遙か彼の地にいる君
「あり得ない判決だったな。」
裁判所を出たところで、ティエリアは口を開いた。
「10人近くも殺しておいて、執行猶予付きとはね。」
呆れたように溜め息をついたティエリアに合わせるようにライルは肩を竦めて苦笑して見せる。
リボンズ・アルマークの絡んだ事件はやっと正規の捜査がなされ、明らかにされた。
元ソレスタルの社員たちも証言台に立ったり、傍聴したりと裁判所に足を運ぶ機会が多かった。
この日はアリーに対する判決が出る日だった。
普通ならいくら強要されたとはいえ何度も殺人を犯しているのだから、実刑が下されて当然だ。
しかしアリーは用意周到だった。
というより、元々持っていた狡猾さが功を奏したというべきだろうか。
『癖』が役に立ったのだ。
彼は顧客との会話を全て録音していた。
株の儲け話を持ち掛けても必ず自分には責任が掛からないように逃げ道を作っておく。
損をした顧客が文句を言っても、100%ではないことは先に申し上げましたよと返す。
それでも納得せず、もし万が一騙されたなどと言いだして訴えられた時の為に、その録音した音声を全てデータに残しているのである。
リボンズに会う時も例外ではなかった。
あの手術をされた時は流石に準備の余裕がなかったが、それ以降はいつも通り会話を録っていたのだ。
アリーの証言により彼の部屋から押収された大量のデータは一つ一つチェックされ、証拠として使えるものが裁判で取り上げられた。
その中には、苦痛に苦しむ彼の声と、高圧的な物言いで殺人を依頼するリボンズの声が入っていた。
それは証拠として充分な効力を発揮した。
彼は24時間命の危険にさらされながら、それでも殺人の依頼には拒否の意を示した。
もちろん録音しているからこその拒否だ。
その甲斐あって、毎回苦痛を与えられそれによって仕方なく犯行に及んだのだという印象を陪審員に植え付けることが出来た。
「なかなか、賢しい人だね。」
「狡猾というのだろう。」
アレルヤと刹那もティエリアの言に頷いてそう言った。
何にしても、とティエリアはニールを振り返る。
「もう、僕のボディーガードはいりませんよ。今日ここでクビにします。」
そう言って裁判所の出口を示した。
そこにいろ、と。
「え…。」
「待っていればそのうち出てくるでしょう。彼には執行猶予が付いたのだから。」
「そうそう。まだまともに喋ってねぇんだろ?」
ライルがティエリアの言葉に続けてそう言ってウインクをして見せた。
困った様にニールは上目使いで皆を見る。
「まあ…そうだけどさ…。…い…いのか?」
「執行猶予期間を素行良く過ごす為には、必要な人材だと思いますよ、あなたは。」
事件にかかわったことが明るみに出た所為で証券会社からは解雇されてはいるが、アリーは元々きちんとした社会生活を送っていた。多少のルール違反は度外視するとして。
『素行の良いフリ』は難しいことではないだろう。
「別に俺達はどうしろと言うわけじゃないが…まあこのままティエリアの邸宅に入り浸っても俺は構わない。」
「君は構わなくても僕が構う。仕事も持たずにうちにたむろしようというなら全力で追い出します。君達もね。」
「あ、僕、ティエリアのボディーガードになろうかな。傍に居ればいいんでしょう?」
「断る。」
「暴漢が来たらアレルヤはティエリアの陰に隠れそうだよな。」
「…あり得るな。」
「ひどいよみんな~。」
アハハ、と笑い合う仲間を見て、ニールもクスッと笑った。
「…じゃあ…わりぃ、お言葉に甘えることにするよ。…ありがとな。」
じゃあ、と皆が歩き出す。
ふとティエリアは足を止めた。
「ああ、忘れるところでした。彼に伝えてください。自由になったらその足でイオリアの墓参りに行けと。それで僕は全てを水に流します。」
「ああ、分かった。嫌がっても引っ張ってくぜ。」
アニュー・リターナーも実刑にはならずに済んだ。
騙されていたことと真摯に反省していること、そしてリボンズの逃走を阻止したことが判決を下す材料として大きく取り上げられた。
今は弁護士の指導のもと、新たな生活を始めている筈だ。
ライルはそのサポートを喜んで買って出るのだろうとニールは思っている。
じゃあ自分の出来ることは?
まだ職もなく、住む場所もこれから探さなくてはいけない(それはライルも同じだが)。
アリーだってあのマンションを出なくてはいけないだろう。
そんなことをあれこれ考えていると、後ろからパコンと頭を叩かれた。
「てっ…。」
「よ。」
振り向けばアリー。
どうやら弁護士と別れたところらしい。
ペコ、と会釈をして弁護士が去っていく。
アリーもごく小さく会釈を返した。
裁判所の敷地を一歩出たところで、アリーは唸った。
「信じらんねぇ、10年だぜ、10年。10年も素行良くお利口さんやってろって?」
「執行猶予付いただけでも異例の判決だろ?」
「んなこた分かってるよ。問題はこの10年をどう誤魔化し続けるかって話だ。」
「誤魔化す必要ないだろ?普通に暮らせば問題ないと思うけど。」
「お前には普通でも、俺には違うんだっ!」
思いっきりしかめっ面をするアリーにニールは苦笑いを向ける。
「そんなに言うならもう少し心象良くしとけばよかったのに。涙ながらに訴えるとかさ。」
胸に埋め込まれた装置とアリーの録っていた音声データで犯行は仕方ないものだったとされたが、陪審員の意見は最後まで割れていた。
半数が「彼は命の危険がなくても犯行に及んでいた可能性がある」と考えていたのだ。
それは裁判でのアリーの態度が少なからず影響していた。
淡々と事実だけを語る様からは反省の色は見いだせなかった。
もしかしたらあの音声は演技じゃないのか、作られたものじゃないのかという声もあったらしい。
偽装工作の疑いは解析により否定されたが、殺人を犯す者は回数を重ねる度、感覚がマヒしていくものだ。
本当に人を殺すことに罪悪感や嫌悪感を持っていたのか疑わしい、ということだ。
しかし最終的に擁護派の「それならば尚更、死ぬ思いで苦痛を受け入れる筈がない。」という主張が真実味があるとされ、執行猶予がつけられたのである。
「…お前が見てんのに、ンなかっこ悪いこと出来るか。」
そっぽを向いて、アリーが小声で言った。
そんな嘘で塗り固めた証言をニールの目の前でやるわけにはいかない。
十中八九、ニールの中でアリーを見る目が変わってしまうだろう。
「ん?何か言ったか?」
「いんや。」
道路わきの石垣に軽く腰を下ろし、アリーは疲れたという風に溜め息を吐いた。
「煙草。」
差し出されたアリーの手を見て苦笑する。
「持ってるわけないだろ。俺吸わないんだから。」
「…ンだよ…。」
チッと舌打ち一つ。
そしてもう一度大きく溜め息を吐く。
何ヶ月も拘留されていたのだから当然かとニールは苦笑いでその様子を見下ろした。
するとアリーが口を開く。
「遠かったな。」
「ん?」
「お前のとこまでさ。」
クスッとニールは笑った。
「アンタが俺を遠ざけたんじゃないか。」
それに対し、アリーは「ちげーよ。」と返す。
「遠かったさ、最初から。お前と俺は、対極に居ただろ?」
対極、とニールは相手の言葉を繰り返した。
そうか、…そうだ。
俺達は手の届かない場所に居た。
同じ場所に居ても見ている世界は違うのだと感じたあの感覚は、間違いではなかった。
一番自分を理解してくれていると思った相手が、どんなに手を伸ばしても届かない場所に居たのだ。
そう思うと、今ほんの一歩の距離に居ることがこの上なく嬉しい。
ニールは自然と泣き笑いの表情になる。
「ばーか。」と言いながらアリーは立ち上がった。
「…なんだよ、それ。」
ムッと拗ねて見せるニールに、一歩アリーは近付く。
身体が触れ合う距離。
恋人の距離。
「仕切り直しだな。」
「え?」
「初めっからやり直しだ。」
そう言うと、アリーは姿勢を正し、表情を引き締めた。
「映画館でお見かけしましたよ?お名前を教えていただけませんか?」
別人の様な口調と表情。
まるで紳士だ。
一瞬の間が空いて、ニールが噴き出した。
「あはははっ、胡散臭いって。『よお、ライル。』じゃないのか?」
「嘘は嫌いなんだろ?」
肩を竦めてニッと笑うアリー。
その顔を見上げ、ニールはいつもの彼の表情を好ましく思う。
「いいさ。…アンタが付く嘘なら…好きだ。」
はにかんだ様にそう言ったニールの腰に手を添えて、アリーは少し身を屈める。
「そいつはどうも。」
そう言ってゆっくりと
本当に久しぶりの
キスをした。
fin.
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