『刻の止まった部屋』シリーズ

 刹那の光──

 刹那の光──

 その言葉は自然と頭に入って来た。

 暖かい、懐かしい光に包まれて、ニールは動きを止めた。

 刹那。
 それが意味するのは瞬間だと思い起こすと同時に、否、と別の意識が入り込む。

 名前だ。
 刹那、と言う奴を知っている。
 誰だ?

 必死で記憶をたどる。
 もやがかかっている部分が徐々に晴れていく。

 刹那。
 ガンダムマイスターで、俺達の仲間で、一番小さかった奴だ。

「仲間…?」

 違う、違う違う!
 CBは俺の家族の仇だ!
 仲間である筈がない!

 その思考にも、否、と横入りする。

「刹那…。」
 口に出してみるとその姿を思い出した。

 そう、仲間だ。
 刹那・F・セイエイ。
 俺と同じガンダムマイスターの。

 納得と同時に混乱が始まった。
 では、討つべき仇は誰なのか。
 その名前は覚えている。

「アリー・アル・サーシェス…。」

 ぞわりと憎しみが蘇って来た。
 自分がガンダムに乗ってその相手を討とうとしていたことを、その情景を思い出した。

「アリー・アル・サーシェス…?」

 ぶんぶんと頭を振る。

 違う!
 それは俺の近しい人間の名だ。
 俺の命の恩人で、家族のように親しい相手の名だ。

 違う、違う、と別の名を思い出そうとしても、仇として思い出す名前はそれしかなかった。

「嘘だ…嘘だろ?…アリー…。」

 確かめなくては。
 そう思って我に返る。

 大破した機体を棄て、ニールはサーシェスがいるはずの場所を目指した。
 そう遠くはない筈だ。
 戦っている時も位置を確認していた。

 なぜだか知らないがこちら側、イノベイターサイドのモビルスーツはことごとく機能を停止した。
 なら、サーシェスの機体も動けない筈だ。
 あの、緑色のガンダムと対峙している筈の今、無事でいるかどうか。


 あのガンダムは…手強いのだ。

 何度か戦って、ニールはあの存在に恐怖さえ覚えていた。
 なぜか動きを読まれる。
 と同時にこちらも動きを読めてしまう。
 それは気持ちの悪い感覚だった。
 そして、トリガーを引こうとすればその度に、全身の毛が逆立つほどの嫌悪感が駆け抜ける。
 サーシェスはそれを知って顔を顰めると、それ以後は後方支援を命じていた。

「誰だ…。」
 通路を進みつつ、ぼそりと呟く。
 あのガンダムに乗っているのは誰だ?
 自分がいた頃はまだ、他のマイスター候補者はいなかった。
 なぜあんなに動きを読まれるのか。
 なぜあんなに動きを読めるのか。
 あの、デュナメスの後継機を駆るのはいったい…。


 角を曲がった途端、瞳の中に飛び込んできた情景に息を飲む。

 待て!まだだ!俺は訊かなくちゃいけないんだ!

 サーシェスの背中に向けられた銃。
 両手を上げるサーシェス。

 すぐにはトリガーが引かれなかったことにホッとしていると、サーシェスが動いた。

 ダメだ!!

「アリー!!」

 ニールは咄嗟に飛び出していた。
 銃を持ったサーシェスの手首をしっかりと掴んで押し倒した。

「ばかやろう!!」

 馬乗りになって胸ぐらを掴む。
 するとサーシェスはとぼけたように口角を上げた。

「よぉ、相棒。」

 その様子にニールの手はふるふると震えた。
「何が…何が相棒だよ。…全部ウソだったのか?…俺の家族を殺したのは…あんたなのか?」
 顔を歪めてニールは言葉を絞り出す。
 その様子を見てもサーシェスの笑みは消えなかった。
「…なんだ、思い出したのか…。思い出したんなら、分かってんだろ?」
「分かんねーよ!!」
「お前の中にある記憶が、事実だってこった。」
 くっと言葉に詰まり、眉間のしわがさらに深くなる。
「…分かんねーんだ…。俺には…あんたとの時間の方が鮮明なんだよ!」
 この数年間の記憶が色濃く残っている。
 自分がマイスターだったという事実の方が遠くて…。

 嘘だったのか?
 何もかも…。
 毎日交わした会話も、笑顔も、俺を騙す為の嘘だったのか?

 もう一度問いかけた。
「あんたが…本当の仇なのか…?」
「…そうだな。」
 一気に熱くなった目を伏せる。
「なん…で…。」
 背後で銃を構えたまま動けない人物のことなどお構いなしに、ニールは涙を滲ませた。
 ややあってサーシェスが口を開く。
「殺せよ。憎いんだろ?」
 ハッと目を空けて相手を凝視した。
 いつものように勝気な笑みを浮かべている。
 いつもの…、この数年の間に何度見たか分からないその顔。
 ニールは声を震わした。
「殺せるわけ…ねーだろ…。」
 サーシェスは軽い溜め息を吐く。
「んじゃ、ナイフ戦でもやるか?」
 ナイフ戦?とオウム返しに訊くと、サーシェスは言った。
「そうだ。それで、勝った方はそのまま相手を殺しゃあいい。」
 命を掛けた真剣勝負だと言って笑っている。
「ばかやろ…。ナイフ戦で、俺があんたに勝てるわけねーだろ?」
 そう返すと、サーシェスは自分の腹を示した。
「こんな手負いに勝てないようじゃ、お前に価値はねーな。」
 べっとりと付いている血を見てニールは青ざめた。
 返事が出来なかった。

 治療をしなくては。放っておいたら死んでしまう。
 でも…。
 これは自分が殺したかった奴で…。
 家族の仇で…。

「俺が立会人になる。」
 後ろからかかった声にニールはハッとして振り向いた。
 緑色のパイロットスーツに身を包んだその人物は、自分と同じ顔をしていた。
「ライ…ル?」
 唯一の生き残った家族である、自分の片割れ。
 どうしてマイスターなんかに、何故、と疑問がわくと同時にこれまでのことに納得がいった。
 手に取るように相手の動きが読めたのは、それがライルだったからだ、と。
 そしてぞっとする。
 自分は家族を手にかけようとしていたのだと。
 そんな思考をかき消すようにもう一度ライルから声がかかった。
「そのナイフ戦、見届けてやる。来い。」





「そいつ、死なねー程度に応急処置だけしてやってくれ。ちゃんと閉じ込めといてくれよ。」
 ライルは二人をトレミーに運ぶと、有無を言わせず再び戦場に戻った。


 ニールはレストルームでひとり戦闘の光を眺めていた。
 ただ、眺めていた。
 これからのことを考えなくても済む様に。

 自分はサーシェスを殺すのだろうか。
 それとも、殺せないのだろうか。









 ニールが生きていたことに驚くクルー達をよそに、ライルは帰って来るなり兄とサーシェスを連れてトレーニングルームへ向かった。
「俺も立ち会う。」
 刹那がそう言ってブリッジを出ると、他のメンバーもそれに続いた。
「…止めなくていいの?」
「けじめをつけたいのならやればいい。」

 ナイフを持ち、二人は向き合った。
 ニールはふいっと視線をナイフに落とす。
 正直、技術だけで言えば勝つ自信はなかった。
 しかし、今サーシェスは怪我をしている。充分なハンディだ。
 でも…いいのか?と再び疑問が浮かぶ。
 そんな事を考えていると、サーシェスがナイフをニールに向けた。
「ギャラリーが増えて、やりにくいってか?」
 ニッと笑う。
「わりぃが俺はそれでも本気でやらせて貰うぜ。死にたくねーんでな。」
 誘うような勝気な表情。
 よく知っている。その顔。
「兄さん。どうする?」
 ライルに問われてもう一度手の中のナイフを見た。
「やる。…進むために…。」
 静観するクルーの中で、始まった。





 サーシェスは怪我をしているとは思えない動きで、ニールを圧倒した。
 手を抜いているつもりはないのに、反撃はすぐに切り返される。
「どうした!!それで本気かよ!二ール!!」
「うるせーっ!」
 ちょっとしたすきを突かれ、ニールは足を取られて転んだ。
 ハッとして見上げる。
 負けた。
 殺される。
 そう思って身構えたのに、サーシェスは動きを止めた。
「…なんだよ…殺すんだろ?」
「馬鹿かテメェ。周りが敵だらけだってのに、お前を殺したらその後俺はやられちまうだろうが。それに…。」
 そう言って微かに笑む。
 それは、たまにしか見せない笑み。
「もったいねーだろ?…折角の相棒なのに…よ…。」
 直後、サーシェスは崩れ落ちた。
「アリー!?」
 額を脂汗が流れた。
 体を見るとさっきの怪我の辺りから出血している。
 もう一度名を呼んでから、ニールは唾を飲み込んだ。
「…頼む…。」
 皆の方を振り向く。
「コイツを…治療してやってくれないか。」
「いいのか?」
 刹那が静かに聞き返した。
「…ホラ、アレだ…。その…、コイツに一度助けられてるから、サ、借りは返しとかねーと後味わりぃだろ?」
 困った様に視線を逸らして、ニールはそう答えた。










「よう、気分はどうだ?」
 サーシェスがベッドの上で動けずにいるところに、ライルは笑みを浮かべて近付いた。
「…最悪に決まってんだろ。」
 思った通りの返答に、クスリと笑う。
 何か用かよ、と嫌な顔を見せるサーシェスに、ライルは言った。
「あんたも結構いいとこあるなと思ってよ。」
「何がだ。」
 憮然と返す。
 ライルにだって充分にサーシェスを殺す動機はある。
 それなのに何を言い出すのかと、チロッと睨んだ。
 すると。
「兄さんが勝ったらあんたを殺すか生かすかをまた悩まなくちゃいけない。だから、あんたは勝たなくちゃいけなかったんだろ?無理をしてでも。」
 そんな事を明確に考えていた訳じゃない。
 確かに、ニールが勝てば苦悩するだろうとは思ったが。
「死にたくなかっただけだ。勘ぐるな。」
「兄さんを殺さなかった。」
「お前がこんなとこに連れてくるからだ。」
「命を掛けた真剣勝負だっていったのは、あんただ。」
「うるせーな。じゃあ、アイツを殺さなかったってことを恩に着せて、優遇して貰うぜ。」
「それは無理だな。兄さんもあんたを助けた。貸し借り無しだ。」
「アイツが死にそうになってんのを拾ってやったのは俺だぜ?」
「それはあんたとの戦闘でそうなったんだろ?差し引きゼロだよ。」
 チッと舌打ちをしてサーシェスは目を瞑った。
 それを見てライルは背を向けた。
 部屋を出る前に小さく振り向く。
「大人しくしとけよ。ヘタな事をしてあんたが死ぬようなことになったら、『折角の相棒』がガッカリするぜ?」
「ご忠告どうも。」






「元気そうだったぜ?」
 長椅子に座っているニールを見つけ、ライルは声を掛けた。
 そうか、と言って苦笑いを見せるニール。
「見に行かないのか?」
「…どうしていいか…分んなくってな。」
「…憎いのか?」
「…まあ、そうだな。お前は?」
「…まあ、程々に、憎いかな。」
「…とんでもねぇ野郎だからな…。」
「生かしとくのはまずいかな、と思ったりはするけどな。」
 肩を竦めてそう言ったライルに、ニールは哀しげな表情を見せる。
 これからまだ、殺すかどうかを悩まなくてはならないのか。
 そんな事を考えていると、ライルが言った。
「改心するとは思えねぇけど、一人で俺たち全員を敵に回すほどの馬鹿でもねぇんじゃねぇの?」
「…だよな…。」

 複雑な胸の内は説明しきれない。
 憎しみと同時に情愛もある。
 あの時間は何だったのか。
 全てが嘘だとすれば、あの優しげな笑みは何を意味するのか。
 元々殺す気がないなら、無理をしてまで勝負をした意味は何だったのか。



 刹那のことをふと思い出した。
 あいつもアリーのことを信じ切っていたことがあったのだ。
 あいつなら、この答えを持っているかもしれない。





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