遙か彼の地にいる君
「えー!?今日!?」
「んー。ダメか?」
その日になってニールは面接の事をライルに伝えた。
ライルは頭を掻き掻き困った顔をしている。
「バイト入れちまってんだけどなぁ…。」
「明日の為の予行練習だと思って行かないか?」
ちなみにそれがアリーから紹介されたものだとは言っていない。
そんな事を知ればライルは意地でも行かないと言い張るだろう。
『行かないと後悔する』と言ったアリーの言葉も気にかかるから、行かないという選択肢はニールの中には無かった。
ライルは暫し考えた後、仕方ないといった風に了承した。
メモにあった会社は主に物流に携わっていた。
ニールにしてもライルにしても、特にそこを志望する理由はない。
それでも滑り止めとしては程々だろうと思われる。
身なりを整え、気を引き締めて行ってみれば、二人は応接間に通された。
ソファに座るよう促され、そこで面接なのだろうかと思っていると、しばらく待つように言われた。
出された珈琲を飲んで時間を潰す。
「…客扱いだよな。普通は…違うよな?」
「…んー…、まあ、ここ結構小さいから就職活動歓迎な感じなんじゃないか?」
ぼそぼそと会話をする二人はまだ他の企業を回っていないから、普通がどういうものなのかは知らない。
こんな所もあるのだと素直に納得していた。
「やべ…。」
ニールは眉をひそめて目を擦った。
「どうした?」
「夜更かししたつもりねーんだけど…なんか…眠い…。」
「おいおい。」
見る間にニールはとろんとした目になっていく。
それに呆れた声を出したライルも不思議と眠気が来て、つられるようにあくびをした。
「面接に来てこれじゃ、即落とされちまうぜ。」
兄さん?と声を掛けても、ニールは既に眠りに落ちていた。
困ったな、と呟いたライルが目を閉じるのも、10秒とかからなかった。
揺られる感覚に、ニールは目を覚ました。
ハッと気付けば真っ暗で、しかも狭いところに押し込められている様だ。
状況が把握できず、一刻も早く外に出たいという衝動から壁を叩こうとする。
しかし、もしここに閉じ込めたのが人を殺すような危ない輩だったとしたら。
ニールは暴れ出しそうな己の衝動を押しこめ、耳をすませた。
揺れは車によるものらしかった。
車が止まる音がして、暫くすると声が聞こえた。
「いつもありがとうございます。」
商売人らしき男の声の間に、女の声が聞こえる。
「あら、コレ入荷したばかりなの?」
「はい、どうです?まだ充分に使えますよ。状態も綺麗ですし。」
「いいキャビネットね。おいくらかしら。」
「これでどうです?」
「あら、ちょっと高いわよ。これ位にしてくれない?」
「いやあ…それはいくらなんでも…。」
「いつも贔屓にしてるでしょ?」
「それはそうですが…これ位で。」
「もうちょっとまけてくれないの?」
「勘弁して下さいよ。」
その後も何度か同じようなやり取りをして、商談は成立したらしかった。
「じゃ、運んで頂戴。」
女の声の後、ニールの入れられた何かが大きく揺れた。
女が買ったのはこの入れ物なのだと理解してから、もしかして買われたのは自分だろうかとも思う。
別のトラックに載せられたのは分かった。
またしばらく揺られながら、どうするべきか考える。
女がニールの存在を知らずにそれを買ったのだとすれば、出て行っても危険はないだろう。
逆に協力して貰えるかもしれない。
そして、もしニールの存在を知って買ったのだとすれば、買っておいてすぐに殺すという事は考えにくい。
取り敢えず、命の危険はないだろうとニールは判断した。
すぐにどこかに到着し、女の仲間らしき者が数人やって来た。
運ぶ算段をしているらしい。
「うわっ!重いっすよ、これ!」
「頑張って、リヒティ!」
「アレルヤも呼んでくださいよ~。」
「彼は刹那と一緒に引越し屋をやってるわ。」
「ほら、行くぞ。力入れろ。」
「ラッセさんみたいにタフじゃないんすから~。」
「文句言う労力を腕力に変換しろ。」
またガタンと揺れたところで、今まで黙っていた別の声がボソッと言った。
「あの…開けて、出てきてもらえばいいんじゃないでしょうか。」
「あ、フェルトあったまイイ~!」
「起きてるかしら。」
自分の存在を知っている人間たちにしては何か和やかだなと思いつつ、それでも何を考えている輩か分からない以上気を引き締め、ニールは入れ物が開かれるのを待った。
「もしもーし、起きてますか~?」
そっと開かれたそこで覗き込んでいるのは、茶髪の若い女だ。
表情からは何も悪意を感じない。
と思っていると、ニールからは見えない所で暴れるような音と声がした。
「うわっ!」
「てめーら何者だ!」
「落ち付け!落ち着けって!」
覗きこんでいた女も驚いた顔をそちらに向けている。
ニールは慌てて外に出た。
ライルが男二人と格闘をし、その片方、ひ弱そうな男の首に腕を回して締めあげようとしていた。
「ライル!」
「兄さん!無事か!?」
男を人質に取ったような形でこちらを見るライルは、ニールを見つけてホッとしたようだった。
「…そっくり。」
ボソッとまた、フェルトと呼ばれた少女が呟く。
その空気があまりにも平和すぎて、乱闘を起こしたライルはバカバカしくなったらしく力を抜いた。
「…ったく…なんだよこの状況は。」
銃を突きつけられるわけでもなく、丁重に扱われて二人は会議室の様な部屋に連れて行かれた。
二人を保護したのだと、入れ物になっていた家具を買った女、スメラギ・李・ノリエガが言った。
「保護?」
「ええ、アルマークグループに狙われてるから保護するようにと。」
スメラギがそう言うと、その後ろでリヒティという先程ライルに首を絞められかけた男があっけらかんとした声を出す。
「なんせイオリア直々のお達しだったんすから。」
「イオリア・シュヘンベルグ?」
驚くことばかりで返す言葉がない。
しばらく身を隠した方がいいと言われて二人は顔を見合わせた。
「そう言われても…俺達大学もあるし、バイトだって…。」
「大学はもう編入手続きを済ませました。バイトの退職も滞りなく。」
無表情でそう答えるピンク色の髪の少女はフェルトだ。
「編入!?」
「退職!?」
二人して声を上げた。
「ちょっと!いくらなんでもそいつは勝手すぎるだろ!」
「そうだ!稼ぎがなくなったら生活だってままならないじゃないか!」
仕方なかったのよ、とスメラギが困り顔を見せる。
その横で茶髪のクリスティナがファイルをめくった。
「極力そちらに影響のない形にはしました。学部は編入先にも同じものがありましたし、部屋は勿論こちらで用意させて貰います。あ、もう引っ越しは終わるころだと思います。前の部屋の家賃もきちんと払っておきましたからご心配なく。」
「ここでの生活の事も心配いらないわよ?社員寮に住んでもらう事になるから、食事もそこで準備されてるし。」
至れり尽くせりではあるが、全て二人には事後承諾だ。
そして危険があると言われればここを出ていくこともままならない。
「あなた達の場合、一定期間身を隠せばリボンズ側での利用価値はなくなるそうだから、その後は自由にしていいのよ。うちの会社への就職を強要したりはしないわ。まあ、アルマークグループへの就職はお勧めできないけど。」
案内された部屋にはもう二人の荷物が運び込まれていた。
「すべてある筈だ。極力気を付けて運んできたが、もし壊れた物があったら言ってくれ。」
刹那という男はまだ少年と呼べる程度の歳に見える。
なぜこの会社に居るのか気に掛かってニールは訊ねてみた。
「俺も保護された人間だ。リボンズ・アルマークの悪事を暴露しようとした両親が殺された。」
淡々と答える刹那の表情には哀しみも怒りも浮かんではいない。
アルマークグループが裏で行っている様々な悪事を、彼は知っている様だ。
「…ダメだって言われたんだ。アルマークグループはやめとけって…。」
ニールがボソと呟いた。
「…アリーか?」
ライルがそう聞き返すと、アリーという名に刹那が反応した。
「アリー・アル・サーシェスか。」
「え…ああ…知ってるのか?」
「アイツはリボンズ側の人間だ。関わらない方がいい。」
刹那がそれだけ言ってくるっと向きを変えて行ってしまうのを見て、一緒に居たアレルヤは慌てて追いかける。
「あ、刹那!あ、あの、片づけに人手が要るようならまた呼んでください。」
刹那~!とまた呼んで、彼は走って行った。
「…面接…アリーからの紹介だったのか?」
ライルがアレルヤを見送りながらそう訊いた。
「…ああ。…行かないと後悔するって…。…どういう事だよ…。」
二人を助けてくれたのがアリーだとするなら、「リボンズ側の人間だから関わるな」という刹那の言葉はどう受け止めればいいのか。
ニールはふらっと部屋の奥に入り、座り込んだ。
「アリーが手を回して俺達がここに来ることになったんなら、アリーは信用していいってことじゃないのか?…でもリボンズ側の人間って…。どういう…。」
「…胡散臭い奴だって言ったろ?…内情を知ってるからこそ、俺達を遠ざけたんじゃないのか?」
「…分んねーよ…。」
項垂れるニールの傍らにライルも身を屈めた。
「兄さん。」
静かに呼びかけて煙草を咥える。
ニールは無言でライルに顔を向けた。
ライルはボッと火を点けて苦笑して見せる。
「胡散臭い奴だけどさ…遠ざけたって事は、守りたかったんじゃねーの?」
ハッとする。
煙草の煙をはきだしながら、「まあ俺はおまけだろうけどな。」とライルは笑った。
「最近双子がいないらしいじゃないか。」
リボンズがいつもの含み笑顔でアリーに向けてそう言った。
アリーがニール達双子の保護をイオリアに任せてから数週間が経っていた。
二人は平穏な日々を送っている頃だろう。
「ええ、逃げられてしまいましたよ。携帯も繋がらないんで…。」
肩を竦めて見せるとリボンズは「ふーん。」と感慨無さ気に返した。
アルマークグループの本社ビル。
その中の研究施設に向かってリボンズはスタスタと足を進めた。
アリーは言われるままその後をついて行くばかりだ。
「僕も調べたんだけどね、失踪と言っていいくらいの姿の消し方だったんだけど…君は捜索願とか出さないのかい?」
「状況から言って本人の意思でしょう?自分で姿を消したなら、探す理由はありませんよ。」
「そう?お気に入りだと思っていたのに。」
「去る者は追わずがモットーでして。」
アリーがそう返したところで、リボンズは立ち止まった。
大きなガラス窓の向こうで研究者たちが白衣を着て何やらやっているのが見える。
「今面白いものを開発中でね。実験する為に被験者を探してるんだ。」
「面白いもの?何です?」
「小型の精密な発信機なんだけどね。」
パチンとリボンズが指を鳴らす。
すると数人のSPが周りを取り囲んだ。
アリーの訝しげな顔に向かって、リボンズはニコッと笑って見せる。
「君を被験者にすることに決めたよ。」
「…どういうことです?」
「本当はあの双子のどちらかにする予定だったんだけど、君が隠してしまったからね。」
「御冗談を。隠す理由はありませんよ。」
「嘘は嫌いだよ。君も彼らの部屋に行ってみたり、大学の友人に声を掛けてみたりと軽く探すふりはしたようだけど、そのくらいの事で僕が騙せると思ったら大間違いさ。」
そう言ってもう一度パチンと指を鳴らした。
カチャっという音に目をやれば銃口はアリーの方を向いている。
口を開く間もなく、それは発射された。
「くっ!!」
後ろから大腿に撃ち込まれ、アリーは膝を折った。
リボンズは笑みを絶やさない。
「心配しなくてもいい。ただの麻酔だよ。君の体に機械を埋め込む手術を施すからさ、ちょっと寝ててよね。」
次にアリーが目を覚ましたのはベッドの上だった。
「ごきげんよう。」
ニコッとリボンズが笑いかけている。
まだボーっとした頭のまま、アリーは上体を起こした。
胸に包帯が巻かれている。
「あんまりですよ。申し開きの時間もなしですか?」
「どのみち被験者は必要だったからね。手近なところで済ませてみたってカンジかな。」
フフフッと笑ってリボンズは見下ろした。
はあ、とアリーは心底迷惑だという様に溜め息を吐く。
それでね、とリボンズは言った。
「君に特別な仕事を依頼したいんだ。」
「何です?」
「イオリアを殺して来てくれないかな。」
今までの株に関する不正とはかけ離れた依頼に、目を見開く。
「…御冗談を…。」
「本気だよ?」
そう言ったリボンズの笑みは、時折見せる狂気掛ったものだった。
いよいよ手駒にされかけていると分かって、アリーは肩を竦めて見せた。
「お断りしますよ。そんな仕事はプロに頼んでください。」
「プロ並の腕を見込んで君に頼んでいるんだけどな。」
「買い被りを。足がついて事が公になるだけです。」
「ちゃんとサポートはするさ。完璧なアリバイを準備しておくよ。」
「私は証券会社のただの営業マンですよ。それ以上の仕事は…。」
その言葉を遮って、リボンズが「分かってないね。」と溜め息を吐くように口に出した。
あくまでも対等な立場を保とうとするアリーに、リボンズが小さなリモコンを見せる。
「一つ言っておくのを忘れてたけど、その胸に埋め込んだ機械はね、発信機の他にある機能が付いてるんだよ。本当の事を言えば、メインはそっちなんだけどね。」
嫌な予感に眉を顰めたその瞬間、リボンズはアリーの目の前でリモコンのボタンを押した。
その途端、身体に走る痛み。
「くっ!はっ…。」
心臓を掴まれたような感覚に体を丸め、アリーはベッドから転げ落ちた。
「どうだい?今のは一応加減してあげたんだけど、中々面白いだろう?」
床に倒れ込んだアリーは脂汗を垂らして体を持ち上げた。
返事をする余裕もない。
「で、もう一度言うよ。イオリアを殺してきてよ。」
はあはあ、と息をつき、やっとアリーは口を開く。
「お断り、しますよ。」
「もう一度やろうか?」
そう言ってリボンズがリモコンをまたアリーに示した時、横から白衣を着た男が止めに入った。
「連続では危険かと。」
「そう?死んじゃうかな。残念。」
言いつつ助言を無視してスイッチを押す。
「ぐはっ!!」
またアリーは床に倒れ込んで体を丸めた。
信じられないほどの汗が体中から噴き出す。
「死んでないみたいだね。良かった。」
見下ろすリボンズの顔は依然笑みを湛えている。
「君に断る自由はないよ。」
「誰が…好き好んで…トカゲのしっぽになるんです?」
「君があの双子を差し出してくれればこんな事をしなくて済んだんだけどな。」
リボンズはまたリモコンを見せた。
「次は流石に持たないと思うよ?返事は?」
「…分かりました。」
指定された日時に、指定された場所に向かう。
アリーはケッと喉を鳴らした。
「ふざけた事を…。」
法に触れる仕事を厭う性格ではない。
場合によってはこんな子細工無くイオリア殺しを依頼されても引き受けたかも知れない。
それでもこういう状況に追い込まれるのは当然本意ではないのだ。
危なくなったら切られるのが目に見えている。
ビルの屋上から、イオリアの居るビルの一室にライフルを向ける。
スコープを覗けばそこには歳の割にしっかりと背筋を伸ばした品のいい老人が窺える。
「ワリィな、イオリアのじいさん。殺すほどの恨みなんてねぇんだが、俺はまだ死にたくねぇからな。」
微かに良心の呵責を感じてしまうのは、成り行きとは言え一度救った命だからかもしれない。
「寿命だと思えよ。もう充分生きただろ。」
そう呟いた時にはもうイオリアは頭から血を流して床に倒れていた。
一服したい気分だが長居は出来ない。
それに万が一吸殻でも落としていった日には、すぐに足が付いてリボンズの用意してくれているアリバイが無駄になってしまう。
痕跡を残さぬよう注意をはらい、その場を後にした。
胸に埋め込まれた機械は発信機でもあるという。
四六時中見張るほどリボンズも暇ではないだろうが、アリーはかなり行動に規制を掛けられてしまった。
こんな事になるなら大人しくニールを差し出しておけばよかった、と思わなくもない。
自分の自由を奪われるより、誰かを盾にされた方が色々とやりやすい。
人質を取られたところで、心を閉ざして目を瞑ってしまえばそんなものは痛くも痒くもないのだ。
珍しく下手な仏心なんてものを出したばっかりに馬鹿を見た。
「しばらくは大人しくしとくしかねぇか…。」
ぼやきつつ手帳を見れば、翌日は大学病院の跡取り息子と商談が入っている。
病院に出向くとなるとリボンズに許可を取らなくてはならない。
発信機を取り出す手術を受けないよう、許可なく病院に行くことを禁じられているのである。
「あ゛~!!めんどくせぇ!!」
アリーはすぐ傍にあった椅子を思い切り蹴飛ばした。
「イオリアが死んだ!?」
「ええ、今連絡が入ったわ。殺されたそうよ。」
スメラギからの情報にそこに居たメンバーは騒然となった。
「リボンズ・アルマークの命令だろう。可能な限り調べてくる。」
刹那はそう言って一人出掛けて行った。
「これからって時に…困ったわね。」
新規で立ち上げたプロジェクトがいくつか始動しようという段階だ。
グループを統率していたイオリアの死はかなりの打撃になる。
イオリアが居たからこそ纏まっているグループのその中枢が断ち切られれば、それだけでグループが崩壊しかねない。
はあ、とスメラギはひときわ大きな溜め息をついた。
数日後、刹那が一枚のリストを持って戻って来た。
「イオリアが死んだ時間、リボンズは会食をしていた。その会食のメンバーだ。」
「その中に犯人が?」
「恐らく。プロに依頼した殺しなら何とも言えないが、素人の場合、引き換えにアリバイ作りをするのはよくあることだ。」
机に置いたリストを刹那はスーッと指でなぞり、疑わしい人物に説明を入れていく。
スメラギは大人しくそれを聴いた。
「この三人は趣味で猟銃を扱う。比較的銃の扱いに慣れているだろう。コイツは銃を扱う業者と繋がりがある。撃てるかどうかまでは分からない。それと…。」
スーッと下の方まで飛ばす。
コイツは、と刹那は少し言い淀んだ。
「どうしたの?」
「銃を扱えるかどうか調べはつかなかったが…ニールなら知っているかもしれない。」
「彼が?」
「知り合いだそうだ。」
「悪いわね。色々と忙しいでしょうに。」
「いや?構わないぜ。こっちは世話になってる身だしな。」
スメラギに呼び出されたニールは軽く笑って肩を竦めて見せた。
「で、何だい?」
「この名前、知ってるでしょ?」
そう言って示されたところにあったのは、アリー・アル・サーシェスの文字。
「…知ってる…が…それが?」
「この人、銃を扱える?」
イオリアの死は既に耳に入っていた。
そしてその事を刹那が調べているのも知っている。
それはつまり、アリーが疑われているという事だとすぐに理解できた。
クレイ射撃の大会の時に射撃場の管理人が言っていたことを思い出す。
『3年連続で新記録を出した』
あのイオリアも、ニールがアリーの知り合いだと知ってニールの射撃の腕はアリーから引き継がれたものだと誤解した。
アリーの射撃の腕はかなりのモノなのだろう。
「ニール?」
考えに入ってしまい、返事を忘れていた。
「あ…その…俺は…知りません。」
「そう…。」
ここに来てから随分打ち解け、砕けた喋り方になって来ていたのに、その返事は弱くよそよそしかった。
スメラギはその事に気付きながらもそこはあえて突っ込まず、短く返した。
しばし沈黙が流れた。
その沈黙を、ニールの方から破る。
「…知らないんだ。見たことはない。…話に聞いただけで…。」
「話に?」
こくりと頷いて、ニールは射撃場で聞いた話をそのまま伝えた。
そしてその時の事件の事も。
「かなりの腕前ってことね。」
そう言われてしまい、慌てて返す。
「だけど、アイツは一回イオリアの命を救ってる。そんな相手を殺すわけないだろ?」
「…そうね。ごめんなさい。参考までに訊いただけよ。」
それにそもそも私達は警察じゃないんだから、とスメラギは言った。
警察の捜査はどうなっているのかと問えば芳しくないという。
「現場は特定できたらしいけど、何一つ犯人に繋がるものはなかったって。一応こちらで調べたことも報告はしておいたけどね。リボンズは政界とも繋がりがあるから、証拠もなく捜査するのは限度があるみたいよ。」
犯人探しはここまでだろうという結論で話は終わった。
リボンズを潰す材料として、今回のイオリアの死にリボンズが絡んでるという証拠が欲しかったらしい。
「それはそうと、彼は了承してくれたかしら。」
一転して明るい声になったスメラギに釣られ、ニールも笑顔を作る。
「あー、ライルだったらいい返事をすると思うぜ。それなりに気持ちも固まったみたいだ。」
「それはありがたいわ。うちの新戦力として期待してるもの。」
「ありがたいのはこっちの方さ。就職先まで面倒見て貰えるんだから。」
「あなたはもう決めた?」
「俺もいいのか?ライルほどの価値はないと思うんだが。」
「適材適所でしょ?あなたはあなたの価値があるわ。成績は彼よりもいいくせに弱気ね。」
「これと言って特徴のない成績だからな。自分の売りが分からないんだ。」
謙遜ではなく、本心からそう言って苦笑して見せた。
「あなたなら何だって出来るわ。心配しないの。」
ありがとう、と返してから部屋を出た。
自室に向かう道すがら自嘲の笑みを浮かべる。
何だって出来ると言われることはよくあった。
だから余計に何をしていいか分からなくなるのだ。
ライルのように何か一つに夢中になってそれに特化した成績なら、迷うことなくその道に勧めるのだろうが。
誰にもいい顔を見せ、そつなく勉強をこなしてきた結果がこれだ。
そういう自分の傾向について考えるにつれ、思い出すのはアリーの事だった。
自分を理解してくれる存在。
それなのに今はまるで敵であるかのような位置に居る。
こんなのはおかしい、と思う。
何かしなければ。
いや、単に会いたいだけなのかもしれない。
ニールは足を止め、唇をきゅっと結ぶと方向を変えて歩きだした。
社員寮の食堂で手伝いをしているフェルトを見つけ、ニールは声を掛けた。
「フェルト、ちょっといいか?」
「…何でしょう…?」
寮母の女性に声をかけてフェルトはニールのところに歩み寄る。
まだ子供と言っていい年齢の彼女だが、身寄りがなく引き取られた所為か子供らしくはしゃぐという様子を見たことがない。
いつでも手伝いをしているか勉強をしているかのどちらかだ。
自分からは遊ぼうとしない彼女を見かねて、クリスティナが事あるごとに連れ出したりしてはいるが、淡々と喋る癖は元々のモノなのか、あまり変化は見られなかった。
ニールともかなり打ち解けたと思うのだが素っ気なく見える。
「ちょっと…頼みたい事があんだけどさ。君はコンピュータ得意だったよな?」
「それなりに触れるけど…。」
「調べて欲しい事があるんだ。」
内容を話すとフェルトは難しい顔をした。
「…クリスティナさんの方が、そういうのは上手にできると思う…。」
「あーぁ、…その…みんなには内緒にしたいんだ。引き受けてくれないか?」
フェルトが黙ってしまったのが困っているのかと覗き込む。
すると彼女はじっくりと考えている様子だった。
1分ほどの間が空いてから、フェルトはゆっくりと言葉を出した。
「…時間が…掛かるかも知れない。…ごく軽いものだけど…一応…ハッキングだし…。…ノウハウは…知ってるけど…。」
「時間は…掛かってもいいよ。…そういう事をするのが嫌だったら無理にとは言わないが。」
ハッキングをすることに良心が痛むのかと思ってニールがそう言うと、フェルトは微かに笑った。
「…楽しそう…。」
「え?」
「やってみる…。」
「ホントか!?」
パッと明るい顔になってそう言ったニールに、フェルトははにかんだように笑んで頷いた。
リボンズは機嫌が良かった。
気に入りの小さなガラスの置物を手にとって、磨くようにしながら眺めている。
「早速ほころびが出始めたようだよ?」
イオリアさえいなければあのグループを解体するのは簡単だとリボンズは続けた。
既にグループの20%を占める一社が意見の対立により孤立し始めているのだという報告が入っていた。
「君のおかげだね。感謝してるよ。」
「それはどうも。」
アリーは不機嫌に返した。
以前は営業スマイルを崩さなかったアリーだが、このところリボンズに対してもしかめっ面を見せる様になっていた。
その様子にクスクスとリボンズは笑う。
「君はご機嫌斜めのようだね。」
「そりゃあ、体ん中に迷惑なもん入れられたら機嫌も悪くなるでしょう?」
「それは謝ったじゃないか。」
「謝っても、取るつもりはないんでしょうが。」
「まあ、当然そうだね。」
悪びれずにそう返すリボンズに今のアリーは抵抗する武器を持ち合わせてはいない。
はあ、と溜め息をついて見せた。
「毒食らわば皿まで。会長の為に尽力するつもりは前からありましたからね。別に何やらされたって構いはしませんが、どうせなら高額で引き抜いて頂いた方が私としては助かるんですがね。」
二足のわらじは面倒で仕方がない、と思いっきりしかめっ面を向けた。
やだなぁ、とリボンズも眉をひそめて見せる。
「君には証券会社に居てもらわなくちゃ。大事な情報源なんだよ?」
「大事なら大事なりの扱いをしてほしいもんです。」
「…君、不利になってからの方が言うようになったね。」
「それくらいの権利を貰わなくては割に合いませんよ。」
あはは、とリボンズは笑った。
「良かった。命を盾に取られた君が人形のように僕に服従するんじゃつまらないと思ってたんだ。君らしくて実にいい。だから気に入ってるんだよ。」
リボンズらしいものの考え方だ。
何処までも食えない奴だと思いつつ、アリーは「それはどうも。」ともう一度返した。
「…ニール…。」
フェルトが遠慮がちに呼んでいるのを見て、ニールはあの件だと分かって回りを気にしながら彼女を促した。
「どうだった?」
「ばっちりです。」
廊下を歩きながらそれだけを言って、フェルトは自分の部屋に案内した。
「どうぞ。」
「…いいのか?」
「片付いてますから、大丈夫です。」
特に気にすることなくニールを迎え入れる。
パソコンの画面にはスケジュールが出ていた。
「頻繁に書き換えられているようだし、スケジュール管理はここでやってると思う。」
「じゃあ、間違いはなさそうだな。」
「ここなら一般人が行ってもいいかなって。」
そう言ってフェルトが指差した所には有名なホテルの名前があった。
「…そうだな。他は会社の名前ばかりだ。潜入なんて俺には無理だし。」
「…行くの?」
「…黙っておいてくれるか?」
「…危なくない?」
「危なくはない。ただ…知られると気まずいって言うか…。」
「…誰にも言わない…。」
「ん、サンキュ。」
静かに笑んでニールはフェルトの頭に手を置いた。
高級ホテルのスイートルームを住まいにしている顧客との商談を終えて、アリーはエレベータホールに向かって歩いていた。
リネン室の前を通りかかったとき、ドアが開いたかと思えば不意に腕を引かれる。
「なっ!?」
あっさりとその部屋に引き込まれたのは、その手が乱暴なものではない事を肌で感じ取ったからかもしれない。
その直感の通り、相手はニールだった。
「…お前…。」
「…会えた…。」
逃すまいとするようにニールの手はしっかりとアリーの肘のあたりを掴んでいる。
ニールは泣きそうに顔を歪めて目を閉じた。
「何で…どうなってんだよ…訳分かんねーよ。…俺…。」
空いている方の手でアリーはこつんとニールのおでこを小突いた。
ニッと笑う。
「久しぶりだな。」
その顔を見てニールは目頭が熱くなり、もう一度目を瞑ってアリーの肩に頭を預けた。
「馬鹿…久しぶり、じゃねーよ。」
「そうか?」
とぼけたように返してニールの柔らかい髪に唇を当てる。
ニールはそのキスにホッとしながらも、キリっと唇を噛んだ。
「…イオリアを殺したのって…アンタか?」
「…なんだ、知ってたのか。」
「知ってたのかって…じゃあやっぱり…。何でだよ、何でアンタがそんな事を…。」
ん~?とまたとぼけた声を出して、アリーはニールの体を押した。
煙草を出しながら言う。
「あの爺さん結構あくどい事やってたらしいぜ?汚い金で酒池肉林だってよ。」
聞いたことのない話だったが、そんな事はニールにとってはどうでもいい。
ふーん、と気のない返事を返した。
するとアリーはポリポリと頭を掻く。
「いや、今の嘘だから。」
「はあ!?」
「何か理由があった方がお前が納得するかと思ってよ。」
「納得なんてするわけないだろ!?」
「そっか。じゃあ、これはどうだ?」
アリーは自分のスーツのボタンを外し、Yシャツをたくし上げた。
そこに見えたのは手術の傷跡。
「…なんだよ…これ。怪我でもしたのか?病気か?」
そっと傷に触れた。
「ちーっと大将を怒らせちまってな。くだらねぇオモチャを埋め込まれちまった。」
「オモチャ?」
眉を顰めて見上げると、アリーはシャツを掴んでいた手を離して煙草に火を点ける。
ふうっと煙を噴き出した。
「まあ、端的に人体に苦痛を与えたり殺したりできる装置、かな。」
「苦痛を与えたり殺したりって…。」
「心臓を握りつぶされるような感じでよ。効いたなぁ、あれは。」
ハハハ、と笑ってみせる。
「笑い事じゃ…ねーだろ…。」
「発信機にもなってるらしくってよ、あんま自由が利かねーんだ。今も長居は出来なくてな、もう行かねーと。」
Yシャツを整え、ニールに手を伸ばす。
二の腕を掴んで引き寄せてキスをした。
「ア…リー…。」
涙があふれた。
信じられない話を当然のことのように話すアリーが遠く感じる。
目の前に居る相手が、まるで位相空間に居るかのようだ。
自分の居る世界とは全く違う場所。
同じ場所を歩いても、自分の世界とアリーの世界はまるで違う景色なのだと、そう思った。
「じゃあな。」
背中を向けたアリーの後ろで、ニールは両手で顔を覆った。
涙でその背中も見えない。
アリーはドアに手を掛けたところで足を止めて振り返る。
「よう、今度いつ会えるか分かんねーんだからよ。愛してるぐらい言ったらどうだ?」
うっと嗚咽が起こりそうになるのを堪え、絞り出すように声を出すニール。
「…あい…して…る…。」
「おう。じゃーな。」
パタンとドアの音がして、アリーの気配は消えた。
帰ってきたニールの様子がおかしいことに気付いたライルは何があったのかと問い詰めた。
誰にも話さないつもりでいたニールだったが、自分ではどうしようもない話を抱えていられなくなってぽつりぽつりと話し出す。
「マジかよ…。」
ライルはぼそりとそう呟いて深く溜め息をついた。
イオリアを殺したのがアリーだった、というだけなら、アイツはそういう奴だったのだからもう忘れろと言えばいい。
ニールだってそれならまだ踏ん切りがついただろう。
しかし、それが命が盾に取られてるとなれば話が別だ。
「笑ってたんだ…何でもないことみたいにさ…。」
泣きはらした目にはまた涙が溜まっていた。
ライルはどう言っていいか分からなくて、気休めを口にする。
「…アイツはさ…死なねーよ。…人の為に死んでやる様な人間に見えないだろ?」
「…ああ。…でも…誰かまた死ぬことになるかもしれない。」
「忘れろ。聞かなかったことにしろよ。」
「…ムリだろ…。」
「忘れろよ。」
どのみちこんな話は黙っているほかない。
下手に漏らせばアリーを危険にさらすことになりかねないのだ。
また泣きそうになるニールをライルは優しく包み込んだ。