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名を捨て友との繋がりを捨て故郷を遠く離れた地で、私は、ひとりの忍者として生きる道を選んだ。
学園を離れる朝、六年間伸ばした髪を切った。迷いがなかったと言えば嘘になるが、自分を象徴するものはこの学園に置いていきたかった。持っていくのはここで学んだ知識と忍術だけ。忍として生きる道を選んだ以上、生半可な気持ちでいる訳にはいかない。自分自身への戒めに近かったのかもしれない。
『ほんとに切っちゃうのかい、綺麗なのに』
『お前に褒められた髪だから切るのだ』
『何だいそれ、酷いなぁ』
先生方へ感謝を告げ、友へ別れだけを告げ、足早に学園を後にしたことを覚えている。
『立花仙蔵』はあの日、あの学舎で死んだ。ーーはずだった。
忍務とは言え、まさか再びこの地を訪れることになるとは。
……また、こいつに出くわすとは。
「……まさかまたお前に会うとはな」
「僕もびっくり」
「……一応聞くが、何をしている」
「えっと、誰が仕掛けたか定かではない落とし穴に落ちてます」
そう言ってふにゃりと笑う、何と無防備な表情を見せるのだ。かつての友はあの頃と何も変わらないようだ。
呆れよりも一種の感動を覚えた。
仕方ないと手を差し伸べて引き上げてやる。
伊作はそれを迷いもなく取った。
誰が作ったのか定かではないと称したこの落とし穴は、間違いなく奴の仕業だ。あれも既に学園を卒業し、どこかの城に勤めているだろう。ここは生徒たちが実習を行う場所だったはずだ。恐らくこれは学園を卒業する前に掘って、本人が埋め忘れたものだろう。
「ありがとう、仙蔵」
伊作はその名を呼んですぐ、あ、と口に手を当てた。名を捨てることは卒業前に告げていた。そのことを思い出したのだろう。
「ごめん、今は仙蔵じゃないんだったね」
久方ぶりに呼ばれたその名がぐさりと刺さるような気がした。やはり葬りきれなかったのだろうか。それでもその痛みが、どこか懐かしく優しい。
「いや、構わん」
もう呼ばれることはないと、そのつもりでいたが。ーー何故だろうな、お前に呼ばれるのは悪くない。
喉まで出たその言葉を飲み込んだ。口に出せばあの時の決意が揺らぐような気がした。
それに、呼ばれているのは『私』ではなく、『仙蔵』だ。死んだ過去の私だ。この旧友が知っている私は『仙蔵』でしかない。
伊作が『私』の名を呼ぶことはない。今も、これからも。
「君にまた会えて良かった」
「私は会いたくなかったがな」
「うん、知ってる」
「相変わらず綺麗な髪だね」
「そう言うお前は相変わらずの不運だな」
「……返す言葉がない」
何年振りかの会話もあの頃と変わらなかった。お互いに今のことは口にしないのは、必要がないからだ。
「伊作、」
「なぁに」
「……いや、何でもない」
そう、と言って笑う。どこか憂いを帯びたその表情は、私の知る伊作とは違った。思わず延びてしまいそうになる腕を必死に抑える。
「私はこれで」
「うん、気を付けて」
あの日と同じ短い別れの挨拶をし、お互い反対の方向を向いて進みだした。
「仙蔵、」
少し遠くから聞こえた。呼ばれたというより、言葉を投げられたと言える。思わず立ち止まってしまった。それから少し間があって、さらに少し遠くなった声が言った。
「どうか生きていてね」
葉擦れの音が聞こえる。私は立ち止まったまま、伊作の足音が消えるまで立ち尽くしていた。
やはりこの地に訪れるべきではなかった。
放っておけばよかった。あいつだって私と共にあの学園を卒業しているのだ。手を差し伸べてやる必要はなかったじゃないか。
あの日髪を切ったのは、この先伊作に会うことはないと決めていたから。『仙蔵』ではなくなる私には必要ないとそう思っていたのに。
(それなのにお前はまたそうやって、)
あの日死んだはずのものも、心の奥底でまだ燻っていることに気づいてしまった。
これからも、この先ずっと、忘れることはもう出来ないのだろう。
ーー葬りきれなかったそれが、いつか『私』を殺すまで
。
(生きていて)
なんて綺麗で残酷な言葉だろうか。
学園を離れる朝、六年間伸ばした髪を切った。迷いがなかったと言えば嘘になるが、自分を象徴するものはこの学園に置いていきたかった。持っていくのはここで学んだ知識と忍術だけ。忍として生きる道を選んだ以上、生半可な気持ちでいる訳にはいかない。自分自身への戒めに近かったのかもしれない。
『ほんとに切っちゃうのかい、綺麗なのに』
『お前に褒められた髪だから切るのだ』
『何だいそれ、酷いなぁ』
先生方へ感謝を告げ、友へ別れだけを告げ、足早に学園を後にしたことを覚えている。
『立花仙蔵』はあの日、あの学舎で死んだ。ーーはずだった。
忍務とは言え、まさか再びこの地を訪れることになるとは。
……また、こいつに出くわすとは。
「……まさかまたお前に会うとはな」
「僕もびっくり」
「……一応聞くが、何をしている」
「えっと、誰が仕掛けたか定かではない落とし穴に落ちてます」
そう言ってふにゃりと笑う、何と無防備な表情を見せるのだ。かつての友はあの頃と何も変わらないようだ。
呆れよりも一種の感動を覚えた。
仕方ないと手を差し伸べて引き上げてやる。
伊作はそれを迷いもなく取った。
誰が作ったのか定かではないと称したこの落とし穴は、間違いなく奴の仕業だ。あれも既に学園を卒業し、どこかの城に勤めているだろう。ここは生徒たちが実習を行う場所だったはずだ。恐らくこれは学園を卒業する前に掘って、本人が埋め忘れたものだろう。
「ありがとう、仙蔵」
伊作はその名を呼んですぐ、あ、と口に手を当てた。名を捨てることは卒業前に告げていた。そのことを思い出したのだろう。
「ごめん、今は仙蔵じゃないんだったね」
久方ぶりに呼ばれたその名がぐさりと刺さるような気がした。やはり葬りきれなかったのだろうか。それでもその痛みが、どこか懐かしく優しい。
「いや、構わん」
もう呼ばれることはないと、そのつもりでいたが。ーー何故だろうな、お前に呼ばれるのは悪くない。
喉まで出たその言葉を飲み込んだ。口に出せばあの時の決意が揺らぐような気がした。
それに、呼ばれているのは『私』ではなく、『仙蔵』だ。死んだ過去の私だ。この旧友が知っている私は『仙蔵』でしかない。
伊作が『私』の名を呼ぶことはない。今も、これからも。
「君にまた会えて良かった」
「私は会いたくなかったがな」
「うん、知ってる」
「相変わらず綺麗な髪だね」
「そう言うお前は相変わらずの不運だな」
「……返す言葉がない」
何年振りかの会話もあの頃と変わらなかった。お互いに今のことは口にしないのは、必要がないからだ。
「伊作、」
「なぁに」
「……いや、何でもない」
そう、と言って笑う。どこか憂いを帯びたその表情は、私の知る伊作とは違った。思わず延びてしまいそうになる腕を必死に抑える。
「私はこれで」
「うん、気を付けて」
あの日と同じ短い別れの挨拶をし、お互い反対の方向を向いて進みだした。
「仙蔵、」
少し遠くから聞こえた。呼ばれたというより、言葉を投げられたと言える。思わず立ち止まってしまった。それから少し間があって、さらに少し遠くなった声が言った。
「どうか生きていてね」
葉擦れの音が聞こえる。私は立ち止まったまま、伊作の足音が消えるまで立ち尽くしていた。
やはりこの地に訪れるべきではなかった。
放っておけばよかった。あいつだって私と共にあの学園を卒業しているのだ。手を差し伸べてやる必要はなかったじゃないか。
あの日髪を切ったのは、この先伊作に会うことはないと決めていたから。『仙蔵』ではなくなる私には必要ないとそう思っていたのに。
(それなのにお前はまたそうやって、)
あの日死んだはずのものも、心の奥底でまだ燻っていることに気づいてしまった。
これからも、この先ずっと、忘れることはもう出来ないのだろう。
ーー葬りきれなかったそれが、いつか『私』を殺すまで
。
(生きていて)
なんて綺麗で残酷な言葉だろうか。
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