刀剣乱舞

花の春


 蜂須賀が近侍の仕事に追われていたある日、外は桜が満開になり、そこここから楽しげな声が聞こえていた。
 書類を持って主の部屋に向かう途中、ふと窓から外に目をやると桜の下で浦島が笑っているのが見え、足を止める。
 蜂須賀の唇がほころびかけたところで、浦島のすぐ近くに彼の姿が見えて真顔に戻った。
 苦々しげに呟く。
「…花は贋作すら美しく映えさせる…」
 つまらないことを口に出したと視線を落とし、手に持った書類のことを思い出して足を一歩出した。
「蜂須賀。」
 視線の先に、主の足袋が見える。ハッとして顔を上げた。
「…主…いつから…」
 先程の呟きを聞かれてしまっただろうか、とついそんなことを問うてしまう。
「蜂須賀って、長曽祢が好きだよね。」
 聞かれていたという焦りと、思いも寄らぬことを言われた驚きで言葉が返せない。
「…な…何を…」
「今、見てたでしょう?」
「う…浦島がいたから…」
「楽しそうだね。」
「弟は社交的で誰とでも仲良くなるから…。皆も弟に良くしてくれます。」
 意図的に長曽祢のことを省いて、周りの皆と楽しげにしている浦島の話にすり替えようと取り繕う。
「ねえ、蜂須賀は…」
 そう言って主は柔らかい笑顔を向けた。
「長曽祢が虎徹を名乗ることに腹を立ててはいないよね?」
 それはどういう意図の質問なのか。腹を立てているように見えるから、それを咎めたいのか。それとも腹を立てていないと思っての確認か。
 返答に困っていると、主は続けた。
「長曽祢が贋作だということに腹が立つんでしょう?」
「え?」
「ねえ、蜂須賀…」
「主…いったい何を…」
「長曽祢が虎徹だったら良かったのにね。そしたら、あなたは何のわだかまりもなく彼を競争相手として切磋琢磨出来たのに。」

 長曽祢が虎徹だったら

 主の刺したトゲは、意外に深く、蜂須賀の心に残ることになった。




 夜中、同室の長曽祢が抜け出したのを感じ、蜂須賀は目を開けた。
 どこに行ったのかと静かに気配を辿ると、彼は無人の空き部屋に落ち着き、窓から外を眺めていた。
「眠れないのか?」
 蜂須賀は無遠慮に話しかけた。
 少し驚いた顔をして、長曽祢は苦笑を向ける。
「ああ、何故か目が冴えてな。夜桜を眺めるのもいいかと思ったんだ。」
 窓の外には、確かに月明かりの中に大きな桜の木が浮かんで見える。
「…なるほど。なかなかに絶景だ。」
「だろ?…花はいいな。皆を笑顔にしてくれる。」
 長曽祢の言葉で昼間の情景を思い出した。
「…花の下で笑っていたな…」
 彼の笑顔を思い出してそう言ったが、当の長曽祢はキョトンとして「ああ」と合点がいったように答えた。
「浦島が楽しそうだったな。明日は非番だったろう?桜はあと数日で散ってしまう。明日にでも浦島と二人で花見をしたらどうだ?」
 彼が気を利かせて「二人で」と言ったのはわかったが、それがかえって腹が立つ。
「…花見ならお前も付き合え。浦島はその方が喜ぶ。」
「…だが、たまには水入らずの方がいいだろう?」
「浦島にとって水入らずは三人だ。」
「しかし…お前もたまには…お前の好きなように…」
「俺は、浦島が喜ぶのが嬉しいんだ。好きにするからお前も付き合え。いいな?」
 無理矢理な理論で半ば強制的に同意を求めると、長曽祢は戸惑いながら頷いた。
「…お前がそれでいいなら…わかった、付き合おう。」



 次の朝、蜂須賀は朝餉の支度に追われる厨に顔を出した。
「燭台切、急で申し訳ないんだが、今日のお昼に花見弁当を頼めるだろうか。浦島と花見をするんだ。」
 燭台切は快く引き受けて「二人分かい?」と聞いた。
 蜂須賀は一瞬言葉に詰まり、心なしか気まずそうに答える。
「いや…三人分だ。」
 燭台切は、長曽祢の分だと分かってにっこりと笑った。
「オーケー。任せといて。」
 その笑顔に含みを感じて、蜂須賀は慌てたように付け加える。
「贋作のことだからまだ頼みに来ていないと思ったんだ。まったく、誘ったくせに気が利かないやつだ。」
 ひとしきり文句を言ってから、最後に「よろしく頼む」と軽く頭を下げて立ち去った。


 日が高くなった頃、厨に浦島が駆け込んできた。
 燭台切はてっきりお弁当を持ちに来たのだと思って手を早める。
 すると浦島が息を切らせて言った。
「ねえ!急なんだけどさ、お弁当作って貰えない?」
「え?」
「お弁当のことすっかり忘れてて。今日兄ちゃんたちとお花見するんだ!それで、聞いてよ!驚きなんだけどさ、長曽祢兄ちゃんと蜂須賀兄ちゃんが二人で決めたんだって!びっくりだよね!?二人で決めて、俺を誘ってくれたんだよ!ねえ、兄ちゃんたち、前より仲良くなってるってことだよね!?」
 一気に喋って頬を紅潮させている。
 燭台切はフフッと笑って人差し指を立てた。
「もうひとつ驚くことを教えてあげようか?」
 目の前のお重に蓋を閉め、包みを結んで差し出す。
「お弁当は、もう出来てるんだ。」
「え!?…えっと…誰か別の人のじゃないの?」
「キミたちの分だよ。今朝、蜂須賀くんから注文を受けたんだ。」
「そうなの!?」
「そう。で、彼はこう言ってた。『長曽祢から誘われた』って。」
「ホントに!?」
「うん、きっと少しずつ仲良くなってるよ。」
 浦島は飛び上がりそうになり、すんでの所でここが厨だということを思い出して膝を曲げただけで止めて元の姿勢に戻る。しかし喜びを抑えきれず、つま先立ちをして身体を揺らした。
「さ、持ってお行き。三人で一緒に繰り出さないとね。」
「うん!ありがと!燭台切さん!」




 蜂須賀は相変わらず長曽祢には冷たく、大半をむすっとした表情で過ごしていたが、浦島には勿論和やかな顔を見せ、それなりに穏やかな時間を過ごした。
 浦島が最後の唐揚げを頬張って、箸を持ったまま両手を高く上げる。
「お弁当も旨いし桜も綺麗だし、サイコー!」
「あっはっは。そうだなあ。」
 そう笑った長曽祢がふと蜂須賀の方を見て、しばらくジッと視線を止めた。
 蜂須賀は居心地が悪くて顔を顰める。
「何だ。何か文句でもあるのか?」
「あ、いや、すまん。髪に付いた花びらを取ってやるべきか考えてしまって…」
「はあ?…子供じゃないんだ。そのくらい自分で払える。」
 言って自分で払おうとした手を、長曽祢が掴んだ。
「いや、そうじゃなくて。…お前の髪の色に、桜の淡い色が似合ってな、取ってしまうのは勿体ないと思ったんだ。」
 どことなく照れたような表情の長曽祢。蜂須賀は驚きのあまり二の句を継げず、固まってしまった。
「じゃあ、これ!」
 二人の様子を見守っていた浦島が、降り積もったばかりの綺麗な花びらをひとつかみ取ってきて、パッと蜂須賀の頭の上に乗せた。
 長曽祢が慌てて立ち上がる。
「こ、こら、そんなことをしたら蜂須賀が恥ずかしい思いをするだろう? こういうのは自然に少しだけ降りかかるから綺麗なんであって…」
 言って蜂須賀の頭の上に乗せられた花びらを払いのけた。
 が、あまりに乱暴に払いのけたため蜂須賀の顔面に落ちてくる。
「ぅわっぷ!」
「あ、悪い。顔に掛かったか?」
「まったく!贋作はやることが雑すぎる!」
「あわわ…ごめん、俺が余計なことしたから…」
 浦島が慌てて謝った。
 蜂須賀は手元に落ちてきた花びらを掴むと、立ち上がって長曽祢の頭にポンと乗せ、また近くの花びらをひとつかみ手に入れて、今度は浦島の方を向いた。
「仕返しだ!」
「わ!蜂須賀兄ちゃんが怒った!」
「待て!浦島!」
 じゃれるように弟を捕まえて、頭に花びらを乗せると二人で笑った。
 長曽祢は自分の頭の花びらを払い落としながらそれを眺める。
 弟の前では笑顔を見せる蜂須賀だが、それでも屈託のない笑顔になるのは希だった。長曽祢は得をした気分になって笑みを浮かべた。




 その数日後、蜂須賀は飲みに誘われたからと珍しく夜に部屋を留守にした。
 浦島は先に寝ているようにと言われていたが、布団に入っても気になって何度も寝返りを打っていた。
「どうした。眠れないか?」
 長曽祢がそう聞くと、ムクッと浦島は起き上がる。
「遅くなるって言ってたけど、ちょっと遅すぎない?大丈夫かな?」
 確かに、普段は飲みに行ってももう少し早い時間に帰っていた。
「大丈夫だろう。日本号と次郎太刀だからな、なかなか抜けさせてもらえないんじゃないか?」
「じゃあ、いつもより量も飲んでるかもしれないでしょ?…ちょっと心配…」
 浦島の心配も分からないではないが、あの蜂須賀に限って酔い潰れるということはないだろう、と長曽祢は思っている。どう言えば弟が安心するか考えあぐね、眉間にしわが寄った。
 それを見て、浦島は兄が自分と同じように心配をしているのだと受け取って身を乗り出した。
「ちょっと見に行ってくる。」
「寝ていろと言われたろう?遅くまで起きていると、蜂須賀がお前を心配するぞ?」
「えー?蜂須賀兄ちゃんがフラフラになってたら帰ってこれないじゃん。」
 大丈夫と言ったところで、確証はない。浦島は納得しないだろう。
 長曽祢は「よし!」と立ち上がった。
「俺が一人で見てこよう。俺だったらあいつが酔い潰れていても担いでこれるからな。」
「長曽祢兄ちゃんも飲まされたりしない?」
「ちゃんと断って帰ってくるから、お前は寝ていろ。」
 少々不服そうに、それでも一応は納得して浦島は布団に入った。
「なるべく早く連れて帰ってきてね。」
「ああ、心配するな。」


 どこで飲むかは聞いていないが、あの二人なら厨かその横の食堂だろうと踏んで向かっていると、廊下の向こうから蜂須賀が歩いてきた。が、足取りが覚束ない。
 フラフラと右に行ったり左に行ったりしながら、ある部屋のふすまを開けて入っていった。
「おい、蜂須賀!」
 少し遠いが、気になって声を掛ける。
 確かそこは空き部屋のはずだ。
 小走りでのぞきに行くと、蜂須賀はブツブツと独り言を言っていた。
「おーい…浦島?どこだ?…贋作も…布団も敷かずにどこに行って…布団は…」
「おい、蜂須賀。」
 呼びかけると、くるっと振り返った。
「贋作!浦島をどこへやった!」
「おい、大丈夫か?ここは俺たちの部屋じゃないぞ?しっかりしろ。」
「しっかりだと?しっかりしてないのはお前だろ!」
「おいおい、どんだけ飲んだんだ。へべれけじゃないか。」
 すっかり酔っ払った様子の蜂須賀に呆れてそう言うと、蜂須賀はそれが気に入らなかったらしく、また声を荒げる。
「俺が酔ってるっていうのか!?俺は主の刀剣だぞ!これくらいで…潰れるわけがないだろ。…俺は…戦う…刀剣だ。昔の飾られてるだけの刀じゃない…お前より…強く…」
 そう言いながら長曽祢に掴みかかり、そのまま寄りかかった。
 長曽祢は受け止めはしたものの、うろたえて尻餅をつくように一緒に倒れ込む。
「おい…蜂須賀…」
 蜂須賀は胸ぐらを掴んだまま、長曽祢に抱き留められている状態だ。
「なんで…くっつくんだ…離れろ贋作…」
「…お前がくっついてきたんだぞ?」
「…そんなわけ…ないだろ…俺はお前のことなんか…主は…勘違いしてる…だけだ…」
「主も一緒に飲んでたのか?」
 急に主のことが出てきて何の話だろうと尋ねると、蜂須賀は腹立たしげに「違う」と返した。
「主は桜の下のお前を…あー…なんだ?桜が…お前を…」
 言いながら身を乗り出して、背中を浮かせている長曽祢にさらに体重を掛ける。押されるまま長曽祢は床に肩を付け、蜂須賀を見上げる形になる。
 蜂須賀が何を言いたいのか分からず、ただ黙って言葉を待った。
「桜が…桜の…下で笑った…お前は……綺麗だった…なんで…贋作のくせに…」
「き…綺麗…?」
 自分に対してそんな言葉が出てくるとは思わず、意味を図りかねる。
「主が…」
「主が俺を綺麗と言ったのか?」
「違う!」
 蜂須賀は完全に体重を預け、長曽祢の肩の辺りに顔を埋めるように近づけた。
「お前は…綺麗だった…あの…桜の下で…」
「お前の方が…綺麗だったぞ?花びらがお前の髪を飾って…」
「違う!その前の日だ!」
 花見の前日といえば、蜂須賀が近侍の仕事で外に出られなかった日だ。あの時、長曽祢は浦島や他の刀たちが桜の下で楽しげにしているのを見ていた。それを蜂須賀は見ていた。蜂須賀が見ていたのは、弟じゃなく、自分だったのだと長曽祢は今更気付く。
 蜂須賀は長曽祢の両肩を押さえるようにして自身の上体を持ち上げた。見下ろして言う。
「主が言った…俺は…お前が好きで…お前が虎徹なら良かったと思っていると…俺は…否定できなかった…」
「蜂須賀?」
「お前が…虎徹なら…俺はお前を…兄と慕い、その強さを…誇りに思い…、その背中を追って…鍛錬に励んだだろう…なのに…なのに、なぜ!」
 ポタポタと蜂須賀の涙が長曽祢の胸に落ちる。
「なんでお前は贋作なんだ!」
 また涙が零れ、それとともに蜂須賀は長曽祢の胸に顔をうずめた。
「なんでと言われてもなあ…。出自は変えられんからな。」
 言って蜂須賀を抱き寄せ包み込む。
「蜂須賀…。俺はときどき、俺を打った刀工を恨めしく思う。腕がありながらなんで贋作なんて作ったんだ。どうして自分の名前を刻まなかったんだ、ってな。でもいつも同じ結論に辿り着く。もし、俺が贋作じゃなく、刀工自身の作品として世に出ていたら…たいした物語も付かず、名のある剣士にも使って貰えず、きっと…ここには居なかった。悔しいが俺は、虎徹と刻まれたからこそここに居るんだ。贋作だからこそ、お前たちの横に居られるんだ。」
 長曽祢は蜂須賀の髪に指を通し、整えるように撫でた。
「だから俺は、お前たちの名を汚さぬよう、お前たちの横にいて遜色がないよう、強くあろうと思う。」
 自分の言ったことが相手の耳に届いたか気になって、顔を覗き込む。と、蜂須賀はすっかり寝入っていた。
 笑いとともに溜息を吐き、長曽祢はそっと身体を起こした。
 いい加減、浦島が痺れを切らして探しに来るかもしれない。酒を飲んで寝入っている今なら、少々揺らしても起きないだろう。さっさと運んでしまおう。
 抱き上げようと蜂須賀の姿勢を直してふと彼の顔を見る。
 つやのある、整った形の唇に目を奪われた。




「おかえり。蜂須賀兄ちゃん寝ちゃったの?ごねてた?」
「あはは。ちょっとな。」
 蜂須賀を布団に横たえると、長曽祢の首元を掴んでいた手が名残惜しげに引っかかった。そっと寝間着から指を外して布団の中に入れる。
 蜂須賀の顔に掛かった髪の毛をそっとのけてあげる長曽祢の仕草は、いつもより優しげだった。




fin.
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