『刻の止まった部屋』シリーズ

ソーマ



 刹那とサーシェスが作業をしているところに、ソーマがやって来た。
 何か怒った風にずかずかという歩みで近付くと一言。
「アリー・アル・サーシェス。話がある。」
 サーシェスはふいっと顔を上げると、返事をせずに刹那の方を向いた。
「…だってよ。」
「…分かった、休憩にする。」
 刹那がそう答えるとソーマが言った。
「二人きりで話がしたい。来い。」
 またサーシェスは刹那の方を向く。
「…だってよ。」
「それはダメだ。」
 刹那の返事を聞いてソーマの方に「…だってよ。」と返した。
 ソーマは暫し考え、刹那は話を聞いたからと言って誰それ構わず吹聴するような人間じゃないしと納得した。
「分かった。ここでいい。」
 ふん、と息を吐くと、キッと睨むような目をサーシェスに向ける。
「言いたい事はこれだけだ。アレルヤを困らせるような言動をやめろ。」
 サーシェスはパチクリと瞬きをしてソーマを見た。
 何を言われたかは理解したが、それよりも気になることがあった。
「…あ~ぁ、ねーちゃん、もう一人の方か。」
「…それがどうかしたか。」
「名前は?」
 ソーマは一瞬どきりとした。
 マリーの名は知っている筈で、ソーマが出ているからと言って違う名で呼ぶ必要性はない筈だ。
 特にこの男にとっては。
「…ソーマ…ソーマ・ピーリスだ。」
「…そういや人革連にいたんだっけか?見かけたことがあったな。」
「そんな事はどうでもいい。とにかく、アレルヤを…」
「ねーちゃんも大変だなァ。あんまり外に出てこれねーだろ。」
 再びどきりとする。
 マリーではなく、ソーマとしての自分に向けられた言葉に居心地が悪かった。
「そ…そんなことはどうでも…。」
「自分のモンだって思ってた体が、別の人格に取られちまってんだろ?自分の思い通りに動けねーってのは、遣る瀬ねーよなァ。」
 ソーマはふいっと目を逸らした。
 たぶん誰でもそう言う風に思っているんだろうとは思う。
 でも、表立ってそういう言葉をソーマに掛けた者はいなかった。
 何しろ、元々この体はマリーの物なのだから。
「…私が…。私の人格が後から植えつけられたんだ。その言葉はマリーに掛けるべきだ。」
「んでもよ。ずっとねーちゃんの力で生きてきたんだろ?それなのに引っ込んでなきゃならねぇってのはなァ。」
「…私は…納得している…。」
「へぇ~?でも、辛いこともある…って顔してんぜ?」
「それは…当り前の事だ。」
「たとえば?」
 ソーマは答えるべきかどうか悩み、でもこんな事を聞いてくれる相手はいない気がしてボソッと答えた。
「…アレルヤが…困った顔をする。」
「あのにーちゃんが?アイツも二重人格だろ?」
「…そうだ。…でもアレルヤはマリーの事が好きだから…私が表に出ると少し困った顔をする。」
「なるほどね。」
「アイツは優しいから何も言わないが、きっと私が出てくるのが嫌なんだと思う。」
「ふ~ん?そりゃ、ますます遣る瀬ねーなァ。」
「…いや…いいんだ。私は納得している。マリーとアレルヤには幸せになって貰いたい。元々作られた人格なんだから…私が消えるべきなんだと…。」
「そうかあ?」
 言葉を遮られ、訝しげにサーシェスを見遣った。
「私は…植えつけられたんだ。存在してはならなかった。」
「その植えつけられたって話、ホントかよ。」
「アレルヤとハレルヤの場合はどうか知らないが、私の事は資料に残っていた。確かに、植え付けをしたと…。」
「資料ね…。思うにそれは表現の仕方であって、ねーちゃんは元々、マリーってねーちゃんの一部なんじゃないか?」
「…それはどういう…。」

 なぜここまでサーシェスが突っ込んだことを訊ねるのかと言えば単に二重人格に対する興味からなのだが、ソーマにとっては自分の中のわだかまりを外に出すいい機会だった。
 刹那が作業を再開すると言ってもソーマはそこを離れず、延々サーシェスと話をしていた。
 サーシェスも面倒がらずに作業しながらも応対した。

「じゃあ、…私は消えなくていいのか?」
「そう思うぜ?…ま、これは俺の見解だけどよ。」
「…ありがとう…。」
 食堂のドアが開き、サーシェスとマリーが並んで入って来たのを見たアレルヤは、愕然とした。
「な…何でマリーが?」
 ソーマはアレルヤと目が合うと気まずそうに目を逸らした。
「…その…話せてよかった。」
 サーシェスにそう言葉を掛けて、急いで離れていく。
「おう、俺も楽しかったぜ?また話そうや。」
 そう返事が返ってきたがそれには振り向きもせず、ソーマは自分の食事を取りに行った。
「マリー!どうして君が…。」
 マリーに駆け寄って訊ねても、彼女は気まずくてプイっと顔を背けてしまう。
 アレルヤは困って刹那とサーシェスに訊ねた。
「どうして彼女と?」
 微かな怒気を含んだその言葉に、サーシェスは肩を竦める。
「…話してただけだぜ?」
「何の話をしてたんです!?」
「…何のってなァ…ねーちゃんに聞いてくれ。…ま、言いたくねーだろうケドな。」
「…言いたくないって…。」

 そんな事があってたまるもんか、とアレルヤは思う。
 サーシェスには話して自分には話せないなんて、そんな馬鹿な事があるものか、と。

「刹那、君は傍で聞いてたんだろう?二人は何の話を…。」
 困ってアレルヤは刹那に訊ねた。
「…アレルヤ、悪いがそれは言えない。」
「どうしてさ!」
「彼女がお前に話さない事を俺が喋るのはフェアじゃない。」
「そんな…。」


 食事を終えた頃にはソーマはすでに引っ込んでいて、マリーの人格に戻っていた。
 そっとアレルヤの腕に振れ、困り顔で笑った。
「ごめんなさい、アレルヤ。…ソーマが勝手なことして…。」
「マリー…僕に話してくれるかい?」
「…ごめんなさい。ソーマが聞かれたくないって。だから、話せないわ。」
 また彼女は逃げるようにその場を離れた。






 次の日はアレルヤがサーシェスの監視役だった。
 アレルヤはずっと押し黙っていた。
 必要最小限の言葉しか出さないアレルヤに、サーシェスは呆れたように言った。
「よぉ、今日は静かだなぁ。」
「いつも喋ってませんよ。」
「そんなこたーねぇだろ。静かすぎるってのも居心地が悪い。なんか喋れよ。」
 プイっとそっぽを向く。
 やれやれと肩を竦めてサーシェスも背中を向けた。
「会話する気があれば、ねーちゃんの話でも聞かせてやろうかと思ったのによ。」
 ハッとしてアレルヤは手を止めた。
 しかし、落ち着いた口調で返す。
「そんな事を言って、また僕をからかう気でしょう?昨日は言えないって言ってたじゃないですか。」
「昨日はねーちゃんがいたからな。今はいないだろ?」
「彼女が話したがらない事を喋るのはフェアじゃない。」
「それは刹那の理論だろうが。それに…この話はにーちゃんの耳に入れとかなきゃいけねーと思ってよ。」
「…そんな…重要な事ですか…?」
「ああ、重要な事だからこそ、ねーちゃんは自分の口からは言えない。刹那も勝手には喋れない。なら、俺が言うしかねーだろ?」
 アレルヤはじっと考えに入り、しばらくして真っ直ぐにサーシェスを見た。
「教えてください。」


 ソーマってねーちゃんは自分が消えるべき存在だと悩んでたぜ?
 でも理不尽だよなぁ、それ。
 あのねーちゃんの生きてきた年数の半分以上をソーマって人格がやってきたんだ。
 しかももう一つの人格の存在を知らずに。
 それがいきなり出てきた別人格に体を取られて、んで自分は存在してはならないと思い知らされる。
 不憫じゃねーか?あんまりだよなぁ。
 消えなきゃいけない。納得はしている。
 そう言ってたけどよ。やっぱ納得いかねーとこもあるんじゃねーの?


「そんな事を…。でもどうして僕に言ってくれないんだろう…。」
「言えるわけねーだろ。あのねーちゃん…ソーマの方な。お前が自分を嫌ってるって思ってんだ。」
「え!?」
「お前がマリーの事を大事に大事にしてるからよ、ソーマは邪魔ものだって自分で思っちまってんだよな。」
「そんな!そんなこと!」
「ないって言いきれるか?お前、ソーマが外に出ると困った顔するらしいじゃねーか。」
「そ…それは…ちょっと対応に困るだけで…別に嫌いなわけじゃ…。彼女もマリーの一部だよ。それは僕自身、同じものを抱えてるから分かる。」
「でもあのねーちゃんには解らねーんだよ。自分は後から植えつけられたものだって思っちまってたからな。自分がマリーの一部だと実感出来てねぇんだ。」
「そんな…。」

 僕はどうすればいいんだろう。
 そう項垂れるアレルヤ。
 そこに声が掛けられた。
「二人揃って仕事をサボるとは、いい度胸だ。」
 振り向くとそれは刹那だった。
 サーシェスはニッと笑って見せ、アレルヤは慌てて立ち上がった。
「イアンがぼやいてたぞ。頼んだものが来ないから仕事が進まないと。」
「ご、ごめん。…でも、他ならぬマリーの事なんだ。」
 刹那が仕方ないなという風に溜め息を吐くと、アレルヤはまた悩みだす。
「どうすれば彼女を安心させられるんだろう。…マリーもソーマも二人とも好きだよって言えばいいかな…?」
 刹那がボソッと答えた。
「それは…女ったらしのセリフに聞こえる…。」
「そ、そうだよね、ダメだよね…。」
 うーん、と眉間にしわを寄せて考えているアレルヤに、サーシェスが言った。
「お前そんな事も分かんねーのかよ。情けねーなァ。」
「え!?何!?誰にでもわかるようなことなの!?」
「教えてやろうか?」
「教えてください!」
 そこでサーシェスの片側の頬が微かに上がったのを刹那は見逃さなかった。
「自分で考えろ、アレルヤ。それ以上コイツの話を聞いてると、とんでもないことをさせられるぞ。」
「え!?」
 刹那がそう言うと、サーシェスは半笑いでチッと舌打ちをした。
「ばらすんじゃねーよ。」
「アレルヤが不憫だからな。」
「えぇえ~!?」

 もう少しでまたからかわれる所だったと知り、アレルヤはムッとして見せた。
「さっきの話は全部本当なんでしょうね。」
「ねーちゃんの話なら、全部ホントだぜ?」
「…そうですか…分かりました。」
 アレルヤは暫し考え、急に顔を上げた。
「僕、今からマリーの所に行ってくるよ!」
 そう言って走っていく。

 残された二人は呆気に取られて見送った。
「…仕事はどうすんだ?」
「…仕方ない、俺が代わる。」



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