SAO-1/10000-

追いかける背中




 ルーズたちが狩りを終えてNPCの店で食事をしていると、そこに見覚えのある顔が入ってきた。
 相手もルーズに気づき、一瞬の思案ののち近づいてくる。
「…久しぶり…だな。」
「あー、あんときゃ世話ンなったな。…えーっと…。」
 名前が出てこず、ルーズは頭をかいて隣にいるナナに助けを求めるように視線をやった。
「キリト、だろ?」
「ああ、あはは、わりぃ。キリトだっけ。」
「恩人の名前忘れんなよな。」
 呆れたように言ったナナに、キリトは苦笑いを向けた。
「いや、気にしないでくれ。あれきり会ってなかったんだから当然だ。」
「ここ、座るか?」
 レイシーが隣の席を指して言った。六人掛けのテーブルだから、まだ余裕がある。
「…じゃあ、ちょっとお邪魔しようかな…。話したいこともあるし…。」
 ぼそっと答え、キリトは席に着いた。
「…恩人…ってことは、ステイアライブ使った時の人?」
 丸いテーブルのキリトの真向かいに座っているサンがキョロキョロと顔を窺ってそう聞くと、ルーズがシチューを口に入れながら大きく頷いた。
「メンバー、一人増えたんだな…。…初めまして。」
 キリトは小学生のプレイヤーに会うのは初めてなのか、少し物珍しそうに見ている。サンも挨拶を返し、噂に聞く強いプレイヤーというものをしげしげと眺めた。

 キリトは注文をせずに、本題を切り出した。用が済んだら席を立つつもりらしい。
「実は今、階層のボス戦に出る準備をしてるんだが…。」
「ああ、やっぱりお前、攻略組かぁ。」
 まあな、と返事をしてキリトは続ける。
「メンバーが足りなくて困ってるんだ。あんた達、参加する気はないか?」
 突然の誘いに4人は顔を見合わせた。
 4人は特に強いわけでもなく、何か特別目を引くことをした覚えもない。ボス戦に誘われるなどとは夢にも思っていなかったのだ。
 ルーズが唸った。
「俺たちが…か?…レベル足りないんじゃないか…?」
「何レベだ?」
「…俺は52だ。サンが一番低くて50。お前は?」
「…あんたよりちょうど20レベ上だ。」
 あはは、と4人は乾いた笑い声を立てた。
「無理だろ。そんな差があっちゃ役に立てそうにねえ。」
「そんなことはない。俺は…その…一応トップクラスだからな。ほかのメンバーはそんなもんだ。」
 マジで?と興味津々なのはナナだ。元々ゲーム好きだから、ボス攻略戦に参加できるものならしてみたい、と言っていたことがある。
「へー、意外と攻略組と近いレベルに上がってんだな。」
「そりゃ、毎日狩りに出てるし、無駄にクエストやりまくってるし、それなりに上がるだろ。」
 素直に驚いているレイシーに返したナナの言葉は、チラッとルーズへの不満も入っている。ルーズは暇だからと言ってはメンバーを連れ出して、あちこち飛び回るのだ。
「無駄かよ。」
 ルーズは少し口を尖らせてナナを見やる。それを見てサンが楽しげに笑った。
「こないだナナが遊びに行こうとしたときに、ルーズさんが突然召集掛けたから。」
「こないだだけじゃねーよ。俺は甘味処が集まってるとこで一日食べ歩きってのをしてみたいの!なのにずっと狩り狩り狩り、たまに狩りは無しとか言ったと思ったら、クエストクエストクエストだろ!?」
「ちゃんと自由行動の日も作ってるだろ?」
「自由とか言いながら、武器屋めぐり付き合わせたりするくせに…。」
 あ、とルーズは思い当たって頭をかく。
「そーぉだったかなぁ…?」
「とぼけんなよっ!」
 あはは、とまたサンが声を立てて笑った。
 話が脱線してしまうのを苦笑して、キリトが「で、どうする?」と声をかけた。
 レイシーが同じく苦笑を返して答える。
「俺は参加してもいいかなと思うけどね。…でも、なんで俺たちなんだ?メンバーが足りないって、いつも参加する奴らじゃ倒せないのか?」
 それには、キリトは即答せず、少し考えてからトーンを落とした。
「…実は、いつものメンバーのうちの1パーティーが、オレンジギルドに襲われたんだ。幸い被害者は出さずに帰ってこれたんだが、かなり精神的にダメージを受けてるらしい。そのメンバーの立ち直りを待つよりは他で探そうってことだ。…俺は誘える知り合いってのが…いなくってね。あんた達に目を付けたってわけ。」
 メンバー探しを形だけでもしておかないと体裁が悪いんだ、とキリトは申し訳なさそうに言った。どうやら、攻略を取り仕切っている人物にくぎを刺されたらしい。
『全員最低一人に声をかけること!』
 その言いつけは守ったわけだから別に断ってくれても問題はない、と言う。


 もう一度ルーズは唸って訊ねた。
「…そのボス戦、情報はあるのか?…例えば…転移結晶は使えるか、とか、弱点とか。」
 ああ、とキリトは笑顔を見せた。
「転移結晶は使える。退路も開いたままだ。攻撃パターンもつかめているから、作戦はぬかりないよ。比較的やりやすい敵だと言える。」
「階層が上がればボスは強くなってくだろ?」
「もちろんHPゲージが格段に上がっていく。もう少し上に行けば一段上がるごとに問題が増えていくだろうが、ここのところHPが増えてるだけで、倒しにくい要因は出てきてない。今回もその延長だ。」
 ボス戦の中では安全な方だと言えるだろう。
 サンとナナが色めき立った。
「それなら、僕たちにも参加できるんじゃないかな。」
「一回ぐらいやっといてもいいよな。ボス戦参加なんて、もっと上行ったら絶対無理だろ?」
 紅潮した顔を向ける二人に笑みを向けて、レイシーが頷いた。
「だな。万が一の時は退却も視野に入れてるんだろ?」
「ああ、うまく作戦が回らなかった場合は退却もするよ。これまでもそういうことは何度もあった。」
 じゃあ、とレイシーが色よい返事をしようとしたとき、ルーズが視線を落として口を開いた。
「やめとくわ。」
 一瞬、彼女が何を言ったのか、そこにいる全員が理解できなかった。
「…え?…何言ってんだよ、ルーズ。」
「こんなチャンス、もう来ないぞ!?」
 ルーズは席を立ち、皆の視線を避けるように目をそらす。
「わりぃ…。お前ら参加したいなら好きにしていい。…でも、俺は参加しない。」
「…どうしたの…?ルーズさん…。」
「俺は……万が一にも、死ぬわけにはいかない。」
 はあ?とレイシーが訝しげな声を上げた。
「死にたくないのは皆一緒だろ?」
「………違う、死ねねえんだ。」
 そう答えて、ルーズは出ていった。
 レイシーも、ナナもサンも信じられなかった。
 ルーズならそんな危険も厭わず人の役に立とうとするだろうと思っていた。現に何度も人を助けている。行きずりの人間でも、危険な目に遭っているのを見かけたら放ってはおけない性格なのだ。
 気まずい雰囲気になってしまったことに少々引け目を感じて、キリトは「無理はしなくていい。」と申し訳なさそうに笑った。
「なんか、悪かったな。」
「いや、俺ちょっとあの人説得してくるから。キリト、ナナとフレンド登録しといてくれないか?俺たち出来れば参加したいからさ。あとで連絡する。」
 レイシーが慌ててルーズを追いかけていく。「いいか?」とナナがフレンド申請の操作をしてキリトの顔を見やった。
 キリトはOKを押しながら言う。
「怖くなるのもしかたないよ。あまりあの人を責めないでやってほしい。」
「怖がる…かなぁ…。危険な場面に出会うと真っ先に駆けつけちまうような人だぞ?」
 ナナは訝しげにサンと顔を見合わせる。サンも不思議そうに首をかしげている。
 少し考えてから、キリトは神妙な口調で言った。
「強く見えても…女性だからな。気丈に振る舞っているだけかもしれない。…いつも笑ってて、楽しく生きてるように見えた女性が、陰で泣いているのを見たことがある。戦いに出るのが怖い、と言って泣いてたよ…。」
 その話は普段ルーズに対して持っている印象を一変させるものだ。
 自分たちの見ている彼女が全てだと思っていた。陰でどんな表情をしているかなんて、考えたこともない。
「どうなるか分かんねーけど、決まったら連絡する。いつボス戦に行くんだ?」
「三日後の予定だ。明後日までに連絡をくれると助かる。」
 じゃあ、とキリトは去って行った。




 4人は賑やかな町のはずれに家を買って住んでいる。アパートタイプのワンルームで、4つ並んだ部屋だ。
 ナナとサンが帰った時、丁度レイシーがルーズの部屋から出てきたところだった。ガシガシと頭を掻き、眉間にしわが寄っているところをみると、説得はうまくいかなかったのだろう。
「どうだった?」
「…どうもこうもねえよ。」
 不機嫌な声は聞く二人がドキッとするほどだった。
「何言っても『参加しない』の一点張りでさ、わけわかんねえ。あいつ、んな奴だったか!?いつだって俺らの意見は聞いてくれただろ!?どう判断するかは別として。」
 メンバーの意見は尊重し、異論を唱えるときは必ず納得できる説明をしてくれた。判断を間違えることもあるが、それでもルーズがリーダーを務めることに異議がでないのは、その人柄ゆえだ。曲がったことを嫌い、人を見捨てるということができない。自由奔放に見えて、きちんと周りのことを把握して人のことばかりを考えているように思える。馬鹿なことを言い合っていても、冗談でお互いを貶しあっても、レイシーは内心ルーズのことを尊敬していたのだ。
「…わけわかんねえよ。…俺は、参加する。あいつも好きにしていいって言ってるんだ。」
「レイシー…。」
 ナナはチラッとキリトの話を思い出し、それを言おうか迷う。ルーズが怖がっているかもしれない。そんな話をレイシーは受け入れるだろうか。きっとレイシーもルーズは強い女性だと思っているに違いない。
「怖い…んじゃないかな…?ボス戦なんて、普通ゲームやるとき一回は死んで当たり前だろ?」
「転移結晶も使えて、いつでも逃げだせる。ちゃんと作戦は立ててくれてるし、退却もありうる。今まで危ない橋わたってきたどの窮地よりも安全だろうが。」
「…そう思うけど、…女の人だし…あれでも…。」
「なんだよそれ。女だから気を遣えってんなら、最初からリーダーなんて張らなきゃいいだろ。」
 とにかく俺は参加するから、と言ってレイシーは自分の部屋に入っていった。
 はあ、とナナとサンは同時に溜め息を吐いた。
「…怖いのかなあ…。ルーズさん、泣いてるのかな…。」
「…泣くとこなんて…想像できねえってか、あんましたくねえ。」
 げんなりとした表情でそう答えて、「寝るわ。」と呟いてナナも部屋に入る。サンはしばしそこで佇んでルーズの部屋を見つめ、少し躊躇いながらも自分の部屋に帰った。



 次の日、ルーズは部屋から出てこようとしなかった。レイシーも不機嫌なままで、どうしていいか困ったナナが「今日は自由行動でいいよな?」と言ってその場から逃げるように出かけていった。
「食べ歩きかな。」
 レイシーが冷めた冗談を言ったが、とても笑える雰囲気ではなく、サンはやることがあるからと嘘をついて早々に部屋に戻った。
 夕方まで、ルーズは一歩も外に出ていないようだった。
 サンは何度もルーズの居場所を確認し、部屋で動かないポインターを見ては溜め息を吐く。
 昼に一度食べ物を買いに出た時も、ルーズのポインターは動かなかった。夕方になってサンはもう一度買い出しに出かけた。

 ルーズの部屋の呼び鈴を押して、返事を待つ。
「…誰だ?」
 情報は部屋の中のプレイヤーの視界に表示されるはずなのにそう聞くということは、ベッドでずっと寝ていたのかもしれない。
「サンだよ。入っていい?」
「…何か用か?」
「一緒に夕食食べようよ。美味しそうなお好み焼き買ってきたんだ。お腹すいてるでしょう?」
 しばらく沈黙が流れ、ダメかと諦めかけた時、「どうぞ。」という声とともに入室許可の表示が出た。



 思った通り、ルーズは布団にもぐったままだった。頭まですっぽりと被っていて顔も見えない。
「今日なんにも食べてないでしょ?お腹ぺこぺこなんじゃないかと思って。」
 努めて明るい声でそう言うと、小さく「ん。」と返事が返った。
「美味しそうだよ。ね、一緒に食べよう?」
 メニューを開いて買ったものを出し、ベッドの脇に立って差し出した。
「ルーズさん、お好み焼き、好き?」
 サンの問いかけに、ルーズはのそのそと起き出した。
 いつもの笑みはどこかに消えてしまって、目も合わそうとしない。
「はい。ルーズさん好き嫌いないから、大丈夫かなって思って。」
「ん。」
 無表情のまま受け取って、箸で一切れつまんだ。パクッと一口食べるとルーズは皿を差し出す。
「…口に合わなかった?」
 ぶんぶんと首を横に振る。辛そうに顔をゆがめ、その顔を見られないように膝を抱えた。
「ごめん…仕舞っといて…。あとで…食べる…。」
「ごめんなさい…。僕、余計なことしたね…。」
 ルーズはまた首を横に振った。
「違う…。ごめん、ありがとう。…思い出しちゃってさ、うちの子供のこと。」
「子供?」
 サンは小さく驚いた。
 ルーズの家族のことは聞いたことがなかった。勿論子供がいるということも初耳だ。サンはルーズたちと行動を共にするようになってすぐ、死んだ友達のことを話したついでに親のことを出したことがある。でも他のメンバーは全く実生活のことを語ろうとしなかった。個人情報だからということもあるが、帰るに帰れない今はあまり思い出したくないというのが本音だろう。
 根掘り葉掘り聞いてはいけないのだろうとサンは追及するつもりはなかったのだが、オウム返しに言った言葉にルーズが答えた。
「…うん。中2と小5の男二人。…上の子が低学年の時、旦那が死んじゃってね…その時…ぼうっとして何もしない私に、カップラーメン作ってくれたんだ。」
 事故による突然の不幸に、彼女は魂が抜けたようになってしまっていた。
 葬儀や家の雑事は遠方から来た親戚が代わりを務め、あとのことも解りやすくしていってくれたのだが、親戚が去ってから三日間、彼女は何もしようとしなかった。
 空腹に耐えかねて子供たちは自分で食料を見つけた。返事をしない母親に「ごはんだよ。」と差し出して、母親が食べ始めるとホッとして自分達も食べる。そんなことを繰り返して三日目、長男は弟と母親にカップラーメンを差し出すと、自分は何も食べずに立ち上がった。
「やっと『あれ?』って思ったんだよね…。なんで食べないんだろうって。」
 食べないのかと聞くと、お菓子でお腹いっぱいだと答えて長男は部屋に行ってしまった。さすがに気になって、見にいってみると…。
「…あの子、泣きながらニンジンかじってた…。ニンジン大っ嫌いなんだ、あの子。それなのに、もうそれしか食べるものがなくって…。冷蔵庫に残ってた、しなびたニンジンしかなくって…。」
 そう言って咽び泣く。
 サンは何も言えず、ただそこに立っていた。どうしていいかわからなかった。
 嗚咽が収まると、ルーズはまた話し出す。
「ホントは…私、ダメダメなんだ。…ずっとあの人を頼りっぱなしで…書類の書き方もいろんな手続きも、何も知らなかったし、人に話しかけられないし…。でも、ニンジンかじってるあの子見て、強くならなきゃ、私が何とかしなきゃ、子供たちが不幸になるんだって、やっとわかって…。だから、」
 あの人になろうと思った、とルーズは言った。
 強くなろうと思ってすぐ、ルーズはネットに嵌りだした。そして、その中ではいつも夫を演じていた。
「あの人になりきれば、強くなれる気がしたんだ。こんな時、あの人ならどう言うだろう、どうするだろうっていつも考えて。そうしてるうちに、現実の私も、強くなるって…。実際、随分強くなったよ。多少のことでは負けないって思ってる。」
 でもね、とまた静かな口調に戻った。

「昨日、ボス戦の話を聞いたとき、わかんなくなっちゃった…。あの人なら、参加するっていうと思う。でも、それはホントに正しいのかって。子供たちのところに帰ることが一番大事な目的なのに、危険なところに行っていいのかって。」
「…怖くなったの?」
「…わかんない。…怖いからそんなこと考えちゃったのかな…。」
「ルーズさん、いつも誰かが危険な目に遭ってると、駆けつけちゃうでしょ?あの時は怖くないの?」
「だって、ああいうときは、みんながいるから…。」
 そこで何かに気づいてルーズは顔を伏せた。
「ごめん、…結局、私、人を頼ってばっかだ…。みんなの力をあてにしてるんだ…。全然…強くなんてなってないね…。その上いざボス戦ってなったら、参加したくないなんて…。最低だ…。」
 また泣き出したルーズを励まそうと、サンは言葉を探す。
「そんなこと…ないよ。頼ったっていいんだよ。みんなで助け合って生き残るのが一番いいんじゃないの?僕だってルーズさんに助けられたよ。僕もルーズさんが危険になったら助けたいって思う。でも、やっぱり自分が危険になるのは怖いよ。それは悪いことじゃないでしょ?」
 一生懸命に出した言葉がルーズに届いているのか、サンは不安げに顔を覗き込んだ。
 涙にぬれるまつげが見える。
 女の人なんだ、とサンは思った。自分より背は大きいけれど、今のルーズはとても小さく見えた。男勝りな性格と口調はどこかに消えてしまっている。ふと母親を思い出す。いつも怒ってばかりの母親が、時折見せる弱弱しい姿を。
 サンはそっと近づいてベッドの上で膝を抱えるルーズを包むように抱きしめた。自分の体が小さいことがもどかしい。
 母さんにもこうしてあげれば良かった、と思う。いつも強い母親の知らない一面を見て、どうしていいかわからず、見なかったことにして逃げ出したことを今更後悔した。もしかしたら、もう会えないかもしれないのだから。
「…ごめんね…。サンも頑張ってるのに…大人がこんなに弱くちゃだめだね…。」
「いいんだよ。ルーズさんが外に出たくないなら、僕が食べ物を買ってきてあげる。」
 ありがとう、と呟いて、ルーズはまたひとしきり泣いた。
 嗚咽が治まったのを確認してから、サンはそっと立ち上がる。
「レイシーさんとナナはボス戦に参加したいって言ってるんだ。僕も、行ってこようと思ってる。ルーズさんは休んでて。二人には僕から言っておくから。」
 こくりと頷くルーズに、サンは笑顔を向けた。
「きっとお金もいっぱいもらえるよ。そしたらもっと美味しそうなもの買ってくる。」



 そろそろ出かけようという時間。レイシーとナナ、そしてサンは部屋の前に集まった。
 前日にサンからルーズの話を聞いた二人は、驚いた風な表情は見せたもののそのことについて特に会話はしなかった。それでもレイシーの自棄になったような態度は治まって、すっきりした気分でキリトに参加の連絡をつけることができた。
「準備はいいか?」
「ああ。」「うん。」
 ルーズ不在のパーティーはレイシーがリーダーだ。
「じゃあ、行くか。」
 歩き出そうとしたとき、すぐ横でルーズの部屋のドアが開いた。
 3人が同時に振り向く。当然、そこにはルーズが。
 ルーズはあれ以来、レイシーとナナと顔を合わせていなかった。
 気まずそうに視線をそらしながら、ボソッと呟くように言う。
「…行くの…か?」
 一拍の間をおいてレイシーが答えた。
「ああ。」
「あの………えー…っと…。」
「…謝るなよ。」
「え…?」
「謝らなくていい。…こっちこそ、子供みたいに怒って悪かった。」
 レイシーは小さく頭を下げた。
 それを見て慌てたようにルーズは言葉を探す。
「え…いや…その…えっと……あ、転移結晶持ったか?」
 それにはナナが笑って「持ってるよ。」と答える。
 じゃあ、とまたルーズは「回復アイテムは?」「武器や防具の手入れは大丈夫か?」と矢継ぎ早に尋ねた。
 ったく、とレイシーは困った顔をして頭を掻いた。
「俺らの母親かよ。あんた。」
「……ご…ごめん…。」
「謝んなって。」
 暫しの沈黙が流れ、レイシーは笑顔を見せる。
「危なくなったら逃げ帰ってくるよ。」
「…おー。」
「じゃ、行ってくる。」
「…ん。…気を付けて…な。」
「おう。」
 レイシーが軽く手を上げて歩き出した後ろで、ナナも小さく手を上げる。
 サンは嬉しそうに笑って、「じゃあね。」と手を振った。




 作戦会議が始まる前に、今回のチームのリーダーである血盟騎士団の女性プレイヤーが近づいてきた。
「今回初参加の人ね?キリト君の勧誘だっけ?私は血盟騎士団のアスナです。よろしく。」
 レイシーは握手に応じ、はきはきとしたその少女に笑みを向ける。まだ若い彼女がリーダーだということに多少の驚きはあるが、あのキリトも似たような年齢だろう。プレイヤーとしてのレベルと年齢は比例しないということだ。
「ああ、よろしく。レイシーだ。」
「俺はナナ。」
「僕はサンです。」
 ひとりひとり握手して、サンのところで彼女はハッとした顔になった。
「…キミ、…小学生?」
「はい。よろしくお願いします。」
 サンは人当たりよく挨拶したが、アスナは困り顔を見せる。
「レベルは?」
「50です。」
 拳を顎に当てて、ふん、と息をつく。
「ねえ、キリト君。…私としては…。」
 近くにいたキリトの方に真剣な視線を向けた。
「小さな子を危険なところに連れていきたくないんだけど。」
「気持ちは分かるが、彼は普段から狩りに出てるらしいし、レベルもそこそこあるじゃないか。それに、今回のボス戦は危険が少ない。万が一の時は先に逃がせばいいだろ?あと、『小さな子』は失礼だと思うぞ?」
「…でも、これまで攻略に参加してきたプレイヤーの中じゃ最年少よ。年少者を守るのは、年長者の義務だと思わない?」
 そうかな、とキリトは異論を唱えた。
 自分たちだって全プレイヤーの中では年若い方だろうに、そんなことは頭にないようだ。
 二人の議論を暫しおとなしく見守っていたレイシーが口を挟んだ。
「確かに攻略組の中じゃ年齢もレベルも低いだろうけど、サンは俺たちの仲間だ。普段だって別に俺たちが守ってやってるわけじゃない。」
 その言葉にアスナはもう一度考える風を見せる。
「…そうかもしれないけど…。」
 攻略組にいるぐらいだ。彼女も『強い女性』なのだろう。そして同時に優しい人なのだ。そう理解はするが、ここでサンだけを外されてしまうのは口惜しい。
 どう説得するかと思案しているとき、後ろから声がかかった。
「俺が責任をもってサンを守る。参加させてやってくれ。」
 一斉に向いた視線の先にいたのはルーズだった。彼女はいつもの狩りの出で立ちでそこにいた。
「ルーズ…。」
「遅れてすまない。今からでも参加できるか?」
 レイシー以下三人は驚いてすぐには言葉が出なかったが、事情を知らないアスナが「ええ、構いませんよ。」と即答する。
 先日のルーズの様子を見ていたキリトが密かに眉根を寄せた。
「…いいのか、あんた。」
「ああ、参加する。」
「ルーズ!…無理しなくていんだ。」
 レイシーが側に寄って声を潜めるように言うと、ルーズはニッと笑った。
「無理はしてない。俺は好きなようにする。今までもそうだっただろ?」
「…あんた…。」
 ルーズの表情が以前と変わらず自然なものであることが反って不安だ。また、『演じて』いるのだろうか。
「お前のパーティーに、入れてくれるよな?」
 間近で勝気な笑みに見上げられ、レイシーは困惑した。連れて行っていいものか考えあぐねる。
「大丈夫なの?ルーズさん。」
 サンも近づいて心配そうにそう聞いた。
「ああ。俺がお前を守る。…でも、お前も俺を守ってくれるだろ?」
 ぱあっと花が咲いたように笑って、サンは頷いた。
「うん!勿論だよ!」
「…ってわけだから、サンもつれていく。いいか?」
 ルーズがそう言ってアスナに視線をやると、彼女はふん、と息をついて頷いた。
「いつものパーティーメンバーが揃ってるなら、心配いらないかしら。わかったわ。でも、危険になったら躊躇せずに逃げてね。」
「ああ、ありがたい。」
 アスナが納得して去るのを見送ってから、「ほら、」とルーズはレイシーにメンバー補充を促す。
「ホントに、いいのか?」
「ああ、無理だ。」
「え?」
「…旦那がさ、死んだとき…テレビ見てたんだよな。」
 夫の死の瞬間の自分のことを思い起こして何度悔やんだか。どうして一緒に出掛けなかったのか。どうして笑っていられたのか。虫の知らせなんてものもまるでなく、いつものように笑っていた自分が許せなかった。
「一緒にいたら、もしかしたら危険を察知して、回避させられたかもしれない。…一緒に死んだだけかもしれないけどね。でも、万が一の可能性でもいい。側にいたほうが、助けることができるだろ?…大事な人が危険なところに行くのに、ただ待ってるなんて、無理だ。だから来た。」
「…ルーズ…。」
 大事な人だと言われることは少々くすぐったい。でも毎日を共に過ごしてきた仲間だ。レイシーは胸が詰まる想いで目を伏せた。
 その後ろで、ナナが悪戯っぽく笑う。
「なーんだ。帰ったらうるさいぐらいに自慢話聞かせてやろうと思ったのに。楽しみがひとつ減っちまったな。」
「帰りにみんなでパフェ食べに行こうよ。」
 サンも楽しげにそう言った。



Fin.
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