『刻の止まった部屋』シリーズ

アレルヤの決心




 アレルヤは足早に廊下を進んだ。
 先程までは少し躊躇いがあったが、今はもう決心をした。
 これは自分の為でもあり、そして何よりマリーの為なのだ。
 あの男に頭を下げることになるとしても、それはやらなくてはいけない事だ。

 レストルームで寛いでいるサーシェスを見つけると、迷いなく歩み寄った。
「あの…少し話がしたいんですが。」
 サーシェスと共にいた刹那も顔を上げ、アレルヤを見た。
 手持無沙汰なのか、サーシェスは煙草を出しつつ答えた。
「なんだよ。人が休憩してるってのに邪魔する気か?」
 刹那が煙草を見て咎める。
「アリー、ここは喫煙室じゃない。」
「…ったく、かてーこと言うなよ。」
「灰皿がないだろう。」
「この紙コップで充分だろうが。」
「ダメだ。」
 二人のやり取りに完全に置いていかれて、アレルヤは少し声を大きくした。
「マリーに!ソーマの人格は元々マリーの人格から別れた物だって言ったそうですね。」
 少し語調が強くなったことで二人は言葉を止める。
 煙草を一本咥えようとして、それを無言で刹那に取り上げられ、ムッとしながらアレルヤの方を向いた。
「…ん~ああ、言ったかな。それがどうかしたのか?」
「それは本当の話ですか?」
「事実かどうかなんて俺に分かるわけねえだろ?ただ、あのねーちゃんの話を聞いて、推測しただけだ。」
「…推測の話でもいいんです。その話をもっと詳しく教えてもらえませんか。」
「いいけどよ。完全に俺の見解になるぜ?」
「構いません。」

 ソーマの人格が植えつけられたって言う情報は言葉のあやだな。
 だって考えても見ろよ。
 人格を持ったAI…あのハロってのもそうだろうが、その人格は作られるもんだ。
 コンピューターにある程度の反射を覚えさせ、それに性格の様な反応の違いを付けていく。
 プログラマーじゃねーから詳しい事は分んねーが、極端な事を言えばこうだ。
 その辺を浮遊してる霊魂だのなんだのを捕まえて来てロボットの中に入れる、なんて非科学的な事はしてねぇって話。
 それと同じだ。
 人間の中に、どっかから持ってきた人格を植え付ける、なんて無理な話だろ。
 じゃあ、ソーマの人格は何処から来たんだ?ってこった。


 いったんサーシェスが区切ると、アレルヤは視線を落としてじっと考えた。
 ソーマの人格は確かにマリーの物なんだろう。
 だとしたら、また同化することも可能なはずだ。
「ソーマの人格は、どうやって作られたんだと思いますか?」
 それが分かれば、同化の方法のヒントになる筈だ。
「さあな。」
「…じゃあ、アナタなら、どうやって別人格を付けますか。」
「俺なら、か。いいねぇ、楽しい話だ。」
 テーブルに頬杖をついて、心底楽しそうに顔をゆがませた。


 俺なら、そうだな、餓鬼を虐げて別人格を引き出す。
 餓鬼ってのは自分を守るために結構あっさり別人格を作りだすもんだ。
 虐げられてんのは自分じゃないって思い込むんだってよ。
 で、その別人格を洗脳しちまえばいい。
 人を殺すことが快楽だと教えれば、快楽を求めて殺す様になる。
 逆に正義を行うために敵を殺すべきだって教えても、自分が正義だと思い込んで殺す様になるだろうな。


「ちょっと待って下さい。洗脳ってそんなに簡単にできるものなんですか?」
「コツさえつかめればな。」


 出来たばっかの人格なんてのはまだ真っさらだ。
 ちょっとした傾向はあるだろうが…そうだな、たとえばお前の別人格、ハレルヤって言ったか?
 そいつは好戦的で冷血、なんだろ?
 それは人格が別れた時点で付いてた傾向だ。
 そいつに人を殺すことを教え、殺したら褒めたり何かを与えたりする。
 餓鬼んときに覚えた喜びってのは、脳の特別な所に記憶される。
 人を殺すとご褒美がもらえる。褒めて貰える。
 その記憶が大人になっても影響を及ぼすんだ。
 あ~ほら、よく言うだろ。
 女は父親に似た男を選ぶって。
 あれはそういう脳の働きらしい。
 父親から受けた喜びを脳が記憶していて、それに似たものを与えられるとこの上ない幸福感を感じる。
 餓鬼の内に人殺しの楽しさを教えこめば、それこそが自分の快楽だと思い込む。

 あのねーちゃんの場合は正義感だろうな。
 こうすることが一番正しい。と教えこむ。
 敵を倒せば正義がなされたと褒められる。
 自分の信じた正義が通ればそれがこの上ない快楽として脳の中で処理されるってわけだ。


「その洗脳が解ければ、人格の同化が可能になりますか?」
「…そいつはどうかな。快楽として覚え込まされたものは、普通の洗脳より解けにくいんじゃねぇか?それに洗脳が人格を分けたわけじゃねーからな。」
 またアレルヤは考え込んで、ちらっと刹那を見た。
 遠慮がちに言葉を出す。
「…刹那は…洗脳が解けたんだよね?…それにニールも。」
「コイツは自分で答えにたどり着いたって感じじゃねーのか?」
 サーシェスも刹那を見てそう言った。
「そうだな…。俺は…戦場にいるうちに徐々に聞いていた話が嘘だと分かって来た。」
「他の餓鬼どもより賢かったってこった。」
「ニールは?」
「…アイツは…。」
 サーシェスが言い淀んでいる事に少しドキッとする。
 何か思うところがあるのかと。
 ふん、とサーシェスは溜め息ともつかない息を吐いた。
「アイツはまだ完全に解けてねーんじゃねーのか?俺に情けを掛けてるのがその証拠だ。」
 そう言ってからニッと笑って見せた。
「いつまた、お前らを裏切るかもしんねーぜ?」
「そ、そんなっ!」
 アレルヤが驚いて立ち上がったが、それを刹那が落ち着いてなだめる。
「ニールは大丈夫だ。」


 本題に戻ろうぜ、とサーシェスが言った。
「つまり、お前らの二重人格が、一つの人格に戻れるかって事が知りたいんだろ?」
「ええ、そうです。」
「そりゃお前ら次第だな。」
「僕たち次第って…?」


 お前、つまり、主となる人格が同化を心底望んでるかって話だ。
 最初に言ったが、餓鬼が別人格を作りだすのは自分を守るためだ。
 お前はハレルヤという人格がなければ精神的にやっていけなかったはずだ。
 ハレルヤはお前の代わりにお前が受け止められないものを全部引き受けてきたんだろ?
 その人格と同化するって事は、お前が受け止められなかった過去の苦しみを、全部自分のものとして受け止めなきゃなんねぇ。
 それが出来るかって話だ。
 あのねーちゃんも同じだぜ?


「僕は…覚悟はできてる…。CBに入ったときから、罪を背負う覚悟はできてます。」
 アレルヤがそう言うと、サーシェスはくくくっと笑った。
「覚悟ねぇ。信じらんねぇな。」
「見くびらないでください。」
 ムッとして顔を背けるアレルヤを見て、更に笑う。
「全部ハレルヤがやった、とか思ってんじゃねーのか?」
「そんなっ!」
「じゃあ、お前が殺した奴の事を話してみろよ。」
 ふるふると震えつつ、アレルヤは目を伏せた。
「…僕は…自分が生き残るために…一緒に逃げだした同胞を…殺しました…。だから…だからその償いにも、世界を変えなくちゃ…。」
「へいへい、そこまででいいぜ。」
 辛そうな顔をして唇を噛むアレルヤ。
 サーシェスはハハハ、と笑い声を立てた。
「殺した、だから、償うって?綺麗事だな。」
「なっ!?」
「そうだろ?お前は結局、償うって言葉でその罪悪感を軽くしてんだよ。悪いことをした、でも反省して償いますってか?それで殺された奴は浮かばれんのかねぇ。」
「そ、それは…許されるとは思ってないよ。…でも、償おうって思って何が悪いのさ。」
「俺は、お前が殺した奴の事を話せって言ったんだ。お前の意志なんて訊いてないんだよ。同じことをハレルヤに訊いたら、なんて答えただろうな。」

 ハッとした。
 ハレルヤならどう答えるだろう。
 きっと、殺した事実だけを話したに違いない。
 でも、とアレルヤは思う。
 償う気持ちがなければ、僕はただの人殺しじゃないか。

「もう一つ、お前の甘さを指摘しとこうか。」
 キリッと奥歯を噛みしめてアレルヤはサーシェスを睨んだ。
 そんな視線にも、サーシェスは動じる様子はない。


「最初の武力介入の頃、麻薬農園を焼き払った作戦があったろ。あれ、お前だよなぁ。あれについてどう思うよ。」
 どうしてそんな事を聞くのかと訝しげに眉を顰めて答える。
「あれは…僕にとっては気が楽な作戦でしたよ。だからスメラギさんも僕にやらせてくれたんじゃないかって…。」
「気が楽、ねぇ。」
 アハハ、と笑う。
「何が可笑しいんですか。」
 ククッと笑いをこらえ、サーシェスは言った。
「お前、あれで人が何人死んだか知ってんのか?」
「!!あの時は!きちんと警告もしたし、僕が農園を焼き払うときだって人はいなかった!」
 ケッと喉を鳴らし、馬鹿にして返す。
「お前が直接殺さなくったって、人は死ぬんだよ。それも、一番の弱者がな。」


 農園で働かされてるのは一生こき使われる奴隷の様な奴らだ。
 農園の主はあれぐらいどうってことない。
 蓄えはあるだろうし、ああ、畑をやられたな、また作りなおさないと、てなくらいだ。
 働いてる奴らには、決まった量を納めないんだから給料なんて払えない、と言ってやれば済むからな。
 じゃあ誰が死ぬかって、そりゃ、給料ももらえない家の奴らだ。
 特に餓鬼なんて、すぐに死んじまっただろうな。
 その植物が何に使われるものかも知らない、何の罪もない餓鬼どもだ。
 餓鬼ん時から働かされて、知らぬ間に中毒になって、都合が悪くなると切り捨てられて、何の権利も与えられないまま死んでいく。
 そいつらを、お前は、殺したんだ。
 何の武力も持たない、普通ならお前らの標的になるはずのなかった人間を。


「そ…そんな…だって…僕は…」
「それは、ハレルヤがやった事じゃねぇよな?お前が、気軽にやった事だ。今まで反省して償おうと思ったことがあったのかよ。」
「だって…だって…あれは…誰も死なないって…。」
「誰かがお前に言ったのか?」
 首を横にふる。
 誰も言わなかった。誰かが死ぬとも死なないとも。
 でもあれだけは、あれだけは自分の中で誇れる仕事だったのに。
「…僕は…僕は…。」
「お前らは間違ってんだよ。罪を背負う覚悟だ?そう言って自分たちのやってる事を美化してるだけじゃねぇか。やってる事は俺と変わりねぇくせによ。」
「違う!あなたとは違う!!」
「何が違うんだ。殺して、殺して、殺しまくって、ちゃんと後で償いますってか?俺よりも性質が悪いと思うけどね。」
「違うんだ!!」
「そうやって逃げてばっかいるから、ハレルヤが必要なんじゃねぇのか。」
「ハレルヤ…どうして…。」
 どうして今は出て来てくれないのさ…。何か言ってくれたっていいだろ?
 顔を隠す様に頭を抱え、泣き崩れそうになるのを静観していた刹那が支えた。
「ハレルヤも、もう抱えきれねーんじゃねえか?お前が弱すぎて。」
「アリー、もういい。やめろ。」
 アレルヤを立たせ、刹那はレストルームから連れ出した。

「ケッ、これだからアマちゃんはよ。」
 一人になると、サーシェスは煙草に火を付けた。
 溜まってたイライラをぶつけてしまったかとチラッと思わなくもない。
 でも事実は事実。しかもアレルヤの方から振ってきた話だ。
 大体、なんで俺がアイツの心配をしてやらなきゃならねーんだ。
 またイラついて、ぷはーっと盛大に煙を吐き出した。
「ここは禁煙だ。」
 パッと煙草を奪われる。
 刹那はクルーの誰かにアレルヤを任せてきたらしい。
 煙草を消し、残りの煙草も取り上げた。
「露骨に言い過ぎだ。」
「お前だって止めなかったじゃねーか。」
「…アレルヤはそろそろ知る必要がある。そう思ったからだ。でもあれは行き過ぎだ。」
「俺にそんな気を使えってか?馬鹿馬鹿しい。」
「…止めなかった俺にも非はあるが…。」






 その後数日間、アレルヤは医務室で静養を取る必要があった。
 自分の中の矛盾、甘さ、思いこみ。
 そんなものがぐるぐると頭の中を駆け廻り、落ち着くことが出来なかった。

 マリーを救いたいと思ったんだ。
 でも、自分がこんな状態で彼女を救えるのだろうか。
 何度もハレルヤを呼んだ。
 でも返事は返って来なかった。
 どうして?もういなくなってしまったのか?
 そんなわけはない。
 ハレルヤは僕の半身で、僕の一部で…。
 そして数日後、やっとハレルヤが返事をした。
『バーカ、なんで俺を呼ぶんだよ。もう必要ねぇだろうが。』
「必要だよ!僕には君が!」
『いい加減気付けよ、アレルヤ。こんなのはただの一人遊びだってことに。』
「ハレルヤ…。」
『俺なんか呼ばなくたって、ちゃんと支えてくれる奴が要るだろ?』
「え?」
『バーカ。お前はマリーだけ見てりゃいいって教えただろうが。マリーがいれば、俺なんていらねーはずだ。』
「ハレルヤ…。」
『じゃあな、俺は眠ってるのが一番心地いいんだ。起こすなよ。』
 そう言ったきり、ハレルヤはもう何も言わなかった。








「トレミーを降りる!?」
「一時的にでもいいんです。考えたいし…それに、マリーを戦わせたくないって言うのは変わってませんから。」
「彼女も了解してるのね?」
「はい。さっき話して、そうしようって。」
「…わかったわ。みんなにも了承を取りましょう。」
「すみません、スメラギさん。」






 クルー達は皆一様に驚き顔を曇らせたが、アレルヤの気持ちを尊重しようというところに落ち着いた。
 近くののどかな自然の中にトレミーを着陸させると、短い言葉で別れを言い、二人は出て行った。

 サーシェスを部屋に入れて、ニールはギリッと睨んだ。
「ホントにアンタは…騒ぎを起こしてくれるよな。」
「俺なんか置いとくからだろ?さっさと追い出しゃあいいんだ。」
「それが出来ればとっくにやってるさ!」
 そう言って部屋の外からドアを閉めた。

 アレルヤの気持ちは分かる。
 それでもサーシェスが彼を傷つけなければ、こんな方法を取らなくても良かったかもしれない。
 こんな別れなんてなくて済んだかもしれないのだ。
「畜生っ!」
 ニールは一人、誰もいない廊下の壁を殴った。



「頃合いかな。」
 ベッドに仰向けに転がってサーシェスは煙草を吸っていた。



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