遙か彼の地にいる君
はあ…。
何度目の溜め息だろう。
ライルはニールに背中を向けたまま、眉間にしわを寄せる。
アリーのところから帰って来て数日、ニールは日に何度も溜め息を吐くようになった。
当然ライルはアリーの事を訊ねたのだが、「詐欺を働くような心配はないから。」と言っただけで、詳しい話はしてくれない。
何も無かったのなら溜め息なんて吐く理由はない筈だ。
絶対原因はアイツだろうと、何度かアリーの話を振ってみても何故かニールは顔を背けて口ごもるばかり。
何だというのだろう。
一番分かり合っている筈の家族なのに、何も言ってくれないのが腹立たしい。
アイツの所為だ。
アイツが何か、傷つくことを言ったに違いない。
ライルは一人、ある決心をした。
平日の昼間、ニールがまだ大学に居る間にライルは一人で証券会社の前に来ていた。
こんなところに足を踏み入れたことはないが、大事な兄の為なら仕方ない。
あの男が何を言ったのか、確かめなくては。
それに、もしかしたらここの社員だって話から嘘だということも考えられる。
それを確認するという意味もあるのだ。
少々緊張しながら、ライルは正面玄関の自動ドアの前に立った。
静かにドアが開き、一歩入った所で近くに居た受付の女性がにこやかに「いらっしゃいませ。」と迎え入れた。
「お客様、本日はどういった御用件で?」
「…アリー・アル・サーシェスって社員、居る?」
そう言う名前の社員が存在するかという質問だったのだが、相手はハッとしたような表情をして、深々とお辞儀をした。
「ただ今呼んでまいります。少々お待ち下さい。」
ここの社員だという事は間違いないらしい。
なら次は兄の溜め息の原因をどう探ろうか、とライルが考えているところに身なりの整った壮年の男性社員がやって来た。
そして、さっきの受付の女性と同じように深々と頭を下げた。
「お客様、わざわざお越しいただきありがとうございます。大変申し訳ないのですが、いまサーシェス君は外回りに出ておりまして…その…今日のご来店はお約束がございましたでしょうか。」
「あ、いや、たまたま近くに来たんで。」
「左様でございますか。失礼ですがお名前をお伺いしてよろしいですか?」
「ライル・ディランディ。」
手元の顧客リストを見て、またライルの方を向く。
「ディランディ様、商談の方はどのように…あ、いえ、その、申し上げにくいのですが、あなた様のお名前がこちらの資料に残っておりませんので…。」
困った風な男性の様子に、ライルも困って適当な返事を返した。
「あー、まだ全然…。今度来て下さいって言われたぐらいのもんで…。」
「あぁ成程。今連絡を取っておりますので、しばらくお待ちいただければ彼がお相手出来るのですが…もしよろしければ、私がお伺いしましょうか?」
とてつもなく丁寧な対応をするその男性の胸のプレートを見れば、専務取締役と書いてある。
それってすんごい重役じゃないか?
ただの学生である自分に、なぜこんな上の人間が相手をしようとしてるのか、ライルは内心首を傾げた。
少々腰が引けるが、目的を果たすまでは帰れない。
「あー…待つからいいですよ。」
「では、こちらにどうぞ。」
促されてついて行く。
てっきりすぐ傍の商談の為のテーブルの方に行くと思っていたのに、専務取締役はそこを素通りして奥に向かった。
フロントロビーでは様々な個人客が若い営業マンと話をしていた。
それを尻目に通り過ぎ、エレベーターに乗る。
押された階数はかなり上の方だ。
ライルはだんだん不安になって来た。
客のフリをしているのを怪しまれているのだろうか。
あれこれ考えていると専務取締役は柔らかいスマイルで話し掛けてきた。
「今日はどのようなお話でしょうか。ご希望の商品がございましたら、彼が返ってくる前に資料をそろえておきますが。」
「…あー…いや、いいのを見繕っとくって言ってたから…待ちますよ。その…俺、こういう事に関しては素人なんで…。」
「左様でございますか。わかりました。先程連絡した者の話ですと今丁度こちらに向かっているらしいですから、そう時間はかからないと思いますので。」
「はあ…。」
丁寧な物言いが居心地悪く、ライルはくいっと小さく会釈を返した。
通された部屋はVIPルームだった。
秘書らしき女性が紅茶を運んできた。
「どうぞ。」
「あ、どうも。」
丁寧なお辞儀にまたライルは会釈で返す。
差し出された紅茶を一口飲むと、それはこれまで飲んだことのないものだった。
「…美味いね、これ。」
「ありがとうございます。お申し付けいただければ何杯でもお持ちいたします。」
「ん、サンキュ。」
待ち時間を持て余したらもう一杯頼もう、と考えつつ軽く礼を言った。
「客ですか?」
「ああ、見たところまだ学生のようだが…。君が目を付けたのだからどこかの御子息なのだろう?珍しいじゃないか、個人的に客を開拓してくるなんて。まあ何にしても新しい客はありがたい。大口の契約、期待しているからな。」
つかつかと急ぎ足で歩きながら、専務取締役は帰って来たばかりのアリーにそう言った。
しかしアリーにそんな心当たりはない。
いったい誰だろうと訝しむ。
「お名前伺ってますか?」
「あぁ、忘れていた。ライル・ディランディと…。」
「はあ!?」
上司に向けての返答とは思えぬ声を出してしまう。
どうかしたのかねと訊ねる上司への返事もそこそこに駆けだしたアリーを、専務取締役は要領を得ないまま追いかけた。
VIPルームの手前でアリーが慌てて立ち止まる。
「おおっと待ったあ!」
ティーカップを前に紅茶を準備している秘書の手を掴むようにして止めた。
「え…あの、お客様がこちらをお気に召したようですので、おかわりをお持ちしようと…。」
「俺の客に、だよな?要らねーから、淹れるなよ。」
ピシッと彼女の顔を指差し、ライルの待つ部屋に向かう。
追いかけてきた上司と秘書は顔を見合わせた。
ガチャッとドアを開けるなり、アリーは怒気を含んだ声を出した。
「てめー何しに来やがった!」
「な、なんだよイキナリっ。」
ライルは来るなり怒りだしたアリーに呆気にとられつつ、それでも本来の目的のためには気圧されるわけにはいかないと強気に返した。
「アンタの仕事ぶりを見に来てやったんだよ。待ちくたびれたぜ。」
「待ちくたびれただぁ!?お前自分のやってること分かってんのか!?」
つかつかと近づいてアリーはライルの二の腕を掴んだ。
グイッと力を入れて立ち上がらせる。
「な、何すんだよッ!」
「何すんだじゃねぇ!こんなVIPルームで寛いで、一杯で数万もする茶を飲んで、それに見合うだけの客になれるってのか!?」
「…え…?…一杯で…数万…?」
アリーの言葉に一気に青ざめるライル。
「俺の客になりたかったら!億単位の契約をするつもりで来いって話だ!」
「…う…そ…。」
言葉を失い、アリーに引かれるまま部屋から出る。
そこでぽかんと見ていた上司に、アリーはバツの悪そうな顔を向けた。
「すみません、コイツ俺の身内みたいなもんで…。二度とこんな事はさせませんから。」
頭を下げてから、ライルの頭を押さえつける。
「おらっ!お前も謝れ!」
「いててっ分かったからっ!押さえるなよッ!」
抵抗しつつ、専務取締役に向けては「すみませんでした。」と深々と頭を下げた。
ポカンと見送る上司と秘書を残し、アリーはライルを連れていく。
「痛いって。ちゃんと歩くから引っ張んなよっ!」
そう訴えてもアリーはギロッと睨むばかりだ。
一階のフロアに着くと、アリーは正面玄関とは反対の方向に歩きだした。
「おい、おっさん。出口あっち…。」
「正面玄関なんかで客を放りだしたら、うちの信用にかかわるだろうが。」
そう言って裏口からライルを押し出した。
「ったく、餓鬼がこんなとこに来んじゃねーよ。」
押し出された勢いでライルは軽くよろめく。
「…悪かったよ…。まさかアンタがそんな大口客専門にやってると思わねーからさ。」
バツが悪そうにライルは目を逸らした。
ったく、と言いつつアリーも外に出ると、ライルを促して歩き出した。
ライルは無言でアリーの後ろを歩きながら、取り敢えずニールの言った通りアリーが詐欺を働く可能性はないのだと納得していた。
VIP相手に仕事をしている男が金のない学生からちまちま小金を騙し取ろうとは思わないだろう。
なら、問題はひとつ。
ニールの溜め息の原因だ。
近くの公園の自販機の前でアリーは立ち止まった。
「何か飲むか?」
振り返ってライルに自販機を指し示す。
「いや…俺は…。」
「ああ、お前の腹には今数万の高級な紅茶が入ってんだっけか。」
ニヤッと歯を剥いて笑うアリーにライルは返す言葉がない。
アリーは自分の飲む珈琲だけを買って、近くの鉄柵に凭れかかった。
「で、何の用だよ。」
訊かれてライルは思い出したように顔を引き締める。
「…兄さんの事だよ。」
「アイツどうかしたのか?」
まったく心当たりがないとでも言うような返答にライルはカチンときて怒った様に言った。
「どうかしたじゃねーよ!アンタ、兄さんになんか酷い事言ったんだろ!」
「何の話だ。」
「アンタのとこ行ってからずっと様子が変なんだよ!」
は?とまるっきり分からないという反応をして、アリーは暫し考えに入る。
その間もライルはブツブツと文句を続けた。
「溜め息ばっか吐いて、アンタのこと聞いてもロクに答えないし、何かこう…物思いにふけるってか…とにかく落ち込んでる感じで…。」
「言ったってか…した事かな、原因は。」
「した!?何したんだよ!兄さんに!」
噛みつく勢いで怒るライルにアリーはしれっと答える。
「別に大したことじゃない。抱いただけだ。」
「ああ、抱いただけか…………抱いたあ!?」
驚きのあまり、大きな声でそう返してしまった。
半径10mの距離にはしっかりと聞こえただろう。
「お前…つくづく常識のない奴だな。そんなこと大声で言うかよ。」
「そんなことを大したことじゃないって言うアンタに常識をどうのって言われたかねーよっ!」
はいはい、とアリーは鉄柵から体を離して歩き出す。
「その程度の事で会社に押し掛けてくんじゃねーよ。」
言って空になった缶をポイッとごみ箱に投げ入れた。
「その程度!?アンタの所為で兄さんはっ!」
「気にするほどのこっちゃねーと思うがな。」
肩を竦めて見せ、アリーは立ち去った。
その後ろ姿をライルは睨みつけていた。
やっぱりアイツの所為だった。
…予想外の理由だったけれど…。
「ただいまぁ…。」
どうやって励まそうかと思い悩んで、取り敢えず兄の好きな銘柄のビールを買って帰った。
キッチンで夕食を準備する兄にビールの入った袋を押しつける。
「え?サンキュ。買ってきてくれたのか。」
少し嬉しそうな顔をしたのを見てライルはホッとした。
ホッとすると同時に兄が不憫に思えてしまう。
「兄さん…。」
「ん?何だ?」
ごく普通に聞き返してくる態度が、気丈に振る舞おうとしているように見えてしかたない。
きっとアイツに無理やり…。
辛かっただろうに…。
ライルは思わず抱きしめていた。
「ラ…ライル?」
「兄さん、辛い事があったら俺に言えよ?どんなことだって聞くし、どんなことがあっても俺は兄さんの味方だから。嫌いになんかならないから。」
「え…あ…ありがとう…。…どうかしたのか?ライル。」
キョトンとするニールの様子にもライルは物悲しさを感じてしまう。
「いや、いいんだ。俺が兄さんの事を大事に思ってるってこと、覚えててくれれば。」
きっと弟には知られたくないことだろうと思うとそれ以上は言えなかった。
「ん…。サンキュ……………?」
ニールの頭の中は疑問符でいっぱいだった。
「何かおかしなもん食わせたっけ?」
しばらく考えて思い当ることが…。
昨日喰った賞味期限切れのヨーグルトはまずかったかな。
「ライル、何急いでんだ?」
講義が終わるとライルはバタバタと片付けをして、慌てた様子で教室を出た。
「あー、ちょっとな。」
返事もそこそこに帰って行こうとする彼の二の腕を、丁度やって来た同じ学部のアニュー・リターナーが捕まえる。
「ライルっ、帰るの!?まだ受けなきゃいけない講義があるでしょう?」
「代返頼んである。急ぐんだ。じゃあな。」
「代返って…。ちょっと!ライルったら!」
振りほどかれておいて行かれたアニューは走っていくライルを困り顔で見送った。
大学の構内を走り回り、やっと目的の相手を見つけてライルは呼び止める。
「兄さんっ!」
あれ?という風にニールは振り向いた。
「どうしたんだ?」
「帰るんだろ?一緒に行こうぜ。」
ハァハァと息を整えつつそう言う。
「お前も終わりだっけ?でも俺、直でバイト行くんだけど。お前だってバイトだろ?」
「いいじゃないか、方向はおんなじなんだから。」
まあな、と返してからニールはクスリと笑った。
今日はどうしたんだろう、と思いつつライルを見る。
同じ大学に通ってはいるが、ライルは構内でニールと鉢合わせするのを嫌っていた。
ニールから声を掛けようものなら、あからさまに嫌な顔をするのだ。
「今日7時で終わりだろ?一緒に飯食おうぜ。」
歩きながらそう言ったライルにニールは申し訳なさそうな顔を返す。
「あー、わりぃ。俺今日、アリーと約束してるから…。」
「アイツと!?」
ライルは驚愕の表情で立ち止まった。
その様子を大して気にも留めず、ニールは頷く。
「何であんな奴と約束すんだよっ!」
「え…何でって…。」
急に相手が怒りだしたことに戸惑って、ニールは返答に困る。
「もう付き合いやめろって言ったろ!?断われよ。」
「ライル…?」
付き合いがどうのという話はこの間の詐欺疑惑の時に出ただけの筈で、その疑惑が晴れたのだからもうそんな問題はない筈だ。
「だから、アリーは別に俺達を騙そうなんて事は…。」
「それは分かってるよっ!でもっ…。」
ライルは何と言っていいか困って言葉を止めた。
アイツに酷い事されたんだろ?なんてことは言えない。
でも、何とかして会わせないようにしなければ。
そもそも何で約束なんてしてるんだ?
…断れないんだろうか。
「断れないなら俺が断ってやるから、もう付き合うなって。」
「断れない訳じゃないけど…。」
ニールも返答に困っていた。
何故だかライルはアリーを毛嫌いし始めてるし、でも今日は久しぶりに会えるから楽しみにしていたのだし…。
そもそも何で会うななんて言うのだろう。
「俺が電話する。」
そう言ってニールの携帯を奪って掛け始めたライルの手を、ニールは慌てて押さえた。
「わっ、ちょっと勝手なことするなよっ!」
「何でだよッ!」
「何でじゃないだろ!?」
「あんな奴と付き合ったっていい事無いだろ!?もう会うな!」
「何か横暴だぞ、ライル!」
「横暴なのはアイツだろ!?」
「お前アリーの事知らないくせにっ!」
ニールは何とか携帯を取り返してポケットにしまった。
それをムッとした顔でライルは見ている。
そしてボソッと言った。
「知らないけど…兄さんが付き合うべき相手じゃないって事は分かる。」
「なんだよそれ…。」
「兄さんに釣り合うのはもっと…こう…誠実な人間じゃなきゃ…。」
「なんだよそれ…。」
「とにかく、もう会うなよ。」
会うなの一点張りのライルに、ニールはもやもやと何か胸の中で閊えるものを感じた。
それが何なのか分からぬまま、つい、口に出す。
「俺が誰と付き合おうとお前には関係ないだろ。」
途端ライルが傷ついた表情になった。
そしてそれはすぐに怒りの表情に変わった。
「そうかよっ!もう知らねー!勝手にしろ!」
そう言い残し、ライルは走って行ってしまった。
「ハァ…。」
「おい。」
「ん?何?」
「何度目だその溜め息。」
アリーに指摘され、ニールは初めて溜め息をついていたことに気付いた。
「あ、わりぃ。」
「つまんねーんなら帰っていいぜ。」
久しぶりに会って一緒に食事をしているというのに、何度も溜め息を吐かれればそう言うのも当然だろう。
「ご、ごめん。…その…ライルがさ…。」
「また何かあったのか…。今度は何だよ。」
ニールは苦笑いで今日あったことを話した。
へー、とアリーは興味無さ気に相槌を打つ。
「最近あいつ変なんだ。」
「変?」
「俺にべったりっていうか…なんか凄く気を使ってくれるし…あ、前は俺のバイトのシフトなんて気にした事無かったのに、最近逐一チェックしてるみたいで、いつ終わるかも把握してるし…。なんか…正直、監視されてるみたいで…。」
「そりゃ鬱陶しいな。」
言われて慌てて否定した。
「そこまでは言わないけどさ。」
「鬱陶しいんだろ?」
そんな事は…と重ねて否定しようとして、でも心のどこかでそれを肯定する気持ちがある事に気付く。
しかし、それを認めたくなかった。
「ライルが心配してくれてるのは分かってるんだ。俺も前はそんな感じだったし。」
そういえば、とニールは思い出した。
ハイスクール時代、ライルが素行の悪い連中と付き合っていたことがあった。
昔から親代わりにニールが色々と口出ししてきたこともあって、その時も散々「付き合うな」「もう会うな」「俺が話を付けてやる」などと言っていたのだ。
その時帰ってきた返事が「俺が誰と付き合おうと兄さんには関係ないだろ」だった。
それを言われた時、すごく悲しかったのを覚えている。
「おんなじこと言ってるし。流石双子。」
自嘲気味にそう言うと、アリーがふーんと返す。
「なら、今のアイツはそん時のお前と同じ気分だってこったな。」
あ、とニールは表情を固めた。
「んで、そん時のアイツは今のお前と同じ気分だったってわけだ。」
さぞ鬱陶しかったろう、いや、それよりも今、きっと傷ついているに違いない。
「どうしよう…。」
ニールがライルの事を気にかけている間、アリーは別の事に気を取られていた。
食事を終えて店から出た時点からずっと、監視の目を感じている。
誰だと考えて、思い当る人物は一人。
リボンズ・アルマークだ。
以前戯言に言っていたことを思い出す。
『彼を手に入れてあげようか?』
リボンズがアリーを手駒にしようとしているなら、ニールを狙う事は充分に考えられる。
暫し考えに入り、ニールの方を向いた。
「今日はもう帰るか。」
「え…?」
残念そうな顔を見せたニールに、ライルの事を持ちかける。
「ケンカしたままじゃ、やりにくいだろ?」
「あ、…うん、そだな。帰るよ。」
「送ってく。」
そう言ってアリーは車の鍵を見せる。
するとニールは照れくささもあり、首を横に振った。
「いいよ。一人で帰れるから。」
「つべこべ言うな。行くぞ。」
有無を言わさず踵を返して車のところに向かうアリーを強引だと思いつつ、そういうところもいいななんてニールは考えていた。
駐車場に入ろうとしたところで、アリーの携帯が鳴った。
見ればリボンズからだ。
チッと舌打ちして電話に出た。
「はい。」
『やあ、アリー。』
いつからファーストネームで呼ぶ仲になったよ、と頭の中で毒づいてみるが、勿論口調にはそんな様子は出さない。
「どうしました?」
『お楽しみのところ悪いんだけど、今から至急、来てくれないかな。』
やはりニールといることを知っているようだと内心舌打ちする。
それを知っての呼び出しだとすると、ニールから離そうとしているという事か。
しかし、断れば当然契約を切るだのといった手段で圧力を掛けてくるだろう。
「わかりました。」
『急げば15分で着くよね?待ってるよ。ふふっ。なんだったら、彼を連れてきてもいいからね。』
「御冗談を。すぐに向かいます。」
ぱたんと携帯を閉じるとすぐニールに言った。
「わりぃ、送っていけなくなった。ライルを呼べ。」
「あ…いいよ、帰れるって。」
「すぐにアイツに連絡しろ!」
語調が強くなったことに少々驚き、ニールは戸惑いつつ携帯を出した。
「じゃあ、メールする。」
「メールじゃ気付かねーかも知れねぇだろ。電話しろ。」
「…ああ…わかった。」
ライルもアリーも心配性だな、と思いつつ電話を掛ける。
最近二人とも過保護だ。
そんなに自分は頼りないだろうか。
ニールが電話を掛け始めた直後、見張っていた影が急に慌てたのが分かった。
(ん?…まさか…。)
アリーは気配に背を向けたまま、じとっとニールを見る。
そして急に抱き寄せた。
「アリー!?」
驚くニールの手の携帯の電源ボタンを押しつつ、片手でしっかりと抱きよせてキスをする。
その途端。
「あー!!!やめろ!!」
後ろから大声がかかった。
振り向けばそれはライル。
「兄さんから離れろっ!」
「ライル!?」
アリーの腕の中で、ニールはカッと頬を染めた。
「な、何でお前こんなとこに…。」
「やっぱお前かよ。」
アリーは呆れ顔だ。
「なんでって、兄さんが心配だからに決まってんだろ!?だから離れろって!!」
はいはい、とアリーは体を離した。
「まあ、迎えを呼ぶ手間が省けたからヨシとするか。」
そう言って駐車場に入っていく。
「二人で帰れよ。俺は呼び出し食らったからよ、急ぐんだ。じゃあな。」
「あ、アリー…今日は…その…サンキュ。」
ニールの言葉にヒョイッと片手を上げて返事をし、アリーは車に乗り込んだ。
よほど急ぐのか乱暴に発進した車はすぐにスピードを上げて離れていく。
それをじっと見送るニールを、ライルは恨めしげに見ていた。
「で、なんです?御用件は。」
「ほら、見てよ。」
リボンズが示したのは空に浮かぶ月だ。
「…月が…どうかしましたか?」
「綺麗だね。満月だ。」
「は?」
「月見酒ってのもオツじゃない?」
「酒の相手…ですか?」
「だから、彼も連れてきていいって言ったのに。」
そう言って笑うリボンズの目には、いつもと変わらず野心の焔がちらついていた。