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二人の約束


 ある階層の主要街、広場は近世ヨーロッパ風のデザインで、プレイヤーたちからの人気が高い。その中央にある大きな噴水の前のベンチで、ハルカは本を読んでいた。
「お姉さん、ひとりぃ?」
 軽い感じで男が声を掛けた。その隣の男は少々申し訳なさそうにしている。
 ハルカは特に気にすることなく、「連れを待っているの。」と返してまた本に視線を戻した。

 一人でいると声を掛けられることが良くある。それは彼女が特別美人というわけではなく、この世界にいる女性の割合が少ないからだろう。恋人にしたいという願望もなくはないだろうが、どちらかというともの珍しさから声を掛けていると言える。
 このゲームが始まったばかりの頃ならともかく、もう半分以上も階層攻略が進んだ今、一人でいる女性は極端に少ない。それこそ、仲間が死んだとか、仲違いだとか、特別な理由があって当然な状態である。
 先程の男もそんな理由を予想しつつ、あわよくば自分のパーティーの紅一点に、という軽い気持ちだったのだろう。ハルカの返事を聞くと、少々残念そうに、しかし大して落ち込むこともなく「そりゃお邪魔さま。」とだけ言って去って行った。

「ハルカ、今の奴は?」
 男が去った後、彼女の連れであるタカが戻ってきた。
「知らない人。別に絡まれたりしてないよ?」
 ハルカは本をストレージに戻して立ち上がった。
 絡まれていない、と言ったのに、タカはなおも男の後ろ姿を睨んでいる。
「気をつけろよ?目を付けられたかもしれないし。」
「大丈夫そうだよ?心配性なんだから。」
 ハルカは先程のやり取りと男の様子を話して聞かせた。
 それでもタカは眉根を寄せたままだ。
「…ねーちゃんは警戒心足りないって自覚がないからな。人間なんて何考えてるか分かんないんだぞ。」
「はいはい、気を付けますよ~。」
 呆れたようにハルカは肩を竦めて歩きだす。まったくこの弟は、とこぼしながら。
 その呟きが耳に届いてしまい、タカはムッとしてまた小言を言った。

 もともと二人は、特にべったりとした姉弟関係ではなかった。普通なら同じゲームをしていたって、それぞれに仲間を作り、互いを干渉しないでいただろう。
 しかし、このゲームの主旨が分かってから、二人は互いを庇うように寄り添って過ごしてきた。
 それは罪悪感によるものだ。
 このゲームソフトを買ったのはハルカだった。前情報が出た時から欲しい欲しいと騒いでいたタカに、大学の合格祝いと誕生日プレゼントを兼ねて、買ってやると約束していたのだ。発売日、ハルカは友達にも頼んで店に並び、二つのソフトを手に入れた。最初はひとつだけ買って弟にあげればいいと思っていたのだが、前評判をあれこれと弟から聞かされて興味を持った末のことだった。
 故に、姉は「私が買わなければ、弟はこんな目に遭わなかった。」と考え、弟は「プレゼントに貰うなんてことにしなければ、姉は同じソフトを買おうなんて思わなかった筈だ。」と思っていた。
 胸の内に秘めていたその罪悪感を吐露したのは、何度目か、死にそうな事態に陥った時だった。
 ハルカは言った。
「早く!あんただけでも逃げなさい!私はいいの!私の所為なんだから…だからあんたは絶対生き延びて!」
 それを聞いたタカは愕然とした。姉の所為なわけがない。むしろ、自分が姉を巻き込んでしまったのに。
「違う!俺の所為じゃないか!俺がこんなゲーム欲しがったから…。姉ちゃんが生きるべきだ!」
 庇いあい、ギリギリのところでモンスターを倒した二人は、抱き合って泣いた。ごめん、ごめん、と何度も謝りあいながら。
 それ以来、自分の所為で、という言葉は禁句になった。
 その代わりに今は、絶対に二人で帰ろう、というのが口癖になっている。




 その日はギルドの招集が掛かっていた。
 二人が所属しているのは攻略目的のギルドではなく、この世界で安全に楽しく過ごそう、という趣旨で立ち上げられたのんびりしたギルドだ。メンバーは気さくで明るい人ばかりで、輪の中にいるとここがデスゲームの中だということを忘れてしまうほどだった。
「ごめんなさい、遅れちゃいました?」
 大半のメンバーが集まっているのを見て、ハルカは申し訳なさそうにそう言った。
「いや?まだ時間前だ。心配いらないよ。」
 すぐ傍に立っていたナキジンがそう返すと、ハルカはホッと胸をなでおろした。
 程なく全員が集まり、招集を掛けたリーダーが話し出す。
「この度、我がギルドの全メンバーが、かねてより目標に掲げていたレベルに到達した!」
 パチパチと拍手が起こり、おめでとうと口々に言い合う。
「なので、今日は新しい狩り場に出かけようと思う!危険個所やトラップの種類などは情報屋が配っているこの冊子に細かく載っているから、きちんと頭に入れておくこと!危険だと分かっている場所、そうでなくても見た目が怪しい場所には絶対近付くなよ!いいか!?いつも言っているが、単独行動は絶対にしないこと!」
 毎度の注意事項には「分かってるよ~。」と軽い返事が所々から上がった。
「ほらそこ!なおざりな返事をしない!大事なことだろうが!」
 あはは、とあちこちから笑い声。どこかの軍隊のようなギルドと違い、ここはいつもこんな雰囲気だ。
 その後パーティーが組まれ、各々都合の良い時間に出発していった。

 新しい狩り場は、これまで行っていたところの一つ上の階層だ。景色もガラッと変わり、その違いに多少の不安は付いて来る。
「うわっ!今の奴、めっちゃ金落としたぞ!?」
「マジで!?よし、アレを中心に狩ろうぜ!」
「ちょっ!待ってくださいよ!!」
 手に入った金額に色めき立って、我先にと走って行くメンバーを、タカが呼び止めつつ追いかける。その後ろからハルカが笑いながら追いかけた。
「パーティーメンバー置いてってどうすんですかっ!!」
「そうですよぉ~。リーダーの言葉を忘れたんですか~?」
『単独行動は絶対にしないこと!大事なことだろうが!』
 リーダーの威厳の無い怒り顔を思い出して、前を行く二人は足を止めた。
「あはは…わりぃわりぃ。コイツがさ~。」
「俺ぇ!?ハンセンが先に走りだしたんだろ!?」
 自分の所為にされそうになって、ナキジンは慌てて言い返す。
 それを見てまたハルカは楽しそうに笑った。

 帰り際、ハンセンが「うおお!」と声を上げた。
「どうしたんですか?」
 ハルカがキョトンして首を傾げると、ハンセンはわなわなと握りこぶしを震わせている。
「ついに………ついに貯まった…。」
「お?もしかして、目標額?」
 ナキジンは事情を分かっているようだ。ハンセンが見ていたメニュー画面を横から覗き込む。
 ハンセンは「クーっ。」と唸り声を出して握りこぶしを空に向かって突きあげた。
「念願の家が買えるぞ!!」
 わあ、と感嘆の息をついて、ハルカが「おめでとう。」と言うと、その横ではタカが首を傾げている。
「あれ?ハンセンさんって、ちゃんと家持ってますよね?」
 そう言えば、とハルカも首を傾げた。
 すると、その疑問にはナキジンが答えてくれた。
「こいつ、今住んでる部屋買ってすぐ、次の階層で好みの部屋見つけちまってさ。でも、今のとこ売っても買えない値段ついてて、ずっとそこを狙って金溜めてたんだ。」
「ちょー洒落てんだ。イカシてんだよこれが。」
 よほど気に入っているらしく、その部屋を思い浮かべてうっとりしている。
 その姿を微妙に呆れた笑いで眺めていると、ハンセンはハッとしてアイテムを出した。
「わりぃ!俺、もう行くわ。急いで買いに行かないと無くなっちまうかも!」
 言った次の瞬間にはもう、転移結晶を使って彼の姿は消えていた。
「行っちゃった…。」
「あはは…仕方ねえ奴。」
 本当なら全員で帰らなくてはいけないところだが、今回だけは大目に見てやるか、とナキジンが肩を竦めた。


 せっかく買った部屋を簡単に手放して次の部屋へ、というのは珍しいことではない。確かに売値は下がってしまうから金の無駄だと言えばそうなのだが、妥協して気に入った部屋を諦めてしまうことの方が勿体ない。部屋の売り買い、そして引越しが簡単に出来るこの世界だからこそだ。現実世界では諦めるしかない高額の諸々を、この世界では諦めずに追い求めることが出来るのである。
「そう言えば、二人はもう何処かに落ち着いたのか?」
 ナキジンが前を歩きながら振り返った。
「いえ。いい家が見つからなくって。」
 ハルカとタカはまだ部屋を持たず、気に入った宿をねぐらにしている。時々、探しには行ってみるのだが、二人の求める部屋は中々見つからなかった。
「二人とも倹約家みたいだし、お金はもう貯まってるんじゃないのか?」
「そうなんですけど…ねぇ…。」
「なんか、これってのがないんだよなぁ。」
 二人はマンションタイプではなく、一戸建ての家を探している。それぞれがワンルームに住むことも考えたが、今の心理状態で一人きりになるのは少し怖い。せっかく傍にいるのだから一緒に住もう、と二人で意見は一致していた。しかし、姉弟で住むにはどうもしっくりこないものばかりだった。
「まあ、お手頃な部屋はやっぱ妥協させられるからなぁ。」
「新しい階層が開いたら、また探しに行ってみます。」
「上かぁ、上は高いぞ?」
「やっぱりそうですかねぇ…。」
 タカが苦笑いを向けると、ナキジンはパチンとウインクして見せた。
「金稼ぎに来るなら、いつでも付き合うぜ。」
「はい、ありがとうございます!」
 楽しく暮らすための努力は惜しまないのがこのギルドのいいところだ。そんな空気が、二人に生きていく活力を与えてくれていた。



「どんな部屋かなぁ。」
 姉の呟きに、タカは「ん?」と短く聞き返した。
「ハンセンさんの新しい部屋。無事買えたかな?」
「…押し掛けてみる?」
「いいね。行こっか!」
 あれから数日が経ったが、ハンセンとは顔を合わせていなかった。
 ギルドに顔を出しても見かけなかったから、部屋を堪能しているのかもしれない。
 ハルカは連絡を取ろうとフレンドリストを開いた。
「…あれ?…どこだっけ、ハンセンさん。」
 すーっとリストを滑らせて見ていくが、思っていたところに彼の名前が入っていなかった。
 ギルドに入ってから、フレンドの数がかなり増えて目的の人物の名前を探しにくくなっている。時々順番を入れ替えたりと整理はしているのだが、中々うまく纏まらないのが現状である。
「まったく、ハルカは整理整頓が下手だよな。長女のくせに。」
「うるさいな。ちょっと見失っただけでしょ!?」
 あれ~?と言いながら何度も探す様子を見て、タカが溜め息を吐いた。
「いいよ、こっちから連絡する。」
 そう言ってタカもフレンドリストを開く。
 しかし…。
「…あれ?………な…い…?」
 二人は顔を見合わせた。
 リストから名前が消える理由として思い当たるのは。
「フレンド…解除されちゃった?」
 まさか、とタカが真顔で返す。
 喧嘩をしたわけでもない。何か失礼なことをしたかと思いかえしてみても思い当たることはない。
「…ギルドで何かあったかな…?」
 リーダーと意見が合わず口論になったとか、ナキジンと喧嘩をしたとか。腹立ちまぎれにギルド仲間全員のフレンドリストを消してしまったということならあるかもしれない。
 ギルドへ行こう、と二人は同時に呟いた。



 彼と仲のいい人に連絡を取ってもらおう、そうすればまたフレンド登録をすることが出来る。
 二人はそう言いあって、ギルドに向かった。
「こんにちは。…あの~。」
 どう話そうか考えあぐねていたために視線は下を向いていた。
 静かな部屋が重苦しい空気を纏っていることに気付き、ハルカとタカは同時に視線を上げる。
 部屋には数人のメンバーがいるが、皆、押し黙っていた。
「…あの…どうか…したんですか…?」
 ハルカの戸惑った声に、長椅子で項垂れていたナキジンが答えた。
「…ハンセンが………死んだよ。」
 信じられない言葉に、二人はその場で固まった。
 空気が張り付いて動けない気がした。
「…嘘…。」
「…本当だ。」
 うっと嗚咽を漏らしたのはナキジンだった。
 彼が一番ハンセンと仲が良かった。
「単独行動するなって、いつもリーダーが言ってたのに!アイツ…一人で…。」
「なんで…。」
「限定品が…部屋にぴったりの家具があったんだってさ。…例によって、高くってさ、今持ってる金じゃ足りないからって、狩りに行くから来いよって…。でも、俺、武器屋で装備品の手入れしてたから時間食っちまって…待ってろって言ったのに…狩り場の手前まで先に行ってるって…。」
 そこまで喋ると、ナキジンは嗚咽で続けられなくなってしまった。
 代わりにリーダーが続ける。
「アイツがいたのはモンスターが出る場所じゃなかった。…でも、街の外だからな…襲われればHPは減るんだ…。」
「!?襲われれば………って…。」
「PKだよ…。」
 ちくしょう、と誰かが壁を叩いた。
 すすり泣く声も、舌打ちも、拳がぶつかる音も、全てが遠くに聞こえた。
 ハルカは足の力が抜け、床に座り込んだ。
「な……んで…。」
 叫び出したい衝動にかられる。
 なんで、なんで、なんで、なんでなんでなんで!!!
「何にも悪いことしてないのに!!なんで!?ただ、楽しく生きたいって!願っただけじゃない!!」
「うん…。」
 泣き崩れるハルカを、タカが後ろから抱き締めた。


 ナキジンが到着した時、そこにはもう誰もいなかった。
 彼は友人の居場所を探したが、地図のどこにもポイントは現れない。街に戻ったのかと帰ろうとしたところで、足元に落ちている物に気付いた。
 ギルドメンバーの証である、小さなプレート。
 それは普段ストレージに入っていて、装備するわけでもなく、ただ持っているだけのものだ。売値も付かない。当然、うっかり落とすということもない。
 それが落ちているということは、ストレージが解放された、つまり、プレイヤーが死んだということである。
 そして、価値のないそのプレートだけが落ちているということは、他のものは全て持ち去られたという事だ。
 オレンジギルド、もしくはレッドギルド。
 その存在があるからこそ、単独行動を禁止していた。それはハンセンも理解している筈だった。
 それなのに一人で街を出てしまったのは、限定品に対する物欲だったのか、長い間ギルド内で死人が出ていないことからくる油断だったのか。
「俺が…俺がもっと早く…駆けつけていれば…。」
 二人で居れば、転移結晶を出すぐらいの余裕は作れたかもしれない。
「つきとめてやる…誰が殺ったのか!」
 恨みのこもった目で前を見据え、彼はギルドから姿を消した。



 それから数ヶ月後、ナキジンの名前がリストから消えた。
 オレンジギルドに殺されたのだろうという予想だけで、あとは何も分からなかった。
 ただ、死の数日前、ギルドの仲間の一人に連絡を取っていた。
「このメモを渡された。」
 それは幾つかのオレンジギルドのギルド名と、そのメンバーの名前だった。
「こんな物…現実の世界に持って行けるわけでもないのに……こんな物の為に…。」
 もし現実世界に持って行けたとしても、罪に問えるかどうか。
 現実にプレイヤーを殺しているのは、あの茅場なのだから。
 ハルカは手を差し出した。
「そのメモ、私に下さい。」
「……?…どう…するんだい?」
 戸惑いながらも、メモをハルカの手に渡す。
「暗記します。これから毎日、このゲームがクリアされるまで、毎日、毎日、完璧に暗記して、現実世界で告発します。」
「…きっと、罪には問えないよ…。」
「そんなのおかしい!だって、ここで死んだら本当に死んでしまうんですよ!?それを分かっていて…ううん、分かっていなくても、もしかしたら茅場が嘘を言っているのかもしれないって思ったとしても!死んでしまうかもしれないって、可能性はあるって分かってる筈です!それなのに人を殺してるんです!それは、茅場の人殺しの手伝いをしているのと同じです!共犯者です!私は!………告発します。必ず。」
 この世界で分かるのはプレイヤー名だけだ。
 それを告発しても、そのデータを管理できるであろう行政が事件として扱ってくれるかどうか。
 オレンジギルドのプレイヤーも、茅場の起こした事件の被害者であることには変わりない。普通の精神状態ではなかった、という点を考慮に入れれば、事を荒立てるべきではないと判断されてしまうかもしれない。
 それでも、ハルカはそうせずにいられない。
 この穏やかなギルドに憎しみを植え付けた奴らを許せない。
「絶対…覚えます。」
 悲壮な決意に打ち震える姉を、弟はただ物悲しく眺めていた。



 メモは、その数日後にギルドのリーダーによって破棄された。
 ハルカの行動がギルドの主義に合わないというのがその理由とされたが、本当は弟のタカから相談を受けてのことだった。
 恨みに囚われた姉を見ていられなかったというだけではない。もしその事がオレンジギルドに知れたら、今度はハルカが狙われるかもしれない。

「なあ、姉ちゃん、……一緒に、帰ろう。二人で、生き延びて…。」
 泣き崩れるハルカをタカはそっと包み込んだ。




fin.
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