蟻ニル

『質問』と『応え』






 酒場で出会った男は、ゲイリー・ビアッジと名乗った。



 たまたま一つ席を開けた隣に座ったというだけだったが、ポツポツと他愛ない言葉を交わした後、その男は「気に入った」と言ってロックオンのすぐ隣に座りなおした。

「で、名前は?」

 行きずりの相手に名乗るのを躊躇っていると、男が先に名前を言った。

「こっちが教えたんだから、聞かせてくれてもいいんじゃないか? おあいこだろ?」

 気のいい奴に見え、ロックオンはつい答えてしまった。

「ニール・ディランディ。」

 ロックオン、なんて名前を出せるはずもなく、とっさに出たのは本名だった。

 まあ、彼の名前は特に何かに引っかかる訳じゃない。そこからソレスタルビーイングの事がバレる事はありえないのだから、問題はないのだ。

「ニール、ね。OK、覚えたぜ。」

「あんたの事は、ゲイリーでいいか?」

「ああ。」




 ゲイリーは色々な質問をし、ロックオンも同じ質問を返した。

 仕事は?という問いには、ゲイリーは便利屋だと答え、ロックオンはコンピューター会社の平社員だと答えた。

 特に詮索されている感じはなかったし、話の内容はホントにどこにでもあるもので。

 ロックオンは普通に会話を楽しんでいた。



「少し飲み過ぎたかな。」

 ゲイリーがそう言って店を出るとき、ロックオンは他意なくついて出た。

 人気のない夜更けの道を二人は話しながら歩く。

 そのかなり前方に何かが動くのがちらっと見えたかと思うと、突然ゲイリーが動いた。




 パンッ!!



 銃を出し、その何かを撃ったのだ。



 ギャッというような猫の声がして、それはすぐに逃げて行った。

「ちっ、外したか。」

 冷めた笑顔でそう言うゲイリー。

「お、おいっ! 何すんだよっ、あんたっ!!」

 ロックオンが慌てて相手の手を押えると、ゲイリーは肩をすくめた。

「猫を狙ったのが気にくわねーんなら…」



 パン、パン、パン。



 3発の銃弾は、猫がいた場所のほど近くにあった空き缶に向けて放たれた。

 それは全てかすりもせず。

「…ちぇっ、ハズレ。」

 何の感慨もなさげに呟き、ゲイリーはロックオンに銃を差し出した。

「撃ってみろよ。」

「な…何…」

 驚くロックオンに詰め寄り、また言う。

「撃てるんだろ? やってみろ。」

「う…撃てるわけないだろ?」

 たじろいで、差し出された銃を避けるために身を引く。

 背中がビルの壁に当たった。

「ウソだな。そんな闘いの匂いをさせてるくせに。」

「何言ってんだよ。何の根拠が…」

 反論しようとした唇はゲイリーの唇に塞がれた。

「!?」

 突然の行動にロックオンは一瞬目を見開く。

 でも、抵抗はしなかった。

 すぐに大人しく目を閉じた。



 唇を離すとゲイリーはまた、銃を差し出した。

「ほら、撃てよ。」

 口の端を上げた相手の顔に腹が立ち、ロックオンは唇をかむと銃を受け取り、即座に一発発射した。



 カンッ!



 空き缶が跳ね上がる。



「へーぇ、やるねぇ。」

「まぐれだ。」

 銃を手に持ったまま、顔を背けて機嫌悪く言う。

「ウソツキだな、お前。」

 銃を持った手を壁に押さえつけ、ゲイリーはまた唇を合わせた。

 左手で、くっとゲイリーの胸を押す。

 すると、唇はすぐに解放された。

「あんただって、ウソツキだ。」

 上目使いに見やり、ロックオンは言った。

「わざと外したろ。」

 ゲイリーは笑うだけで答えない。

 ロックオンは続ける。

「こんな街なかでいきなり撃つなんて、下手な奴がやったら危険極まりない。腕に自信があるから撃ったんだろ。じゃなきゃ、イカレタ奴だ。」

 肩を竦め、ゲイリーは言う。

「なら、そうなんだろ?」

 余裕の笑みが気に食わず、ロックオンはムッとする。

 ゲイリーは手を差し出した。

「返せよ。」

 自分の手の中の銃を見てしばし考え、ロックオンはそれをジーンズの腰に収めた。

「おいおい。」

「…あんたみたいな危ない奴に返せるかよ。俺が預かる。」

 それを聞いて、ゲイリーはまた笑みを見せる。

「ふん、分かった。預けとくぜ? 次、会う時までな。」




 全く予期せぬまま、自分が戦いに従事しているとバレてしまった。

 そして恐らくは、向こうも軍関係者だ。



 どこまで知られた?



 ソレスタルビーイングの事は?



 彼が軍人で、どこかの軍に所属しているとして、調べられるのはどこまでだ?



 ロックオンの胸の中で警鐘が鳴る。

 危険な男だ。

 もう、拘わらない方がいい。



 そう、もう拘わらない方がいい。

 何度もそう自分に言い聞かせるものの、次の瞬間にはまるで言い訳するように、反対の意見が出てくる。



 どこまで知られているのか、確かめなくては。

 そして何か疑われているようなら、彼の目を逸らさせなくては。



 ぐるぐると同じことを悩み、二日後、ロックオンはまたあの酒場に行った。



 ゲイリーは前と同じ席にいた。



 どくん、と鼓動が高鳴る。



 近づいては、



 いけない。



「よ。」

 軽く手を上げるゲイリーに、ロックオンは笑顔を向け歩み寄った。

「来てたのか。」

「約束、したからな。」

 ロックオンは首を傾げながら席につく。

「約束?」

「しただろ? 次に会う時まで預ける。」

「あ、…ああ、そうか…。」



 また二人で店を出た。

 歩きながら、ゲイリーが手を出す。

「約束。ホラ、出せよ。」

 苦笑いを返すロックオン。

「わ、悪い…。今日会えると思ってなかったから、持ってねーんだ。」

「ふん、ま、いっか。」

 疑うように横目で相手を見て、ゲイリーはニヤリと笑う。

「次会う口実が出来たってことだな?」

 差し出していた手を上の方に持って行き、相手の耳たぶに触れる。

 ビクンと体を震わし、ロックオンは一歩身を引いた。

「ちょっ…」

 ゲイリーの手はするりとロックオンの後頭部を捕え、次の瞬間、唇が合わさった。

「!!」

 予想してなかったわけじゃない。

 でも、ロックオンはたじろいで動けなかった。

 長いキスの間に、ゲイリーは相手を引きよせ腰に手をまわした。

「あ…。」

 唇を離すと同時に、腰に収められていた銃を取り出すゲイリー。

「お前、ホント、ウソツキだなぁ♪」

 楽しそうな笑顔を見せ、ゲイリーはそう言った。

 ふいっと目を逸らし、ロックオンは困ったように笑って見せた。

「ホラ、…それ…返しちまったら…会えなくなるだろ?」

「なるほど?」

 言って身を離し、ゲイリーはくいっと顎で前方を示した。

「来いよ。」






 ホテルの一室で、一人服を着ながら考える。



 身元がバレるような物は何一つ持っていない。

 大丈夫だ。

 疑われているにしても、「何か」がバレるようなことはない。

 うん。問題はない。



 ジーンズに足を通し、立ちあがって整えたところで携帯が鳴った。

 ハッとして手に取ると、ついいつものようにボタンを押してしまった。

『ロックオン~? 定時連絡忘れてるよ~?』

「わ、悪いっ! 今、取り込み中だ! 後で連絡するって、ミススメラギに言っといてくれ。」

 慌てて小声でそれだけ言うと、一方的に切った。

 ふう、と息をつく。

 そこに。

「女の声だったな。」

 背後に立ったゲイリーが、耳元でボソッとそう言った。

「うわあっ!!」

 飛び退いて振り向く。

 ククク、と笑うゲイリーはシャワールームから出てきたところで、腰にバスタオルを巻き、わしわしと髪を拭いていた。

「電話くらいすりゃーいーじゃねーか。別にもう『取り込んで』ねーだろ?」

「いいんだよ、急ぎじゃねえんだから。」

 ムッと膨れて見せると、またゲイリーは笑った。

「定時連絡、ねぇ。随分と平社員を縛り付ける会社だな。」

 前に言ったことなどもう嘘だと分かっていながら、そんな事を言う。

 笑う相手に不機嫌な顔を向けて、ロックオンは返した。

「いいな、便利屋稼業は自由そうで。」

「ハハハ、そうだな。」

 こちらばかり詮索されているのも面白くない。

 そう思ってロックオンは切り返した。

「便利屋なんて職業なのに、なんで銃なんか?」

「今時、その辺のガキでも持ってるだろ?」

 しれっとそう返すゲイリーにさらに言う。

「持ってるかもしれねーけど、使いこなせるかどうかは別だろ?」

「それを言うなら、お前ほど銃を扱いなれてる奴が持ち歩いてねーって方が不自然だぜ?」

「それは…」

 相手の事を探ろうとすれば、それは自分を曝け出すことになる。

 今更ながら、話の切り口が悪かったと後悔し、ロックオンは口籠った。

「この前は持ってたろ? でも、今日は俺のしか持ってこなかった。」

 なんでだ?と顔を覗き込まれ、ロックオンは視線を逸らした。

 この間だって、自分の銃を見せたわけでもないし話にも上らなかった。
 なのに相手には知られていて。

「…返すつもりがなかったからだよ。銃は一つあれば充分だ。」

 本当は少しでも一般人らしく見せたかったからだが、もうそれは無駄なことだった。

「…ふん、まあ、その答えでもいいか。俺とまた会いたいってことにするなら。」

「…別…に…」

 会いたいわけじゃない、と言いかけて、さっき気のあるそぶりをしたのは自分の方だったと思いだす。

「別に…なんだ?」

 何もかも見透かしたような目でロックオンの顔を見るゲイリー。

 髪を拭いていたタオルをポンっと近くの椅子の背もたれに投げ、二の腕を掴んで引き寄せた。

「……っ!!」

 答えないロックオンの唇を塞ぐ。

 抱き寄せられたロックオンは、長く深いキスに次第に上気していく。

「んっ! んー!!」

 とんとんとゲイリーの胸を叩いて、軽い抵抗を見せた。

「何だよ。」

 唇は解放されたものの体はぴったりと寄り添ったままで、赤い顔を背けては見ても上気した自分の熱は隠せそうにない。

「や、やめろよ。…もう帰る…。」

「帰ったら、二度と会えないかも知んないぜ?」

 それでいいんだ、会えない方が。

 あんたが軍人なら…、確実に敵じゃないか。

 そう思ってから疑問が湧いた。

 俺は、…会いたいのか…?

 だから…苦しいのか?




 泣くような顔を見られたくなくて、ロックオンはゲイリーの肩に頬を乗せた。

 ふと目につく刺青。

 今時、刺青を入れるのはどこかの民族ぐらいのものだ。

 先刻官能の中で見た時も、ぼんやりとそう思っていた。

「あんた…少数民族出身か?」

「…さあな。お前はアイリッシュだろ?」

 ゲイリーの肩に顔を伏せ、目を瞑る。



 まただ……。

 また…。



「ずるい…。」

「ん?」

「俺はあんたと同じ質問してるのに、なんであんたばっかり、いろいろ分かってんだよ。」

 ククッとゲイリーは笑った。

「知りたいなら聞けよ。答えてやる。」



 あんたは軍人なのか、と聞けば、あっさり答えてくれそうな気がした。

 でもダメだ。

 仮に答えを引き出せたとしても、すぐにまた切り返される。

 こちらの事を知られてしまう。



 ロックオンが黙っていると、ゲイリーは体を離した。

「ま、好きにすりゃーいい。帰るにしろ、質問するにしろ。」

 肩を竦めて見せる。

 ロックオンは背中を向け、俯いた。

「あんたは…。」

 何を聞こう。

 何を聞けば…。

 考えても、出口のない迷路に迷い込んだ状態からの活路はなく。




 急にロックオンはバカらしくなってしまった。

 自分の疑問なんてどうでもいい。

「…あんたは…俺の何を知りたいんだよ。」

「んあ?」

 意外な質問に、ゲイリーは間の抜けた声を返した。

「…お前の事なら何でも?」

 気の抜けた顔でそう答える。

「それじゃ答えたことにならない。何が知りたいんだよ。例えば何を。」

 ムッとした顔を向けると、ゲイリーは天井仰ぎ見て、人差し指でカリカリと頬を掻いた。

「…どこの軍人かな、とか…。」

「他には?」

「他?…ま、ぶっちゃけ、軍が俺に何の用だ、とか。」



 何?

 …てことは、こいつ、軍人じゃないのか?



 すとんと気の抜けたような表情に変わったロックオンを見て、ゲイリーも「あれ?」と疑問符を浮かべる。

「…何だ? 勘ぐりすぎか?」



 違った。

 違っていたんだ、互いの予想は。



 ロックオンは少し下を向き、ハハッと笑った。

 そして決心した。

「帰るよ。」

 予想は違っていた。

 しかし、ゲイリーはすぐに次の疑問に辿り着くだろう。



 なら、なぜニールがこうまで警戒していたのか、と。



 そこからソレスタルビーイングに思い至らないとも限らない。

 例えゲイリーが軍人でなくても、それを知られるわけにはいかない。

 だから、すぐに離れなくては。

「いいのか? 次の約束はないぜ?」

 ゲイリーの言葉に笑みを見せる。

「いいさ。別に会いたいなんて思っちゃいない。」

 ゲイリーはククッと笑った。

「お前はウソツキだからなァ。」

「あんただってウソツキだ。」

 ふふっと二人は笑い合う。

 ややあって、ゲイリーはトーンを落として言った。

「なら、ひとつだけ、本心ってのを言っといてやる。」

「…え…?」

「俺は神なんて信じねえ。でも最近、運命の廻り合わせってのはしんじてもいいかと思ってんだ。」

「…廻り合わせ?」

「ああ、この前、笑えるような廻り合わせで再会した奴がいてな。そーゆーのもアリかと思ったんだ。…お前とも、会えるかもしれん、と思ってる。」




「へーえ?」

 気のない返事と軽いキスを最後に、ロックオンはその部屋を後にした。



 暗い道を一人で歩く。

 ふふっと笑って呟いた。

「俺は信じないね、そんなもんっ!」

 近くにあった空き缶蹴とばし、軽く走りだす。

 ステップを踏むように駆け、歌を口ずさんだ。



♪~一度捕まえたらはなさない 実態ナゾの多きレプタイル 出会ってしまったサタデナイト~♪

 もう一度空き缶蹴って。

♪~魔性のそぶりにやられた誰も彼も 理性失う 我見失う だんだんハマル癖になる是は 浮き沈み激しいヤバイリズム~♪

 ハハッと笑って天仰ぎ見る。

 タタッと駆けてステップを踏む。

 くるっと回ってみたり、

 軽くジャンプしてみたりして。



 うろ覚えの歌は、かなりリズムも音も怪しく徐々に途切れていく。

 でもはっきりと覚えている最後の歌詞だけは正確に。



「♪~オワリハハジマリ ハジマリハオワリ!」



 歌が終わると同時に歩調を緩め、わずかに振り返った。



「俺は信じないさ。」



 心の奥の一番深いところで、彼自身気付かない小さなざわめきが起こった。





 あればいい、そんな運命の廻り合わせが…。












fin.
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