ティエ×ライ

特別なその日


 久しぶりに街に出ると、そこかしこでチョコが売られている。
 ああ、そんな時期か、とライルは暫し眺めた。
“大切なあの人に 想いをこめて”
 売り場に書いてある文句を頭の中で復唱する。
(大切な人に、か。)
 そのイベントが製菓会社の単なる戦法だという事は知っている。
 大体、どちらかというと男は甘いものは苦手な傾向にあるというのに、なぜ選りにも選って送る品がチョコレートなのか。
 大いに疑問だ。
 それでもそんなイベントがあると人は釣られて買ってしまうのだから単純だ、とライルは売り場を通り過ぎた。

 一度は通り過ぎたものの、大切な人に、というフレーズが頭の中に残る。
 どうでもいいと思っていたのに、そんな言葉一つで引っかかってしまうなんて自分も単純だなとライルは自嘲するように肩を竦めた。
 とは言っても、やはりその『大切な人』も確か甘いものはさほど好まない筈だ。
 加えて、そんなイベントに乗ってしまう自分を嘲笑いそうな気もする。
(…ないな、うん。)
 やはりこんな馬鹿げたイベントは無視だ、と頭から追い払った。





 次の休暇は丁度バレンタインの日だった。
 その前日に誰かが休暇をどう過ごすのかという話を振り、ティエリアがとくに用事はないから何処にも出掛けないと答えていたのを見かけた。
(暇…なのか…。)
 暫し考え、よし、とライルはティエリアの部屋に向かった。
 ノックをするとすぐに返事があり、ドアが開いた。
「よ。」
「君か。何か用か。」
 笑顔を見せてもいつもと同じ抑揚のない応答だ。
 ライルは苦笑いで頬を掻きつつおずおずと言葉を出した。
「あの…さ、明日…暇か?」
「…とくに用事はないが。」
「ちょっと…付き合ってくんねーかな。」
 即答はなく、ティエリアはじっとライルの顔を見ている。
 それが居心地悪く、ライルは目を逸らした。
「嫌…か?」
「別に。…そうだな、読書でもしようかと思っていたのだが…付き合ってもいい。」
「ホントか!?じゃあ、明日は午前中には出かけるから準備しといてくれよ!」
「了解した。」
 こくりと頷くと、じゃあ、と素っ気なくティエリアはドアを閉めた。
 その素っ気なさはいつもの事ではあるのだが、約束を取り付けて喜んでいた矢先のことで寂しさを感じる。
 嬉しい筈が、すっきりしない気分を抱えたまま、ライルはドアの前を離れた。




「どっか行きたいとこあるか?」
 街に出てすぐライルがそう訊ねると、ティエリアは訝しげな顔を向けた。
「君が付き合えと言ったのだろう。私は特に用はないと言った筈だ。」
「そ…そうなんだけどさ、一応聞いとこうかな~と。」
「必要ない。君の用事を済ませるといい。」
「…用事ってか…その…とりあえず、公園でも歩かないか?」
「君が行くというならついて行く。」
 まったく自分の意図が伝わっていないことに少々がっかりしつつ、ライルは公園に足を向けた。
 その敷地内に美術館だの博物館だのがある。
 その辺りでも見て回ろうかと考えていた。

 公園には家族連れやカップルがちらほらと歩いていた。
 それほど人出がないのは冬で、しかも平日だからだろう。
 池にあるボートもこの時期はやっていないらしく、閉ざされていた。
「鳥がいるな。」
 池のすぐ脇の遊歩道を歩いていると、フェンスの向こうに数羽の鳥が丸まっているのが見えた。
 ライルがそれを指差すと、ティエリアは少し間をおいて「マガモだ。」と呟いた。
「へー。」
「旨いぞ。」
「は?」
「あれは食用になる。捕まえるか?」
 真顔で言うティエリアに唖然として返事が出来ずにいると、彼はスタスタと歩いて行く。
「冗談だ。」
 軽く振り返ってティエリアが言った。
「…だよな~。」
 真面目に捕まえて来いと言われたらどうしようかと思っていたライルはホッとして笑った。

 美術館に行き、その後昼食を食べ、次は博物館にも行こうかと歩いていると、ティエリアが急に立ち止まった。
「…どうしたんだ?」
「足が痛い。」
「え…。」
 確かにずっと歩きまわってはいるが、ライルは疲れを感じていなかった。
 それに、マイスターである彼らがその程度で痛みを感じるほど疲労がたまることなど無い筈だ。
 すぐにティエリアが怪我をしているのではないかと思い至った。
 きょろきょろとあたりを見ると少し離れたところにベンチがある。
「大丈夫か?あのベンチまで歩けるか?」
「歩ける。」
 ティエリアの歩調に合わせてライルは視線を落とした。
 怪我をしているのに無理をして付き合ってくれたのだろうか。
 せめて映画とか、歩かなくていいところに行けば良かった。
 ベンチに座らせて、その前に屈む。
「どっちの足だ?見せてくれ。」
 ティエリアは無言で右足を差し出した。
 靴と靴下を脱がせて覗き込む様に観察する。
「…怪我…してるわけじゃないのか?」
「していない。」
「赤くなってもいないし…ひねったりしたか?」
「いや?」
 触ってみても足首を動かしてみても、ティエリアは痛みに顔を顰めたりもしない。
 しばらくその足を手で支えたまま考え、ムッとした顔を向けた。
「ホントに痛いのか?」
「ああ、痛い。でも、舐めれば治るかもしれない。」
「はあ!?」
 何を言い出すのかとライルは抗議の意味で声を上げた。
 それにも動じず、ティエリアは言う。
「ちょっとした傷なんかだと、舐めておけば治るって言うだろう?」
「傷なんてないぜ?」
「ああ、だったら、キスすれば治るかもしれない。」
「なっ!?…痛いなんて嘘だろ。」
「痛くてこれ以上歩けない。」
「嘘吐くなよ!」
 怒って立ち上がったライルを、ティエリアは勝ち気な笑みで見上げた。
「信じないならそれでもいい。でも痛みが治まらないと歩けないから、私はここを動かない。」
「アンタなあ!」
「君が付き合えと言ったんだ。最後まで責任を持ってもらいたいものだな。」
 ライルはムッとティエリアを睨んで「知るかよ。」と吐き捨てるように返す。
 するとティエリアはクスッと笑った。
「君が今日、この日を選んで私を連れ出したというなら、君は私を喜ばせたいと思ったのだと踏んでいるのだが。でないとすると、君はただ私を連れまわしただけという事になる。その場合、私は君の気まぐれに付き合わされて、読書をする筈だった今日一日を無駄にしたという事だな。」
「そ…それは…。」
「特に用事があるわけでもないようだし、今日の君の行動が意味のあるものだとするならば、君は私にプレゼントをくれることになる。」
 バレンタインだという事を遠巻きに言うティエリア。
 それは分かっても、ライルは特にプレゼントの品を用意していない。
 チョコなんてあげても喜ばないのは目に見えている。
「だ…だったら、なんだよ。」
「だから、それを受け取ってやろうという話だ。」
 そう言ってティエリアは自分の右足を指差した。
 つまり、
 そのプレゼントとして足へのキスを受け取ってやると言っているのだ。
「な…。プレゼントが欲しいなら、何でも買ってやるよ。」
 そんな事が出来るかとライルはそっぽを向く。
「金で解決しようなどと、あさましいな。」
「何でそうなるんだよッ!」
「ああ、足が痛い。困ったな。ここから動けないとなると、迎えを呼ぶしかないかな。」
「痛くないだろ!?」
「キスをすればすぐ治るのに。」
「させたいだけだろうが!!」
 その通り、という様にティエリアはにっこりと笑った。
 普段は見せないその妖艶な笑みに、たじろぐ。
「今日だからこそ、だ。」
「…今日だから、特別、だからな。」
 プイっと横を向いたまま、ライルはもう一度ティエリアの前に跪いた。
 周りに人がいないことを確認して、その白い足を手に取る。

 ちゅ、と音をたて、ライルは足の甲に唇を当てた。

 赤くなった顔を背け、ライルは立ち上がるとドスンとティエリアの隣に腰掛ける。
「これでいいだろっ。」
 言って背もたれに片腕を掛け、背中を向けた。
「ああ、痛みが治まった。」
 痛くなんかなかったくせに。
 ムッと不機嫌な顔で振り返る。
 するとティエリアは靴を履きつつまた言った。
「今度は手が痛い。」
「あのなっ!」
「手が痛くて歩けない。」
「手ぐらい痛くても歩けるだろ!?」
「キスをすれば治りそうだ。」
 そう言って右手を差し出す。
 不服そうな顔をしながらも、足にするよりはずっと抵抗がない。
 まあ、いいか、とライルはその手を取ってキスをした。
「もういいだろ。行くぞ。」
 また変なことを要求されてはたまらないと警戒して、急いで立ち上がろうとするライルの袖をティエリアが掴む。
「急ぐことはないだろう。もう少し座っていろ。」
「もう充分休んだろ!?」
「私は休んだが、君はまだだ。痛い所はないのか?」
 ないと言いかけてハッと気付く。
 それってつまり…。
 答えられずにいるとティエリアは言った。

「赤くなっているな。痛そうだ。」

 ティエリアは立ち上がった。
 ベンチに腰掛けたままのライルに覆いかぶさるようにして、両頬に手を添えて。
 唇を合わせた。

 チュッと音を立てて一回。
 そして、もう一度吸いつくように長く、深く。

 頭の中がぐるぐると回るようだとライルは思った。
(ダメだ。ノックアウト負けだ。)
 ティエリアの体をそっと抱き寄せる。


「ティエリア…あんたを抱きたい。」
「抱かれたい、の間違いだろう?」
「え…;」






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