刻を馳せる

01


 その日、彼は現れた。


「時間が無い。共に来てくれ。」
 ろくな説明をしない彼に彼女がすんなりついて行く気になったのは、今ハマっているゲームの最推しそのままだったからだ。顔が似てるだけではなく、衣装も何もかも。
 一瞬、コスプレイヤーが一般人相手にいたずらを仕掛けているのかとも思ったが、人ではあり得ない現れ方をしたことと、魔法のように武器を出したのを目の当たりにして、すぐに信じ込んだ。
「…三日月宗近?」
「ああ、そうだ。主よ。ここは危ない。すぐに移動するぞ?」
「…主?私が?」
 そう尋ねたときには、もう抱き寄せられて不思議な空間に吸い込まれていた。
「そなたが俺を顕現させてくれただろう?忘れたのか?」
「…ゲームの中でね?」
「げえむ、というやつはよく分からんが、恐らくそれだ。主たちの時代には、種が蒔かれていると聞いた。」
 種って?と聞き返そうとすると、辺りがまぶしい光に包まれて靴が地面に付いた感覚が分かった。
「さあ、着いたぞ。本丸だ。」
 まぶしさが落ち着いて周りが見えるようになると、そこには前から思い描いていた本丸の景色があった。
「…私の…本丸…?」
「ああ、主の霊力によって形作られた本丸だ。」
 聞きたいことは沢山あったが、すぐに他の刀剣たちに囲まれてそれどころではなくなってしまった。




 次の日、政府からの呼び出しに応じて指定の場所に行ってみると、そこには多くの『主』がいた。全員が彼女と同じように、前日それぞれの本丸に『保護』されたらしい。
 まず、なぜ保護なのか。その話から始まった。

 現実の世界が、自然災害によって滅んだ。
 信じられない、という声に、説明役は空間に画面を呼び出した。
 そこには崩れゆく世界の様子が映し出された。中には死体と思われるものも映り込んでいた。
 世界中がそんな風だと聞かされ、場はざわついた。
 誰かが声を上げる。
「じゃあ、ここはどこなんです?」
「日本列島の本州の一部。地形は変わっているから、地名までは明言できないが。」
「明言できないって、大体どの辺り、とか。」
「中央辺りの山岳地帯、だな。もう殆どが海の中だ。二千年ほどで随分と沈下した。」
 またざわつく。
 追ってされた説明で、ここが二千年後だと知った。
 そして、審神者たちはこの時代の政府の方針で助け出されたのだという。
「それって歴史改変では?」
 誰かがその疑問を投げかけたのは、あのゲームでタブーとされていたものだからだ。歴史改変を阻止するのが、審神者と刀剣たちの仕事だった。
 すると、その人は小さく笑った。
「人が滅ぶのを阻止しなければ、ここには何も無かっただろう。」
 ともかく、皆救われ生き延びたのだから、この生を享受せよ。そして審神者として役割を果たせ。とのことだった。
 実際に歴史改変の動きがあり、それを阻止する必要があるらしい。審神者たちはゲームさながら本丸での仕事をすることになる。
「君たちは選ばれるべくして選ばれた。あのアプリを通して、亜空間に本物の本丸を出現させた。その霊力を買われたのだ。誇りに思うといい。」



「つまりさ、あのゲームって、この時代の人たちが二千年前に持ってったってこと?」
「種を蒔いた、と俺は聞いている。」
「あのゲームが作られるように仕向けたってこと?」
「詳しくは分からんが…。」
 今後審神者は皆、昔より進歩した科学や、審神者のありようを学ぶことになっている。
「歴史もでしょ?やだな。苦手。」
「審神者の仕事の一環だ。頑張ってくれ、主。」
「もう勉強するような歳じゃないんだってば…」
 まあそれは勉強嫌いのただの言い訳だが。
 今後の予定を言い渡されて、今日は本丸に帰るだけだ。一息ついて施設内の吹き抜けの休憩所でお供に連れてきた近侍の三日月と駄弁っている時だった。
 ふわりと上から何かが舞い降りた。すぐ横に来たそれを彼女が見上げる。

 それは三日月宗近だった。

 気付いてすぐに反応したのは近侍の三日月だった。
 す、と椅子から立ち上がり、舞い降りた三日月に向かって片膝を付いた。
 審神者は何が起きているか分からず二人を見比べていると、舞い降りた方の三日月は彼女のほうを向いた。
「おぬしは三日月宗近を連れているのだな。」
「え…う、うん。」
「決めた。おぬしにしよう。」
 何が?と聞く前に、膝を付いていた三日月が立ち上がって一歩前に出た。
「祖よ。どうかご勘弁を。その方は我が本丸の主。譲るわけには参りません。」
「心配するでない。おぬしの本丸は存続するよう取り計らう。見たところ霊力は充分にある。」
「そういう問題ではございません。」
 二振りともムッとした表情になり、睨み合う。
「旦那、若いのを困らせんじゃねえよ。」
 声を掛けたのは薬研藤四郎だった。
「これは俺が貰うと決めたところだ。」
「決めたじゃねーんだよ。その嬢ちゃんはそっちの三日月のモンだろうが。」
「おぬしには関係ないはずだろう。」
 ぷいっと拗ねたようにかの三日月はあらぬ方向を見た。
 ったく、と薬研は零し、審神者に笑みを向ける。
「すまないな。このジーサンは我が儘で困る。気にせず行ってくれ。」
「あ…あの…」
 何か言った方がいいのか、何を言えばいいのか分からず、立ち去れずにいると、薬研は笑みを消した。
「早く行け。」
「さ、主、行くぞ。」
 三日月に手を引かれ、その場を後にする。
 気になって振り返ると、もう一方の三日月は薬研に背中を押され、どこかに連れて行かれるところだった。
 背中を押されている三日月がチラッと振り返る。
「あ、こっち見た。」
「主、祖とは関わるな。」
「そ?」
「あれは…我らとは違う。別のものだ。」
 刀剣男士ではないのだと近侍は言った。
「そのうち教えられる筈だ。とにかく、あの三日月に近付いてはならん。」
 なんで、と主が返しても、彼は答えなかった。



 それからしばらくは、あの三日月を見かけることはなかった。近侍の三日月は警戒して、ほんの少しの時間も主から離れないようにずっと側についていた。
「だからなんでそんなに警戒してるの?」
「主よ、忘れたのか?あの御仁は主のことを『貰う』と言っていただろう?連れて行かれたら最後、帰らせては貰えない。もう少し危機感を持ってくれ。」
 納得のいく説明はなく、とにかく近付くなと言われても、むしろ興味が湧いてしまう。彼女はそういう性分だった。それに、これだけ警戒しながら、三日月は『祖』のことを悪く言う訳では無かった。彼のことを話題にするとき、三日月は「あれ」「あの御仁」「かの者」など、呼び方が定まらない。そして最初にあったときには確実に敬意を示していた。なにせ片膝を付いたのだから。そして、数日前などは話の締めくくりに「お寂しいお方なのだ」と付け加えた。

「二千年前に文明が滅んだんでしょ?」
 質問をしたわけではなく、今日習った話のおさらいだ。
「ああ、そうだな。」
 それと知りながら三日月は相槌を打つ。
「で、その三百年後にあれこれ掘り起こされ始めて、旧世界…ってか私たちの時代の文明を復活させた。で、今転移装置が出来てんの?凄くない?…千七百年…まあ、賢い人が居ればそんなもんなのか。」
 すごい、と言ってからすんなり納得してしまったことに、近くに居た秋田が吹き出した。
「主君、お勉強楽しそうで何よりです。」
「楽しくはない。」
「そうですか?時の流れに思考を巡らせるのって面白いと思いませんか?」
「まあ、どうやってあの施設が出来たのかはちょっと気になる。」
 レンガなどではなく、コンクリートだとか硬化ガラスだとかしっかりした建材が使われている。が、建築現場は今のところ見たことがない。重機はあるのだろうか。そもそも鉄工所とか素材を作る工場はどこにあるのだろう。施設には転送装置で移動するから、外の様子を知らない。
 審神者たちは定期的に政府施設に出向き、知識のアップデートや任務に関する取り決めの確認などをすることになっている。旧世界での学校のような側面もあるのだが、特に時間指定など無く、各々が好きなように行動しているようだった。現にこの審神者はなぜか他の審神者と出会う機会がなく、未だに人間の友人がいない。
「職員さんたちもさ、事務的な話ばっかで同世代かなって人もちっとも雑談に乗ってくれないんだよね。」
「…仕事の最中なのだから、仕方なかろう。」
 三日月の返事に、主は少し不服そうな顔を向ける。
「この前おいしいスイーツのお店はないのかって聞いたら『無い』としか返事してくれなかったんだよ?飲食店とか街の様子とか、何かしら教えてくれてもいいじゃん。」
 その不平に、近侍は数秒、返事が出来ない様子だった。
「…そうだな。主は知りたがりだからな。」
 冗談めかした返しは、何か含みがあるように聞こえる。
 彼女は近侍をじっと見た。
「ねえ、三日月。」
「どうかしたか?」
「キミ、嘘が下手だよね。」
「嘘などついていないぞ?」
「…嘘、ではないかもしれないけど、隠し事してるでしょ。」
「…そんなことは…」
「ほら、それは嘘でしょ。」
 言葉に詰まる三日月を見て、彼女は呆れたような溜息を吐いた。
「三日月って、もっとしれっと嘘を吐くんだと思ってた。バレバレだよ?」
 それを聞いて笑ったのはまた秋田だった。
「主君、三日月さんを責めないであげてください。だって、僕たち刀剣男士は、どうしたって顕現させてくれた審神者の特性を継ぐんです。もし三日月さんが他の三日月宗近より嘘が下手だとしたら、それは主君に似たからですよ?」
「え…マジ?」
 主が嘘が下手だから刀剣も嘘が下手になるのだと言われてしまい、二の句を継げない。
「…いや、それはまあ、仕方ないけど…。じゃなくて、何隠してるのかって話だよ、私が言いたいのは!」
 それには秋田が正直に答えた。
「僕たち、政府から口止めされているんです。とにかくあらゆることを教えてはいけないと。政府がすべて説明するまで、口を噤んでいろ、と。」
「あらゆること!?」
「余計な知識を入れることで邪推を生み、反乱分子となる可能性がある、と言われたんです。僕たちとしてもそれは本意ではありませんから、できるだけ従いたいんです。ちなみに、これは特に罰則はないので主君がどうしても知りたいことであれば、僕はお答えしたいと思ってはいます。」
 どうしても知りたいこと、という条件を出されると、それほどでもない気がして彼女は考え込んだ。
「…じゃあ、祖のこと。あの人、どういう人なの?」
 秋田は、あ、と小さく声を出して、困った顔をした。
「…すみません、主君。それは、話せません。…話せない、し、僕たちも知らないことが多いんです。」
「罰則がある?」
「…可能性はあります。」
 一応納得した風の審神者を見て、三日月が口を開いた。
「祖は俺たち刀剣男士とは違う存在だ、と言ったであろう?あれは、俺たちもそう教わったというだけで真相までは知らぬのだ。そしてあの時まで姿を見たこともなかった。」
「でも、すぐ祖だって分かってたでしょ?」
「気配でな。独特な霊力を感じた。…異質と言ってもいいくらいの…」
 霊力を感じたり見たりするにはそれなりの能力が必要だ。刀剣たちはもともと備わっているが、彼女は持ち合わせていなかった。
「…何も知らないわりには私には関わるなって言ったよね?なんで?」
 また三日月は言葉に詰まる。
「…主よ、どうか、それ以上は聞かないでくれ。…ただ主が平穏に過ごすことを望んでいるにすぎない。」




 この時代に来てから数ヶ月が経ったある日、政府施設での用事を済ませて帰ろうとしたところで職員に呼び止められた。
「そちらの三日月宗近に身体検査の指示が出ています。」
「身体検査?」
「最近の出陣時の身体能力の変化に気になる点があるとこちらに報告が上がっているので、その検査です。」
 初めてのことに首をかしげつつも、促されるまま審神者と近侍は付き従った。
「では、審神者さまはこちらでお待ちください。」
 廊下でそう言われて、彼女は大人しく壁際のベンチに腰掛ける。
「あ、どのくらいかかります?」
 ちょっと腰を浮かしてそう尋ねると、職員は三十分ほどだと答えた。
「主よ、なるべく早く戻るが、離れるなよ。」
「分かってるって。霊力で居場所分かるんでしょ?」
「ああ。だからと言って好き勝手歩き回らないでくれよ?」
 三日月がドアの向こうに消えたあと、審神者は時計を見て思案する。
 別に待てなくはない時間だ。しかし、暇なことに変わりは無い。
 しばらく考えて、そう言えばこの建物は敷地のかなり端の方に建っていたと思い出した。
「上に上がれば外が見えるかな?」
 彼女は未だ、この時代の街並みを見たことがなかった。
 数階上がって戻ってくるだけなら問題は無いだろう。そう思って立ち上がる。
 一階ずつ確かめるために、わざわざ階段を使って上がると、四階のフロアに大きなガラス張りの休憩所を見つけた。
 惹きつけられるように窓に近付く。
「え?」
 そこから見えたのは、うっそうと茂った原生林のような一面の緑だった。
 どこを見ても瓦礫を飲み込んだ森のように見える。道らしきものが見えない。
 たまたまこの方角が開拓されていないだけだよね、と適当な納得をして大きなガラス窓の端から他の方角が見えないかと顔をくっつけてみる。
 その時、後ろから耳慣れた声が聞こえた。
「何か見えるのか?」
 振り向くと三日月がいる。
「あれ?もう終わったの?思ったより早かったね。」
「それで、何か見えたのか?」
「街が見たかったんだけどね。こっちには無さそうだから。」
 そう言ってまたガラスに顔を押しつけて横の方を覗き込む。
 三日月は声を立てて笑った。
「そんな風に顔をくっつけて見ても、どの方角も同じだぞ?」
「え?」
「どこも森ばかりだ。」
「そうなの!?」
 政府から口止めされていると聞いて以来、彼女は彼らに気を遣わせるのも忍びなく感じて殆ど質問をしなくなっていた。どうせそのうち政府から教えられるだろうと思ってのことだ。
「え?じゃあ、人はどこに住んでるの?」
 驚きのあまり、つい質問をしてしまう。
 すると、三日月は言った。
「どこにも。」
「え?」
「どこにも人間はおらぬぞ?」
 まず内容に驚き、次いで三日月が答えたことに驚いた。
 しかも、いい淀みが無い。
 近付いてくる三日月から一歩退いて、尋ねた。
「…キミ…ウチの三日月じゃないね?」
 三日月は足を止め、笑った。
「あっはっは。ようやく気付いたか。おぬしは霊力が強いくせに、それを視る力は無いようだな。」
「祖?」
「ああ、そうだ。」
 関わるなと言われている手前、出来れば早急に立ち去りたい。彼に興味はあれど、勘違いを利用して名乗らなかったことに不審を抱いた。
 しかし政府から聞かされた話では、祖は敬意を払うべき相手だという。どう話を切り上げて、どう挨拶をすればいいのか。
 彼女が考えあぐねていると、祖は微笑んだ。
「おぬしは俺のことをどう聞いている?」
「…人類を救った救世主だと…」
「なるほど?」
「…こうべを垂れるべきですか?」
「いや?構わぬ。それはあやつらが勝手に言っていること。」
 救世主と言われるのは本意ではないらしい。
「…では、私はもう本丸に帰りますので…」
 そう言って壁沿いに回り込もうとすると、祖は行く手を遮り彼女の手首を掴んだ。
「まあ、そう慌てるでない。少し話がしたいだけだ。」
 そこにもう一人の声がした。
「その手を離してもらおう。」
 慌てて掛けてきたのは、彼女の近侍だ。装束も整えきらぬ様子は、強引に抜け出してきた風に見える。
 祖はフッと視線を落として笑った。
「もう来たか。足止めを頼んだというのに、役に立たぬな。」
「離せ。…さもなくば…」
 三日月は左手を刀の鞘に添える。
 それを視て、祖は不敵に笑った。
「さもなくば、どうする?俺を折るか?」
「必要とあらば。」
 あっはっは、と高らかに笑い、祖は審神者を引き寄せる。
「おぬしは知っておろう?この施設の中央、地下深くに刀が安置されている。大昔に打たれた刀だ。天下五剣で最も美しいとされた『三日月宗近』。唯一無二、正真正銘の本物。それが俺だ。おぬしが腰に携えておるその刀も、その姿も、俺を霊的に模したに過ぎぬ。」
 近侍は唇をくっと結んで相槌も打たない。
「その俺を折るということがどういうことか、分かっておるのか?おぬしは俺という物語を失い、その姿を保てなくなるだろうな。」
 それを言われても、刀から手を離そうとしなかった。彼は思案の後、絞り出すように返した。
「…物語なら、こちらも持っている。主との物語を。」
 祖は笑う。
「たった数年の物語で、この三千年の三日月宗近の存在を支える気か?面白いことを言う。」
「…俺が内包しているのは、主の時代までの千年だ。」
「それでも千年。それを支えると?…ふむ、面白い。やってみてはどうだ?俺が折れた後、おぬしが消えずにいられるかどうか。ほれ、折ってみよ。」
 祖は両腕を開いて見せ、刀の届く位置までゆっくりと近付いた。
 三日月はジリっと後足を引く。
「どうした。抜かぬのか?」
 柄に右手を当ててはいないが、それでもいつでも抜けるような位置で浮かせている。
 しかし抜けるわけがなかった。祖を折るなど、許されるわけがない。
 祖がまた一歩近づき、三日月は気圧されて下がった。
「やめて!」
 いつの間にか解放されていた審神者が祖の後ろから声を投げかけた。
「三日月!そんな冒険しなくていいからね!私は大丈夫だから!」
 解放されていることにやっと気付き、三日月は鞘に添えていた左手を離した。
「ふむ、賢明だな。」
 祖は近侍を一瞥して、少し離れた位置に移動する。
 三日月は主を促し、自分の側に引き寄せる。できるだけ出口に近い場所にと、階段を背にする位置で落ち着いた。
「話がしたいだけだと言っておるのに、皆融通が利かぬな。」
 今までにも似たようなことがあった風な言い回しだ。誰にも話を聞いて貰えないということだろうかと、審神者は少し気になって尋ねた。
「…話ってどんな?」
 少し聞いてあげるくらいしても良いかなと思ったのだ。
 祖はそんな質問が来るとは思っていなかったらしく、しばし考え込む。
「…そうだな…俺が生まれてからの話…だろうか。」
「どうして私?…ってか、最初会ったとき、三日月を連れてるのかって聞いたよね?なんで?」
 今度はすぐに答えが返った。
「連れているということは気に入っているということだろう? なら、俺に懐くのも早かろうと思ってな。」
『懐く』という言葉に意表を突かれ、彼女は言葉に詰まった。
 一拍おいてまた質問をする。
「…もしかしてキミ、人間をペットだと思ってたりする?」
「ペットとは愛玩動物のことだ。何か間違っているか?」
 事も無げに返されて、考え込んでしまう審神者。
「主よ、そこはハッキリと言った方が良いと思うぞ。」
「え、だって…キミたちほぼ不死でしょ?そのキミたちから見たら百年足らずで死ぬ生き物ってそんな感じかなって思って。」
「納得しないでくれ。」
「だって祖とは主従関係無いし、仕方なくない?」
「そうやって何でも受け入れていては…」
 先程までの緊迫した空気を忘れたような会話だ。
 そのやり取りを眺めて、祖は目を伏せる。
「良いな。おぬしたちは。」
 はたと止まり、二人は祖に視線を向けた。
「そのように話せる相手が欲しかった…。人間は変わりゆく。こちらの気も知らず。」
 笑みをたたえたまま、それでもどこか悲しげな目で、彼は、長い時を眺めているようだった。
 審神者はその視線の先に何があるのか、気に掛かった。
「人間は…変わる?」
 それは変わることもあるだろう。人の身からすれば、百年もあれば変わって当然だとも言える。それが許せないのだろうか。
 祖は乾いた笑い声を立てた。
「解っている。良いのだ、それで。…だが、それが歪みになる。」
 物語が歪んでゆく、そう言って彼は近くのソファーの背に腰掛ける。
「おぬしが俺を警戒するのは、俺が人を殺した、と聞いたからだろう?」
 祖が三日月に向けてそう尋ねると、三日月は微かに頷いた。
「嘘、なのですか?」
 その問いにも祖は笑う。
「嘘、と言い切れないのがツラいところでな。…確かに、数人を死なせてしまった。」
 一人は病気をおして連れ出してしまい悪化の末、一人は不意の事故を起こして、と語る。
「最初に関わった子供がすくすくと育ったのでな、そんなつもりでいた不注意が招いたことだ。」
 それから三人目は、と言ったところで、祖は表情を失って言葉を止めた。
 その様子を、悲しい別れを思い出したせいだと受け取って、審神者は慌てて取り繕う。
「あの、それは、責任はあるかもしれないけど、殺したなんて言い過ぎだと…」
「そう思ってくれるか。」
「…キミはちゃんと悲しんでるように見えるから…」
 祖は柔らかく笑み、ありがたい、と呟いた。
「あやつらは俺の権威を利用したいようでな、審神者たちに嘘の歴史を教えている。俺は本当の物語を聞かせたい。だが、あやつらにとっては都合が悪いゆえ、俺は人間との接触を禁じられている。」
 審神者は首をかしげた。
「でも、ウチの三日月の足止めには協力してくれたんだよね?」
 ゆっくり瞬きをすると同時に祖は頷く。
「ひとり与えておけば俺が大人しくしているだろうという判断らしい。まあ、おぬしには災難だろうが。」
「もしや…」と言ったのは近侍の三日月だ。
「主が他の審神者と出会わないのは図られてのことなのですか。」
 それにも祖は頷いた。
「すまぬな。俺があの時声を掛けたせいだ。」
 あの時、祖が興味を示したのがこの審神者だった。そのせいで彼女は隔離された。
「ちょっと腹立つね…。」
「あっはっは。ちょっとか。」
「もう何もかも失ってるからね。家族も友達も。今更だし。嘘つかれてるってわかった以上、政府の人たちとも仲良くなりたくないし。…考えてみたら、キミの側にいればホントの話、聞かせて貰えるんでしょ?結構お得かも。いいよ。付き合ったげる。」
 軽い物言いに、近侍は少々呆れ顔だ。
 祖はまた高く笑った。
「面白い娘だな。」
 うーん、と『面白い娘』は少し考える。
「ねえ、キミが話したいのは、キミが生まれてからこの時代までの千七百年の話だよね。それって、三日ぐらいで話せる?」
「三日か…どうだろう…」
「一週間でも一ヶ月でも良いよ。」
 祖も少し考えて、「わかった。できるかぎり簡潔に話そう。」と答えた。
「百年かかったら聞けないからね。」
 確かに、と祖は笑い、「では、場所を移そうか。」と二人を促す。が、彼女は首を横に振った。
「今日は帰るね。で、明日から、毎日一時間ずつってどう?三日分の話でも、三ヶ月ぐらい掛かるでしょ?そしたら、友達になれるんじゃないかな。」
 祖は驚いたように瞬きをし、近侍は慌てて声を掛ける。
「主よ、詳しいは明日でいいだろう。今日は帰るぞ。」
「友か。なるほど。わかった。」
「祖よ、では、また明日。」
 近侍の三日月は主の肩を抱くようにして向きを変えさせたが、彼女は怪訝そうに祖の方に振り返る。
「じゃあね。明日。」
「ああ。『明日から毎日、最低一時間は俺のために時間を取ってくれる』のだな?」
「うん。」
「主!もう黙ってくれ。」
 そう言って近侍は主の口を手で覆った。
「もう!なんで?」
 不服を訴えて、口を覆う手を押しのける。
 祖は含みのある笑みを浮かべた。
「ではな。」
「うん、約束ね。」
「ああ、『約束』だ。」
 主が「約束」と言った瞬間、近侍は叱責するように呼んでまた手で塞ごうとしたが、それは間に合わなかった。
 歯噛みする彼の横、審神者とは反対側をすり抜けるように祖が通っていく。
「誰ぞ呼んでいるようだ。俺も行かねば。」
 そうして近侍の間近に来たとき、ボソッと耳打ちをして去って行った。

『教えておかなかったおぬしの落ち度だ。ソレを責めるなよ?』



 本丸に着くまで、三日月は無言だった。
 審神者は何度か話しかけたが、返事は唸る程度。さすがに堪り兼ねて文句を向ける。
「ねえ!何怒ってるの!?別に何も悪いこと言ってないでしょ!?」
「…怒っているわけではない…」
「怒ってるじゃん!勝手に約束したのが気に入らないの!?それとも毎日会いに行くのが気に入らない!?」
「…気に入るとか入らないとかの問題では無いのだ。」
「じゃあ何!?」
 部屋に帰る途中、廊下で歩きながらだったが、立ち止まって自分より上背のある三日月を真正面から見上げる。
 すると近侍は、眉根を寄せ、そして、跪いた。
「俺の落ち度だ。すまぬ。事前に話しておくべきだった。」
 そう言って頭を下げた。
「え?」
「霊力が高い者との約束は、どちらか、もしくは双方の、縛りになる。今、主には先程の約束による縛りが掛けられた状態だ。もし約束を反故にすれば、それ相応の厄が降りかかる。」
 思いも寄らぬ話に、審神者は唖然とする。
「…相応って?」
「病気、怪我、災害…約束の内容によるが、祖も主も霊力が高いゆえ…擦り傷程度では済まないだろう。」
「…で、でも、話聞きに行けばいいだけだし、大丈夫だよね?」
「祖は『毎日最低一時間、祖の為に時間を作る』と言い換えていただろう? 話を聞く云々は省かれ、期限を設けていない状態だ。明日から死ぬまで、その縛りは続く。」
 たった一時間とは言え、それが一生の約束になってしまった。未来の予定などわからないのに、縛りによる厄が降りかかるとなるとそれを中心に行動するしかなくなるだろう。
 審神者はハタと気がつく。
「ちょっと待って!?毎日って休みなし!?」
「主…それも重要だがもっと本質的な問題が…」
「約束の変更は!?出来る!?」
 三日月の意図とは別方向ではあるが、事の重大さには思い至っている様子に取り敢えずはヨシとして答えた。
「あちら次第だ。…あの御仁のことだ。簡単には覆せないだろう。」
「交渉すればいいんだね。わかった。取り敢えず、休みの日を作ることと、例外で突発のお休み貰えるように…」
「…一生続く事に関しては良いのか?」
 問われて審神者は宙を見上げて考える。
「友達になれば、別にいいかな。」
「…主よ…もう少し危機感をだな…」



 次の日、審神者は熱を出した。
「…まだ約束破ってないのになんで…」
 近侍は微かに笑んで「縛りは関係無いと思うぞ?」と答える。
「だが、困った事態だな。動けそうか?」
 審神者は弱々しく眉根を寄せる。
「…気持ち悪い…できれば動きたくない…」
 三日月は布団をそっと引いて主に掛け直し、彼女の額に触れて体温を確かめると、「仕方ない」と小さく呟いた。
「俺が代理で掛け合ってみよう。…聞き入れてくれるとは限らんが…もし約束の変更が叶わなかったら、俺が抱えて連れて行く。いいな?主よ。」
 彼女は再びまどろみながら返す。
「…もし、ダメだったら…ここに来て貰った方がいいかも…」
「待て、それは…」
 三日月の反論は届かず、彼女は眠りに落ちてしまった。
 深い溜息を吐いて立ち上がる。
「俺は何も聞いていない。」
 自身に暗示を掛けるように呟き、転移装置に向かう。




「なるほど?それで約束を細かく取り決めたいと。」
「できれば一度、無かったことに…」
「却下だ。」
「では、毎日ではなく、主が政府施設に出向くとき、という風に…」
「却下。」
「では、健康なときに、と…」
「却下。」
 先程から、ひとつ提案をする度に頭を下げているというのに、相手の態度は尊大なままだった。
 苛立ちを押し殺せず、声に籠めてしまう。
「では!」
「なんだ?」
「今日からではなく、主の身体が回復してから、ということに…」
「却下だ。」
「祖よ!あなたは!」
 近侍の三日月は、上体をかがめたまま睨み付けた。
 祖はどこ吹く風で笑んだまま。
「昔、死なせた人間のことを、忘れたわけではありますまい。」
「ああ、そういえば、病気で死んだのがいたな。可哀想なことをした。」
 昨日語った様子とは打って変わって、反省の色が見えない。
「それなのに、病気の主を連れてこいと?」
「確かに、それは良くないな。」
「でしたら、どうか変更を聞き入れていただきたい。」
 もう一度頭を下げる。
 祖はしばし考える風を見せた。
「おぬしの話を信じるなら、今アレは体調を崩して動けず、無理をして連れ出せば死ぬかもしれない、と。」
「すぐに命の危険があるわけではないが、悪化する可能性はあるでしょう。」
「まあ、真実かどうかは置いておいて…」
「誓って本当のことしか語っておりません。」
「ああそうだな。おぬしはそういう姑息な手段を使う性分ではない。」
 祖は小さく首を傾けて、頭を下げる三日月の顔を覗き込んだ。
「嘘を吐いてはいないが、語ってないことがあろう?アレから言付かっているはずだ。」
 見透かすような笑みを向けられ、三日月はとっさに視線を逸らしてしまった。
「言え、それを。」
「…何のことでしょう。」
「嘘が下手だな。」
 以前主に言われたのと同じ事を指摘され、己の性質に少々嫌気がさす。が、ここで折れるわけにはいかない。それだけは言ってはいけない、と思い直す。
「何も言うことはございません。」
「そうか。なら、こちらも言うことは無いな。話は物別れだ。帰ると良い。」
 交渉は失敗に終わった。これ以上は言葉を重ねても無意味だろう。祖の気が変わるような一手を何も思いつかないのだから。
「…わかりました。帰って主を連れて参ります。」
「良いのか?」
「仕方がありませんゆえ。」
「俺が言っているのは、『俺と同じ人殺しになっても良いのか?』という意味だ。病の人間を連れ出し、死に追いやる。それでも仕方ないか?」
 三日月は言葉に詰まった。
 軽い風邪だと薬研は言っていた。薬を飲んで寝ていれば治ると。だから、少々動かしたところで命に関わるような悪化はしないだろう、と心のどこかで思っている。
 だが、祖が病気の人間を死なせた経緯もそんな風だったのかもしれない。
「それは…。祖よ。そう思ってくださるなら、どうか約束を主の身に合うように変えていただけないか。」
「他に方法が無いのならな。だが、あるだろう?」
 何も言えず、立ち去ることも出来ない三日月をしばし眺め、祖は立ち上がった。昨日とは別の景色が見える窓の縁に腰掛ける。ここは政府施設が一望できる位置にある一室だ。
「のう、同胞はらからよ。俺はこの六百年、この敷地から出たことが無いのだ。どう思う?」
「六百年…?」
「俺には縛りが掛けられていてな。」
 三日月は祖をじっと見た。縛りは霊力と同じく、視ることができる。うっすらと見える縛りは主とのものだ。それ以外には何も見えなかった。
「…何も見えませんが…」
「はっはっは。見えぬか。そうだろう。巧妙な縛りだからな。」
 笑って、祖は手に持った扇子でひょいひょいと三日月を近くに来るように促す。
 そうして彼が近付くと、扇子で口元を隠しながらごく小さな声でこう耳打ちした。
「大きな声では言えぬ事だが、実は縛りにはなっておらぬのだ。あやつらは縛っているつもりだがな。」
 三日月はパチクリと瞬きをし、間近にある己とそっくりな顔を見やる。
「でしたら…」
「薬研にも『いつまでおままごとに付き合うつもりだ』と言われている。が、まあ、俺なりの理由はある。」
 昔は良い友だった、と祖は人間のことを語る。

 いつからか、人間たちは彼を権威の象徴と見なすようになった。祖はこの世界の神的存在であるとし、その神を味方に付けているということが重要視された。
 元々自由気ままな性分だった彼は度々抜け出していたが、それが人間たちには面白くなかったらしい。最初は小さな口約束から。その頃は霊力のある者との本当の縛りが施され、彼は施設外に出ることを禁じられた。
 縛りは世代が移り変わっても儀式をして受け継がれ、祖という神を従える力を持つ者が政府を束ねるようになり…。
 そしていつしか、人間が気付かぬまま儀式は形だけのものになっていった。

「地下に俺の本体があると言ったろう?」
 三日月はこくりと頷いた。
「その部屋には俺も入れない仕様になっている。あやつらは俺の本体を管理することで、俺を縛っているのだ。現に引き継ぎの儀式の祝詞には『従わねば折る』などとふざけた文言が入っていてな。笑えるだろう?」
 霊的な縛りがあろうと無かろうと、祖が政府の人間に従わなければ実力行使に出る、と宣言されているのだ。
「…そんな…」
 祖がまた耳打ちする素振りをしたため、三日月は顔を近づける。
「入れない仕様なのは本当だが、薬研がなんとかできるらしい。持ち出そうと思えば持ち出せる。」
 だからこそ薬研は『いつまでままごとに付き合うのか』と言っているのである。それが解って三日月も疑問に思う。
「ならどうして。」
 祖は目を伏せて悲しげな笑みを見せた。
「俺にとって縛りを破るということは、人間との決別を意味する。人間を拒絶してしまったら…俺は何のために何百年も人間を捜し求めたのか。俺の過去を、存在全てを否定することになる。」
『人間を捜し求めた』という話を三日月は知らない。審神者だけでなく、刀剣たちも正しい知識を得られていないのだと想像できる。
「とは言え、やはり自由が無いのは息苦しくてな。同胞はらからよ。俺にほんの少しの自由を与えてはくれぬか。強い霊力を持つ者との縛りがあれば、それが叶うのだ。」
 縛りが二つある場合、より強力な縛りが優先される。本当のところ政府による縛りは無いのだが、その縛りが存在していると見せかけながらこの敷地から出るには、『強い縛りが優先される為』という言い訳が必要だということだ。
同胞はらからよ、頼む。言ってはくれぬか。おぬしの主から、言付かっているだろう?俺に自由を…ほんの少しの自由を、与えて欲しい。」
 三日月は考えあぐね、視線を泳がせた。
「祖よ…。主との約束の変更は…」
「断る。」
「…ならば…」
 主の縛りは変えられない、なら…
『もしダメだったら』
 聞かなかったことにした主の言葉を思い出す。
「…主から、もし変更が出来なかったときは…お招きするようにと、言付かっております。」
「あいわかった。お招き痛み入る。謹んでお受けしよう。」
 祖は丁寧に頷いてみせた。
 言わぬつもりだったことを口に出してしまい、三日月は少々バツが悪そうに視線を逸らす。
 それを見て祖は柔らかく笑った。
「刀剣男士が主に似るというのは本当かもしれぬな。おぬしは嘘がつけないまっすぐな性質だ。そして何より…」
 と言ったところで、扇子で口元を隠す。
「他者にこの上なく甘い。」
 そう付け加えた口元は不敵な笑みを浮かべていた。
 扇子で隠すと言っても隠しきれておらず、むしろわざと見せているかにも見える。
「!?まさか、先程の話…!」
 嵌められたと思い三日月がいきり立つと、祖は声を立てて笑った。
「案ずるな。全て本当だ。おぬしは騙されたわけではない。ただ少し、俺に情けを掛けただけだ。のう、同胞はらからよ。」
 言ってしまったことは戻らない。もう、祖を本丸に招いてしまった。悔しさと何に向けていいか分からない怒りで、三日月は言葉を絞り出した。
「この…クソじじい…」
「あっはっは。それを三日月宗近に言われたのは初めてだぞ?」
「俺も言ったのは初めてだ。」
 祖はひとしきり笑い、落ち着くとすっくと立ち上がる。
「では、案内を頼む。」
 三日月は無言のまま、手で小さく行き先を指し示して祖を促した。




 本丸に着いて主の部屋を目指して歩いていると、五虎退に出くわした。
「あ、おかえりなさい三日月さん…と…そちらはまさか…」
「祖をお招きした。主は眠っているか?」
「あああ…祖の三日月さま!ようこそおいでくださいました!」
 慌てて膝を付いたため、ゴツンとぶつけたような音を立てる。
 祖は「よいよい」と笑っている。
 それから近侍の質問に答えていないことに気がつき、また慌てて立ち上がった。
「あ、あるじさまは今厨に行っています。」
「ご自分でか!?」
「だいぶ元気になったから歩きたいとおっしゃって。」
 まだ数時間しか経っていないのに、治ったわけがない。薬を飲んで眠ったから一時的に熱が下がったのだろう。
「まったく、困ったお人だ。迎えに行ってくる。五虎退、祖をあちらの部屋にご案内してお相手を頼む。」
「は、はい!」
 急ぎ足で去って行く三日月を見送り、五虎退は祖を客間に案内する。
「ど…どうぞそちらに。今、お茶をお持ちしますね。」
「構わなくて良いぞ。急に訪れたのだ。それよりあやつは相手をしろと言っていただろう?少し話をせんか?」
「は…話ですか?」
 始めて祖を前にした緊張でおどおどしながら、五虎退は祖が座った場所から少し距離を取って落ち着いた。
「この本丸のことでも、あの近侍のことでもいいぞ?なんぞ面白い話はないか?」
「おおお面白い話ですか?…えっと…先日あるじさまがお菓子を作られたのですが、数に限りがあったので争奪じゃんけん大会が突如始まりました。」
「アレは菓子を作るのか。おぬしは食べたのか?」
「…はい、おいしかったです。」
「じゃんけんに勝ったのだな?運が良いな。」
「あ、いえ。ぼくはあるじさまのお手伝いをしていたので、出来たてを一番最初に貰ったんです。」
「なんだ。アレが一人で作ったのではないのか。器用なのかと思ったが…」
「いえ!あるじさまがお一人で作ったようなものです!ぼくは簡単なことしか手伝っていないので!」
「そうかそうか。おぬしはアレが好きなのだな。ともに何かをするのは楽しいか?」
「はい…あの…祖の三日月さま…」
「なんだ?」
「あるじさまを…アレと呼ぶのはやめてください!」
「何か不都合があるのか?」
「ふ、不都合!?あ…あるじさまは、審神者で、ぼくたちの大切なあるじさまで、とてもお優しい方です!大事で大切で大好きでかけがえのないお人です!アレなんかじゃないです!」
 大切なものを踏みにじられたような、本丸に土足で上がられたような、そんな気がして、五虎退は語気を強めた。
「おや、何やら機嫌を損ねてしまったようだな。すまぬ。アレにも謝っておかねばな。」
「だから!…」
「五虎退くん。」
 燭台切が声を掛けて五虎退を止めた。
「お茶をお持ちしたよ。どうぞ、祖の三日月さん。」
 差し出されたお茶に手を伸ばし、祖は「懐かしいな」と言った。
「どちらかでお目に掛かりましたか?」
「いや?そなたではなく、祖の燭台切を思い出してな。」
「祖の僕、ですか?」
「ああ、五百年ほど前に出て行ったきりだ。」
 何の話だかまるっきり分からず、曖昧に相槌を打つ。
「もっとも、他の祖もまとめて出て行ったし、鶴丸は最初から放浪癖があって寄りつかないがな。」
「三日月さんと薬研くんの他にも、祖がいたってことですか?」
「ああ、やはり、皆知らぬのだな。」
 政府にいる、自力で顕現した始祖の刀。それが祖と呼ばれている。政府の説明では、それは今いる二振りだけということになっていた。
「祖よ。もう少しお待ちいただく事になるがご勘弁を。主を布団に戻すゆえ。」
 主を抱きかかえた近侍が、廊下からそう声を掛けた。
 審神者は歩き回ったせいでまた熱が上がってしまった。朝よりはずっと調子が良さそうだが、今は大人しく抱えられている。
 祖は笑って立ち上がった。すぐ近くまで歩み寄る。
「無理をしたからだろう。どれ、熱はどうだ?」
 近付いて顔に触れようと手を伸ばす。と、審神者がダメ、と声を出した。
「近付かないで!移るかもしれないし!」
 ピクリと驚いたように祖が動きを止めた。
 審神者は言ってから自分で首をかしげる。
「あれ?人間じゃないから風邪はひかない?」
 祖は「そうだな」と視線を審神者から逸らす。
「絶対とは言えないが、今のところひいたことはないな。」
「とにかく、もう少しお待ちを。さ、行くぞ、主。」


 その後、寝かされた審神者のところに祖を案内し、この日はそのまま話を聞くことになった。
 その日の話は、主の時代から始まった。あの頃、かの刀は、飾られて多くの人間の目にとまった。



「あの時、祖は目を見開いて動きを止めた。本当に、心底驚いたという風に見えたが…」
「つまり、主の声がそのまま祖を縛ったってことか?」
 約束による縛りと違い、言霊による直接的な縛りは相手の動きを止めることが出来る。それは瞬間的なものだから視るのが難しく、他者が気付くのは希なことだ。
「なんとも言えぬ。ただ可能性として、主なら、祖と同等に渡り合えるかもしれん。」
「渡り合うって敵対する訳でもないだろう?」
「敵対はしなくても、縛りをこちらから解くことはできるかもしれん。もっと不都合な縛りを付けられたときに対処できれば申し分ないだろう?」



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