ショートショート

笑顔



 テロで家族を失って、俺は悲しいのと同時に途方に暮れていた。
 葬儀を終えると、ライルはあまり会話をしないまま、寄宿舎に帰るからと出ていった。
 まだジュニアスクールに在籍していることもあり、家族で暮らしていた家で一人で暮らすと言った俺の希望は聞き入れられなかった。
 唯一の親戚である、母方の叔母夫婦の世話になることになってしまった。

 叔母には子供がいなかった。
 どうやら、夫婦そろって子供嫌いらしく、そう言えばあまり付き合いはなかったなと思い出す。
「子供扱いする気はないわよ。」
 冷たい口調でそう言われ、俺は結局一人暮らしするのとそう変わらない生活をすることになった。
 叔母は単に世間体を気にして俺を引き取っただけだったらしい。

 自分の事は自分でしろ。
 困りごとを持ち込むな。

 確かに子供扱いはしないのだろう。
 しかし、口調はいつも命令形だった。

 食事の時にお祈りをしようとすると禁止された。
 俺の両親は敬虔なクリスチャンだったが、叔母夫婦は神様なんて信じないと言っていた。
「毎日お祈りをしていたアンタの家族は、テロで死んじゃったじゃない。私達はお祈りなんてしてないけど生きてるわ?答えは出てるわよね。」
 悔しかったが、俺も納得してしまった。
 神様はいないのかもしれない。


「辛気臭いわね。そりゃ可哀想な境遇だと思うけどね。いつまでも可哀想可哀想なんて言って貰えると思ったら大間違いよ?大人はみんな辛いことがあっても表では笑ってなくちゃいけないのよ。慣れておきなさい。」
 俺がいつまでたっても暗い顔をしているのを見て、叔母はそう言った。
 叔父もこの上なく迷惑そうな顔をした。
「お前がいるだけでこの家が暗くなる。人の家庭を壊すようなことをするな。」
 すみません、と謝る他なかった。
 口答えをすれば、好きでお前を引き取ったわけじゃないと返される。
 さらに、じゃあやっぱり一人暮らしをすると言えば、お前は私たちが後ろ指を指されるような事を平気でするのかと返ってくるのだ。
「笑いなさい。」
 叔母に言われ、無理やりに笑った。




 そんな家で過ごすうち、俺は妙に人に愛想を振りまくようになっていた。
 誰にでも笑いかければ人が集まるようになり、人に囲まれれば嬉しくてその『仲間』を大事にしようと思うようになった。
 うまく人付き合いが出来ていると思っていたのだが、ハイティーンになると少々困った事も出てきた。
 俺がむやみに笑顔を向ける為、時々女性には誤解をされることがあった。
 告白を受けてそんなつもりはないからと断ると、向こうは断られることは想定していなかったらしく、ほとんどの場合罵られるか陰で酷いふり方をしたと囁かれた。
 仲間だと思っていた相手にそんな風に言われてしまう事が怖くなって、断るのをやめてからはまた状況が悪くなった。
 気が付けばいつの間にか、複数の女性と付き合っている事になっていた。
 そして、相手から「私が一番よね?」と詰め寄られれば違うなんて言えず、ニコッと笑って頷いてしまう。

 一度、男の後輩の悩みを親身になって聞いていたら、ソイツから告白されたことがあった。
 流石にそれは断ったが、やはりソイツも酷く罵ってきた。
「誰の誘いでも全部受けるくせに、どうして僕だけダメなんです!?僕が男だからですか!?」
 その言葉には、そうだよ男だからだよ、と返したかったが、泣きながら詰めよって来る相手には言えなかった。
 その時は、すまない、と謝ってその場から逃げだした。




 叔母の家での生活に関しては、時々ライルにも話していたから、ライルは全く寄りつかなかった。
 でもそのことも叔母たちは気に入らなかったらしい。
「あの子は何を考えているのかしら。仕送りだってウチからしてるのよ?挨拶くらい来たらどうなの。」
 ライルの事でも俺は小言を言われる羽目になった。
 その事を伝えると、ライルは憤慨しながらも挨拶にやってきた。
「俺達の生活の金は父さんたちの保険金から出てるんだろ?何で文句言われなきゃなんねーんだよ。」
 ぶつぶつといいつつ、ライルは叔母夫婦の前に行くとシャンとして対応した。
「アナタの学費が卒業まででこの金額、それに生活費は月これ位でいいわよね? 計算すると全額でこうなるの。だから、アナタの口座にこれだけ振り込んだら、後はこちらで管理していいわよね?ニールにもまだお金はかかるんだし。」
「はい、問題ありません。後は叔母さんたちにお任せします。」
 その生活費はぎりぎりの額だった。
 それを了承してしまったことを心配して、俺は後からライルにしつこく大丈夫なのかと訊いた。
「あんな人達に世話になるより、自分でバイトでもやるさ。兄さんも早くあの家を出る算段をしろよ。」
 ああ、そうだな、と答えながら、俺はもうその事は諦めていた。
 あの夫婦は身寄りのない子供を追い出したなんて世間から思われるぐらいなら、俺を縛りつけて家から出さないだろう。
 金に関して対立しなかったのが良かったのか、叔母夫婦はライルの事を案外気に言った風だった。
 お前と違って大人だな、とも言っていた。



 ハイスクールを卒業する時、俺は遠くの街に就職することにした。
 国を出てしまおうかとも思ったが、そこまですると生家に帰ってくる機会を失いそうで出来なかった。
 なぜ近場にしなかったかと言えば、もちろんそれまで『付き合って』いた女性たちに別れを告げる口実を作るためだ。
 結局俺は誰の事も好きにはなれなかった。
 特別な感情、なんてものは何処にあるんだか見当もつかない。


 みんな仲良く友達でいられればそれが一番だったのに、と溜め息をついているところに叔母がやってきた。
 叔母はこの数年で一番機嫌が良かった。
 俺が出ていくのが待ち遠しかったのだろう。
 餞別だと言って買ってくれたスーツを着て見せると、叔母はネクタイを締めてくれた。
「ほら、いい男になった。似合うわねぇ。立派な男性じゃない。これでもう、私達も世話を焼かなくて済むわ。」
「ありがとう、叔母さん。」
 ニコッと笑顔を向けた。
 すると、叔母は皮肉たっぷりな笑みを浮かべて言った。
「アンタそうやって愛想振りまいてればいいと思ってるでしょ。そんなんだから、女にだらしなくなるのよ。いい加減にしないと痛い目見るわよ。笑ってばっかりでいい気なもんね。私たち夫婦の苦労も知らないで。」
 俺は、すみません、とまた笑った。
 笑うことしか、知らなかった。





「なあ、ライル。お前、恋人いるのか?」
 久しぶりに電話を掛けて、ついでにそんな事を聞いてみた。
 ライルは面倒臭そうに「何だよイキナリ。」と言って明言はしなかった。
 その代りにこんな返しをしてきた。
「兄さんほどモテねーんだよ。」
 いくら人が寄って来ても好きになれなければどうしようもないんだよ、と思いながら溜め息を吐く。
「どうすればちゃんと恋人が出来るのかと思ってさ。」
「兄さんの方が機会は多いだろ。自分で考えろよ。」
 ライルは誰にでも愛想を振りまく様な事はしないのだろう。
 きっと本当に大事な相手にだけ、見せる笑顔というものがあるのだ。
 自分はどうだろう、と考える。

 そもそも俺は心から笑ったことがあったろうか。
 笑いたくないのに笑って見せて、それが人付き合いに不可欠だと思っていた。
 笑うって何だろう…。
 本当に面白くて笑ったことももちろんあった筈だが、笑顔を作るのは、やっぱり意識して作っていた様な気がする。


 自分の中に感情を探してみても、これといって思い当たらない。
 何処に居ても、周りを意識して、笑みを作って…。





 一人になったのに笑みを作る癖は直らない。
 つくづく自分に嫌気が差してきたそんなある日、テレビがどこかの国で起こったテロを報道していた。

 一気に血が逆流したように感じた。
 何かが体中を駆け廻り、眠っていたものが動き出した。

 そうだ、これが感情だ。
 俺に唯一残っている、この感情。
 怒り、なんて軽いものじゃない。
 憎悪?
 なんて言い表していいかもわからない。
 でもこれが、俺が俺である証拠だ。

 笑顔はそれを隠す仮面でいい。




fin.
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