『刻の止まった部屋』シリーズ

刻の止まった部屋



(まったく…厄介なものを拾っちまったな…。)



 サーシェスは出窓部分に腰掛けると、煙草に火をつけた。

 ちろっと窓の外を見て、またすぐ部屋の中に視線を戻す。



 サーシェスの言うところの「厄介」は、朝から出かけたきり戻って来ない。

 今は午後7時を回ったところだ。



(飯も食わねーで、どこほっつき歩いてやがんだ…)

 そう思ってから、ちっと舌打ちした。

「俺は母親かっ! 大体あいつはいい大人なんだ。」

 ほっときゃいいんだ、とぶつぶつ言って煙草を吸う。



 そう、「厄介」はもう成人した男だ。

 お金も「持たせて」あるし、出かけたのも本人の意思なのだから、普通なら心配の必要はない。

 普通なら…。



(普通じゃねーから困ってんだっけか…。)



 その男の普通じゃないところは、まず病み上がりだという事。

 瀕死の重傷を負ったのは随分前だが、最近普通に動けるようになったところだ。

 もっと問題なのは、彼が記憶喪失である事。

 そして、その影響かどうかは分からないが、四六時中ポーっとしている事。



 そんな手のかかる相手をサーシェスが「拾って」しまったのは、気まぐれとでも言おうか。

 もっともサーシェス自身は、拾った当初、利用価値があると判断したのだし、今となっては「魔がさしたんだ」と言うだろう。



 ともかく、彼は拾ってしまったのだ。

 命脈尽きそうな男、ロックオン・ストラトスを。




 カチャッ。

 ドアの音がして、「ただいま。」という声が聞こえた。



 サーシェスは指に挟んだ煙草に口をつけたまま、部屋の入口をじとっと見やる。

 足音が近付いてその人影が入口に見えると、機嫌悪く声を出した。

「よお。」

「ただいま、アリー。」

 馴れ馴れしく名を呼ぶ相手に、ちっと舌打ちする。

「てめ。何処行ってやがったんだよ。帰って来ねー奴の飯なんか、ねーからな。」

「…ごめん…。」

 笑顔だったロックオン──ニールの顔が、とたんシュンとなった。



 戦闘時の会話で彼の名がニール・ディランディだということを知ったサーシェスは、彼にそのまま名を教えていた。

 利用価値があると踏んで世話を焼いたせいで、ニールの中でサーシェスは命の恩人であり保護者のようなものと認識されている。



 俯くニールに溜め息をつく。

「…何も食ってねーのかよ。」

「…うん。」

 ニールは子供のようにこくりと頷いた。

 はいはいそーですか。と呟きつつ、サーシェスは煙草を持った方の手の付け根を額に当てると、苦虫を噛み潰したような顔をニールに向けた。

「ん。」

 くいっと顎で冷蔵庫を示す。

「?」

 キョトンとするニール。

「冷蔵庫。開けろ。」

 ニールはサーシェスの言葉に大人しく従う。

 その様子を眺めて気付いた。

「…何だ?そのボール。」

 腹が立っていたせいで見逃していたが、ニールはオレンジ色のボールを抱えていた。

 冷蔵庫を開けて次にどうすればいいか困っているニールに中のピザを温めて食べるように言い、「温め方は分かるか」とわざわざ聞いて相手が「レンジに入れて温めボタン」と答えると、またボールのことを尋ねた。

「…で、何だよ、それ。拾ったのか?」

「…買ったんだ。」

 ニールはピザを温め始めると、ボールを持ち上げて眺めた。

 嬉しそうな笑顔。

(何だってんだ…?)

 それはバスケットボールくらいの大きさのゴム製のモノだ。

 どうせならバスケットボールにすれば良かったのにと思ってそう言うと、ニールははにかむように笑った。

「…これが…欲しかったんだ。」

「…あそ。」



 食べ始めたニールの足元に転がるボールが目に入り、サーシェスは煙草を消すと、何となく拾い上げた。

 軽く投げ上げ、くるくるっと指の上で回す。

 すると急にニールが立ちあがり、ボールを奪い取った。

 サーシェスがあっけに取られていると、ニールはぼそっと言った。

「…壊れる…」

(は?)

 一瞬耳を疑い、確かに相手が「コワレル」と言ったと思い返して顔をしかめた。

「バカかお前。われる、とか、やぶれる、とかならともかく、ボールが壊れるかよっ。」

 ニールはしばし固まり、苦笑いをして見せた。

「…そ、そうだよな…。何言ってんだろ…オレ…。」

 変だなーと、自分でも首を傾げている。

 自身の言動に戸惑いながらも、ボールを抱えたまま離そうとしない。

(コワレルってことは…機械だよな。球体のメカでも身近にあったのか? しかも、んなに大事な…。)

 CBにとって何か重要なものなのかとも考えたが、ニールのボールを見る表情は嬉しそうで、何と言うか…。

(ペットでも見てるみてーに…)

 成人した男がペットロボットを可愛がる図。

 サーシェスはうんざりしながら、また、残りのピザを食べるように指示した。

「あ゛~、もう、分かった。そのボールには触らねえから。置けっ。」

 渋々といった感じで、ニールはボールを置いた。




(ったく、ポヤポヤしやがって。)

 拾ったことを後悔してはいながらも手元に置いているのは、まだ利用する術があると思っているからだ。

(頭が空っぽの今の状態なら、洗脳は楽なもんだ。)

 一度CBの事を批判した記事を見せ、「CBってのはひでえ奴らだ」と言ってみたら、特に拒否反応もなく頷いていた。

(問題は…戦闘能力…か。)

 戦えない、記憶もないじゃあ何の役にも立ちはしない。

 サーシェスが今ニールに期待している事と言えば、ガンダムのパイロットに選ばれるほどの戦闘能力だ。

 あの時、右からの攻撃に反応が鈍かったのは右目につけていた眼帯を見て納得できた。

 その状態であれだけの戦いぶりを見せたのだ。否応なく期待してしまうというものだろう。

 怪我は完治した。目の再生も問題ないようだ。

(モビルスーツに乗せてみりゃ、シャキッとするかもな。)

 しかし、それで記憶が戻ってしまってはまた厄介だ。

(…とりあえず、洗脳だな。)



 そんな事を考えているうちに、ニールはピザを食べ終え、ボールを抱えてソファでうとうとし始めた。

(…腹がふくれたらおねむかよ。幼児かっ。)



 オレンジ色のボールを抱えて眠りに落ちていく。

 サーシェスはすぐ傍にしゃがんでその様子をしばし眺めた。

「…おいこら。殺すぞ。」

 ニールはすっかり寝入ってしまって、サーシェスの声には反応しない。



 静かな部屋。

 そこはまるで異空間で。



(ったく。まるで時間が止まったみてーだ。)



 時間を止めた主は、すうすうと寝息を立てている。

「まあいいさ。ゆっくり休めや。明日からお前は別人になっていくんだ。」


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