ショートショート

守るべき平穏




 結局望む形にはなれなかったが、ビリーの心中は穏やかだった。
 一度は恨んだ想い人と、どうであれ和解できたのだから。
 彼女があの組織にいることは、今でも少し心配だ。
 でも、世界が平和である限り、あの組織は動かない筈。
 自分は自分のやり方で、今の平和を維持するよう努めればいい。

「…なんて言っても…兵器を開発しているようじゃ駄目かな…。」
 研究者の悲しいさがだな、と思うのは詭弁か。
 それでもオートマトンの様な殺人マシンだけは決して作らないと心に決めている。
 人の手で動かし、人の心で戦えるものを作るのだと。


 いつものようにパソコンに向かっていると、入口に人の気配を感じた。
 ふいっと顔を上げると同時に声が掛った。
「ビリー、邪魔をしていいか?」
「ああ、グラハム。いらっしゃい、歓迎するよ。」
 訪れたグラハムは軍服ではなくスーツ姿で、あの仮面は外していた。
 その心変わりにビリーは優しく笑みを浮かべる。
「もうあの仮面はいらないのかい?」
 グラハムはその言葉に居心地悪そうに顔を背けた。
「…少し思うところがあって…いや…違うな。…分からなくなってしまったんだ。」
 その様子を彼らしくないと一旦思ってから、それは違うと頭の中で否定する。
 彼は突き進み過ぎた。
 だから今、考える時期に来ているのだろう。
 そういう時間が必要だ。
 ビリーは自分が座っているすぐ傍の椅子をすすめた。
「分からなくなった、か。僕にしてみれば世界は分からないことだらけだよ。」
 そういう性分だから、研究なんて面倒な事をやってしまうんだろう。
「…そうか…?…私は何かを掴んだ気をしていたのだが…それは間違いだったようだ…いや…間違いだったのかどうかも掴めていない。」
「人間というのはそういうものさ。何度もつまずいて、何度も思い悩む。答えなんてないに等しい。」
 グラハムが腰かけるのと入れ替わるように、ビリーは珈琲を入れる為に立ち上がった。
 その背中を目で追いつつ、グラハムは小さく溜め息を吐く。
「サトリはないというのか?君は。」
「悟りを開いたつもりでいたのなら、僕は君に異議を唱えたいね。」
「…私は…いや、そうだな。こうして思い悩んでいるのが悟っていない証拠だ。」
 しばしの沈黙が流れ、ビリーが席に戻った。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
 そう言ってカップを受け取ったグラハムを一瞬違和感を持って見てしまう。
 少し前の彼なら、「かたじけない。」ぐらいのことを言いそうだ。
 そんな日本かぶれな部分も削がれたのだなと納得した。
「…僕はね、少し君に悪い事をしたと思っている。…いや、正確に言うと、伯父が迷惑を掛けたなと…。」
「迷惑?カタギリ指令が?」
 何故ビリーがそんな事を言い出したのか全く見当がつかないといった様子で、グラハムはカップを傾ける手を止めた。
「もう指令ではないよ。ただの人として死んだ。」
「…自害なさったと聞いた…。葬儀は親族だけで済ませたそうだな。」
「うん、事が事だったからね。」
 それで何が迷惑だと思うのかと問われ、ビリーは悲しげな笑みを浮かべた。
「伯父の日本かぶれが君にうつっただろう?」
「それの何処が迷惑だと?日本文化は素晴らしいと今でも私は思っている。」
「僕だって文化を否定する気はないよ。それに伯父の場合、生粋の日本人として育った背景もあるからね。その事まで否定する気はない。」
 ホーマー・カタギリは遺伝的に言えば他の国の血も混ざっていたが、育ちは純日本と言っていいほどだった。
 グラハムが武士道だのなんだのとのめり込んだのも、しばらく彼の家に世話になっていたからである。
 そういう資料があの家には腐るほどあったのだ。
「前から思っていたんだけどね。君は一度死にかけて、生還してからはその事を『生き恥を晒す』と表現しただろう?そして、またあのガンダムに敗れたあと死のうとまで思った。…それが武士道なのかい?」
「…そう…思っていた。…今は分からなくなっているが…。」
「もしそれが武士道だとしたら、日本人というのはなんて弱い民族なんだろうって思うよ。」
 弱い?とまたグラハムはカップを下げてビリーを見返した。
 自分が信じた物を見下された気がしたのだろう。
 少し眉間にしわが寄っている。
 親友に対してちょっと不用意な物言いだったかとビリーは苦笑いで続ける。
「負けたら恥、そのまま生き続けても恥、恥をかいて生きるぐらいなら死んだ方がましだって、そういう事じゃないのかい?」
「それは違う!そういう弱さから来ている道理ではなくてだ、武士道というのはだな…。」
 説明を続けようにもグラハムの中にも今は確固とした信念があるわけでもない。
 そして自分はどうだったかと思い返してみても、どういう心理で死のうと思ったのかよく思い出せない。
 ただ、武士道という言葉に釣られていたとも思える。
「…その…。」
 信じた物を説明できない歯痒さに、グラハムの眉間のしわは深くなった。
 うん、とビリーは頷いた。
「分かるよ。君が言いたい事は。でもね、僕は君に生きていて欲しい。例え周りに敗北者だと誹られてもね。だから君が武士道に沿って死ななかったことを嬉しく思っているんだ。」
「…ビリー…。」
「伯父は…伯父にはそう思ってくれる人はいなかったのかな…なんて。」
 本当はいただろう。
 葬儀の後、彼の妻は泣き崩れていた。
 周りの者は生きていて欲しいと思っている。
 それなのに死んでしまったのだ。
 それが武士道なのか?
 ならそんなものは要らない。
 少し考えに入り、ビリーは珈琲を啜った。
 そしてぽつりと言った。
「辞世の句がね、あったんだ。」
「ああ、聞いている。内容は?」
「親戚の中に詳しい人がいて説明してくれたよ。覚悟の上の罪だったのだと、その償いをするのだと詩っているらしい。」
「…やはり…。」
「でもね、グラハム。僕には別の意味に聞こえたよ。」

 罪を犯したくなんかなかった。
 正しく生きたかった。
 こんなはずではなかった。

 伯父は正義を求める人だった筈だ。記憶にある限り。
 悪人になる覚悟が本当にあったんだろうか。

「本当に覚悟の上なら、悪人だと誹られる覚悟が付いているなら、そんな辞世の句を遺す必要はない筈だよ。それなのにそんなものを遺していった。未練タラタラじゃないか。じゃあ死ななければ良かったんだ。」
 こつんとビリーのカップがデスクを叩いた。
 左手で顔を覆うようにして俯いた。
「ビリー。」
「君は死なないでくれグラハム。僕にとっちゃ武士道なんてクソくらえだ。例え生き恥だと思っても、それでも生きてくれ。」
「…わかった。約束する。私は死なない。」
 自分には武士道など要らないのかもしれない。この約束があれば。
 グラハムは自身の中で納得をして頷いた。
「…そう言ってくれて嬉しいよ。」
 やや間を置いて、ビリーがそう言った。
 笑顔を見せてはいるが眼尻に少し涙が浮かんでいる。
 身近な人の死というのは誰にとってもつらいものなのだとグラハムは再確認していた。
 冷めかけた残り少ない珈琲を飲み干して立ち上がる。
「…そろそろ行くよ。邪魔をした。」
「そうかい?すまないね、暗い話をしてしまった。」
「いや、私にはいい友人がいるということを思い出させてくれた。感謝する。」
 来た時よりも明るい顔になったグラハムに、ビリーもふわりとした笑顔で答える。
「友人じゃなくて親友だろ?」
「ああ、失礼。親友だ。」
 はは、とグラハムは笑った。
 そのまま片手を上げて背中を向けたのを見て、ビリーは声を掛けた。
「あ、グラハム。」
「何だ?」
 グラハムはくるっと体全体で振り返る。
「君、その顔の傷は消さないのかい?」
 前から気になっていた事を聞いてみた。
 少し前のグラハムなら武士道がどうのと返されてしまいそうだからとそっとしておいたのではあるが。
 消せないわけではない筈だ。
 細胞異常が出ている様子もない。
 ごく普通に訊ねたつもりだったのに、グラハムはふいに目を逸らした。
「…これか…。」
 その様子に突如ビリーの中に不安が湧きおこった。
「…まさか、細胞異常があるのを隠していたのかい?」
「…いや…そうじゃないが…。」
「…じゃあどうして…。」
 他に言えない理由があるのだろうか。
 考えを巡らせても思いつかない。
 心意気の問題だというのならグラハムは隠さずに言う筈だ。
 不安にあれやこれやと考えていると、グラハムは拗ねた子供のような顔をしてボソッと言った。
「…これは…君にだから言うのだが…。」
「何だい?」
「…私は病院が嫌いだ。」
「…え…?」
「…とてつもなく嫌いだ。」
 呆気にとられて言葉を返せずにいると、グラハムは力説し始める。
「どれくらい嫌いかというとだな、幼児期に砂利道で転んで出来た膝の傷に小石が入り込んでいた時、頑として大人を寄せ付けず自分で取り除いたことがあるくらいだ。死にかけていた時はうむを言えず病院送りだったが、極力短期間で退院してやった。人に体を触られるのが嫌いなんだ。特に痛くされることが。私の体をいいようにされてたまるか。」
「…君、医療というものを分かっているかい?」
「分かっている。サディズム極まりない行為だ。」
 本当はちゃんと理解しているだろうにムスッとした顔でそう言い放つグラハムを見て、ビリーは噴き出した。
「わ、笑うな!」
「…だって、君…。」
 クククと笑いをこらえて言葉を出すが続かない。
 途切れ途切れに「君の武士道の裏にそんな秘密があったなんて。」と腹を押さえつつ言った。
 なかなか笑いが治まらないビリーを恨めしげに睨む顔は真っ赤だ。
「…親友だから話したんだぞ。そう笑わないでくれないか。」
「ご、ごめんごめん。」
 親友だからと打ち明けてくれたなら、あまり笑っちゃ悪いかな。そう思ってやっと治まった。
 ふう、と息を吐く。
「うん、ごめん、親友だものね。でもグラハム、再生治療はそう痛い事はしない筈だから傷を消したらどうだい?」
「注射ぐらいはするだろう?」
 注射もダメなのかとまた笑いたくなるが堪えて答えた。
「傷を残す意義がないなら、それぐらい我慢するべきだと思うよ。」
 まだ納得はしないながらもグラハムは暫し考えて小さく頷く。
「…分かった。検討する。」
 じゃあ、と去っていく背中を追って、ビリーも廊下に出た。
「この足で病院に行くんだよ。」
 母親のような事を言って手を振った。



 部屋に戻ってドアを閉めるとまた笑いが込み上げた。
 彼は病院に行くだろうか。この親友の助言を聞いて。
 次に会う時が楽しみだ。
 自分にはこんな穏やかな日常があるのだと嬉しく思う。
 親友も愛する人も生きている。

 だからこそこの平和を守らなくては。

 ビリーはまた研究に没頭し始めた。




fin.
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