蟻ニル

介抱



 その日は営業の仕事からの直帰で、たまたまニールの住むマンションの近くにいたアリーは何とは無しに寄ってみた。
 終業時間からかなり経っているから、もう帰ってきているだろうと思ってのことだった。

 呼び鈴を鳴らすと、出てきたニールの顔は赤く、体もだるそうにしている。
「…大丈夫か?」
「…?…何が?」
 明らかに熱っぽく見えるのに、本人は気付いていない風だ。
「…調子…悪いだろ。」
 心配するなんて柄じゃないとは思いながらも、他に言う事が思い当たらない。
 コイツをどうやって大人しくベッドに入らせようかと思案する。
 そんなアリーを余所に、ニールはボーっとしたまま答えた。
「…ん~?…そういやぁ、今日は疲れたかな…。」
 そう言いつつ壁に凭れる様は、どう見ても不調だ。
「そう思うなら寝ろよ。」
「…まだ仕事があってさ…。」
「明日休みだろうが。」
「月曜までに仕上げて持っていかねーと…。」
「んなら明日やれ。」
「やれる時にやっておいた方がいいだろ?」

 コイツ、ホントに気付いてないな、と小さく溜め息をつき、何も言わずに玄関を閉めて中に入った。
「おいおい…上がり込むなよ…仕事してるって言ってんだろ?」
「邪魔する。」
 短くそう言って、アリーはニールの額をガシッと掴むようにして中に連れて行く。
 ニールは、おいこら、などと文句は言うものの、抵抗できるだけの余力がないらしい。
 よたよたとアリーの押す方向に歩いている。
 部屋の配置が分からないまま、そこらじゅうのドアを開けて回り、見つけた寝室に無理やり入れた。

 押された勢いでベッドに座り込むと、ニールはムッとした顔で見上げた。
「何のつもりだよ。俺は今日中に仕上げたいんだ。」
「言ったろ?邪魔するって。」
「仕事の邪魔かよっ。」
 突っ込みも弱々しく、項垂れる。
 アリーはその肩を突いてニールを横たえた。
「ちょっ…。」
「仕事は終わりだ。」
「アンタの都合で終わらせんなっての。」
「やだね。」
 押し返そうとするニールの手など気にせず、シャツのボタンを外していく。
「マジで、やめろって。…疲れてるって言ったろ?アンタの相手なんか…。」
「二択だ。」
「は?」
 しっかりと圧し掛かって顔を近付けた。
「俺の相手をしてから仕事をやるか、それとも仕事はやらないか。どっちだ?」

 なんだその選択肢は。
 ニールは頭の中が混乱気味で、よく考えがまとまらない。

 それって…
 1、相手をしてから仕事
 2、相手をするだけ
 ってことか?
 どっちにしろ、俺は疲れた状態で相手しなきゃならないのか?

「いやだ。」
「どっちが。」
「どっちもに決まってんだろ?」
「二択だ。選べ。」
 
 選べと言われても…。
 今の状態で一番は選べそうにない。
 しっかりと嫌な顔を見せ、ニールはボソッと答えた。
「…二つ目。」
「いい子だ。」
 覚悟を決めて目を閉じると、不意に相手の重みが消え、上掛けが掛けられた。
「?」
 目を開けるとアリーは部屋から出て行こうとしている。
「…アリー?」
「保存してシャットダウンすりゃいいだろ?」
 居間にあるであろうパソコンの事を言った。
「あ…ああ。」
 ニールはコクンと頷いた。

 あれ?

 いつものアリーならパソコンのことなんて気にせずに始めそうなものなのにと首を捻る。
 なぜだろう、と考えているうちに、疲労と不調に負け、ニールは眠りに落ちていた。







 ふと目を覚ますと、肌触りのいいものにくるまれている事に気付く。
 着た覚えのないTシャツと仕舞ってあったはずのタオルケット。

 …なん…だ?

 ぼうっとしながら上体を起こすと同時にベッドの足もとに人の気配を感じてビクッと体を震わせた。
 その気配の主が赤髪なのを見てすぐにアリーだと認識する。
 アリーはベッドに凭れるような形で、座ったまま眠っていた。

 …アリーが来て…それで…どうしたんだっけか…。

 押し倒されたよな、と思い出してもその先が思い出せない。

 …着替えてるって事は…したのか?

 にしては記憶に全く残っていない。
 このTシャツもタオルケットも出した覚えがない。
 たっぷり5分間は悩んでいると、アリーがふいっと顔を上げた。
「…よお、起きたのか。」
「…ん…ああ。」
 立ち上がったアリーを見上げる。
 アリーは来た時のままの服装。
 違うところと言えばネクタイをはずし、Yシャツの袖をまくってあるということぐらいだ。
「…あれ?」
 まったく見当も付かず、取り敢えずタオルケットを指差して見せれば、アリーは顔を顰めた。
「適当に引っ掻き廻して探しだしたからな。」
「なんで…?」
 その問いには答えず、アリーは部屋を出て行った。
 何か機嫌を損ねるような事をしたかとニールはまた頭を悩ませた。
 とにかく、後を追おうと立ち上がったところにドアが開いた。
「ったく、寝てろ!」
 アリーは訪れた時と同じように、額のあたりを鷲掴みにして、そのままベッドに押し倒した。
「え!?ちょっ…」
「おら、飲め。」
 気圧されて、差し出されたミネラルウォーターのペットボトルを素直に受け取る。
 そう言えば喉がカラカラだ。
「…サンキュ…。よく分かったな、喉渇いてるって。」
 喉を潤しつつそう言うと、アリーはカシカシと頭を掻いた。
「そりゃあんだけ汗かいてりゃな。」
「?」
「ああ、お前の着てたシャツだのシーツだのは適当に洗濯機に放り込んであるからな。自分で何とかしろよ。」
 コクッとまた一口水を飲み下しながらアリーの言ったことを頭の中で反芻して、やっと事態が飲み込めてきた。
「…そ…か…。サンキュ。世話掛けたな。」
「まったくだ。」

 ニールはかなりの高熱を出していた。
 それに気付かなかったのは判断力も鈍っていた所為だろう。
 薬も飲んでいなかったから熱は上がりきり、掻き切ったというくらい汗を掻いた。
 それで、アリーが着替えさせたというわけだ。

 見ればベッドの傍らに冷却ジェルやタオルも置いてあった。
「ずっと見ててくれたのか?」
「別に徹夜したわけじゃねぇ。」
「…サンキュ。」
「さっきも聞いた。」
 もうお礼の言葉を受け取る気はないらしい。
「熱は下がったみてーだな。」
 そう言われて、さっき額を鷲掴みした時に体温を確かめたのだと気付く。
 昨日もその為にあんな掴み方をしたのか、と思い至って、ニールは柔らかく笑んだ。
「まだダルイから、もうちょっと看病してってくれよ。今日暇だろ?」
「勝手に暇だと決め付けんじゃねぇ。」
「なら二択な。一番、今日は暇だから看病する。二番、今日は忙しいけど看病する。どっちにする?」
 ハハっと笑ってアリーはピースして見せた。
「言っとくが、忙しいのに居てやるんだから、それなりの代償は貰うぜ?」
「了解。なんなりと。」




fin.
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