こばなし

暑い、熱い、アツイ。

兎に角暑い。
金持ちの為の学校の癖して、冷房が効いているのは使用中の教室と基本職員がいる職員室等くらいだ。こういう所は常識的な所が今の柴には不快でしょうがなかった。あんなわけ分かんねぇ銅像や壺や絵画をそこかしこに飾るくらいなら廊下に冷房入れろよ。柴はたったの一枚の布に苛立ちが募り、シャツが汗でベタつく肌になるべく触れないように摘み仰いだ。

もう既に予鈴は鳴っていた。ここは移動教室で使う教室が並ぶ廊下の為、生徒は誰も居ず、蝉の鳴き声の響く一本道を歩く。柴が態々ここまで来たのは用を足す為で、クラスが並ぶ廊下のトイレは運が悪く、清掃中だったからだ。用が済み、教室までの帰り道。誰も居ないならこの間だけでも、とシャツの第3ボタンまで開けた。
時折スリッパを廊下に擦りながら、そろそろ角を曲がるという時に冷ややかな風がシャツの隙間から肌を撫でた。
お?
気を引かれた柴が室名札を確認すると、"数学準備室"と書かれてあるのが見えた。

柴は数秒悩み
開けた。
あと数分で本鈴が鳴るとは分かっていたが、急ぎ足で帰れば1分以内で着く距離だった為、涼みたいという欲望を優先させることにしたのだ。
「失礼しまーす」
「うおっえっ、ちょっ…と……って、なんだよわんちゃんかぁ〜〜!」
何安心してんだ片手に煙草持って。また校内全面禁煙なのに吸ってたな駄目教師。彼は、そう柴が目で訴えかけたのが分かったのか、言い訳の様な事を口を尖らせぼやきながら煙草の火を消した。
「いやぁ〜、だって、ここって基本的に誰も来ないし…柴が来るとは驚いたが。副流煙吸うのも俺だけなんだぞ〜〜?よくね?」はは。よくねぇよ。呆れるしかなかった。

そう。ここは担任が私物化しているとの話をよく聞く部屋だった。ニコチン中毒で、よく生活指導の先生に注意されている奴に与えられた部屋とあれば、担任がそうご都合解釈するのもまぁ…理解できるかもな、と柴はぼんやり考えた。
煙いが涼しい中へ入り、扉を閉めて周りを見渡す。
私物化と言いつつ、煙草に関して以外は意外とちゃんとしているようで。ごみも纏まっていて、汚く無い程度にきちんと整理整頓しているようだった。
「先生にしては綺麗にしてるんですね。」
「これ褒められてんの?素直に喜べねぇな〜〜」
オフィスチェアに背を預け、柴を見て笑う。生徒に褒められて喜ぶもんなのか、そう聞きながら担任のデスクに近付いた。
「人間褒められて嬉しく無いなんて素直じゃ無いだけだろーよ、って、それより、"それ"。なんかあったか〜?…わんちゃんにしては開けすぎだろ」
何かと無法地帯なこの学校。夏になると"そういう事件"が増える。担任の、たまに見せるこの先生の顔に柴は安心していた。
「何も。クソ暑かったので廊下の間だけ開けてただけです。」
「そーか……で、なんでここに?
あぁ、俺に会いたくなっちゃったか」
「トイレの帰りに涼みに来ました!」
珍しく呆れた目で見る担任から柴は目を逸らし、デスクの上を見た。
デスクには、いつも持ち歩いている薄いノートパソコンに灰皿、採点していたのだろう、赤色で彩られた沢山のプリントが散らばっていた。よく見ると、午前の授業でやった小テストだった。
「俺の、どうでした?」結構自信があるんですけども。
「ふっふっ、残念。見事1問引っかかってくれて14点だ。わんちゃんは引っ掛けに弱いな〜」
...もしかしてあの問題か。道理で単純過ぎると…。ケアミスが悔しくて悪態を吐き、眉に皺が寄ったのを見て声を上げて担任が笑った。
「お前なら見直したらすぐ分かるだろーよ。で、もう熱はだいぶ引いたろ?ボタン閉めろよ」うん。だいぶ。柴は頷いて笑った。
「でもどうせまた廊下通るし、このままにします」
「いーから閉めとけって」
「痛ッ…」くないけども。
ファイルで腹部を小突かれた。暴力教師め体罰反対!などと馬鹿げた事を主張しながら、もうファイルが届かないよう一歩離れて担任に悪戯な笑みを浮かべてみせた。

思えば、この時油断し過ぎていた。
しょうがないだろ。
だって、俺の担任で、教師なんだぜ。
教室に帰った後、頭を抱えながらそう何度も柴は思った。

ぐいっと、漫画だったら効果音がつく程の力でシャツの胸元が掴まれたのが分かった。
たった一度、瞬きをした、その一瞬に。
大きく一歩を踏み出した目の前の男は、真っ直ぐと柴の目を射抜いていた。彫りの深く、形の整った目に埋め込まれた眼球には、浮かべていた笑みが固まり驚愕へと移り変わる素朴で、少しツリ目気味の青年の表情が写っていた。
開いた口から音も発せられない柴の顔に担任の顔が近付く。20センチ。10センチ。思わず柴は目を瞑った。耐えられなかった。状況を受け入れた訳ではなく、目を開き理解する事を拒絶したのだ。真っ暗な視界の中、数秒。いや体感時間では数分といってもいいが。
その間、

何も起きなかった。
訝しげにそろっと、ゆっくり目を開けた柴の視界。

そのままだった。今度こそ開いた口から驚愕の音が出た。何してんだこの担任は。目を閉じる時と変わらず目前に合った顔は、柴の反応を見ると珍しく眉間の皺を無くし、ニヤリと意地の悪い顔になった。これで終わりなのだと、そう考え、なんつー心臓に悪い悪戯を、柴がそう言おうと再び開いた口からは、「んえあっ......?!!」と驚きを含んだ形容し難い音が漏れるに終わった。何故なら、担任は胸倉を掴んだ手をそのままに、頭を下げて柴の首元に唇を寄せたのだ。このクソ変態教師。そう思ったのと同時に、鎖骨辺りを強く吸われたのが分かった。驚きで思わず上擦った声が出た。分かりたくないが、柴はこれまで漫画やアニメから学んだ知識により、理解してしまった。

これは、キスマークを、付けられたのだと。

......クッソ変態教師......。一拍置き、腕を振りかぶり、思い切り頭を殴る。柴の羞恥の怒りを頭に受けた担任は呻き声を漏らして2歩、3歩とよろけた。衝撃に頭を抑えようと離した手から素早く柴は距離を取り、ジワリと熱の広がるところを右手で押さえた。そして今度こそ言いたかった言葉をぶつけた。
「ックソ変態教師!何、を......!」残念ながらぶつけるにはあまり言葉に成らなかったが。変態教師は頭を摩りながら被害者であり、加害者を見た。
「何って.........自己防衛の促進?」
「はあ?」怒気を強めて返す。
あー痛ぇ〜、と言いながら担任はオフィスチェアにどっしりと腰を下ろした。訝しげに見る柴の首元に向かって指を差す。
「それ、ちゃんと開けとけよ」
「しッ...めるに決まってんでしょ!」まじで何言ってんだこいつ。
ついさっきまで涼しかった筈が、もう暑さがぶり返してきている。それなのに跡を隠れるところまで、つまり1番上までボタンを留めないとならなかった。柴は心の中で悪態を吐いた。1番上まで留め終わり、柴は視線に気付き目線を上げた。担任はなんだか見覚えのある表情をしていた。満足気な、問題に正解した時のような。

ってさっき、殴った直後先生はなんて言ってた...?

まさか、そう口に出すと同時にチャイムが鳴り出した。

「次の授業英語だろ?遅れんなよ〜、あいつ担任の俺にもうるさいから」もういつも通りのチンピラ教師だった。既に扉に手を掛けていた柴に声を投げかける。

何故生徒にあんな真似したのか。柴がその答えに察しが付いたのに気付いているのだろう。嫌な大人だ。
ご要望通り、遅刻しないよう教室まで走ろうとしていた柴にこう言った。

「気を付けてな」

もう扉を勢い良く閉め、走り出していた柴は声を荒げて廊下から返事した。

「アンタが言うんじゃねえ!!」




(まさか、ボタンを閉めさせる為だけにキスマークつけるとか、誰が考えるかよ...!)
(本当は危機感覚えてもらう為に胸ぐら掴むだけで終わるはず、だったんだがな〜...ついやり過ぎた。ま、結果オーライって事で)
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