遙か彼の地にいる君
「あ゛~!!チクショウ!!」
ティエリアの屋敷、客間の和室に入って来るなりハレルヤは机を蹴とばして畳の上に寝転がった。
「…用もないのに来るなと言わなかったか?」
呆れたようなティエリアの声に、ハレルヤはちろっと一瞥を向ける。
「んあ?…ああ、はいはい、用があるから来たんだよ。」
「所用を帯びた客人とは思えない態度だがな。」
「近・況・報・告。」
ハレルヤはそう言って体を起こした。
あからさまな溜め息を吐いて、ティエリアが上座に腰かける。
その様子を苦笑いで眺めつつ、ニールもほど近いところに落ち着いた。
アレルヤから連絡を受けたハレルヤが現場に到着したのは、別で呼んでいた消防車が来たのとほぼ同時だった。
当然まだハレルヤ以外の警察の人間はいなかったのだが。
「オレは一番乗りで現場に行ったんだぞ!?それなのによ~!」
またハレルヤは低く唸った。
刑事として警察に勤めている彼は当然その捜査に関わろうとしたのだが、あっさりとチームから外されてしまったのだった。
「君の素行の悪さが原因じゃないのか?」
「ちげーだろっ!!」
捜査が手抜きなのは言うまでも無かった。
ソレスタルの社員の証言はほぼ無視され、火事の火元はあの時アニューが言った通りに資料室だと決定付けられた。
「ゼッテー上からの圧力だ。」
はあ、とまたティエリアが溜め息を吐く。
「そんな分かり切った話をしに来たのか?」
あの時現場に居たアニューとライルは、アルマークグループの引き抜きに応じて本社に出向いていたという体裁がとられていた。
そしてそれは真実として扱われている。
つまり、あの時間に二人が現場に居たという証言をしたソレスタル側は嘘を吐いているという事になってしまう。
現にあの事件はソレスタルの自作自演だという方向で捜査が進められている様だ。
「アレルヤの奴、挙動不審だとか言われてこってり絞られてやがる。いい気味だ。」
肩を竦めたハレルヤを見て、「おいおい。」とニールが呆れた声を出した。
「無実の兄貴が取調受けてんのに心配じゃないのか?可哀想に。」
真実を捻じ曲げて捜査している警察で絞られているという事は、下手をすれば嘘の証言を強要されるだろう。
「アイツを見くびんじゃねーよ。」
ハレルヤは座卓に肘をついてニールの顔を指差した。
その顔はふふんと勝ち気に笑っている。
「アイツは馬鹿が付くほどお人好しだがな、これまた馬鹿が付くほど正直者なんだよ。嘘の証言をさせられるなんて理不尽な扱いに屈するような弱え男じゃねぇ。」
ティエリアとニールは顔を見合せて笑んだ。
「…なんだよ。」
ムッとハレルヤが顔を顰める。
「いや?君が彼を誉めているのを初めて聞いたから、少し驚いただけのことだ。」
「そうそう。」
ゆるんだ口元を隠すティエリアとは対照的に、ニールはにまっとあからさまに笑って見せた。
「ばっ!…ほ…褒めてるわけじゃねー。馬鹿だってんだよ、救いようがないくらい。」
ハレルヤは赤面して顔を背けた。
拘束されていたソレスタルの社員はほどなく解放された。
証拠不十分、という事らしい。
もとより彼らが犯人ではないのだから、証拠などある筈がないのだが。
それでも世間では、あの火事が業績不振でアルマークグループに逆恨みしたソレスタルの社員によるものだという見方が定着してしまった。
当然取引先からは縁を切られ、事実上、会社は倒産した。
イオリアが仕切っていたグループは解体され、ティエリアに残ったのは遺産の土地と屋敷のみになった。
そしてその土地の大半も、これまでに負った負債の穴埋めのために手放すしかなかった。
「別に痛くもかゆくもありませんよ。」
ティエリアは事も無げにそう言った。
「筋書通りってやつですか?」
アリーがテレビの報道を眺めながらそう言うと、リボンズはニコッと笑う。
「そういうこと。もう少しだね。あの屋敷が僕の物になるのも。」
「それはそれは。」
じゃあ彼の事は頼むよ、とリボンズは傍にいるライルを示した。
軽く会釈をしてアリーはライルを促す。
向かう先は地下の射撃訓練場だ。
リボンズは先々彼にも『特別な』仕事をしてもらうからとアリーに射撃の指導を命じた。
アリーにそれを拒否する理由はない。
自分から飛び込んでくるとは浅はかな奴だとライルを一瞥しただけのことだ。
「どうだ?居心地は。」
歩きながらアリーがそう問うと、ライルはニッと笑って見せた。
「高待遇だぜ?給料の額も仕事内容も申し分ない。」
「この先何をやらされるか分かったもんじゃないってのに、呑気だな。」
「アンタの生き方に倣おうと思ってね。」
「そいつはいい覚悟だ。」
ライルの射撃の腕前は知らないが、そこそこの成績だったという事だけは聞いている。
面倒な基礎を教える手間が省けるのは有難いことだった。
アリーは普通の的に使う用紙は無視して、奥から別のものを出してきた。
それをセットして30m先まで送る。
スーッとその用紙が離れていくのを見て、ライルは眉を顰めた。
「…あれ何だ?」
「スコープ覗けば見えるだろ。」
言われてライフルを構えてみる。
そこにはアルファベットが並んでいた。
赤のA~Z、青のA~Z、といった具合に全部で100文字ぐらいはあるだろうか。
「緑のM。」
アリーはくいっと顎で的を示した。
それを狙って撃て、と言っているのだと一瞬の間の後理解し、ライルは構える。
じっと的を見て、トリガーに指を掛けたところで、ライルは思案していた。
なかなか撃たないライルの後ろでアリーは煙草に火を点ける。
「早くしろよ。俺は暇じゃねーんだ。」
「うるさいな。集中してんだよ。」
言いつつトリガーを引く。
バンッという音がこだまして響き、心地良い衝撃がライルの肩にかかった。
アリーが持っていた双眼鏡で的を覗く。
「…馬鹿かテメェ。」
大外れの弾はRの文字を打ち抜いていた。
「うるせぇな、次は本気だ。」
その後も一向に緑のMには当たらない。
数発撃ったところで一度ライルは銃を下ろした。
「当たるまでやれ。」
顔を顰めてアリーがそう言うと、ライルはキッとした顔を向けた。
「ちゃんと見てるだろうな。」
「はあ?」
見て欲しかったら当てろよ、と言いかけて、アリーはふいっと裸眼を的の方に向けた。
さっきまでのライルの打ち抜いた文字を思い浮かべて理解する。
『Read me』
読めと言っている。
アリーはライルの銃を奪って構えた。
「見本を見せてやる。」
パンパンと連続で二発。
『OK』
ヒュウッとライルは口笛を吹いた。
「流石だな。記録保持者は。」
「胸に埋め込まれた装置を壊せるかもしれない」とライルは言った。
眉唾もんだとアリーが返すとライルは勝ち気に笑う。
「俺の専門だぜ?」
アニューと共に研究の仕事に就いたライルは、偶然その装置の設計図を目にした。
最初はその設計図の存在を知った程度で詳しく見ることはできなかったが、時折こっそりとみては頭に焼き付けた。
「任せろよ。」
「期待しないで待ってるよ。」
というような会話でその日の射撃訓練は終わった。
「アニューがさ…。」
ライルがボソッと言う。
「んぁ?」
「あの火事に巻き込まれて怪我した女の子がいたろ。小さい子。」
「ああ、燃え移ったって?」
ソレスタルの社屋のすぐ横に住宅街があった。
強風にあおられて飛び上がった火のついた段ボールが、運悪くその家に落ちたのだった。
「アニューがそのニュース見る度…さ…。」
泣きそうな顔をするのだとライルは言った。
「ま、どうでもいいけどな。」
おどけて肩を竦めて見せる。
「あのネェちゃんには似合わねぇ仕事だったな。」
「リボンズに恩を返すんだってさ。」
「律儀だねぇ。」
茶化すようにアリーが言ってもライルも気を悪くする様子はなく、アハハと笑って見せた。
アニューの感傷に引かれている様子を見せるのは得策ではない。
それはリボンズへの反感に繋がるものだ。
特にアリーと行動を共にする以上、手堅くリボンズに服従している風を装わなくてはいけないだろう。
少しでも怪しいそぶりを見せれば立場が危うくなる。
ライルは常に感情をセーブするように気を付けていた。
「くぅっ…。」
何度目か、アリーは身の内から発せられる苦痛に声を漏らした。
何度受けても慣れることのない苦痛。
そんなものを喜んで受けるつもりなど無いが、彼は何度でも拒否の意を示す。
「懲りないね、君も。どうせ言うなりになるんだから、最初から聞けばいいものを。」
「…言ったでしょう?…トカゲの尻尾はお断りです…。」
「でも、聞くしかないだろう?」
「…それにしたって…今回のはないでしょう。それこそプロの仕事だ。」
まだじっとりとかいた汗が引かないまま、アリーは体を持ち上げた。
断るのは毎回の事だが、今回は心底願い下げだと言いたい内容だった。
アルマークグループの重役の一人を、自殺に見せかけて殺せというのだ。
遠くからの狙撃なら人に目撃される危険性も低いが、自殺に見せかけるという事はすぐ傍まで行かなくてはならない。
その人物の取り巻きと顔を合わせることになるだろう。
そして、自分はお世辞にも目立ちにくいとは言えない風貌だと分かっている。
たとえリボンズが手を回して捜査に細工をしたとしても、反対勢力にそれを覆されればあっさりと切られる運命だ。
「どうやったって証人は複数出てくる。それをどう抑えるおつもりで?」
「まあ、うまくやるさ。君は僕の言うとおり動いてくれればいいから。」
何処まであてになるんだか、と訝しげな顔を向けるとリボンズは手の中のリモコンをいつものように見せる。
「それで?やってくれるよね?」
「…分かりましたよ。」
「いい加減飽きないかい?このやり取り。」
「そちらこそ飽きていただきたいんですがね。」
苦り切った顔でそう返すと、リボンズはクスッと笑った。
「それは残念だったね。こっちは楽しくてね。」
リボンズが自分の配下の者を殺す決断に至ったのは、ティエリア側の動きに圧されてのことだ。
ハレルヤが自分の手足の様に使っているチンピラたちの情報網を駆使してアルマークグループの良からぬ噂の裏付けを取り、またその証言をしてくれる人物の保護や説得をソレスタルの社員たちが行った。
その人物の告発でリボンズの所まで持って行くのが彼らの目的だったのだが、それを回避するため、告発を受けた内容はすべて一人でやった事としてその責任を取って自殺した、という体を取り繕おうというのである。
「仲間を殺したってのか?」
ニールはアルマークグループ重役自殺のニュースを見てティエリアに訝しげな顔を向けた。
「あなたは甘いんですよ。彼にとっては重役だろうと手駒の一つにすぎません。」
甘いと言われ、返す言葉がない。
ふいっと気まずそうに視線を逸らすとティエリアも目を伏せた。
「いえ、甘いのは僕も同じですね。…一手取られました。リボンズはまだ悠々とトップに座っている。」
「…無理なのか?アイツを撃ち落とすのは…。」
「そうでもないと思いますよ。こちらにはまだカードがある…いえ、カードを入手しつつある。」
使い方次第です、とティエリアは顔を上げた。
口角を上げるその表情はまだ負けるつもりはないと言っている。
自分よりも年若いこの青年の纏う空気は、いつでも確固としていてゆるぎない。
ニールは守る任に付いていながら時折その空気に助けられているのだ。
「みんな頑張ってんのに…俺は役に立ってないな。」
ぼそ、とニールが独り言のようにこぼした。
それを受けてティエリアは傍に歩み寄る。
「そんなことはないでしょう?僕はあなたに守られている。」
「リボンズがお前に言ったことはただの牽制だったのかもしれないだろ?」
「手を出すそぶりを見せないでおいて、僕が警戒を解くのを待っている可能性もある。あなたが僕から離れたら狙われるかも知れません。」
それはそうだ、と納得して軽く頷く。
もしガードを解いた途端撃たれでもしたら、ニールは一生後悔して過ごすことになるだろう。
こうなったら相手を突き崩して状況を変えてしまうまで、警戒を解くわけにはいかないのだ。
そして転機は意外なところからやって来た。
アルマークグループが自ら揺るぎ始めたのだ。
「やっぱ潮時だな。」
噂を聞きつけて、アリーはぼそと呟いた。
ティエリア側からの何回かの告発の回避に、数人の重役を犠牲にした。
その所為でリボンズのすぐ足もとで反乱が起ころうとしている。
やっと自分たちの置かれた立場を理解したといったところだろうか。
リボンズについていたところで、安泰などではないのだと。
その噂をどう使おうかとアリーは思案する。
リボンズに忠誠を誓っているのなら一も二もなく報告するのが当たり前だが、彼としてはどんな事象も武器として有効活用したいところだ。
「どうするんです?かなりヤバいですよ。」
そう報告したのは、噂をキャッチしてから二週間も経ったときだった。
もちろんアリー以外にそのことを密告する輩がいないことは確認済みだ。
そして、反乱は、もうその日に起こる予定だった。
リボンズは少し機嫌悪く眉間にしわを寄せたものの、ふん、と鼻で笑う。
「偉そうに言ったところで、皆僕に従うしかないのさ。僕を失脚させるという事は、自分たちも無事ではいられないんだから。」
今重役に付いている人物は皆、過去に何かしらの悪事を携えている。
リボンズを告発し、刑事責任を問うという事は、自らの悪事を暴くことなのだ。
それでも殺されるよりはましだと覚悟を決めてのことだというところまではリボンズは分かっていないようだ。
その甘さをアリーは内心で笑い、目の前のボスには「なるほど。」と感心して見せた。
数時間で動きがあった。
まずリボンズが手を回してそれぞれに脅しを掛ける。
それによって反乱分子の足並みが乱れるかと思えば、逆に結束が強くなったように見受けられた。
「こんな馬鹿な奴らだったなんて。」
リボンズはイライラと爪を噛んだ。
テレビを点ければ既にアルマークグループの暗部が取りざたされ、責任追及が始まるのだと報じている。
報道関係は以前からティエリア側の働きかけで準備があったため、反乱分子からの情報提供で一気に噴き出した状態だった。
当然リボンズの名前が最重要人物として挙がっていた。
本社前にもカメラが集まりつつある。
そして報道に圧される形で、警察が重い腰を上げたと情報が入った。
「…くだらない。僕が罪に問われることはないよ。手は回してあるからね。」
そう言って椅子から立ち上がった。
「何処に行かれるおつもりで?」
「あんな煩い輩とじゃれあう気はないんだよ。悪いけど、足止めしておいてよね。」
アリーに背を向け、リボンズは重役専用のエレベータに向かうドアを開けた。
そこにはライルとアニューが立っている。
「どちらへ?リボンズ。」
きっと唇に力を入れて、アニューが訊ねた。
「静かな所に行くんだよ。君も来るかい?アニュー。」
いいえ、と彼女は答えた。
そして二人は通路を塞ぐようにしてリボンズに正対した。
「どいてくれないか。」
「残念だけど、アンタの逃げ込む先はないぜ?リボンズ。」
「何を言っているんだい。」
ライルの言葉にイラつきながらリボンズが返す。
「アンタの頼みの綱の政治家は、もうアンタと手を切ると言ってる。行ったって入れてくれないさ。」
「…馬鹿な事を。」
「いいえ?本当の事です。」
「そろそろ手を引かないと、やばい事になるって教えてやったんだよ。」
勝ち気に笑うライルをギロッと睨みつけ、その隣のアニューに顔を向けた。
「で?君はどうして急に僕に逆らうんだい、アニュー。そんなにその男に惚れたの?馬鹿だね。いいの?僕を敵に回しても。」
違います、というアニューの返事に続いてその理由を言ったのはアリーだった。
「こないだ殺した奴…名前なんだっけかな…アイツから面白い話を聞いたんですよ。」
ムッとした顔でリボンズは振り向いた。
怒りの所為か、これからの事を案じてか、無言だ。
構わず続ける。
「そのねーちゃんの親は事故で死んだんじゃなく、アンタの差し金だったってね。」
「それを教えたのかい。」
「面白い話は黙ってられない性分でね。」
肩を竦めて見せる。
リボンズは震える拳にギュッと力を入れ、表情を戻した。
まるで何もなかったかのように口元をニッと引く。
「まあいいさ、僕は逆らう奴は嫌いなんだ。アリー、この二人、ここを退く気は無いみたいだから、殺しちゃっていいよ。」
さあ、と手で促している。
アリーは煙草を出しながら数歩、三人に近付いた。
「お断り、しますよ。」
「君は…」
またリボンズの表情が引きつった。
それは自分の置かれた状況に絶望してではなく、単なる怒りの所為だ。
「こんな時にまたじゃれあう気かい?」
「いんや?今度こそ、本気でお断りって話だ。」
「断る自由など無いって何度言えば分かるのかな。」
そう言って取りだしたリモコンを押した。
その瞬間、アリーはくっと表情を固める。
「え…。」
しかしいつもとは違い、アリーは倒れ込むことも苦しむことも無い。
リボンズはあからさまに表情を無くし、手にあるリモコンに視線を落として何度も押している。
「どうして。」
ふう、とアリーは息を吐いた。
やっと落ち着いて煙草が吸えるといった風に悠々と火を点けて煙をくゆらせる。
「すげえな。」
「任せろって言ったろ?」
笑い合うアリーとライル。
くっと悔しげな顔をして、リボンズは自分のデスクに駆け戻った。
SPを呼ぶ。
しかし足音は聞こえてこなかった。
「残念。SPはさっき俺達がのしちまったぜ。」
俺とアニューの二人で、とライルは笑った。
ほどなく警察が到着した。
政治家の加護をなくしたリボンズに罪の追及から逃れる術はない。
もちろんそれは、アリーにもアニューにも当てはまることではあるのだが。