蟻ニル

恋人


 深夜、ニールは目を覚ました。
 微かに人の声が聞こえる。
 居座り続ける同居人とは違うその声にギョッとして、すぐにムッと表情を歪めた。
 人の部屋を我が物顔で使うだけでは飽き足らず、誰か人を招いたのではないかと思い至ったからだ。
(…誰かは知らないが、文句言ってやる。)
 見ず知らずの人物を責めるのは少々心苦しいが、文句はアリーに向けて言えばいい。
 その場面を見れば立ち去ってくれるのではないだろうか。
 気後れする自分を叱咤して、誰がいたって構うものかと勢いをつけて寝室を出た。

 一歩踏み出して首を傾げる。
 人がいるにしては変だ。
 リビングは真っ暗だった。
「…………。」
 まだ何か聞こえるが、人の気配はない。
「…おい…?…オッサン?」
 小さめの声で呼んでみても返事は無かった。
 そっとリビングのドアを開けると、ソファにアリーが寝転がっているのが見えた。
「……では次の曲…。」
 その声の主はラジオだった。
 どうやらアリーが点けっぱなしで寝てしまったらしい。
 チッと舌打ちして近づく。

 まったく…。脅かしてくれる。



 スイッチを切ろうと手を伸ばしたところで、ラジオは静かなバラードを流し始めた。

『私の恋人は飛行士で』

 特に聞く気はなかったが、なんとなく『恋人』という単語が耳に付いた。
 不本意ながら自分の恋人ということになっているアリーを軽く睨みつける。

『初めての空を飛んだときに』

『真っ赤な炎を吹き上げながら』

『落ちてきたけど死ななかった』

 くす、とニールは笑った。
 頭の中で歌詞を追想しながら当て嵌めてしまう。
(初めてこの部屋に来た時に、真っ赤な血を噴き出しながら、ベランダに落ちてきたけど死ななかった…ってか?)

『それからもずっと生き続けて』

『私の隣に今もいるわ』

 そこまで聞いたところでバチンと乱暴にスイッチを押した。
(それからもずっと生き続けて、今もここにいるよ!チクショウ!!)
 恋の歌であろうこの曲が、この先『愛してる』だの何だのと言い始めるのだろうと思うと腹立たしくて聞いていられない。
 つい強く舌打ちをしてしまった。
「…ンあ~?」
 寝ぼけたような声を出し、アリーがモゾっと動いて目を開ける。
 しまった起こしてしまった、とニールはもう一度小さく舌打ちをした。
「おやすみ。」
 今は夜中で、まだ寝てていい時間だということを伝えるためにそう言って立ち去ろうとすると、腕を取られた。
「なんだぁ?襲いに来たのか?」
「はあ!?」
 抗議の声を上げながらも引き寄せられて、ニールはソファの横に尻もちをついてしまった。
 ガバッと圧し掛かられて身を固める。
「違っ…!ラジオ点けっぱなしだったから…!」
 幾度かの経験からこうなってしまうともう逃げられないと知っている。
 半ば諦めかけたところで、急にアリーの力が抜けた。
(…あれ?)
 縮こまったまま、そっと目を開けると、アリーは寝息を立てていた。
「…オイ、オッサン…。」
 呼んでも起きそうにない。
(チクショウっ!脅かしやがって!!)
 殴りたい衝動に駆られるが、殴って今度こそ起きてしまうと本当に襲われかねない。
 仕方無くニールは慎重に相手の体の下から抜けだした。

 逃げ帰るように自分のベッドに潜り込んで目を瞑る。
 鼓動が激しくて暫くは眠れそうになかった。
「…ちくしょう…。」
 圧し掛かられただけだというのに上気している自身への戸惑いと苛立ち。

 チクショウ、と何度も頭の中で繰り返した。
(期待したわけじゃないからなっ!)
 負け惜しみのような台詞が空虚に散った。




続く
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