遙か彼の地にいる君




「この間の株をね、もう少し買い足したいんだ。」
 リボンズ・アルマークはそう言って自分の机に置いてある振り子の飾りを指先で突いた。
 アリーは眉を顰める。
「あれですか?…この前も言いましたが、あれはちょっと危ないですよ。遊びで買う程度ならともかく、本腰を入れるのはどうかと。」
「心得てるよ。でも、ちゃんと情報はくれるんでしょう?」
 頬杖をついてフフッとっ笑った。
 その喰えない笑みを受け、アリーも笑って見せた。
「もちろんです。ですが…。」
「どうかしたかい?」
「絶対という保証はありません。私が時期を見誤るという事も覚えておいていただかないと。」
 その言葉は決まり文句みたいなもので、もはやアリーの口癖と言ってもいいぐらいだ。

 株は所詮賭けごとの様なもの。
 絶対に儲かるという保証はない。
 純粋にどこかの会社に投資する目的で株を買っている投資家がどのくらいの割合でいるのかは知らないが、少なくともこのリボンズという男はそんな殊勝な性格をしていないのは明白である。
 そんな賭けごとの投資に負けた時、悔し紛れに営業マンに責任をどうのという輩は少なからずいるのだ。
 先の口癖はそのための保険である。
 自分はちゃんと注意を喚起しましたよという体裁を作っておけば、後から何を言われても言い逃れが出来る。

 いやだなあ、とリボンズは笑った。
「僕がそんな不確実な情報を欲しがるとでも思ってるのかい?」
 やはりそう来るかとアリーは思う。
 つまり、株価を操作しろと言っているのだ。
「これは、気が回らず申し訳ありません。」
「期待していいよね?」
「お任せを。」
 そう言ってアリーが頭を下げると、リボンズはまたふふっと笑う。
「ああ、それとね、もう一つ頼みたい事があるんだ。」
 リボンズはポイッとファイルを投げてよこした。
 アリーの前のテーブルにそれはうまく着地した。
 手にとって目を落とすとリボンズが言う。
「その会社、潰しちゃってよ。」
「潰すんですか?」
「うん。どうしてもウチの傘下に入りたくないって言うからさ、目障りなんだ。」
「分かりました。…で?こちらはどうなさいますか?」
 その株を買っておいて、一度株価を上昇させればその時に儲けることが出来る。
 それをやるかどうかを訊ねた。
「いらない。僕が係わったと思われちゃうじゃないか。僕の知らないところでやってよね。」
 了承の意味でお辞儀をし、アリーは立ち上がる。
 そこでまたリボンズは思い出したように呼びとめた。
「ひとつ訊いておきたい事があったんだ。」
 商談とは微妙に違う声色に、アリーは少し気が抜けた返事を返した。
「何です?」
「あの双子、君はどっちも自分のものにするつもりかい?」
 関わって欲しくないところに首を突っ込まれ、微かに眉が歪む。
「いえ?そんなつもりはありませんが?」
「そうか、良かった。」
 にっこりと笑むリボンズの真意が分からない。
 訝しげな顔を向けていると、リボンズは言った。
「君が要らないなら、僕が片方を貰うよ。いいよね?」
 いいよね、と許可を求める風に言いながら決定事項を伝える。
 また厄介なことを言い出したと思いはするものの、どうぞご自由にと答える以外の選択肢などアリーには無かった。










「ライルは就職活動始めてる?」
 講義が終わり、席から立ち上がるとアニューにそう訊かれた。
「いや?全然。」
 ライルがそう答えると、アニューは困り顔で笑う。
「最近就職難なのよ?知らないの?そろそろ始めた方がいいんじゃない?」
「…先の就職より目先の生活費稼ぐ方が重要なんだよな…。」
「別にぎりぎりの生活してるわけじゃないんでしょ?時間作ってやらないと。」
「いざとなったら今のバイト先に雇ってもらうさ。」
「もう、折角電子工学の勉強してるのに、ピザの配達じゃ役に立たないじゃない。」
 あはは、とライルは笑って見せた。
「ねえライル、私がお世話になってる叔母の知り合いにね、大手に繋がりのある人が…。」
 叔母と訊いてライルは彼女も家族を亡くしていることを思い出していた。
 同じような境遇の彼女に親近感を覚え、好意を抱くのは自然なことだろう。
 叔母の家で育った彼女は大切にはされている様だが、やはり本当の親子のようにはいかないと以前言っていた。
 金銭的に困ることがなく傍に人が居たとしても、孤独感は拭えないのだ。
 アニューが話を続けようとしたところに、後ろから声がかかった。
「ライルっ!ちょっと!待てって!」
 呼びとめたのはクレイ射撃のクラブの部長だった。
「ん~?」
 面倒臭そうに振り向けば、相手は顔を顰めて言った。
「今度の日曜、空けてあるだろうな!」
「バイト。」
「空けとけって言ったろ!?」
 大会があるんだから、と部長は息巻く。
 それに対してライルは不機嫌に返した。
「俺、部員じゃないだろ。部費も払ってないんだし。」
「お前ら双子は特別免除だって、前から言ってるだろ!?」
 入学時に興味本位で体験入部に行ったのがきっかけで、そういうことになっている。
 その時の部長がニールの筋がいい事を見抜き、部費は要らないから練習に来いと強く勧められたのだ。
 ニールは呼ばれれば二つ返事で引き受けたが、ライルはあまり気が進まなかった。
「必要なのは兄さんだろ。兄さんは行くみたいだぜ?」
「お前だって腕いいだろうが。期待してんだぜ?」
「一般部員並みにな。俺が行かなくても俺ぐらいの成績出す奴は何人でもいるだろ。とにかく、俺バイト入ってっから行かないぜ。」
 そう言って歩き出そうとするライルの後ろで、部長は渋い顔をして頭を掻いた。
「あ~…もう、しゃーねーか…。ニールは来るんだよな!?」
「多分な。そっちでちゃんと確認してくれよ。俺は知らねー。」
 深く溜め息をつく部長を残し、ライルとアニューは立ち去った。
「いいの?」
 アニューが訊くとライルは苦笑いをして見せる。
「いいんだよ。マジでアイツらが必要としてるのは兄さんだけだ。ついでに俺に声掛けてるだけさ。」
「ライルだって上手じゃない。」
「サンキュ。でも、兄さんにはかなわないんだよな、何やったって。」
 肩を竦める。
 アニューは元気づけようとニコッと笑った。
「そんな事はないと思うわ。電子工学でならアナタが上よ?」
 ああ、そうだな、とライルも笑った。
「ま、アニューには負けてるけどな。」
 また苦笑いになったライルに、しまったと思いつつアニューも苦笑を返した。
 その後、アニューが就職の話をまた始めようとした時にはバイトの時間が迫っていて、ライルは慌てて走って行ってしまった。








「ああ、今度の日曜、空いてるか?」
 ライルが帰るとニールは電話をしていた。
「クレイ射撃の大会に出るんだけどさ…。」
「ただいま。」
「あ、ライルっ。お、おかえり。」
 慌てたようにニールは電話を切った。
 その様子で電話の相手がアリーだと分かって、ライルは上着を脱ぎつつ横目でニールを見る。
「別にアイツと電話したけりゃすればいいじゃねーか。」
「え…う…お、おお。」
 この前の件でニールがアリーと嫌々付き合っているわけではないとライルも理解したのだが、やはり付き合い自体にはあまり賛成していない様子が見て取れる。
 だからニールは極力アリーの話をしないようにしていた。
 電話すればいいとは言うライルだが、その口調と視線は微妙に冷たい。
「いいんだ。話、終わったし…。」
「…おもっきり話し途中に聞こえたけどな。」
「明日また電話するし…。」
「毎日電話してんのか。仲がよろしい事で。」
 ニールは返答の仕様がなく、ムッとして見せた。










 日曜日、ニールはアリーと共に会場である射撃場にやってきた。
 他の部員はもうついているだろうかと時計を見つつ入っていくと、そこの管理人らしき中年男性が声を掛けてきた。
「よーお。久しぶりじゃないか。」
 え?とニールが固まっていると、隣のアリーが軽く手を上げる。
「どうも。」
「え、…知り合いなのか?」
 アリーの顔を見上げると、アリーはバツが悪そうに横を向いている。
 管理人が気にせず話しかけた。
「お前、出入り禁止解かれたのか?」
「いや?」
「…いいのかよ。」
「さーね。ちょっと観に来ただけだ。」
 何の話だろうと考えても思い当ることはなく、ニールは率直に聞いてみる。
「出入り禁止って?」
「別に。」
 答えようとしないアリーに代わって管理人が笑って言った。
「コイツ、問題起こして出入り禁止になってんだ。腕は良かったのによぉ。」
「腕?アリーも射撃やってたのか?」
「なんだ、知らねーのかよ。コイツ、3年連続で新記録出したんだ。抹消されちまったけどな。」
「抹消!?」
「ああ、暴力事件起こして、それをネタにな。もともと嫌われてたから、ここぞとばかりに痛いとこ突かれてよ。」
 アリーは顔を顰めて「うるせーよ。」とあさっての方向を見る。
「あんな事がなけりゃ今でも続けられたのにな。」
 そう言った管理人に、ケッと喉を鳴らしてアリーが答えた。
「もともと土塊なんてもんを撃っててもつまらなかったからいいんだよ。どうせなら生きてるもん撃つ方が楽しそうだ。」
「そういう危ない事言うからイオリアの爺さんに嫌われるんだろうが。」
 イオリア?と聞き覚えのある名前を思い出そうと首をひねり、ああ、そういえばこの大会の主催元であるクレイ射撃協会の会長の名前だと思い至る。
「昔は私を撃ち殺したいと発言したと覚えているが。」
 そう後ろから声がして、三人は声の方向を見た。
「会長!お早いお付きで。」
 管理人が慌ててお辞儀をする。
「お邪魔だったかね。」
「いえ、そんな事は。どうぞ、あちらの控室でゆっくりなさってください。」
 そう言って促そうとすると、イオリアはアリーの方を向いた。
 アリーはぺこっと頭を下げるものの、目は他を向いている。
「どうも。」
「出入り禁止を覚えていないと見える。」
 不機嫌なイオリアに、アリーは営業スマイルで返した。
「いいえ?きちんと記憶しておりますよ。会長が覚え違いをしている先ほどの発言に関しても、一字一句間違えずに覚えています。」
「どこか間違っていたかね?」
「はい、私は『イオリアの爺さんでも撃ち殺してみたらスッキリするかもな』と言ったんですよ。お間違いなく。」
「ああ、そうだったか。覚えておこう。では、君も出入り禁止をきちんと守ってくれるだろうな。」
「今日は呼ばれて仕方なく来ただけでして…。」
「ぁぁああああのっ、すみませんっ。」
 事態を見守っていたニールは話が進むにつれ顔を青くしていた。
 慌てて間に入る。
「アリーを呼んだの、俺なんです。その、…知らなかったんで…。」
「…君は…。」
 イオリアがニールの顔を見て誰だったかと顔を顰めていると、傍についていたSPが耳打ちをした。
「ああ、前回も優勝したディランディ君か。…サーシェスの教え子というわけか。どうりで腕がいい。」
 ニールがアリーの知り合いだという事を心底残念そうに言った。
「いや?俺はつい最近までコイツが射撃やってたなんて知らなかったぜ。」
 アリーがニールを擁護するためにボソと言う。
 するとイオリアは笑みを見せた。
「それは良かった。君の思想まで教え込まれた輩に賞を与えたなど、協会の恥だからな。」
「そこの所はご心配なく。」
「まあ、今日の所は前回の優勝者である彼に免じて観覧だけは認めよう。ただし、今回だけだ。」
「ありがとうございます。」
 またアリーは営業スマイルを向けた。






 ニールはいつものように好成績を残した。
 個人では優勝、チーム成績も上位につけ、ニールは表彰台に立った。
 その時。
 表彰式を遠巻きに見ているアリーが、自分と反対側の端に立つ男の動きに目を奪われた。
 手に持っているのは銃だ。
 その男が狙っているのが誰かなどと考えている暇はなかった。
 その狙っている方向にニールがいる以上、流れ弾が当たる可能性があるのだ。
 瞬時に判断して、アリーは護身用に持っていた小さな拳銃を出し、即座にその男を撃った。
 一瞬アリーの動きが早く、手を撃たれた男の狙いは外れ、会場の飾り付けを壊す。
 パンパンと連続した二発の銃声は、聞く者によれば一発に聞こえたかも知れない。
 男はすぐ近くの出口から逃げ出した。
「追え!」
 アリーがそう叫ぶと同時に、イオリアのSP達はアリーに飛びかかった。
 彼等は銃声がした時、即座にアリーの方を見たのだ。
 その手に拳銃を確認するとイオリアを狙ったのがアリーだと思い込んでしまったらしい。
「テメェら何してやがる!アイツが逃げちまうだろうが!!」
 じたばたと抵抗してみても、5人の屈強な男相手には逃れようがなかった。



「だから、俺じゃねーって言ってんだろうが!!」
 警察も呼んで現場を調べると、アリーの言ったとおりに男の立っていた場所に血が落ちていた。
 それに周りの人間の証言や、何より飾りを壊した銃弾がアリーの拳銃のものではないことが証拠となり、すぐにアリーは解放された。
 本当なら即座に警察に連行されてもおかしくない状況だったが、それを止めたのは意外にもイオリアだった。
 あの状況でアリーが狙いを外すわけがない、というのがイオリアの主張だった。
 障害のない状態で、あの近距離なら、アリーは難なくイオリアを撃ち殺せただろう。
「ったく…役にたたねぇSP雇ってんじゃねーよ。」
「面目ない。」
 目を合わせずにイオリアはそう言って一旦言葉を区切った。
 そして、コホンと咳払いをして言った。
「非礼のお詫びと命を救ってくれた礼をしたい。…君の除名を解いて、過去の記録を再登録しようか。」
 アリーは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
 別にこの老いぼれ爺さんを助けたかったわけじゃねーよと思う。
 しかしイオリア側からすれば、アリーの様な厄介者に助けられてそれを恩に着せられるような事は避けたいのだろう。
 その申し出を断ればまた警戒されるに決まっている。
 少し考えて、アリーは答えた。
「いや、過去の栄光にすがって生きるほど年老いてないんでね。ここの出入り禁止を解いてもらえればそれで充分ですよ。」
「わかった。除名を解いて出入り禁止を撤回することにしよう。」
 軽く会釈をするように、アリーは小さく頷いた。






「そんな事があったのかい。大変だったね。呼んでくれれば助けを出したのに。」
 リボンズは笑って言った。
「要りませんよ。そのくらいの事で会長を頼ってしまっては勿体無いでしょう。」
「早く君を助けてみたいんだけどな。」
 何を楽しみにしてるんだとツッコミを入れたいところだが、ははは、と軽く笑って流す。
 リボンズもひとしきり笑ってから遠くに目をやって、ふーん、と呟いた。
「イオリアか。」
「何です?」
「イオリアと繋がりが出来たことを、君が内心喜んでるんじゃないかってね。」
「やめて下さいよ。あんなカタブツ、扱いづらくって仕方がない。」
「そう?だったらいいけど。僕を裏切るような事、しないよね?」
「もちろんですよ。」
 扱いづらいのはリボンズも同じではあるのだが、今はまだこちらに付いていた方が都合がいい。
 アリーはそう考えながらも、イオリアをどう落とそうかと画策していた。








 上司が溜め息をついているところに居合わせたアリーは、「どうしたんです?」と苦笑を向けた。
 大方仕事上のトラブルだろうという事は予想がつく。
 また誰かヘマをやったのかと勝手に想像していると、どうやら当たらずとも遠からずだったようだ。
 大手のグループを新しい顧客にしたいのだが、誰に担当させてもうまくいかないらしい。
 その相手の名前を聞いて、さっきまで聞き流していたアリーはあからさまに興味を示した。
「イオリア・シュヘンベルグ?」
 イオリアはリボンズが牛耳るアルマークグループと敵対する企業のトップだ。
 あの射撃協会の会長以外にも様々な肩書を持っている。
 以前からアプローチを掛けていたのはアリーも知っていた。
「…私が行きましょうか?」
 そう持ち掛けてみると上司は渋い顔をした。
「自分ではダメだと前に言っていなかったか?」
 イオリアからとことん嫌われている身では出て行くわけにいかないと断っていたのだが、今は状況が変わった。
「ちょっとね、この前、お近づきになるきっかけがありまして、というか…まあ、はっきり言ってしまえば、恩を売ったってことなんですが。」
 その礼はすでに貰っているのだが、この際それは無視だ。
 本当か!?と上司は途端明るい顔になる。
 じゃあ早速行ってくれ、と即決が下された。





「君は…あそこの社員だったのかね。」
 イオリアは面会を求めていたのがアリーだったことに眉を顰めた。
 ぺこ、と頭を下げるアリー。
「それで、この前の事を恩に着せて、契約を迫りに来たというわけかな。」
 当然の勘ぐりをイオリアは隠す気がないらしい。
 それに対し、アリーは目を伏せた。
「いえ、そんなつもりは。私はただの営業マンにすぎませんよ。気に入らなければ追い返していただいて構いません。ただ、会長がほんの気まぐれをおこして下さるのを期待しているだけの事です。」
「気まぐれ?」
「はい。気まぐれに、私の話に耳を傾けていただければ幸いだと。」
「なるほど?」
 そう返して、イオリアは背中を向けた。
 窓の外を眺める様にして暫し考えに入っているようだった。
「わかった。聞こう。…ただし、聞くだけだ。時間を浪費するだけで終わると思っておくことだな。」
「ありがとうございます。それだけで充分です。」
 アリーは深々と頭を下げた。







 アリーがイオリアの契約を取り付けるまで、さほど時間はかからなかった。
 その事がリボンズの耳に入るのもすぐの事だったが、社の命令だったと説明した。
「僕の方を、優先してくれるよね?」
「もちろんですよ。それにイオリアはあまり投資には興味がないようですから、儲け話を持っていく必要もないかと。」
「ふーん?じゃあ、もし僕が、イオリアを潰せって言ったら?」
 ゆっくりとした口調で、試すような視線をアリーに向けてリボンズが言った。
 少し考えて苦笑して見せる。
「あのグループを潰そうとしたら、うちの社が危なくなりますよ。それに私一人で出来る規模じゃありませんから、お断りします。」
 ふん、とリボンズは納得の息を吐いた。
「正しい判断だね。君は思ったとおり賢いよ。口先だけの輩とは違う。」
「ありがとうございます。」
「ますます、手放せないな。」
「そう言っていただけるのは嬉しい限りですよ。」
「今のはおべんちゃらだね。」
「本当ですよ。」
 どうだか、とリボンズは笑った。







 久しぶりの逢瀬に、ニールは柔らかな笑みを見せる。
 アリーの部屋のソファでゆったりとした時間を過ごしていた。
 甘えるように凭れるニールの重みに、アリーも笑みをこぼす。
 自分には似つかわしくない情景を自嘲する表情も多少含まれてはいるが。
「最近バイト抜けられなくてさ。」
 逢いたかったのだけれど、という含みを込めてニールはそう言った。
「そりゃ商売繁盛で良かったな。」
 違う違う、と顔の前で手を振る。
「就職活動始めなくちゃいけないからさ、今のうちに稼いで金貯めとかないと。家賃払えねーと困るし。」
 ああ、そうか、とアリーは納得の意を返した。
「飯ぐれーは食わせてやるぜ?」
「そういうのは嫌なんだ。」
 会えば毎回奢ってもらっているのだから威張って言えることではないかとニールは頬を掻いた。
 その様子にアリーはニッと笑う。
「俺も嫌だけどな。」
「え~!?嫌なのかよ!」
 アハハ、と笑って顔を寄せた。
「見返りがあるならいくらでも。」
 言ってキスをする。
「見返りが目的なワケ?」
「当然だろ?」
 アリーらしい返事にニールはぷーっと膨れて見せた。
「で、就職のあてはあんのかよ。」
「んー、取り敢えず一か所面接の予定は入ってんだ。」
「へー?どこだ?」
「アロウズってとこ。商品開発専門らしくってさ…って、俺よりアンタの方が知ってるよな、企業に関しちゃ。」
 アロウズと訊いてアリーは顔を顰める。
 しばし考えに入り、難しい顔をした。
「やめとけ。」
「え?」
「あそこは…アルマークグループはダメだ。」
「…でも、あのグループは大企業だから安泰だって。口利きで面接の予定入れて貰ったらしいからさ、行かない訳には…。」
「らしいって…ライルか?」
「ああ、なんかライルの友達の…親戚の…?ライルにって話だったんだけど、その友達が気を利かせて二人ってことで話付けてくれたらしくて…。」

 友達が気を利かせたわけじゃなく、それはリボンズ側からの働きかけだろうと容易に想像がつく。
 ライルを貰う、と言っていたことを今更思い出した。
 アルマークグループに入るという事は、リボンズに運命を握られるという事だ。
 異動命令を出せば、リボンズはライルだろうとニールだろうと簡単に傍に置くことが出来るだろう。
 それはつまり、リボンズがアリーの弱みを手に入れると言う事。
 そうなったとしてもアリーがそれを弱みと受け取らなければどうという事はないのだが、今、もしニールを盾に取られたら、それを切り捨てられるだろうか。
 リボンズの怖さは充分に理解している。
 裏で殺された人間を何人も知っている。
 殺されるだけならまだマシかも知れない。
 ボロボロになるまで汚れた仕事をやらされて、切り捨てられた者もいる。
 そんな場所にニールが追いやられたら…。

「アリー?どうかしたのか?」
 一人難しい顔で考え込むアリーを覗き込むようにして、ニールは声を掛けた。
「ん?…いや?まあ、あそこは安泰だな。」
「そうだろ?」
 なぜ反対するのか理解できず、ニールは訝しげに首を傾げる。
 その首に手を添え、アリーはもう一度キスをした。
 そしてそのままソファに横たえる。
「…あ…アリー…、俺、もう帰らないと…。」
 重苦しい雰囲気と、無言のアリーの様子に抵抗の余地はない。
 アリーはまた唇を塞ぎ、ニールの体を愛撫し始めた。







「いつ面接だ?」
「え…明後日だけど…。」
 ニールが部屋を出る前に、アリーは抱き寄せた。
 今日は何度もキスをされる。
 その事は嬉しいと思うものの、いつもと違う事に一抹の不安を覚える。
 はむ、はむ、と数度噛むようなキスをしてからアリーはニールの手にメモを握らせた。
「?」
「明日の2時にそこに行け。面接の予行練習だと思えばいい。」
「え?」
「ライルと二人でだ。行かないと後悔するぞとでも言っておけ。」
「あ…ああ、分かった…。面接…なのか?」
「ああ。…俺の名前は絶対に出すな。いいな?」
 ニールはもう一度、分かったと答えてアリーを見上げた。
 不安を払拭しようとわざと口を笑みの形にする。
「アリー。」
「ん?」
 首に抱きつくようにして、チュッと軽いキスをした。
「じゃ、またな。」
 ニールが自分からキスをしたのは初めてだった。
 赤くなった顔を背け、照れ笑いで手を振って部屋を後にした。






 マンションから歩いて離れていくニールの姿を、アリーは煙草の煙をくゆらせつつ、部屋の窓から眺めていた。
「ワリィな、ニール。さよならだ。」





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