ショートショート

一片の花弁



「見損ないましたよ、イアン・ヴァスティ。」
 ティエリアが言った言葉にイアンは顔を顰めた。
 気難しい奴だと思ってはいたが、顔を見るなりそんな事を言われる理由は思い当たらない。
「何だ、不躾だな。」
「彼女の事です。」
 ティエリアが言った『彼女』とは、最近このプトレマイオス2の乗組員になったばかりのイアンの娘、ミレイナの事だ。
 ミレイナがどうかしたのかと問えば、ティエリアはそんなことも分からないのかと言った風に半ば呆れた声を出した。
「あんな子供をCBの活動に参加させるなんて、あなたはそれでも親と言えるのか。」
 イアンは顰めた顔を真面目な表情に変え、見据える様にティエリアに正対する。
「それが一番いいと思ったからだ。お前さんの心配することじゃないよ。それに、フェルトが最初に仲間になったときだって、同じぐらいの年だったと思うが?」
 フェルトは、優秀だから…とティエリアは言いかけて口を噤んだ。
 優秀さをいうなら、ミレイナも充分な能力がある。
 それでもそんな事に腹立たしさを感じるようになったのは、ティエリアが変わったからだろう。
 以前のティエリアなら、ヴェーダが推奨する優秀な人材であれば例え10歳の少女だったとしても何も感じなかったはずだ。
 理屈と自分の中の感情との折り合いの付け方がまだ分からないでいる。
「フェルトは…ご両親が亡くなっていて、止める人間がいなかった。ミレイナは違う。あなた方夫婦が心底反対すれば、止めることが出来る筈だ。」
「軽い気持ちで参加させてるわけじゃない。妻と娘と三人で、何度も話し合った結果だ。」
「ここに居るという事は、罪を背負うという事だ。分かっているのか。」

 その考え方も、以前のティエリアにはなかったかもしれない。
 愚かな人間の愚行を止めさせるための自分たちのミッションを崇高だと思いこそすれ、罪だなどという考えは頭の隅にも上って来なかっただろう。
 ただ知識として、ここに居る人間達がそういうものの考え方をしているのだと知っていただけにすぎない。
 それを罪だと思うようになったのはいつの頃からか、ティエリア自身、己の中で戸惑うことがある。
 それでも言わずにはいられなかった。
 信頼していた仲間であるイアンが自らの娘を人身御供に差し出したかのように見えてしまったことが腹立たしかった。

「分かっているよ。それでも、そうしようとわしらは結論付けたんだ。」
「…あんな子供をっ…。もういいっ!あなたとは話したくない!」
 そう言って去っていくティエリアを、イアンは困り顔で見送った。
 そういう批判は覚悟していた。
 しかし、最初にその批判をぶつけてきたのがティエリアだったのは意外だった。
「変わったな、アイツ。…ロックオン、お前さんの所為か?」
 もういない仲間に、イアンは話しかけた。







 それから暫く、ティエリアはイアンを避けるようになった。
 それだけではなく、ミレイナに対しても冷たく当たっていた。
 小さな失敗をねちねちと責めては、君はCBのメンバーに相応しくないと一蹴して見せた。
 ミレイナに音を上げさせて、ここから去らせようと思っての事だった。
「シミュレーションをこなせなかったらしいじゃないか。やはり、君はここに居るべきではないな。能力の足りないものが居ては足手まといだ。早々にメンバーから外れてもらいたい。」
「ごめんなさいですぅ…。でも、頑張りますですっ!」
「無能な人間が頑張ったところで知れている。諦める事だ。」
 そう言って背中を向けたティエリアの後ろで、ミレイナは唇を噛んで涙をこらえていた。



 自分のシミュレーションを終えてティエリアが休憩室に行くと、そこにある机にミレイナが突っ伏していた。
 眠ってしまっているのだとすぐにわかり、そっと近づく。
 見ればミレイナの手の下にはコンピュータプログラムについての難しい解説書が開いてあった。
 ティエリアでさえそれを読破するにはかなりの時間を要するだろうという代物だ。
 突っ伏した体の下にはレポート用紙があり、右手にはペンが握られていた。
 普段からよく勉強しているのだろうと解る、綺麗なまとめ方をしてある。
 こんな小さな子がどれだけの努力を強いられてきたのだろう、とティエリアは心が痛んだ。
 不憫に思う。
 でも、ここから抜けさせる方法として、冷たくする以外思いつかない。
 再三の抗議はしたが、何故かティエリアの意見に積極的に賛同する者がいなかった。
 他に人材がいないというのが最大の問題だったのかもしれない。

 あれこれと考えながら、ティエリアは収納からブランケットを出した。
 このまま放っておいて風邪をひいたらそれを責めることもできるが、流石にそれは可哀想な気がする。
 病気というのは体だけでなく心も蝕むのだとどこかで聞いた。
 そこまで追い詰めるわけにはいかない。
 そっとブランケットを掛けると、ミレイナはピクッとまつ毛を揺らした。
 ドキッとする。
 さっさと立ち去るべきかと思ったが、部屋から出る前にミレイナは目を開いてしまうだろう。
「ん…。ハッ!しまったですっ!」
 寝てしまっていたことを後悔したらしく、そう言って急いで体を起こす。
 そこでブランケットに気付いたようだった。
「…あ…ああっ!アーデさんっ!もしかして、掛けてくださったですか!?」
「…あ…あ、………だらしなく寝ているのを見かけてしまったからな。」
「すみませんですっ。ありがとうございますですっ!」
 立ち上がって深々と頭を下げるミレイナにどう返していいか分からず、ティエリアはプイっと顔を背けた。
「…無理をしている様だ。………そんな風でやっていけるとは思えないな。本気で抜けることを考慮すべきだと思うが?」
「…すみませんデス…。」
 消え入りそうな声でそう言って、ミレイナはすとんと椅子に腰かけた。
 その様子に、今なら説得に応じるのではないかという気がしてティエリアは向かいの席に座る。
「君はそんなに無理をして頑張っているが、そんなギリギリな状態では現実のミッションをこなせないんじゃないか?」
 ショボンとしたまま、ミレイナはまた「すみませんです。」と謝った。
「謝罪が聞きたいわけではない。能力的に、君には無理だと言っている。君がここを去ると言えば、人材は他から探してくるはずだ。君ぐらいの人間なら五万といるだろう。」
 本当は他の人材があるかどうかティエリアには分からない。
 こんな子供をよこすぐらいなのだから、人材がないと考えるのが妥当だろう。
 ミレイナは唇に力を入れて黙っていた。
「大体君は分かっているのか?私達は戦争をする組織だ。つまり、人を殺すという事だ。君が自分の手で人を殺すことはなくても、私達が殺す以上、同罪なんだぞ?子供が軽い気持ちで参加することではない。」
 そこまで言ったところで、ティエリアはミレイナの様子をじっと窺った。
 きっとこの子は単に父親の手伝いがしたいという理由で来たに違いない。
 ここに居る重みを知らなかったのだと。
 すると、ミレイナはややあって顔を上げた。
 その顔はきりっと引き締まって見えた。
「軽い気持ちではないです。ミレイナはミレイナなりの考えでここに来たです。パパもママも反対したけど、それでも、参加したかったのです。」
 今まで見たことのない、強い眼差しにティエリアは気圧されていた。
 目を逸らして言う。
「大人ぶってそんな事を言うものではない。後悔することになる。」
 でも、とミレイナは言った。
「確かに子供ですけど…きちんと考えたです。今の世の中を変える為にCBの活動は必要なことだと思ったです。」
「イアン・ヴァスティの受け売りだろう、それは。」
「…違うです。自分で思ったです。」
「信じられないな。」
 冷たく言い放たれて、また暫し黙る。
 しかし、ミレイナはいつもより落ち着いた声で、静かに話しだした。
「これは…パパとママ以外には言ってない話なんですけど…。」


 ミレイナはCBの施設の中で育った。
 同年代の子供がいなかったせいで友達と遊ぶという機会はなく、その代りに手のあいた大人たちがかわるがわる相手をしてくれた。
「皆さん、それぞれ深い傷を持ってたです。それを抱えたまま、誰にも話せずに苦しんでいる人が多かったと思いますです。」
 基本的に、個人情報を互いに秘密にすることが決まりになっている以上、その苦しみを誰かに話すという事はない。
 しかしそれではやはり人は持たないのかもしれない。
 その歪みが、ミレイナのところで吐き出されてしまっていた。
「ミレイナが喋れない頃から、多分いろんな話を聞かされてたです。いろんな人の涙を見てきたです。だから…小さな頃から、この世界が間違ってるって…そう、思ってたです。」
 気を張って仕事をしている間は笑っていられても、一人になると押さえていた感情が湧きあがってくる。
 赤ん坊の世話をする為に部屋に入った人物が、そこで人知れず涙を流したとしても不思議ではないだろう。
 ミレイナに話すことで心の平穏を保つその人物が、彼女が成長してからも続けて心のよりどころとしてしまったことも。
「…君は…。」
 ティエリアは何と言っていいか分からなかった。
 その大人たちを断罪したい気分にもなるが、その大人たちには必要な場所だったのだろう。
「そりゃあ、聞きたくない話もありましたですよ。…でも、みんな苦しいんだってことが分かったですから、…だから、早く大きくなって、みんなの苦しみを消してあげたいって…。」
「それで…。」
 うん、とミレイナは頷いた。
 そうか、とティエリアは静かに返す。
「邪魔をした。すまない。」
 ティエリアは立ち上がりその場を離れようとして、足を止めた。
 悪い事をした、何かお詫びをするべきだろうか、と思ってもそのまま素直に謝る気にもなれず、考えを巡らす。
「…珈琲を飲もうと思うのだが…君も飲むか?ついでだから入れてくるが。」
 ミレイナはキョトンとティエリアを見返した。
「…え…あ、あの…ありがとうです…でも…その…苦い物は苦手で…ココアなら大丈夫なのですが…。」
「そうか、わかった。入れてこよう。」
 そう言って背中を向けると、ミレイナは慌てて立ち上がった。
「い、いえっ!そんな雑用をアーデさんにさせるわけにはっ!自分で入れてきますですっ!」
「気にしなくていい。」
「いえ!自分で出来る事は自分でしますですっ!」
 ムキになって横をすり抜けようとしたミレイナの肩を捕まえ、ティエリアは机の方に押し戻しす。
「座っていろっ!」
 怒ったような声にミレイナはビクッと体を震わして止まった。
 しまった、とティエリアも動きを止める。
 どうして自分はこうも不器用なのだろう、と沈んだ気分になってしまう。
 すごすごと椅子に戻ったミレイナは暗い顔になってしまった。
 こんな時どう言えばいいのか。
 人というものを自分に教えてくれた彼なら、こんな失敗はしないのだろう。
 彼だったらどういうだろう、とティエリアはミレイナに背中を向けたまま暫し考える。
 そして、うん、と頷いて振り向いた。
「人の行為は素直に受け取るもんだぜ?」
 言葉の後にパチンとして見せたウインクは、ぎこちなかった。
 それでもミレイナには充分伝わったようだった。
 もう一度立ち上がって元気にお辞儀をした。
「ありがとうございますですっ!!」
 『ございます』の後に『です』は要らないのだが、と思ったがそれは彼女の持ち味なのかもしれない、と考え直し、指摘はしないことにしてココアを入れに行く。
 小さな仲間を、ティエリアはやっと受け入れる気持ちになっていた。





fin.
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