みかのり短編

幸せ探し



 ある朝、一文字則宗が猫になっていた。
 猫と言っても身体は人間のままで、手と足の先が猫そのもの、頭に猫の耳、お尻に尻尾がついていて、頭部は獣のように鼻先が少し突き出て、おまけに猫の髭もしっかりと付いていた。
「菊…?か?」
 隣に寝ていた三日月が、連れ添いと見受けられるその猫に尋ねた。
 猫はニャアと一言鳴くと、眼をパチクリとして小さくまた鳴いた。
「喋れぬのか?」
 神妙にコクリと頷く彼に、こちらの言うことが理解できるかとか自分が誰か分かるかなどいくつかの質問をして、三日月は目の前にいるのが間違いなく則宗だと結論付けた。
 ともかく主に報告に行こうと促すと、立ち上がりはしたものの足元が覚束ない。身体は元のまま、足先が猫のそれになっているせいで二足歩行は難しいようだった。かと言って四足歩行なら動きやすいかと言えばそうでもなく、膝から上が人間のままだから四つん這いになるとバランスが悪く上手く歩けない。
 見かねた三日月が抱き上げて、主の部屋まで連れて行った。


 手入れ部屋で治らないのを確認したのち政府に問い合わせると、既に同じような現象が他の本丸からも多数報告があったらしく、現在調査中だから本丸内で大人しくしておくようにとの返事が返ってきた。
 主は暫し考えてから振り向いて言う。
「混乱するといけないから、取り敢えず部屋に籠もっててくれる?みんなには少しの間内緒で。」
「…だが、食事にも出てこないと心配する者もあろう。特に一文字には知らせておくほうが良いのではないか?」
 隣で大人しくしていた則宗が、途端に三日月に飛びかかった。のしかかるようにして猫の手で三日月の口を押さえる。ブンブンと首を横に振る様子を見て取るに、どうやら一文字の皆に知らせるのを嫌がっているようだ。
「菊、皆、心配すると思うぞ?」
 心配もするだろうし、知らせずにいたら後から睨まれそうである。
 尚も首を横に振っている則宗を、主はにっこりと覗き込んだ。
「今日中に治るかもしれないし、内緒でいいよね。」
 今度は首を縦に振る。
「わかった。取り敢えずは秘密にしよう。…だが、明日の朝までに戻らなかったら一文字に知らせるぞ?」
 三日月の言葉に、則宗は渋々といった風に頷いた。


 その日はふたりで部屋に籠もり、三条の面々には「休暇をまったりと過ごすから近付かないように」と言い含めて置いた。どう受け取ったかはともかく、皆野暮なことはしない質だ。二人きりでいるのは難しくは無かった。
 食事から何から三日月が世話を焼いて一日を過ごして分かったのは、則宗の意識と記憶はしっかりしているが、時折猫の本能に負けてしまうということだ。三日月の髪飾りや袖が揺れる度、じゃれつきたいという衝動に駆られ飛びかかる。南泉が日頃葛藤している困りごとをそのまま移した様。いや、それ以上かもしれない。
 本能が現れる度、それが引っ込むまで普段の意識はなりを潜めてしまい、我に返るとシュンと落ち込む、というのを繰り返した。
 すぐに治るから心配するなと慰めて、翌朝に期待をして就寝したが、夜が明けるとふたりとも気落ちすることになった。



 それから数日、政府からはポツポツと治った事例の報告が届き、その度に試してみるものの、どれも効果が無かった。
「みかち、これはやってみた?」
 事例の一覧を見ながら、姫鶴が指さす。
「ん?…まあな。」
 治った時の状況がまちまちなため、何が効果があるのか、政府も答えが出ていないらしい。美味しいものを食べて治った者もいれば、主に撫でられて治った者もいる。共通点と言えば、喜んだとき、なのだが、その報告を参考にしても失敗する例が続出しているという。
 則宗も喜んでいる風は見て取れるが、効果無しだ。
 先程姫鶴が指さしたのは『恋人との性交』
「ちゃんと、してあげた?」
「したぞ!」
 中には真似ることの出来ないものもあって、皆頭を抱えた。
「もう恋仲ってか夫婦みたいなもんだもんね。」
 片思いが実って治った者もいるとか。
「大好物を山盛り積んだだけで治ったヤツ、どんだけ食いしん坊なの。」
「御前はゲンナリしてた、にゃ。」
 美味しいものは喜ぶには喜ぶものの、口の形が変わってしまっているせいで食べにくく、どちらかと言えば食事が億劫になっている。
「お頭、俺たちだけでは策が足りません。皆に協力を仰いでは。」
「確かに、頭を捻ろうにも限界があるな。」
 一文字の面々には二日目に子細を話したが、他の仲間たちにはまだ秘密にしてある。
 もう一度主に相談しようかと言っているところに主がやってきた。
「最新の情報来たよ。」



「では、朝礼を始める。今日は皆、出てきているな?」
 近侍を任されている蜂須賀が出欠の表をざっと確認して、主を呼んだ。
「おはよう、みんな。今日はちょっと聞いてほしいことがあって、ね。えーっと…蜂須賀、ふたりに来て貰って。」
「はい。」
 蜂須賀が廊下に声を掛けると、三日月が則宗を抱えて広間に入ってきた。
 一瞬の静寂ののち、ザワザワと声が広がる。
「みんな驚いたと思うけど、菊ちゃん…則宗さんは健康上は問題ありません。この異変は、他の本丸でも起こっているらしくて、今、原因と回復方法を調査中だそうです。すぐ治るかもって秘密にしてたんですが、長くなりそうなので共有しておきますね。じゃあ、ふたりとも、部屋で休んでていいよ。」
 三日月たちが出て行ってしばらくすると、主は「もう大丈夫?」と蜂須賀に廊下を覗かせた。
「はい、もう離れたようです。」
「はい、みんな、ここからが本題だから、聞いて!」
 主はパンと手を打って皆の視線を集めると、事の次第を話し出した。
 これまでの経緯と政府からの報告、そして最新の情報。
「実は、これは則宗さんに聞かせたくないことなので、みんな、絶対バレるようなこと喋っちゃダメだよ?」
 政府は、異変の回復条件を新たに提示していた。確証はないものの、恐らく間違いないだろうとのことだ。
 その条件が。
「顕現から今までで、一番の幸せを感じることらしいの。その方法を、みんなに考えてほしいんだよね。」
 簡単に元に戻った事例は皆、顕現から日が浅い者たちだった。この本丸の則宗のように長引いているのは、顕現から長く、既に満たされている者が多い。
 則宗にこの話を聞かせたくないのは、知ってしまうとプレッシャーになって幸せを感じにくくなるかもしれないからだ。
 ざわざわと皆が近くの者と喋り出す。
「今までで一番ってことは、ふたりが恋仲になった時よりもっと幸せにしてあげなくちゃいけないんでしょ?難しくない?」
「だからみんなで考えるんじゃないか。」
「あのふたり、もう熟年夫婦みたいなとこあるからなー…」
「大好物よりももっと美味しいもの探すのは?」
「楽しい催し物やるとか。」
 案は出るものの、コレというものが中々浮かばない。案を出した本人も、微妙だなと思いながら口に出している状態だ。
 乱が手を上げた。
「あるじさん!海の方に別荘あったよね?」
 海のすぐ側の高台にある邸宅は、保養目的で建てられたものだ。
「ふたりきりでのんびりしてもらうのはどう?」
 いいね、と主は返事をしてから、難しい顔をした。
「良い案だとは思うけど…」
 ふたりだけでは身の回りのことを全て三日月がやることになる。食事の準備も洗濯も掃除も、出来なくは無いかもしれないが、その状況で『のんびり』できるのか。
「僕が食事の準備をするよ。」
 手を上げたのは歌仙だ。
「では、僕が身の回りを整えます。」
 次いで名乗り出たのは平野だった。
 他の短刀たちも行きたいと手を上げたが、それでは三日月たちの邪魔になると却下された。
「平野ずるーい。」
 乱が拗ねたような顔をすると、平野は笑って「あなたは特にダメですよ。」と返した。
「なんでよー!」
「おふたりに口出しするでしょう?」
 ロマンチックに演出しようとあれこれ注文を付けそうだと誰かが言い、確かにと粟田口の兄弟たちが同意して笑った。



 三日月と則宗が別荘に着いたとき、そこはすっかり綺麗に整えられていた。数日前から仲間たちが手分けして掃除や荷物運び、インテリアの調整までやってくれていたのだ。
「さて、あなたたちは思う存分寛いでくれていいからね。僕たちはあちらで適当にやっているから。」
 歌仙はそう言って平野と共に台所の方に引っ込んだ。二人は台所を拠点に、その側の部屋を使うことになっている。三日月たちが使う区画とはしっかり分かれているから邪魔になることは無いだろう。

「こうも整えられてしまうと、些か気恥ずかしいな。」
 ソファーでぴったりと寄り添って、ふわりとした髪を撫でる。ニャーと則宗が鳴いた。
 主から『とにかく菊が喜びそうなことを沢山やってあげて』と言われているが、思いつくのはいつもやっているようなことばかりだ。
「明日は砂浜に下りてみようか。」
 海辺ということで水着も持たされている。泳いでみるのもいいだろう。歩きづらい現状、水の中の方が案外過ごしやすい可能性もある。
「にゃー」
「ん?散歩でもするか?それとも喉が渇いたか?」
 今の則宗は表情も乏しい。いつもなら言葉がなくても伝わることさえ分からない。分かってあげられないのが心苦しく、三日月は目頭にキスをして抱き上げた。そして海に面したテラスに移動する。
「少し待っていてくれ。」
 ビーチチェアに横たえると、則宗は少々不安げに連れ添いの袖口に爪を立てた。
「何、飲み物を取りに行くだけだ。すぐ戻る。」
 しばらくすると三日月は手に本を数冊持って、平野を従えて戻ってきた。
 平野はサイドテーブルに飲み物を置くと三日月に「お任せしますね?」と念を押し、則宗には「今日は夕餉まであまり時間がありませんからおやつはお預けですけど、あまりお腹が空くようでしたら軽く食べられるものも用意しますから、三日月さんに言ってください。お盆を叩くといいですよ?」とニッコリ笑った。
 にゃーと一声鳴いて了解を伝えて、則宗は飲み物が入った器に口を近づける。今はコップで飲むことが出来ないため、小さなボウル状のお皿を使っている。いろいろと試した結果、猫のように舌で掬うのが一番飲みやすいと分かった。
 ペロッと舌を出しかけて動きを止める。
「どうした?菊。他のものが良いのか?」
 小さく首を横に振るのを見て三日月は首を捻るが、平野は気が付いて一歩引いた。
「僕がいるからでしょう。すみません。下がりますね。いつでも呼んでください。」
「世話を掛けるな、平野。」


 三日月が持ってきた数冊の本は、部屋を整えた仲間たちが置いていったものの一部だ。中でも乱から『おすすめの本』だと聞いていたものを本棚から選んできた。しかし、文字が読めなくなっている則宗の代わりに読んでやるぞと言った三日月がペラペラと本をめくって顔を顰める。
「…見事に恋愛小説ばかりだな…」
 そう言えば、おすすめだと言った乱が悪戯っぽく笑ったような気がする。加えて「ちゃんと感情込めて読んであげてね?」とも言っていた。
 気が進まないながらも、題名を読み上げて「どれがいい?」と問う。
 すると則宗はしばらく考える風を見せ、首を横に振った。
 そして、腰掛けている三日月にのしかかって口をちょんちょんとつつく。
「ん?…喋れと言うのか?」
「にゃー。」
「そうか、昔話の続きでもしようか。」
 互いに昔の主の話でもしようと言ったのはいつのことだったか。時折思い出話に花が咲くこともあるが、最近はあまりそういう話が出なかった。
 その日はのんびりと三日月の昔話で時間を過ごした。



「こんにちは~。歌仙さん、いいもの持ってきたよ。」
 浦島がニッと歯を剥いて笑った。手には魚籠びく。後ろに付いてきている不動と南泉も同じような笑顔で魚籠や魚を掲げて見せた。
「大漁だったようだね。ありがたい。」
 歌仙が応じていると、声を聞きつけた三日月と則宗が顔を出した。
「にゃー!」
「おお、浦島に不動、南泉も。海釣りに来ていたのか?」
「そうだよ。いっぱい釣れたからお裾分けしに来たんだ。」
「今日は入れ食いでさあ、めっちゃ掛かって凄かったよ。」
「御前、刺身好きだよにゃ。」
 刺身と聞いて則宗は嬉しそうにニャーと鳴いた。
「よし、今日は刺身づくしだ。選んでもいいかい?」
「もちろん!」
 こちらは四人だからね、と歌仙は数尾の魚を選び取る。
「煮付け用にも取っていいぞ?」
「そうかい?じゃあ、明日の分にこの辺りを…」
 魚のことは浦島と不動に任せて、南泉は則宗の方に近付いた。
「御前、困ってること、ないか?にゃ。」
 首を横に振り、大丈夫とでも言うようにまたひと鳴きした則宗を見て、ホッとする。
「ならよかった。三日月、御前のこと、頼むにゃ。」
「ああ、任せておけ。」
 その時、則宗がフイッと視線を落としたのを南泉は見逃さなかった。
 少し思案して。
「…御前?…もしかして、迷惑掛けてるとか思ってないか?…にゃ」
 則宗は視線を逸らしながら小さくニャーと鳴く。
「言っとくけど、にゃ、今日は俺たち海釣りを楽しみに来ただけだし、たまたま大漁だっただけだし、折角近くまで来たから、お裾分けのついでに顔を見に来ただけ、にゃ。御前が気にすることなんて何もない、にゃ。俺たちの釣り運に乗っかって喜んでればいいんだにゃ。」
 南泉はそう言って、少し膨れたような表情でプイッと横を向いた。
 則宗は、数回瞬きをして、両手を南泉の頭にのせるとワシワシっと髪をかき混ぜた。
「ちょ、…」
「にゃー!」
 なにげに嬉しそうにそのまま引き寄せると、南泉の顔をペロンと舐める。猫の習性なのか、そのまま毛繕いでもするように舐め続けるため、南泉は戸惑って身をよじった。
「ご、御前!くすぐったい、にゃ!ちょっ…!」
 どうしていいか分からず避けきれないでいる南泉から、三日月が則宗を引き剥がす。
「ダメだ。」
 それだけ言って黙ってしまった三日月を則宗は振り向いて見上げた。
 横から歌仙が小さく声を掛ける。
「三日月、ちゃんと言葉にするんだよ。」
 歌仙の顔は楽しげな笑みで、三日月はそれを見て嫌そうに顔を顰めた。
「ほら、」
 もう一度、歌仙が促す。
 渋々といった風に三日月は口を開いた。
「…嫉妬、してしまうだろう?…だから、そんなに舐めてはダメだ。」
 たっぷり数秒、則宗はパチパチ瞬きを繰り返し、ペロッと三日月の唇のすぐ横を舐めて頭を擦り付ける。ゴロゴロと喉が鳴った。
 抱きつくようにして顔をうずめる則宗はとても嬉しそうに見えた。
「…ダメかあ、惜しかったな。」
 不動が不意に言った言葉は、途中から歌仙に口を押さえられて則宗には届かなかったようだ。
 歌仙がそのまま不動を外に連れ出す。
「彼が喋らないから失念しがちだけどね、僕たちの言葉を彼は全部理解できるのだから、滅多なことを言うものではないよ。」
「ご、ごめん、忘れてた。」



 時折そんな風に誰かが訪れたり、海に泳ぎに行った先で同じく遊びに来ていた仲間に出会ったりしながら、三日月と則宗は休暇を満喫していた。しかし、一向に治る気配はなかった。
「菊、眠いのか?なら昼寝をするか。」
 あくびをした則宗をベッドに連れて行くと、三日月は寄り添って寝転んだ。今日も海で泳いだからすっかり疲れている。
 そのまま二人でまどろんだ。

「明日は本丸に戻る予定ですが…結局治りませんでしたね。」
 平野がお茶を飲みながら溜息を吐いた。
 その向かいで歌仙も息を吐く。
「本丸でも色々企画はしているようだし、どこに彼の幸せが転がっているかは分からないさ。それにね…」
 そう言って歌仙はお茶を流し込んだ。
「それに?」
「僕は毎日、彼が喜ぶような料理を作っているつもりだよ。今日だって腕によりを掛けて最高の夕餉を出すつもりだ。それでもし、彼を治すことが出来たら、僕は三日月に勝ったことになるんじゃないか?」
 ぷふっと平野が噴き出す。
「そんな野望をお持ちだったとは。」
「だってそうだろう?三日月を負かすなんて中々出来ないからね。これで一矢報いることになるなら、力が入るというものだよ。」
「でしたら、僕も精一杯お手伝いします。」
「ああ、ふたりで三日月にギャフンと言わせよう。」
 そう言って歌仙は夕餉の支度に取りかかる。
 平野は立ち上がり、「一度お二人の様子を見てきますね。」と出て行った。
 食材を確かめて、頭に料理を思い描く。
 昨日はあれだったから、今日はこういう味付けにしようか。そんなことを考えていると、小走りに平野が戻ってきた。
「歌仙さん!来てください!」
 平野がそんな風に慌てるのは珍しい。歌仙は不思議そうに見返した。
「どうしたんだい?」
「とにかく、来てください。ほら、早く。」
 彼は歌仙の後ろに回り込んで、背中を押した。
 三日月たちの寝室の近くまで行くと、人差し指を立ててそっと中を覗いて見せる。
 歌仙が真似をして中を覗くと、案の定、部屋のぬしたちが寄り添って眠っているのが見えた。そして、かの人は、とても幸せそうな顔をしていた。

「さて、僕の野望は砕かれてしまったのだが仕方ない。今日の夕餉はお祝いの料理にしようか。」
「はい、お手伝いします。」



「菊、眠いのか?なら昼寝をするか。」
 既にまどろみながら、間近に愛する人の気配を感じる。
 猫の髭は敏感で、相手の息が掛かる度にピクピクと揺れた。その振動で、相手もまどろんでいることを知る。
(包まれている様だ…)
 三日月の気配にすっぽりと包まれているような、優しい空気の中、則宗は眠りに落ちていく。


 ああ、なんて、心地良いんだろう

 ああ、なんて、愛しい時間だろう

 ああ、なんて…なんて…




fin.
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