エヴァ

義理



 シンジが家に帰ると、珍しくアスカがキッチンに立っていた。
 普段進んで料理をすることなど無いというのに。
 不思議に思って肩越しに覗き込む。

「なによっ!邪魔しないでよね!」

 気配に驚いたのか、焦った風な表情でアスカは怒りだした。

「…ごめん…。何してるのかなって思って。」

 見ればコンロの火にかかっている鍋の中にはゴロゴロとチョコレートが入っていた。

「…アスカ、それ、融かしたいんだったら…湯煎にかけなきゃダメだよ。」
「うっさいわね。…知ってるわよそんなことくらい。」

 言っている傍からチョコレートは焦げ出してしまった。

「ほら。」
「あー!!」

 慌てて木べらで掻き廻そうとしているアスカの脇から、手を伸ばして火を止める。

「手ぇ出さないでよっ!」
「だって…焦げたら困るんでしょ?」
「…そうだけどっ…。」

 ムッと怒った顔を横に向けて何もしようとしないアスカに代わって、シンジは鍋からチョコを出した。

「直火にかけちゃダメだよ。チョコはデリケートなんだから。」
「分かってるって言ってるでしょ!?…一応湯煎でやろうとしたのよ。…でも全然解けてくれないんだもん。」

 ぷーっと膨れるアスカの顔を見てから、湯煎に使ったであろうボールに視線をやる。

「…もしかして、板チョコ丸ごと入れてた?」
「…悪い?」
「…刻んだ方がいいと思うんだけど…。」
「面倒じゃない、そんなの。解けちゃえばおんなじでしょ?」
「…解けなかったんでしょ?」
「…うっさいわね。」

 せめて手で割るとか考えなかったのだろうか、と思いつつ、シンジは焦げた部分を取り除いて、まな板の上でチョコを刻み始めた。

「だからっ!手ぇ出さないでって言ってんでしょ!?」
「…あ、ごめん、つい…。」
「『つい』でやらないでよ!アンタそれでも男なの!?」
「…そういう偏見はどうかと思うんだけど。今の時代、男でも料理くらいするよ?」
「分かってるわよっ。料理はやっても『つい』やっちゃう男なんて聞いたことないわよ!そーとー飼いならされてるわね!」
「…ごめん…。」

 何も悪い事はしていない筈なのに、怒られっぱなしのシンジ。
 仕方なくすごすごと引っ込んだ。

「ねぇ。」

 少し離れたところから話し掛ける。

「なによ。」
「それ、明日の?」

 明日はバレンタインだ。
 誰かにあげる為に作っているのだろう、というのは分かった。

「アンタのはないわよ。」
「…分かってるよ…。」

 シュンとしたシンジに、アスカは勝ち気な笑みを向ける。

「アンタ、貰ったことないんでしょ。」
「…………ないけど?」
「やっぱり。かっわいそー。」
「ほっといてよ。」
「これはね、加持さんのなの。アンタにはひとっカケラもあげないからね。」

 イシシ、と意地悪く笑って見せるアスカ。
 シンジは嫌そうな顔をして、自分の部屋に引っ込んだ。










 次の日、クラスの女子は皆、浮足立って見えた。
 ホントに何で日本にはこんなイベントがあるんだろう、と愚痴を言いたくなる。
 帰り道でボソッと口に出してみると、隣に居たケンスケも同意した。

「…トウジ、どうかした?」

 微妙な顔をして二人の会話に入ろうとしないトウジの様子に、シンジが訊ねる。
 ケンスケがハッとしたような顔をして、トウジに詰め寄った。

「ま、まさかお前…貰ったのか?」
「いやぁ~まぁ~…ええやんかそんなこと。」
「貰ったのか。」
「誰に!?」
「気にすんなて。」

 あははと笑ってごまかして、トウジは二人の肩を叩いた。

「ま、淋しいもん同士、ゆっくり慰め合えや。」

 ほなな、と嬉しそうに去っていく。
 残された二人は恨めしそうにその後ろ姿を眺めた。

「…帰るわ…。」
「うん、じゃあね。」

 二人でいても淋しさが増すばかりだろう。
 がっくりと肩を落として二人は別れた。



(別に…チョコなんて欲しくないんだからな。ちょっと、…義理チョコぐらいくれてもいいじゃないか、とか…思わなくもないけど…。)

 シンジは自分の残念な思考にまた落ち込み、はあ、と溜め息をついて立ち止まった。
 ふと目の端に女子の制服姿が写る。

(あれ?)

 まさか、チョコを渡す為に追い掛けてきてくれたんじゃ…なんてことを考えてそちらを見た。
 すると、それはアスカだった。

「アスカ。先にネルフに行って加持さんに渡すんじゃなかったの?」
「もう行ってきたわ。」

 それにしては表情が暗い。
 それに、手には渡すはずのチョコがあった。

「どうか…したの?」
「…いいの…どうせ私は、不潔な大人の間には割り込めないのよ…。」
「…え…?」
「アンタにあげるわ。」

 そう言ってアスカはチョコをシンジの腹のあたりに押し付ける。

「アスカ、…だってこれ…。」
「言っとくけど、義理だからね。」
「…うん。…ホントに貰っちゃうよ?」
「あげるって言ってるでしょ。」
「…うん、ありがとう。」

 釈然としないままチョコを受け取ると、アスカは「ミサトなんて、ミサトなんて…。」とぼそぼそと繰り返していた。
 恐らく加持と二人でいる所を、しかも、大人の関係なのが分かるようなシーンを見てしまったのだろう。

 アスカが歩きださないため、シンジも立ち去るわけにいかず、どうしようかと思案していると、後ろから声がかかった。

「シンジ君。いいところに居た。」
「あ、カヲルくん。」
「これ、あげるよ。」
「え………。」
「僕の気持ち、受け取ってくれるだろう?シンジ君だもんね。」

 そう言ってカヲルはチョコを押しつけて行ってしまった。

「…僕男なんだけど…じゃないか、カヲルくん男なのに…。」
「アンタ、男に本命チョコ貰ったわね。」

 さっきまでの暗い顔は何処へやら。
 アスカは鬼の首でも取ったかのような楽しそうな顔をしている。

「明日の話題、総取りじゃない。ぷぷっ。」
「やめてよっ!皆に言わないでよ!?」
「こんな面白い話、アタシが黙ってられると思ってるの?」
「やだよ、やめてよ!」
「今からメールで一斉送信しようかしら。」
「やめてってば!」

 ふふん、と鼻歌を歌いながら携帯を出したのを見て、シンジがボソッと言った。

「…じゃあ、僕は、アスカから本命チョコ貰ったって言いふらすよ。」
「はあ!?それ義理だって言ったでしょ!?」
「でも、このチョコは、本命チョコとして作られたものだよね。だから、嘘じゃないでしょ?」
「元は本命チョコでもアンタに上げた時点で義理チョコになったのよ!」
「アイラブユーとか、書いてあるんじゃない?」
「か…書いてあるけど!それは加持さん宛の…。」
「明日学校に持って行こう。」
「やめてよっ!」

 プイっと横を向き、シンジは横目で携帯を示した。

「…わかったわよ。」

 渋々携帯をしまうアスカ。
 シンジはホッと胸を撫で下ろした。

「チョコ、折角だから二人で食べない?アスカ甘い物好きだよね。」
「アンタと二人で?アタシも焼きが回ったわね。」

 そう言いつつアスカは近くのバス停のベンチに陣取った。
 早く来なさいよ、とシンジを呼んでいる。
 はは、と苦笑いでシンジは近付いていくと、そこにレイがやってきた。
 さっきまでのアスカ同様、俯いている。
 どうしたんだろう、と声を掛けようとすると、レイが言った。

「碇君、背中、貸してくれない?」
「え?背中?…いいけど。」

 答えた途端、レイはシンジの後ろに回り込み、背中にこつんとおでこを当てた。
 クシャッとシンジのシャツを掴み、ふるふると肩を震わせる。

「…何よ、優等生、らしくないわね。」
「…綾波…どうかしたの?」

 二人とも、レイが泣いてるのだと思って気にかかって訊ねた。
 レイは肩を震わしたままだ。

「指令に…チョコを…渡しに行ったの…。」
「父さんに?」
「何よ。指令、受け取らなかったの?」
「受け取ってくれたわ。」

 じゃあ、何で泣くのだろう。
 シンジとアスカは顔を見合わせた。

「その場で開けて…食べてくれて…。」
「…それで?」
「そのチョコ、昨日私が作ったんだけど…。」
「それが何よ。」
「指令、甘い物好きじゃないの知ってたから、ビターチョコ使ったの。」
「で?」
「融かす時に焦がしちゃって、でも、甘いの苦手だから、苦いのは平気だろうと思って…。」

 失敗したのを渡して、それで落ち込んでいるのかと二人が納得すると、レイの声は震えて大きくなった。

「そしたら、…どうやら…凄い味を醸し出していたみたいで…ふふっ…司令…ふふふふっ…凄く…ぷぷっ…変な顔してた…もう…可笑しくて…クククッ」
「は?」
「すごく笑えたけど、私、ポーカーフェイスを信条にしてるから、必死でこらえてたの。…ふう、やっと落ち着いた。ありがとう、碇君。」
「…綾波、…笑ってたんだね。」
「人の背中使って笑い鎮めるのやめなさいよ。」
「丁度いいところに居たんだもの。」

 はい、お礼、と言ってレイは二人に小さな市販のチョコを手渡した。

「あ…ありがと。」
「良かったじゃない。アンタ、美少女二人からチョコ貰ったわよ。あ、あとホモにもね。」
「カ、カヲルくんは、きっと友情だよ。」

 とにかく3つも貰ったんだから喜びなさい、とアスカがいつもの強気な口調で言った。
 確かにチョコを貰えたバレンタインは初めてだし、素直にうれしいかも知れない、とシンジが思っていると、レイがボソッと釘を刺した。

「碇君。それ、義理だから。」

「…分かってるよ…。」

 少しも夢を見させてくれない美少女二人の仕打ちに、シンジは泣きたい気分だった。




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