刻を馳せる
02
展示室で飾られていたその刀は、その刻を目前に手入れをされ、厳重に保管された。
それは本当に偶然のことだった。誰もその刻を予見していなかったのだから。
ガラガラと世界が壊れていく。
人間たちが阿鼻叫喚の中にいることが、彼には、彼らにはわかった。しかし、詳細までは理解できなかった。
「俺は手入れされるのが好きだった。人間は口を閉じて無言で手入れするが、それが話しかけられているようで楽しかった。だがあの異変の後、俺の周りに人間はいなくなった。」
それから長い時が過ぎる。
彼は待ちわびた。いつかまた人間がやってきて、手入れをしたり、飾ったり、この姿を見て感嘆したりするのだと、信じて疑わなかった。
待って、待って、待って、待ち続けたが、人間は誰一人現れなかった。
厳重に保管されていたとは言え、いつしか湿気が入り込み、錆が出始めた。
悲しかった。
美しさを評価された彼は、己の姿が醜く変貌していくのが怖かった。
早く、誰か、ここに来てくれ。俺を見つけてくれ。
「人恋しさ、孤独の寂しさ、変貌への恐れ…そんな苦しみに三百年耐えた。…いや、耐えたとは言えないな。ただ、何も出来ずにそこにあっただけだ。」
人間を想い、求め、待ち続けた彼は、あるとき視界が開けるのを感じた。
そして、見たいと思うところに移動できることに気付く。
何が起こっているのかまるで分からなかったが、周りの状況を確かめたくて外に出た。
彼が保管されていた建物は、瓦礫となり、既に森に飲み込まれていた。
人の姿は見えなかった。
うろうろとしていると、目の前に人が見えた。しかも、大昔の装束だ。
「懐かしい、平安の装束だった。…それが鏡に映った己の姿だと気付くのにも時間が掛かった。」
何故人の身を得たのかは分からなかった。
ただ、彼は嬉しかった。これで人間を探しに行ける。
人を見つけて手入れをして貰おう。そう思って気がついた。
俺の本体はどこだろう。
腰に携えた刀は美しかった。一片の曇りもない。それを見たときは嬉しかったが、これは本体ではないとすぐわかった。
慌てて元いた場所を探し、瓦礫の中からその箱を取りだした。
「俺の本体は、酷い状態だった。近くを探して簡単な手入れ道具を見つけ、自分で手入れのまねごとをした。」
辛うじて、朽ちるのを遅らせる程度のことは出来た。
雨風の当たらない場所を探し、そこに安置する。
そして、人間を探しながら、手入れ道具や刀の小物、刀本体を見つけると、そこに集めた。
「それから二百年、人間を探したが、どこにも居なかった。そこでやっと思いついた。自分と同じ存在は居ないのだろうか、呼び出すことはできないのだろうかと。」
人間を探しながら見つけた刀は沢山あった。どれも状態は悪く、今にも朽ちそうなものもある。
殆どが模造刀。セラミックに色を塗って本物に似せたものも多くあった。
「俺は毎日話しかけた。出てきてくれ、人間になれるのだぞ、楽しいぞ、と適当なことを言った。」
最初に応じたのが薬研だった。
それからポツポツと現れ始め、全部で十数振りが人の姿になった。
その刀たちに、彼は協力を頼んだ。人間を探してくれ、と。
まだ諦められていなかった。
「それからまた百年、手分けをして人間を探した。」
百年経ったところで薬研が言った。
「なあ、もう諦めようぜ。それより面白いモンを見つけたんだが。」
人間の代わりにと薬研が提示したのは、人間が残した研究施設だった。
「アンドロイドっていう動く人形だ。作って動かしてみないか?」
人間の遺物はあちこちにある。掘り起こせば、文明を生き返らせることができそうだ、と薬研は言う。
三日月は随分悩んだが、人間を探すのは諦めることにして、薬研の提案に乗った。
「皆賛成してくれたが、鶴丸は一人で人間を探す、と出て行った。去り際にこう言っていた。『人間が見つかった方が、あんたは嬉しいだろう?探し出してあんたを驚かせてやる』とな。」
布団の中で大人しく話を聞いていた審神者は、そこで話の続きを予想して言った。
「それで、鶴丸さんが人間を連れてきたの?」
祖は目を伏せて笑みを見せた。
「いや?…今日はここまでにしようか。頃合いだろう。」
審神者は少し残念そうに了承の返事をする。
祖はゆっくりと頷いて「ところで」と居住まいを正す。
「ひとつ約束をしようか。」
約束と聞いて、審神者はハッとして警戒心を見せ、近侍は「祖よ。」と苦言を向けた。
祖は笑い声を立て、「心配するな」と言った。
「俺に縛りを付けようという話だ。おぬしは俺をここに招いたろう?このままでは、俺はいつでもここに入ってくることができるぞ?」
本丸は審神者の霊力で結界が張られている。普通部外者は入れない状態だが、『招く』という行為でフリーパスを渡したことになる。きちんとルールを提示しておかないと、招かれた方は気まぐれでいつでも入ってくることが出来るのだ。
しばし考えて、審神者は条件を出した。
「ここを訪れるのは明るい時間に。あと私が居るとき。それから滞在時間はこちらの都合に合わせること。」
「訪問は審神者がいる明るい時間。滞在時間はこの本丸の都合に合わせる。で、良いか?」
「うん。早朝に来てもいいけど、場合によっちゃこっちの都合で即帰らせるから。」
「あいわかった。約束しよう。」
祖の話を聞き始めると、政府からの呼び出しは殆どなくなった。
他の審神者たちに教える内容を、もうこの審神者は知る必要がないと判断されたのだろう。本丸内に籠もっていてくれた方が、彼らにとっても都合が良いのは明白だ。
そのおかげで祖は機嫌が良かった。合法的に、施設から出かけられるからだ。
「来たぞ。」
ほぼ毎回、彼はおどけたようにそう言って入ってくる。
「おはよう。」
「今日は歩きながら話さないか。俺はまだこの本丸の敷地を見て回っていないからな。」
「いいよー。お散歩行くよー。お供は誰―?」
お供を募ると、まず乱が元気よく手を挙げ、数人の短刀が後ろからついて行くと言って走り寄った。
そこに近侍の三日月も加わる。
ちらっと近侍を見やると祖は意地悪な笑みを向ける。
「おぬしは皆勤賞だな、同胞 よ。もう俺を警戒する必要も無いだろうに。」
プイッと視線を逸らして、三日月は返す。
「どうですか。隙あらば主から言質を取ろうとしているように見受けられますが。」
「あっはっは。コレが俺に懐くのが気に入らんと見える。」
「懐いていると思っているのはそちらだけ…いや、失礼。」
「言うな、同胞よ。」
「ええ、このくらいは言わせていただかないことには。」
審神者はパンッと手を叩いて二人の会話を止める。
「はいはい、私は『私のために喧嘩するのはやめてー』とか言えばいい?」
「あるじさんを困らせたら、ボクが許さないからね。」と乱が釘を刺した。
祖から聞く話は政府から聞いていた話とまるで違っていた。
まず三日月宗近を発見したのが人間で、付喪神が顕現したのを見て崇めるようになり、三日月を中心にして人間社会が形成された、ということになっている。
実際には異変から千年経っても、人間と出会ったという話が出てこなかった。
「文明を復活させたのは、俺たち祖とアンドロイドたちだ。」
「…もしかして、政府の人たちって、全員アンドロイドだったりする?」
その問いには、祖は笑って否定した。
「いや、そうだな、そろそろ人間が出てくる話をしなくてはな。」
アンドロイドがまともに使えるようになり、それがある程度の数になると、技術の進歩が早くなった。
そんな中、転移装置は作られた。使用目的は主に資材集めなど、物の運搬だ。
その転移装置が、ある日誤作動を起こした。
「装置の不具合で別の場所に飛ばされてな。俺は気がつくともうもうと土埃が立ち上がっている場所に立っていた。」
そして、驚いたことに、彼の足元には小さな子供がいた。
座り込んで泣き叫ぶ幼子がママと呼ぶ先を見ると、瓦礫に潰された人間らしきものが見えた。
こんな場所がどこにあったのか。周りを見ると崩れたばかりの建物と、沢山の死体。あちこちから助けを求める微かな声が聞こえた。
「結論から言うとな。そこは、異変が起きたばかりの時代だった。空間転移をするだけだった筈の装置が、誤作動で時間を超えるようになったのだ。」
見たところ、他に救えそうな命はなかった。そのあたりにいた人間たちは、その子を除いて皆、虫の息だった。
また転移が始まったのを察し、三日月はとっさにその子供を抱きかかえた。
「その子供の名前は隼太 といった。隼太は俺に良く懐いてな。それはもう可愛かった。」
隼太の登場から、祖の話は停滞した。
一ヶ月は隼太の幼い頃の話に費やした。
「そのときの隼太の足の速いこと。油断していると置いていかれてな。」
まるで孫のことを語るおじいちゃんの様相だ。
そして、隼太が研究所の仕事を手伝う歳になっても、一向に他の人間の話が出てこなかった。
「二人目はおなごを連れてきた。」
事も無げにそう語ったのを聞いて、審神者は「ちょっと待って。」と話を止める。
「え?それって、さらってきたみたいに聞こえるんだけど、どこから、どういう経緯で?」
「隼太が年頃になったのでな、番う相手が要るだろう?だから、また異変の直後に飛んで年頃の娘を…」
「さらってきたんだね…」
「人聞きが悪いぞ?その娘は…名は…忘れたが、ちょうど家族を亡くして、生きる術も無い状態にあったのでな、保護したのだ。」
「…可哀想に…」
家族を亡くして絶望を感じているときに、いきなり結婚しろと言われるのは辛いだろうと思っての感想だが、祖には分からなかったようだ。
「家族を亡くした分、増やせばいいと提案したのだ。良い考えだろう?」
「で?結婚させたの?」
「二年ほど後にな。隼太が何やら時間を掛けたいとか言い出したのだ。」
審神者は心の中で隼太に賞賛を贈った。二年で癒えたかは分からないが、きっと状況を知れば諦めも付いただろう。
「…ってことは、今いる政府の人たちはその子孫?」
一組の夫婦から増えたとしたら、まるでアダムとイヴだ。しかしそれはまた違ったようだった。
偶然とは言え人間を育てることになってから、三日月はまた元の人間社会を夢見るようになった。
人間を増やす。それがその頃の目的だった。
そして、転移装置がその目的のために役立ってくれた。
今いる人間たち、その祖先は、全員、過去から連れてきた人間だ。
そう、審神者たちと同じ時代に居た人たちが、数百年前にここに連れてこられ、子孫を残した。
審神者からすると、自分と同世代の人たちの、孫の孫のそのまた孫といった存在が、自分たちを救ってくれた、という不思議な状態だ。
それからもしばらく、隼太の話が続いた。彼は九十六歳まで生きて、三日月を心配しながら亡くなったらしい。
「いつからだったか、人間たちは俺を神と崇めるようになった。」
付喪神である彼らの、一番始めの刀。そういう肩書きだけで、崇めるには充分だったろう。
だがそれは、彼と人間との関係性を壊す行為だった。
「俺という存在が権威の象徴になってからは、長たちが俺を使役しようとし始めてな。」
祖が同胞に語った、人間たちによる縛り。それは些細なことだったが、彼にとって破ってしまうには重いものだ。
彼は自らの意思で、その縛りを受け入れるしかなくなっていた。
「俺の話はこんなところだが、もう少し語っておかねばなるまいな。」
審神者は首をかしげた。
「何を?」
「おぬしたちが連れてこられた理由だ。」
「霊力が高いから。」
「そう、それは正解ではあるが、目的は複雑でな。」
「歴史改変を阻止するためでしょう?」
「それも勿論ある。が、…」
転移装置の誤作動で過去に飛んでから二人目の人間が連れてこられるまでは、実験以外に時空の転移はされなかった。二人目の確保もある意味実験のようなものだった。
そうして時空転移が確立されてから、異変の直後、恐らくそのまま放っておいては生きていけないだろうと思われる人間を選んで連れてくるようになった。
しかし、時空の転移には多くの霊力が消費される。一振りの祖が一度に運べるのは一人。霊力の回復を待つ必要があり、持ち回りにしても短期間に多くの人間を連れてくるのは無理だった。
それでも徐々に人間が増えていく。それを喜ばしく思っている矢先、思いもしない問題が起こった。
「あるとき、政府職員が大量に消えた。しかしおかしな事に、人間たちは消えた者のことを覚えていなかった。まるで最初から存在しなかったかのように。」
調べてみると、消えた人間たちが同じ血筋を祖先に持っていることがわかった。過去に遡ると、ある人物が何者かに殺されたこともわかった。
その何者かが時間遡行軍だった。
その改変は、祖の刀たちの力で阻止された。
が、すぐに問題は拡大した。
「過去に飛ぶには霊力が要る。俺たちだけでは到底処理しきれなかった。それで刀剣男士を生み出す方法が考え出された。」
審神者なる者を介して刀剣男士が生み出されはした。が、まだ足りなかった。
何より、霊力を持つ者が少なかったのだ。
転移させられる人数も少なく、出陣の度に審神者は極端に疲弊した。
ギリギリの状態で、なんとか歴史改変を阻止し続けてきた、というのが実のところだ。
「おぬしたちは、ゲームで本丸を作っただろう?」
「あ、そうそう。こっちは完全ゲームのつもりでいたのに。」
「多くの人間にとってはただの遊戯だ。だが、強い霊力のある者がそのゲームをすることで、本当に本丸を作り出し、刀剣たちを顕現させることが出来た。これも実験的な試みだったが、思いのほか上手くいった。」
作り出されたそれぞれの本丸の、一振りの刀が主を一人ずつ連れ帰る。それはたいした労力ではなかった。
そうして連れてきてしまえば、全体の霊力量が上がり、その後の作戦も難なく行える。
「そしてもうひとつ、人間を増やすという目的がある。言ったろう?あの敷地外に街はないと。」
「あの施設内で暮らせる人数しか人間がいないって事?」
施設は地下も含めると相当な広さがある。数百人は居るだろう。とはいえ、新しい街を作る必要は無かった。
「ああ、そういうことだ。『政府』と名乗っているが、おぬしたち審神者以外はほぼ全員『政府』の人間だ。おかしな事に、あやつらは過去の人間を下等な種と見ているようでな。…己の出自を知らぬ訳でもないというのに。」
自分たち『政府』に従順な人間たちを増やす。それこそが彼らの目的だ。強い霊力を持ち、従順に霊力を引き渡してくれる、そういう人間を欲している。
そして、自分たちが上位者であると示すための権威が、祖の三日月ということだ。
「政府は悪事を行っているわけではないって言わなかったっけ?キミ。」
「歴史改変の阻止は必要な事だろう?」
「そこじゃなくて。」
「…審神者たちを従えようとすることか?…悪事ではないと思うが。」
「う…うーん…そうかなぁ…」
「ただ、気に入らんことは確かだ。」
審神者が「だよね!」と間近で返すと、祖は頷いて彼女を抱き寄せ頬ずりをした。
「こんな愛い生き物を己の支配欲のはけ口にしようなどと。」
突然のことに、慌てる審神者とその刀たち。
「ちょ…ちょっと!」
「祖よ!!」
「三日月様!」
抱き寄せた相手にバシバシと胸を叩かれ、祖はとぼけたように首をかしげる。
「はて?何か問題があったか?」
「私は!キミのペットじゃないから!」
祖は「そうかそうか」と何故か満足げに笑った。
展示室で飾られていたその刀は、その刻を目前に手入れをされ、厳重に保管された。
それは本当に偶然のことだった。誰もその刻を予見していなかったのだから。
ガラガラと世界が壊れていく。
人間たちが阿鼻叫喚の中にいることが、彼には、彼らにはわかった。しかし、詳細までは理解できなかった。
「俺は手入れされるのが好きだった。人間は口を閉じて無言で手入れするが、それが話しかけられているようで楽しかった。だがあの異変の後、俺の周りに人間はいなくなった。」
それから長い時が過ぎる。
彼は待ちわびた。いつかまた人間がやってきて、手入れをしたり、飾ったり、この姿を見て感嘆したりするのだと、信じて疑わなかった。
待って、待って、待って、待ち続けたが、人間は誰一人現れなかった。
厳重に保管されていたとは言え、いつしか湿気が入り込み、錆が出始めた。
悲しかった。
美しさを評価された彼は、己の姿が醜く変貌していくのが怖かった。
早く、誰か、ここに来てくれ。俺を見つけてくれ。
「人恋しさ、孤独の寂しさ、変貌への恐れ…そんな苦しみに三百年耐えた。…いや、耐えたとは言えないな。ただ、何も出来ずにそこにあっただけだ。」
人間を想い、求め、待ち続けた彼は、あるとき視界が開けるのを感じた。
そして、見たいと思うところに移動できることに気付く。
何が起こっているのかまるで分からなかったが、周りの状況を確かめたくて外に出た。
彼が保管されていた建物は、瓦礫となり、既に森に飲み込まれていた。
人の姿は見えなかった。
うろうろとしていると、目の前に人が見えた。しかも、大昔の装束だ。
「懐かしい、平安の装束だった。…それが鏡に映った己の姿だと気付くのにも時間が掛かった。」
何故人の身を得たのかは分からなかった。
ただ、彼は嬉しかった。これで人間を探しに行ける。
人を見つけて手入れをして貰おう。そう思って気がついた。
俺の本体はどこだろう。
腰に携えた刀は美しかった。一片の曇りもない。それを見たときは嬉しかったが、これは本体ではないとすぐわかった。
慌てて元いた場所を探し、瓦礫の中からその箱を取りだした。
「俺の本体は、酷い状態だった。近くを探して簡単な手入れ道具を見つけ、自分で手入れのまねごとをした。」
辛うじて、朽ちるのを遅らせる程度のことは出来た。
雨風の当たらない場所を探し、そこに安置する。
そして、人間を探しながら、手入れ道具や刀の小物、刀本体を見つけると、そこに集めた。
「それから二百年、人間を探したが、どこにも居なかった。そこでやっと思いついた。自分と同じ存在は居ないのだろうか、呼び出すことはできないのだろうかと。」
人間を探しながら見つけた刀は沢山あった。どれも状態は悪く、今にも朽ちそうなものもある。
殆どが模造刀。セラミックに色を塗って本物に似せたものも多くあった。
「俺は毎日話しかけた。出てきてくれ、人間になれるのだぞ、楽しいぞ、と適当なことを言った。」
最初に応じたのが薬研だった。
それからポツポツと現れ始め、全部で十数振りが人の姿になった。
その刀たちに、彼は協力を頼んだ。人間を探してくれ、と。
まだ諦められていなかった。
「それからまた百年、手分けをして人間を探した。」
百年経ったところで薬研が言った。
「なあ、もう諦めようぜ。それより面白いモンを見つけたんだが。」
人間の代わりにと薬研が提示したのは、人間が残した研究施設だった。
「アンドロイドっていう動く人形だ。作って動かしてみないか?」
人間の遺物はあちこちにある。掘り起こせば、文明を生き返らせることができそうだ、と薬研は言う。
三日月は随分悩んだが、人間を探すのは諦めることにして、薬研の提案に乗った。
「皆賛成してくれたが、鶴丸は一人で人間を探す、と出て行った。去り際にこう言っていた。『人間が見つかった方が、あんたは嬉しいだろう?探し出してあんたを驚かせてやる』とな。」
布団の中で大人しく話を聞いていた審神者は、そこで話の続きを予想して言った。
「それで、鶴丸さんが人間を連れてきたの?」
祖は目を伏せて笑みを見せた。
「いや?…今日はここまでにしようか。頃合いだろう。」
審神者は少し残念そうに了承の返事をする。
祖はゆっくりと頷いて「ところで」と居住まいを正す。
「ひとつ約束をしようか。」
約束と聞いて、審神者はハッとして警戒心を見せ、近侍は「祖よ。」と苦言を向けた。
祖は笑い声を立て、「心配するな」と言った。
「俺に縛りを付けようという話だ。おぬしは俺をここに招いたろう?このままでは、俺はいつでもここに入ってくることができるぞ?」
本丸は審神者の霊力で結界が張られている。普通部外者は入れない状態だが、『招く』という行為でフリーパスを渡したことになる。きちんとルールを提示しておかないと、招かれた方は気まぐれでいつでも入ってくることが出来るのだ。
しばし考えて、審神者は条件を出した。
「ここを訪れるのは明るい時間に。あと私が居るとき。それから滞在時間はこちらの都合に合わせること。」
「訪問は審神者がいる明るい時間。滞在時間はこの本丸の都合に合わせる。で、良いか?」
「うん。早朝に来てもいいけど、場合によっちゃこっちの都合で即帰らせるから。」
「あいわかった。約束しよう。」
祖の話を聞き始めると、政府からの呼び出しは殆どなくなった。
他の審神者たちに教える内容を、もうこの審神者は知る必要がないと判断されたのだろう。本丸内に籠もっていてくれた方が、彼らにとっても都合が良いのは明白だ。
そのおかげで祖は機嫌が良かった。合法的に、施設から出かけられるからだ。
「来たぞ。」
ほぼ毎回、彼はおどけたようにそう言って入ってくる。
「おはよう。」
「今日は歩きながら話さないか。俺はまだこの本丸の敷地を見て回っていないからな。」
「いいよー。お散歩行くよー。お供は誰―?」
お供を募ると、まず乱が元気よく手を挙げ、数人の短刀が後ろからついて行くと言って走り寄った。
そこに近侍の三日月も加わる。
ちらっと近侍を見やると祖は意地悪な笑みを向ける。
「おぬしは皆勤賞だな、
プイッと視線を逸らして、三日月は返す。
「どうですか。隙あらば主から言質を取ろうとしているように見受けられますが。」
「あっはっは。コレが俺に懐くのが気に入らんと見える。」
「懐いていると思っているのはそちらだけ…いや、失礼。」
「言うな、同胞よ。」
「ええ、このくらいは言わせていただかないことには。」
審神者はパンッと手を叩いて二人の会話を止める。
「はいはい、私は『私のために喧嘩するのはやめてー』とか言えばいい?」
「あるじさんを困らせたら、ボクが許さないからね。」と乱が釘を刺した。
祖から聞く話は政府から聞いていた話とまるで違っていた。
まず三日月宗近を発見したのが人間で、付喪神が顕現したのを見て崇めるようになり、三日月を中心にして人間社会が形成された、ということになっている。
実際には異変から千年経っても、人間と出会ったという話が出てこなかった。
「文明を復活させたのは、俺たち祖とアンドロイドたちだ。」
「…もしかして、政府の人たちって、全員アンドロイドだったりする?」
その問いには、祖は笑って否定した。
「いや、そうだな、そろそろ人間が出てくる話をしなくてはな。」
アンドロイドがまともに使えるようになり、それがある程度の数になると、技術の進歩が早くなった。
そんな中、転移装置は作られた。使用目的は主に資材集めなど、物の運搬だ。
その転移装置が、ある日誤作動を起こした。
「装置の不具合で別の場所に飛ばされてな。俺は気がつくともうもうと土埃が立ち上がっている場所に立っていた。」
そして、驚いたことに、彼の足元には小さな子供がいた。
座り込んで泣き叫ぶ幼子がママと呼ぶ先を見ると、瓦礫に潰された人間らしきものが見えた。
こんな場所がどこにあったのか。周りを見ると崩れたばかりの建物と、沢山の死体。あちこちから助けを求める微かな声が聞こえた。
「結論から言うとな。そこは、異変が起きたばかりの時代だった。空間転移をするだけだった筈の装置が、誤作動で時間を超えるようになったのだ。」
見たところ、他に救えそうな命はなかった。そのあたりにいた人間たちは、その子を除いて皆、虫の息だった。
また転移が始まったのを察し、三日月はとっさにその子供を抱きかかえた。
「その子供の名前は
隼太の登場から、祖の話は停滞した。
一ヶ月は隼太の幼い頃の話に費やした。
「そのときの隼太の足の速いこと。油断していると置いていかれてな。」
まるで孫のことを語るおじいちゃんの様相だ。
そして、隼太が研究所の仕事を手伝う歳になっても、一向に他の人間の話が出てこなかった。
「二人目はおなごを連れてきた。」
事も無げにそう語ったのを聞いて、審神者は「ちょっと待って。」と話を止める。
「え?それって、さらってきたみたいに聞こえるんだけど、どこから、どういう経緯で?」
「隼太が年頃になったのでな、番う相手が要るだろう?だから、また異変の直後に飛んで年頃の娘を…」
「さらってきたんだね…」
「人聞きが悪いぞ?その娘は…名は…忘れたが、ちょうど家族を亡くして、生きる術も無い状態にあったのでな、保護したのだ。」
「…可哀想に…」
家族を亡くして絶望を感じているときに、いきなり結婚しろと言われるのは辛いだろうと思っての感想だが、祖には分からなかったようだ。
「家族を亡くした分、増やせばいいと提案したのだ。良い考えだろう?」
「で?結婚させたの?」
「二年ほど後にな。隼太が何やら時間を掛けたいとか言い出したのだ。」
審神者は心の中で隼太に賞賛を贈った。二年で癒えたかは分からないが、きっと状況を知れば諦めも付いただろう。
「…ってことは、今いる政府の人たちはその子孫?」
一組の夫婦から増えたとしたら、まるでアダムとイヴだ。しかしそれはまた違ったようだった。
偶然とは言え人間を育てることになってから、三日月はまた元の人間社会を夢見るようになった。
人間を増やす。それがその頃の目的だった。
そして、転移装置がその目的のために役立ってくれた。
今いる人間たち、その祖先は、全員、過去から連れてきた人間だ。
そう、審神者たちと同じ時代に居た人たちが、数百年前にここに連れてこられ、子孫を残した。
審神者からすると、自分と同世代の人たちの、孫の孫のそのまた孫といった存在が、自分たちを救ってくれた、という不思議な状態だ。
それからもしばらく、隼太の話が続いた。彼は九十六歳まで生きて、三日月を心配しながら亡くなったらしい。
「いつからだったか、人間たちは俺を神と崇めるようになった。」
付喪神である彼らの、一番始めの刀。そういう肩書きだけで、崇めるには充分だったろう。
だがそれは、彼と人間との関係性を壊す行為だった。
「俺という存在が権威の象徴になってからは、長たちが俺を使役しようとし始めてな。」
祖が同胞に語った、人間たちによる縛り。それは些細なことだったが、彼にとって破ってしまうには重いものだ。
彼は自らの意思で、その縛りを受け入れるしかなくなっていた。
「俺の話はこんなところだが、もう少し語っておかねばなるまいな。」
審神者は首をかしげた。
「何を?」
「おぬしたちが連れてこられた理由だ。」
「霊力が高いから。」
「そう、それは正解ではあるが、目的は複雑でな。」
「歴史改変を阻止するためでしょう?」
「それも勿論ある。が、…」
転移装置の誤作動で過去に飛んでから二人目の人間が連れてこられるまでは、実験以外に時空の転移はされなかった。二人目の確保もある意味実験のようなものだった。
そうして時空転移が確立されてから、異変の直後、恐らくそのまま放っておいては生きていけないだろうと思われる人間を選んで連れてくるようになった。
しかし、時空の転移には多くの霊力が消費される。一振りの祖が一度に運べるのは一人。霊力の回復を待つ必要があり、持ち回りにしても短期間に多くの人間を連れてくるのは無理だった。
それでも徐々に人間が増えていく。それを喜ばしく思っている矢先、思いもしない問題が起こった。
「あるとき、政府職員が大量に消えた。しかしおかしな事に、人間たちは消えた者のことを覚えていなかった。まるで最初から存在しなかったかのように。」
調べてみると、消えた人間たちが同じ血筋を祖先に持っていることがわかった。過去に遡ると、ある人物が何者かに殺されたこともわかった。
その何者かが時間遡行軍だった。
その改変は、祖の刀たちの力で阻止された。
が、すぐに問題は拡大した。
「過去に飛ぶには霊力が要る。俺たちだけでは到底処理しきれなかった。それで刀剣男士を生み出す方法が考え出された。」
審神者なる者を介して刀剣男士が生み出されはした。が、まだ足りなかった。
何より、霊力を持つ者が少なかったのだ。
転移させられる人数も少なく、出陣の度に審神者は極端に疲弊した。
ギリギリの状態で、なんとか歴史改変を阻止し続けてきた、というのが実のところだ。
「おぬしたちは、ゲームで本丸を作っただろう?」
「あ、そうそう。こっちは完全ゲームのつもりでいたのに。」
「多くの人間にとってはただの遊戯だ。だが、強い霊力のある者がそのゲームをすることで、本当に本丸を作り出し、刀剣たちを顕現させることが出来た。これも実験的な試みだったが、思いのほか上手くいった。」
作り出されたそれぞれの本丸の、一振りの刀が主を一人ずつ連れ帰る。それはたいした労力ではなかった。
そうして連れてきてしまえば、全体の霊力量が上がり、その後の作戦も難なく行える。
「そしてもうひとつ、人間を増やすという目的がある。言ったろう?あの敷地外に街はないと。」
「あの施設内で暮らせる人数しか人間がいないって事?」
施設は地下も含めると相当な広さがある。数百人は居るだろう。とはいえ、新しい街を作る必要は無かった。
「ああ、そういうことだ。『政府』と名乗っているが、おぬしたち審神者以外はほぼ全員『政府』の人間だ。おかしな事に、あやつらは過去の人間を下等な種と見ているようでな。…己の出自を知らぬ訳でもないというのに。」
自分たち『政府』に従順な人間たちを増やす。それこそが彼らの目的だ。強い霊力を持ち、従順に霊力を引き渡してくれる、そういう人間を欲している。
そして、自分たちが上位者であると示すための権威が、祖の三日月ということだ。
「政府は悪事を行っているわけではないって言わなかったっけ?キミ。」
「歴史改変の阻止は必要な事だろう?」
「そこじゃなくて。」
「…審神者たちを従えようとすることか?…悪事ではないと思うが。」
「う…うーん…そうかなぁ…」
「ただ、気に入らんことは確かだ。」
審神者が「だよね!」と間近で返すと、祖は頷いて彼女を抱き寄せ頬ずりをした。
「こんな愛い生き物を己の支配欲のはけ口にしようなどと。」
突然のことに、慌てる審神者とその刀たち。
「ちょ…ちょっと!」
「祖よ!!」
「三日月様!」
抱き寄せた相手にバシバシと胸を叩かれ、祖はとぼけたように首をかしげる。
「はて?何か問題があったか?」
「私は!キミのペットじゃないから!」
祖は「そうかそうか」と何故か満足げに笑った。