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善法寺伊作が怪我をして帰ってきた。
そう言った類の話はそう珍しくなく、すぐに学園中に広がった。六年生にもなれば単独での『課外授業』が増え、危険度も格段に増す。程度はともかく怪我は当たり前で、むしろ何事もなく帰還することの方が希少なのである。
だが今重要なのは、『伊作』が『大怪我をして』帰ってきたというところだ。
ドタドタと忍者らしからぬ大きな足音が長屋の廊下で響いている。
「伊作!!」
騒々しい足音が終わると同時(若しくはそれより少し早いうち)に、乱暴に開けられた医務室の戸は予想以上の大きな音を立て、語気鋭く荒々しい怒号が医務室に木霊した。
「な、七松先輩…?」
開け放たれた戸の前には、血相変えた七松小平太が立っている。いつも学園内を走り回る時の活き活きとした表情とは打って変わり、今にも襲いかかってきそうな殺気を立てている。いつもと違う最上級生の姿に、伊作の手当をしていた下級生の保健委員たちは固まってしまった。
「もう…小平太、もっと静かに入ってこれないのかい?」
彼に呼ばれた伊作は横になっていた身体を少し起こして声の方へ向きを正す。驚いたような、呆れたような顔で。
「い、伊作先輩、まだ起きちゃダメですよ」
と我に返った三反田数馬が制止したが、ちょっとだから平気だよ、と受け流した。
それからすぐいつものような優しい表情で、まだ固まったままの下級生たちに言う。
「後は自分で出来るから、今日はもう戻っていいよ」
「え、でも伊作先輩、」
「すまなかったね、…ありがとう。僕ならもう大丈夫」
だから、ほら、ね?と念を押す笑顔。
後輩たちは互いの顔を見渡してから、後ろ髪引かれるような表情をしながらも伊作へ深く一礼をし、医務室を後にした。
「…ほら、君があんな風に入ってくるから、あの子たち怯えてたじゃないか。泣きそうな顔してたよ」
「それはお前のせいだ」
そう言って伊作の前に胡座をかいて座った。それに合わせて伊作も再び横になる。
「伊作、」
改めてその姿を見れば、身体のあちこちに痛々しく包帯が巻かれている。ところどころに血が滲んで汚れた箇所もある。
どう言った状態でこうなるのか見当がつかないこともない。
いつものようにトラップの仕組まれた落とし穴に落ちたのか、手当てをした敵に切りかかられたのか、はたまた戦場を飛び交う火縄が身を掠めたのか…あくまでも推測にすぎない。真相は分からないが、これを『不運』と片付けてしまうのは何か違う。だからと言って、何があったのかと問いかけたところで回答があるとは思わない。
小平太の眉間に皺が寄った。
「大丈夫だよ」
そんな表情の変化を見逃さず、すかさず笑顔で言う。まるで子供をあやす母親のような表情で。
しかし、小平太は身体を元に戻す瞬間のほんの少ししかめた表情を見逃しはしなかった。
「今の状態で言う大丈夫は痩せ我慢にしか聞こえんな」
これだけの大怪我で、ろくに動けない状態なのに、よく言う。
根拠のない大丈夫は相手を不快にさせると、伊作は気付いていないのだろうか。
「…応急処置はしてあるし。だ「だから大丈夫、なんて言うな!」
容易に想像できる伊作の言葉を遮って、やけに柔らかい同級生の頬を抓る。おぉ相変わらずよく伸びる、と場違いな感想を思いながら。
伊作が身体をろくに動かせないことを良いことに、指には込められるだけの力を込めて(もちろん怪我をしない程度の、である)。
「いひゃい、いひゃいひょ」
さすがに込められるだけの力には耐えかねたのか(加減されているとは言え相手は小平太だ)、伊作は弱々しくも抵抗と抗議をした。
すると小平太は少し満足したような顔で、そうだ痛いだろう、と笑う。
「痛い時は痛いって言うように、辛い時は辛いって言えばいいんだ」
頬を抓っていた指を離し、今度は掌で優しく頬を包むように触れる。同じ時間を過ごしてきたはずの同級生の手は想像よりも逞しく成長している、とぼんやりと感じた。
「無理して笑う伊作は、誰も見たくない」
真っ直ぐ捉えるその黒目に、伊作は思わず視線を逸らす。
「せめて、私の前では恰好つけないでくれ」
小平太は伊作の額に自分のそれをコツンと押し付けて言った。それは哀願でもなく指図でもない、ただ素直な想いである。
「…」
伊作はただ黙って聞いていた。視線はまだ戻さない。いや、戻せなかった。
「もちろんお前が怪我するのも見たくないが、お前は不運だからな!多少は仕方ない」
「なんだよそれぇ」
拍子抜けする言葉に思わず視線を戻せば、再びその黒目に捉えられた。それから今度は自然に声を出して笑っていた。
「そうだ、それでいい」
眩しいと形容するに相応しい小平太の笑顔。それがどこか愛おしいとも思える。
酷く心地の良いその表情に、伊作は少し目頭が熱く滲むのを感じた。
「おかえり伊作!」
「…ただいま」
(まるで、あかるい光に包まれてるみたいだ、)
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