ss

 “せっかくなら、二人の好きなものにしよう”
 
 二人が結婚するにあたり、色々と準備しなくてはいけないことがある。その上でこれだけは絶対大事にしようと約束したことである。利便性や価格その他諸々、決める基準はいろいろあるけど、要は妥協せずに選ぼうということだ。
 それって普通なのでは? と思ったけど、知美さん曰く、“この先末永く連れ添うのだから、お互いに我慢せずにいられた方が絶対に良い”って。なるほど確かにそうかも。実際妥協せず選んだ結果、新居探し自体はかなり難航したけど引っ越し業者はすぐ決まったし、結婚式の式場探しやプラン決めは思ったよりスムーズだったと思う。
 
 新居への引っ越しを終え、結婚式のことも大体決まったところで、次はいよいよ婚姻届を書く。……のだけど。
 
 ここまでかなり順調に来れたけれど、これについてはちょっと気になっていたことがある。
 それはデザインだ。ここまで部屋も家具も式場も全部こだわってきたのに、この書類だけが何処か堅苦しくて素っ気ない、気がする。でも公的な書類なんてそんなものだよね。何においても、これを書いて役所に提出すれば晴れて二人は夫婦になるのだし、と半分諦めながら広げた婚姻届を知美さんは横からひょいと奪った。
「待って。これじゃなくてこっちだよ」
「ふぇ?」
 そう言って私の手から奪った婚姻届の代わりに、彼はA三サイズの紙を広げて見せた。
 それは特徴的な黒とオレンジのストライプ柄の用紙で――
「え!? もしかしてこれ……『黒宿』……?」
「大正解!」
 そう、それは私達の出会いのきっかけである『おいでよ黒狐の宿』デザインが施された婚姻届だった。
 
 ストライプ柄の中にはゲームに登場するアイテムやNPCのシルエットが所々に描かれている。そして、右側の広く空いたスペースには見覚えのある……いや、見覚えどころか愛着しかない『揃った厚い前髪の黒い犬』と『モブキャップを被った白いウサギ』――そう、二人が、『Tomomin』と『Chiruru』がそれぞれアバターにしていたキャラクターが描かれていた。
「えっ、えーっ!? 何これ、すご!! かわいい!! どうしたのこれ?」
「アバター通りにカスタムして作ってくれるとこがあったんだよね」
 プレイヤーはアバターの性別、年齢、容姿(と言っても動物だが)、その全てを自分好みに表現することが出来る。それが『黒宿』の醍醐味だ。まさか婚姻届までそんなことが出来るなんて! ちょっと前に『黒宿婚』なんてものが流行った事があるけど、その時からあるのだろうか?
 困惑と歓喜が入り混じっている私を、知美さんは得意気な表情で見つめていた。
 
『黒宿』はリリースされてからもう十数年経つ。大人気とは言えないけどゲームアプリは今尚現役だから相当息の長いコンテンツだ。お互いにリリース初期からのユーザーな訳で、私達にとって推しのバンドと並ぶくらい大切なものだ。
「良かったぁ、ひめちゃんが喜んでくれて。頑張って探した甲斐があったよ」
「知美さんすごすぎ、私、こういうの考えもしなかった!」
「だって二人の為のものだもの、好きなものにしたいでしょ?」
 こんなところまで抜かりない。さすが知美さんだ。何より、私を喜ばそうとしてくれたことがすごく嬉しい。
「ふふ、その通りね。ありがと知美さん」
 改めて彼の優しさを噛み締めた。きっと私は今秋津で――いや、この世界で一番の幸せ者だ。
 
 ***
 
 知美さんはさらさらと慣れた手付きで万年筆を走らせ文字を書いていく。今使っているのは、私が去年の誕生日に贈ったイニシャル入りの万年筆だ。色違いのお揃いを私も使っているけどかなり書き心地が良くて、文字を書く時の音がいい。彼も相当気に入ってくれたみたいで、仕事とプライベート問わずにいつも使ってくれている。
 
 名前、住所、本籍……と『夫になる人』の項目に丁寧で整った文字が次々と並んでいく。真剣な眼差しとその筆跡は彼自身を表していて、いつまでも眺めていられる景色だ。
 ふと、一瞬だけ手が止まって、「あぁそっか」と呟いた。どうしたのかと視線をペン先へ落とすと、その欄には『父母の氏名』と書かれていた。あぁ、そうだ知美さんも……。思わぬところで私の知らない彼の過去を改めて垣間見たような気がする。
 でも、彼が手を止めたのはその一瞬だけで、それからは特に気にした様子もなく「両親の名前、初めて書くかも」なんて言いながら、欄を埋めていった。
「私ね、知美さんの書く字好き」
 丁度彼が書く項目を書き終えたところで呟く。きょとんとした顔でこちらを見つめて、すぐに(それこそ瞬きをする間に)、何かいたずらを思いついたような、そんな表情に変えて、
「えぇ~? 字だけ?」
 なんて戯けて言った。隠すつもりのない口元の緩み、これは彼が欲しい言葉に誘導する為のいじわるだ。私がどんな反応するかなんてもう分かりきっているだろうに、なんて可愛いいじわるだろう。
「もぉ~!! 字“も”好き!!」
「うふふ、知ってる♡」
 そのいじわるに乗って誘導された言葉を言えば、知美さんは満足そうに笑った。
1/5ページ