上がるとようやく声が耳に届く。
「…っ離せ変態野郎!」
「そんなこと言うなって〜あの時の続きしようぜ」
片方の嫌がっている声は柴さんか。
もう片方は分からないが、気持ち悪い猫撫で声だな。

階段を上がってすぐの角に手をかけ、その勢いのまま曲がる。

視界に入ったのは、廊下の壁際に背を付け、驚いた表情の柴…さん(黒い額縁眼鏡を着けていたため一瞬分からなかったが間違いないだろう。)と、空に浮いた状態で片足を前に出した狼谷、その足の目の前に、大量のピアスを両耳に着けている軽薄そうな男だった。
直後、狼谷が見事に男の腹部に足をめり込ませたと同時にそのまま男が後方に吹き飛んだ。

5メートル程廊下を転がる男を見つつ、2人に駆け寄った。

「柴さん、大丈夫ですか?」
「えっ、な、なんで、惶と塩島委員長が…?」
吹き飛んだ男、狼谷、俺、と忙しなく顔を向きを変える柴さんの全身を見たが、特に怪我を負った様子は無く、間に合ったのが分かって安心する。
呼吸を整えながら柴さんの横に立った。
庇う様に柴さんより前に出ている狼谷は、足を大きく広げて肩で息をしている。

暫くの間、狼谷の荒い息と床に伏せたまま呻く男の声だけが廊下に響いていたが、男が身を起こしたところでその時間は終わった。

「ッッッてェーーーーなァ……。」

顔をあげた男の顔には、俺にも見覚えがあった。

一度覚えた人物の顔と名前は忘れない。
そして、コイツはここ1年、それも半年以内で俺が風紀の立場として関わったはずだ。
だが、すぐには出てこなかった。

こいつ誰だったか。
ヤンキーなんざ皆個性出そうとして結局平均化してるから誰も彼も一緒に見えんだよ。

相手の出方を窺いつつ、頭を働かせることにした。

「チッ…誰かと思ったら風紀のカスとカスに尻尾振ってるイヌじゃん…ダリィーー」

シワシワのシャツの汚れた腹部をおさえながら立ち上がるのを見て、隣に居た柴さんが焦った様に慌てて狼谷の背に隠れた。

……どうしたんだ、一体。
普段なら絶対にしそうに無い挙動を見せる柴さんに驚きを隠せなかった。
知り合い?いや、それにしては全く接点が読めない。
狼谷によれば、3年Zクラスで、それも過激な暴力と実力主義で統治している藤土派。
方や、柴さんはどちらかと言えば優等生側だ。
聞こえた会話や、今の様子から鑑みても友人とはとてもじゃないが考えられなかった。
と、すると…。

予測が付きそうなところで、思わぬ回答が挙がった。

「風紀のイヌの後ろに隠れてっけど、ナニ?あのカワイイおっぱいそいつが今育ててんの?」
「だだだだ黙れカス!口開くなボケ!!」

男の発言を被せる様に食い気味で暴言を吐いた柴さんを、目を点にして狼谷が振り返った。
無論、俺も同様だ。
変な空気になりつつある中、口を開いた。

「……念の為に、まさかとは思うのですが、…アレと柴さん、元カレとかでは無いですよね」
「やめてくださいマジで本当にそれだけは」
「オレはそれでもいいぜ」

珍しく、怒りが抑えられないとばかりに歯をギリギリ鳴らしている柴さんを見て、どうしたものか、と思った。




「シバっていうんだなーへー」
「…クッソ、聞くな喋るな息すんな…!」
「まあ荒事ではないだけマシか」
「…………………。」
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