メゾネット・ソレスタル

その男




 バタンッ!!

 大きな音に驚いて、ラッセはリビングから玄関を覗いた。
 人影が見慣れたものであることに安堵しつつ声をかける。
「なんだあ?どうしたんだ、刹那。」
 訝しげに眉を顰めながら近づいていくと、刹那はハアハアと荒い息を吐いて必死の形相を向けている。
「…外に…誰か…いるか…。」
「は?外?」
 まだ訳が分からないままだったが、取り敢えず外を見るべく玄関のドアに手をかけた。
「開けるな!」
 緊迫感のある声にビクッと手を止める。
「おい…開けなきゃ見れねえだろ?」
 気圧されながらもそう言うと、刹那が押し殺した声を出した。
「窓から、気付かれないように確認しろ。」
 一体何があったんだか、と肩を竦めながらラッセはリビングに戻った。
 言われた通り、外から見られないようにカーテンに隠れて様子を窺う。
「刹那、誰もいないぜ?」
「…そうか…。」
 ドサリと刹那はソファに倒れ込んだ。
「おい、どうしたってんだ?」
 ラッセがそう言った丁度その時、自室から出てきたニールがその様子を見て溜め息をついた。
「またなのか?刹那。」
「…ああ…。」
「困ったもんだ。」
 事情を知っているらしいニールが、ラッセに苦笑を向けた。





 事の起こりは数日前。
 刹那が高校からの下校時に通る道で、不良たちがたむろしていた。
 それだけなら素通りするところだが、通り過ぎようとしたところでその中心に同じ学校の女子の姿が目に付いた。
 ふと目を向けると、困っている様子だ。
 状況を見ても、やはり絡まれているように見える。

 立ち止って一秒、刹那は不良たちに声をかけた。




「あはは、それでノシちまってつけ狙われてるってことか。」
 ラッセが楽しげにそう予想を言うと、ニールはまた苦笑した。
「違う違う。」
「あいつらは嫌と言うほど痛めつけてやったから、恐らく近付いては来ないだろう。」
 ソファに突っ伏していた刹那が起き上がってそう言う。
 じゃあ何だよ、とラッセは考え出して、何やら思いついたらしく顔を上げた。
「その女の子に惚れられて、追いかけ回されてんのか?」
 あはは、とニールが笑った。
「ハズレ。」





 不良たちを蹴散らせると、女の子は深々と頭を下げてから帰って行った。
 面倒なことに首を突っ込みはしたが、すんなりと解決したことにホッとしていると、後ろから手を叩く音が聞こえた。
 何だ?と振り向けば、そこには20代前半の金髪の青年が立っている。
 拍手は刹那に向けてのものらしかった。

 すばらしい、とその青年は感嘆した。
 君のような真っ直ぐな心根の少年がこの時代に存在することにうんちゃらかんちゃら。正義感がどうのこうの。
 恐らく褒め言葉であろう独得な語りを長々と独唱している。

 特に返す言葉も思い付かない刹那は、青年を一瞥して立ち去ろうとした。
 変な奴だ、という事を肌で感じ取ったからかもしれない。
 すると青年に手首を引っ張られた。
「…俺は帰る。」
「待ちたまえ。君とは現代社会の歪みについてよく話し合いたい。」
「俺は話すことは無い。」
「こんな衝撃的な出会いを果たした私達を神が引き離す筈がない。これは運命だ。」
「気の所為だ。俺とあんたはただの行きずりだ。関わる理由は無い。」
「行きずりの相手に心奪われたこの私の情熱を君は受け取る義務がある。」






「…で、それ以来追いかけ回されてるってわけ。」
「…男に?」
「そゆこと。」
 苦笑しながらニールが刹那に目をやると、刹那はうんざりした表情で背もたれに体を預けた。
「幸いまだ家までは知られていない。今のうちに何とか解決策を見つけないと…。」
「…おまえも大変だな…。」
 ラッセは同情の眼差しを向けた。









 次の日も、その次の日も刹那は息を切らせて帰ってきた。
「またかぁ?」
 尋ねるニールももう恒例になってしまっているため、気の抜けた声を出す。
 刹那もただ頷いて答えるだけだ。
 リビングに荷物を置いて、これもまた恒例になっているが、カーテンの隙間から外を覗く。
 人影が見えないことにホッと息を吐いた。
「何か、いい方法はないか?」
 ボソッと言った刹那の言葉にニールは苦笑を返すばかりだ。
 聴いている話だとその男は人の話に耳を傾けそうにないし、こちらの都合など考えてくれそうにない。
「うーん…向こうが飽きてくれりゃあいいんだが…。」
「あの男…飽きるという事を知らなさそうだ。」
「…他に興味を持ってくれるとか…。」
「…なら、ニール、お前がターゲットになってくれ。」
 刹那の提案にギクリとする。
 いくら困っている身内が縋るような目でそう言ってきたからって、それだけは遠慮したい。
「冗談はやめてくれっ!だいたい俺が追われるようになったって、この家に来ちまうだろうが。」
「…そうだな…。」
 刹那はぐったりとソファに身を沈めた。
 そこに。

「せ~つな♪」
 何の遠慮もなくドアが開かれ入ってきたのは、近所に住むネーナ・トリニティーだ。
 刹那の幼馴染みである彼女は、この家に来てもまるで自宅にいるように振る舞う。
 気の置けない仲なのかというと刹那の方はそうでもないのだが、彼女はもうすっかり女房気分だったりする。
「…ネーナか…。何か用か。」
「あ~ん、もう、ツレナイんだからぁ。恋人の顔見に来るのは、あたり前でしょう?」
「俺はお前の恋人になった覚えはない。」
 イジワル、とか言いながら、いつものように豊満な胸を強調するようなポーズで刹那にすり寄ってきた。
 傍にいるニールは呆れ顔だ。
「ダーリン最近疲れ気味ネ。いつもはもっと元気に相手してくれるのに。」
 確かにいつもならもう少し覇気のある声と態度でネーナを撃退しているが、今はつけ回してくる男の対処で頭がいっぱいでそれどころではない。
「…そうだ、疲れているんだ。帰ってくれ。」
 心底疲れている様子に流石のネーナも気がひけたのか、少し顔色を曇らせて体を離した。
「…何かあったの?…ネーナ心配。」
 語調はおどけているが、心配しているのはどうやら本当のようだ。
「…お前に話しても仕方ない。」
 そう言って言ったん眼を閉じてから、ハッとネーナを見た。
 訝しげにネーナが首を傾げる。
「ネーナ!頼みがある!」
「え!?」
 刹那はソファから立ち上がってネーナの肩をガシッと掴む。
「俺に協力してくれ!」








「要はアイツに嫌われてしまえばいいんだ。」
「で、あたしってわけ?」
 うん、と頷いて刹那はネーナを連れていく。
 人けのない道を歩いて辿りついたのは廃ビル。
 この辺りなら他の人間に見られることは無いだろう。
「わかった。任せといて。あたし、演技力あるんだから。」
 ネーナは得意げにそう言ってから、甘えるような視線を刹那に向けた。
「でもぉ…、協力したお礼はちゃんとしてよね?」
「あ…ああ、勿論だ。考えておく。」
「刹那が考える必要はないの。あたしのお願いをひとつだけ聞いてくれればいいよ♪」
「え…いや、…」
 こちらで準備する、と言おうとしたのを遮って、お願いね!とウインクしてネーナは走って行ってしまった。
 ネーナのお願いが、『デート一回』と言う程度のものであればいいのだが。










 次の日、刹那は打ち合わせ通り、追いかけてくる男をかわして一旦撒いてから廃ビルに向かった。
 勿論、男が後をつけてくるのを見越しての事である。
 追いつかれないように気をつけながら、しかし男が行き先を見失わないように。
 そして廃ビル近くまで来ると、今度はしっかりと姿を隠す。

 視界から忽然と消えてしまった刹那を、男はきょろきょろと探した。
「確か…こちらに向かっていた筈だが…。」
 そう呟いた時、廃ビルから人影が飛び出してきた。
「助けて!!」
 そう叫んだのは制服姿のネーナだ。
 彼女はまっすぐに男のところに走り、縋るように抱きついた。
 突然の出来事にも驚いたが、同時に彼女の姿にも目を見開く。
 ネーナの胸元は大きくはだけ、フリルの下着が覗いていた。
「ど…どうしたんだね!?」
「お願い!助けて!襲われたの!!」
 涙目の少女の訴えに、彼はハッと顔を上げ、廃ビルの中を見た。
「なんということだ。怖かったろう。安心したまえ。このグラハム・エーカーが正義の鉄槌を喰らわせてやる。」
 さあ、ボタンを止めて、と男-グラハムはネーナの服を整える。
 ネーナはさも感動しているような風を装って、「ありがとうございます。」と胸の前で祈るように手を組んだ。
「その女を渡してもらおう。」
 廃ビルの中から聞こえた声に、グラハムは目を向けた。
 そして驚愕する。
「き…君は…。」
 ビルから出てきたのは先日から話をしたくて追い回していた少年だった。
「アイツよ!あたしを襲ったの!」
 少女の言葉にもう一度驚く。
「まさか…。」
 そんなことがあるわけがない、と思いはするものの、少女の怯える様子に真実味を感じる。
 グラハムは少女を背中に隠し、刹那に正対した。
「このお嬢さんに何か用かね、少年。」
「そいつは俺の獲物だ。返せ。」
「…まさかとは思うが……お嬢さんに乱暴を働いたのは君かね?」
 刹那はニッと笑った。
「ああ、その通りだ。この廃ビルに連れ込んで、これからあんなことやこんなことをする予定だったのだが、逃げられてしまった。さあ、返してもらおう。」
 グラハムはショックのあまり微かによろける。
「…そんな…馬鹿な…。君がそんなことをする男だったとは。」
「お願い!助けて!ネーナこわーい!」
 ネーナはグラハムにしっかりと抱きついた。
「大丈夫だ。このような見下げ果てた男に君のような可憐な乙女を渡してなるものか。」
 グラハムは刹那を指さす。
「少年!!見損なったぞ!このような非道な行いを見過ごすことはできん!私の正義の鉄槌を大人しくその身に受けるがいい!!」
 そう言って拳を構えたが、ネーナは依然しっかと抱きついている。
「きゃー!喧嘩こわーい!」
「お嬢さん、喧嘩ではない、正義の裁きだ。少し離れていなさい。」
 きゃーきゃーと騒ぎながらネーナがグラハムの動きを封じている間に、刹那は背中を向けた。
「面倒くさくなった。その女はもういい。じゃあな。」
「こら!待て!裁きを受けろ!」
 当然グラハムの言葉などには耳を貸さず、刹那は立ち去った。





「せっつな~♪」
 あらかじめ待ち合わせていた廃ビルの屋上に、ネーナは戻ってきた。
「アイツは?」
「もう電車乗って帰って行ったよ。」
 ホッと息を吐く。
 グラハムはネーナを駅まで送った後、帰路についたらしい。
「もう大丈夫ネ。アイツ、刹那の事とことん貶してたもん。」
「それはありがたい。」
 強姦魔などと言う汚名を着てしまったことにはなるが、あの男さえ付き纏わなくなるなら上々だと刹那は安堵した。
「よし、帰るか。」
 そう言って階段を下りていくと、後ろからネーナがタタタと駆け寄って踊り場で刹那を捕まえる。
「待ってよぉ。あたしのお願い、一つ聞いてくれる約束でしょ?」
「あ…あ、後でな。」
「だめ、今ここで。」
「こ…ここで!?」
「そ。お願いはねぇ。つ・づ・き。」
 は?と刹那は眉を顰めた。
 続きとは何のことか、さっぱり見当がつかない。
「さっきの。っていうかぁ、さっきの演技の♪」
「はあ!?」
「刹那はぁ、あたしを襲ったことになってるのよねぇ♪ で、あたしはこんな姿になってました♪」
 言って自分の胸元を開ける。
「ま、待て!ネーナ!」
「続きのシナリオが分からないなら教えてあ・げ・る♪ 嫌がるあたしを刹那は壁に押し付け、無理やりキスを。初めてのキスに動揺しているあたしの身体を刹那の手が弄り…」
 実際壁に押し付けられているのは刹那の方である。
「ね、ほら、おいしそうでしょ?」
 ちらっと太腿を見せる。
「ば!馬鹿だろお前!!」
「そして、刹那の手はスカートをたくし上げて怯える少女をあられもない姿にっ!ああっ!ダメっ!お願い、やめて!その懇願する目に刹那の欲情は止まらなくなりついにはっ!」
「馬鹿っ!帰るぞ!!」
 刹那は彼女を押しのけて脇をすり抜けた。
 逃げるように駆け下りていく。
「あ~ん、刹那ぁ。待ってぇ。」
 こんなとこに一人で置いていかれたらホントに襲われちゃうんだから!とネーナが大きな声で呼び止めると刹那は渋々立ち止った。
 本当にそんなことになってしまっては責任重大だ。
「今日の礼に飯を奢るからっ!それでいいな!」
 有無を言わせぬ刹那の語調に、ネーナは少しむくれて見せてから了承した。
「まったく…どこで覚えてくるんだ…。」
 呟くように出した言葉に、ネーナはあっけらかんと答える。
「ん?ミハ兄のベッドの下にあった小説。」










 次の日。

ピンポーン。

 玄関の呼び鈴の後に聞こえたのは「たのもーう!」というグラハムの声。
 油断していた刹那は家までつけられてしまっていた。

「何故だ…。俺は嫌われた筈なのに…。」
 キッチンの狭い隙間に座り込んで、刹那は悩んでいた。
「はーい、どなたあ?」
 別の部屋から直接玄関に向かったクリスティナが無警戒に玄関を開ける。
 刹那が制止しようと思った時にはもうグラハムが玄関に足を踏み入れていた。
「邪魔をする。私はグラハム・エーカー、正義とガンダムを愛する男だ。ここにいる少年に会いたい。」
「少年?」
「黒髪に緋色の目、ガンダムのストラップを鞄につけた少年だ。」
「ああ、刹那ね。刹那ぁ!お客様!」
 何故かその客人は大荷物を抱えている。
 顔を出したニールが嫌な予感に顔を顰めた。
「刹那に何か用か?」
「私は少年の性根を鍛え直しに来た。しばらく厄介になる。いや、お気づかいは必要ない。自分の寝食は己で解決する。」
 そう言って寝袋まで準備万端な荷物を掲げて見せた。

 青ざめる面々の様子は、彼の目には映らないようだった。




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