『刻の止まった部屋』シリーズ

罪悪


「スメラギ・李・ノリエガの提案に同意する。」

 皆が驚きを隠せないのは、提案の内容のせいなのか、同意したのが刹那だったからなのか…。
 ともかくスメラギのとんでもない提案が通されようとしていた。

「でも…危険だと思うのは僕だけじゃない筈だ。みんなそう思うんじゃないかな。」
 アレルヤの言葉にそれぞれが小さく頷いた。

 スメラギの提案とは、アリー・アル・サーシェスに関する事だ。
 拘束を解いて、仕事を与えようというものだった。
 先日酔った勢いで言ったことを、大真面目に実行しようというのだ。

「じゃあ、聞くけど。…彼をこのまま一生閉じ込めておくつもり?」
「そうは言ってませんよ。他に方法があるんじゃないかって…。」
「他の方法の提案を要求する。」
 刹那が目を伏せてそう言うと、ミレイナが手を挙げた。
「やっぱり自由にするのは危険だと思うです。保安局に引き渡せばいいです。テロを起こした犯人なら、裁いてくれるんじゃないかと思うです。」
「確かに、時効も成立していない今なら、保安局は喜んで引き受けてくれるだろうな。」
「ハイですぅ。」
 ミレイナが嬉しそうに返事をすると、刹那は溜め息を吐いた。
「アイツが大人しく裁きを受けるとは思えない。CBに関する情報を交換条件に、刑の軽減を図るだろう。」
「そうね。ヴェーダの位置、その他にも彼はリボンズの所で様々な情報を手に入れている可能性があるわ。」
「保安局や軍がその情報を欲しがらないわけがない。」
 ミレイナの笑顔がシュンとなった。
 いい提案だと思ったのに。

「やっぱ、ここでどうにかするしかないってか?」
 ライルが肩を竦めた。
 そうね、とスメラギは笑顔を見せる。
「私が思うに、野放しに出来ない以上、殺すか、飼いならすかの二つしかないわ。」
 押し黙る。
 ニールは表情こそ変えないものの、血の気が引く感覚を覚えていた。
 スメラギが手を挙げて見せる。
「はーい、じゃ、この中で殺したい人~。」
「ちょっと、スメラギさん…そんなノリで…。」
 アレルヤが困り顔で言った。
 もちろん手を挙げる者はいない。
 好き好んで人殺しをする人間はこの中にはいないだろう。
「それとも、みんなで銃を構えて、一斉に撃つ?」
「スメラギ・李・ノリエガ。愚問はそのくらいにしてくれ。」
 刹那が静かなトーンでそう言うと、スメラギはクスッと笑ってヒラヒラッと手を振った。
「ごめんなさい。殺した方がいいって結論なら、多分やるべきこととして受け入れるでしょうし、そうでないなら進んで殺す人なんていないって分かってるわ。だからね、飼いならしてやろうじゃない、って話なのよ。」
 ライルが手を挙げた。
「…殺した方がいいって言ったら?」
 隣にいるニールが視線を落とす。
 その様子を見つつスメラギが答えた。
「ぶっちゃけ、私が殺したくないのよ。」
「どうしてだ?…惚れたか?」
「やめてよ。もしリボンズだったとしても殺したくないと思うわ。瀕死の状態からやっと回復した人間を、あっさりと殺しちゃうのが嫌なの。ちょっとあがいてみてもいいじゃない?…ま、教育し直すなんて到底無理な話だけどね。猛獣を飼いならす方法ならなくもないって思うのよ。」
「刹那も同じ意見なのか?」
「…まあ、そんなところだ。」

 数分間、皆口を閉ざした。
 そしてライルが沈黙を破る。
「俺はいいぜ。それで。」
 ハッとした顔でニールが彼を見た。
 しかし声を掛けたのは刹那だった。
「いいのか、ライル・ディランディ。」
「戦術予報士さんと真のイノベイターさんが言う事には逆らえないさ。」
「そういう言い方はよしてくれないか。」
「わりぃ。茶化すつもりはねーよ。この状況なら殺すのはいつでもできる。なら、ちょっと試しに飼いならしてみてもいいかって思ったってこった。」





 部屋のドアには暗証番号付きのキー。
 そしてその番号はニールだけが知っている。
「…相部屋だとさ。」
「へぇ。じゃあ、よろしくな、相棒。」
 チッと舌打ちをして、ニールは部屋に入った。

 監視役はニールが適任だと刹那が言い、皆が賛成した。
 もちろん普段の監視は交代ですることになるのだが、部屋の出入りはニールがいなければ出来ない。

「お前だけなんだって?暗証番号知ってんのは。」
「それが?」
「教えろよ。」
「教えられるわけねーだろ。」

 ニールは終始背中を向けていた。
 話し掛けられても少し視線をやるだけですぐに顔を背け、そっけない返事をする。
 正直どう接していいか分からなかった。

 何が適任なものか。

 眠れない日が続いた。
 夜まで監視をする必要がないのは分かっている。
 恐らくサーシェスにはニールを殺す気はないだろう。
 加えて暗証番号の事があるから、部屋の中で殺してしまっては面倒な事になるだけだ。
 それでもニールは熟睡できなかった。



「寝ていないのか。」
 刹那に訊かれ、苦笑いを見せる。
「ん?…あ~、一応寝てるぜ?」
「でも疲れているように見える。」
「…心配はいらないさ。すぐに慣れる。」
 そう言ってニールは笑って見せた。
 去っていく後ろ姿を見て、刹那はスメラギのところに向かった。




 機密事項に触れなくて済む仕事、軽い整備とか、雑用なんかを監視役の誰かと共にこなし、サーシェスはニールと共に部屋に戻る。
 ニールが暗証番号を打ち込む、と。
 ドアが開かなかった。
 その後ろから声がかかった。
「交代だ。ニール。」
 刹那がキーカードを見せた。
「暗証番号は俺が管理する。俺がここに寝るから、お前は別の部屋にしてくれ。」
「刹那…。」
 カードを通し、暗証番号の書き換えをしてドアを開けた。
 統合しているコンピュータで番号の書き換えの準備をしてきたらしい。
 サーシェスを中に促し、自分も入ろうとするとニールが止めた。
「俺がここに寝る。」
「眠れないんだろう。」
「お前が言ったんだろ。俺が適任だって。」
 刹那は深い溜め息を吐く。
「そんなつもりで言ったんじゃない。無理をするな。」
「無理じゃねーよ。」
 刹那の前に立ちはだかるようにして退く意志はなさそうだ。
 刹那はもう一度溜め息を吐いた。
「分かった。でも暗証番号は俺が管理する。開けたい時はいつでも呼んでくれ。…その方が…眠れるだろう?」
 少しでもニールの精神的な負荷が軽くなればいいと、刹那はそう言ってドアを閉めた。


「なんだよ。これじゃお前も軟禁されてるみてーじゃねーか。」
 サーシェスが呆れたように言った。
 どうだっていいだろ、アンタの処遇に変わりはねーよ、と返してベッドに潜り込む。
 肩を竦めてサーシェスもベッドに入った。

 リズムの整った寝息が聞こえる。
 ニールは目を瞑っても眠りには落ちなかった。
 サーシェスの寝息を暫く聞いてから、体を起こした。
 そっとサーシェスのベッドに近付く。
「寝てるのか?」
 返事がないことを確認すると、床に座り込んだ。
 サーシェスが眠るベッドに凭れ、項垂れる。
「なあ、全部…嘘だったのか?」
 返事はないものだと思ってそう言うと、「何がだ。」と帰って来た。
 驚きはするものの、背を向けたまま、また訊いた。
「俺が作った飯を旨いって食ってたろ?」
「そうだったっけか?」
「俺が強くなってくのを喜んでくれたろ?」
「そうか?」
「冗談を言って笑ったろ?」
「ま、笑うぐらい誰でもするだろ。」
「全部、俺を騙す為の演技だったのか?」
「さあな。」
 いい加減な返事に体ごと振り返って怒鳴った。
「答えろよ!!」
 それでもサーシェスはふいっと目を逸らすだけで笑みは崩さない。
「お前がそう思うんなら、そうなんだろ。」
「アンタの事を聞いてんだよ!」
 感情の高ぶりに目頭が熱くなる。
 その表情に根負けしたかのようにサーシェスは溜め息を吐いた。
「四六時中演技してなきゃなんねー様な面倒な事をする気はねぇな。」
「…そう…か…。」
「寝ろよ。」
「アンタこそ。」






 やはり眠れなかった風を見て、刹那はサーシェスをアレルヤに任せると、ニールをひとけのないところに誘った。
「俺は…アイツに言われて両親を手に掛けた。この手で両親を撃ち殺した。」
 突然話し出した内容に驚いて、ニールは言葉を返せなかった。
 刹那は続けた。
「だから、アイツは許せないと思った。俺もアイツを討ちたいと、本気で思っていた。」
「…あ…あぁ。」
「確かにアイツのした事は許されることじゃない。まだ分別の付かない子供を洗脳した事も、テロを起こしたことも。でも、それと俺の両親の件は別だと思っている。あれは俺の罪だ。」
「それは…違うだろう?」
「聞いてくれ。俺は裕福になりたかった。もちろん、家族で幸せに暮らす為に。最初は、見ている未来に、両親の姿もあった筈だった。それがいつの間にか、目指す目的がすり替わっていた。それは確かにアイツの洗脳によるものだったんだろうと思う。でも、俺は、神に縋るうちに本当に大事なものを見失った。」

 刹那は言った。

 両親を殺した時の事をよく覚えている。
 今では思い出すだけで苦しいが、その時は大事な事を成し遂げた達成感に満たされていた。
 その事によって望む未来が消えてしまったということにも気付かず、自分は神の戦士になったのだと思い込んだ。
 両親の亡骸を目の前にしても、その二人に笑っていて欲しいと思っていた頃の自分を思い出せなかった。

「それは、俺の弱さだ。神に縋ってしまった俺の弱さがそうさせた。だから、俺の罪なんだ。」
 まっすぐに前を見据えるその目には、溢れ出しそうな涙がたまっていた。
「違う!お前も言ったじゃないか。アイツは分別の付かない子供を洗脳したって。そんな子供が洗脳から逃れる術なんてないだろう!? お前に罪はない。きっとご両親だって分かってくれてる。」
「父も母も、絶望の淵で死んでいった。」
「その瞬間はそうでも、今は分かってくれてる筈だ。お前が罪悪感に苦しむことなんてないんだ。刹那、お前は悪くない。」
 涙がツーっと頬を伝い、刹那は静かな笑みを見せた。
「ありがとう。お前ならそう言ってくれると思っていた。」
 だから、ニール、と刹那は言う。
「だから、お前も罪悪感を持つことはない。」
「…俺は…別に…。」
 罪悪感なんてない、と言おうとしたところに刹那の言葉。
「アイツに情を感じてしまっていても、罪悪感を持つ必要はないんだ。お前は記憶を失っていた。俺に分別が付かなかったように、お前も分別が付かない状態にあった。だから、お前は悪くない。」

 ハッとして刹那の顔を直視した。
 罪悪感。
 そうか、と納得がいった。

「テロで亡くなったお前の家族だって、お前が人を殺すことを喜んではくれない筈だ。もう分かってるんだろう?仇討ちなんてものは、生き残った者の気休めにしか過ぎないと。」
 それは、沙慈から学んだ事だ。
 仇討ちに意味はない。
 新たな争いを生むだけだ。
 たぶんニールの場合、新たな争いは彼の中で起こってしまう。
 心を壊すような行為はすべきじゃない。

「…いいのか…?」
「いいんだ。」

 でも、ライルがどう思うだろう。
 ニールがそう言って溜め息を吐くと、刹那は真っ直ぐにニールを見た。
「ライルは俺を撃たなかった。」
 最愛の者を目の前で殺した俺でさえ、撃たなかったのだと言った。

 ライルの最愛の女性の話を初めて聞き、二ールは愕然とした。
 同時に私怨に取り付かれない強さを感じる。
 ティエリアが言っていた事が今更ながら深く理解できた。
 自分よりも弟の方がマイスターに相応しいのだと。

「情けねーな、俺…。」
「そんな事はない。人は迷って当然だ。」

 今となってはサーシェスに感謝しているくらいだ、という刹那にニールは首を傾げた。
「今お前が生きているのはアイツのおかげだろう?」
 そう言って刹那は笑顔を見せた。







 ニールはカードキーをもって部屋の前で待っていた。
 そこにアレルヤとサーシェスがやってくる。
 ドアを開けたのを見てサーシェスが笑った。
「暗証番号、取り返したのか。」
「俺まで軟禁状態なのは不便だからな。」
 じゃあ、任せましたよ、とアレルヤが戻って行った。
 その背中を見送ってからニールはドアを閉める。
 ふう、と息をついて一度目を閉じると、しっかりとした視線をサーシェスに向けた。
「早く寝る支度しろよ。俺ももう寝るんだからな。」
「早ぇだろうが。ちょっとはゆっくりさせろ。」
「俺は眠いんだ。」
 憮然とした顔でそう言ってから、一拍置いて付け足した。
「知ってるか?」
「んぁ?」
「睡眠不足だと人間は幻覚を見るようになるんだ。ちっこいおっさんが見えるらしいぜ?」
「なんだそれ。」
「ホントなんだぞ?こんなちっこい…。」
 床から30cmほどの高さを手で示し説明する途中でニールは噴き出した。
 その様子を呆れ顔でサーシェスは眺める。
「なんだよ。」
「いや、今ちょっと…こんなちっこいアンタがこの辺をちょこまか動き回ってたらって想像しちまった。」
「“おっさん”の代表を俺にするな。」
 サーシェスがムッとして言い返すと、ニールはふふんと笑った。
「おっさんで間違いねーだろ。」
「…お前だってすぐにおっさんの仲間入りだろうが。」
「まあ、そのうちな。でもその頃にはアンタはジジ…。」
 最後はわざとらしい咳で誤魔化した。
「てめ…今何言おうとした?」
「おやすみ。ちっこいアンタを見るのは次の機会ってことにする。もう限界なんだ。」
 そう言ってニールはベッドに潜り込んだ。
 怒りが収まらないサーシェスがちょっかいを掛けるが、そんなものは無視して数日ぶりの深い眠りに落ちて行く。
「…覚えとけよ。まったく…。」
 呟きとは裏腹に、サーシェスは眠りに落ちたニールの顔を微かな笑みを浮かべて眺めていた。






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