刀剣乱舞

役割


「他の審神者より霊力が高いそうだ。」
 彼の主はそう言って少々困ったような顔をした。
「それは良いことなのではないか?」
 三日月がそう返すと、審神者は肩をすくめる。
「生まれてこのかた霊力なんてものを感じたことはないんだ。」
 それだけではなく、家系的にも特に霊力が必要な生業ではないし、幽霊や人ならざるものを見たこともない。そして勿論、霊力が関わる特別な技など使えない。
「まあ、審神者の素養がある、と思っておくよ。」
 多分おだてられたのだ、とまた肩をすくめた。
 ふむ、と三日月は口元を扇子で隠し、少し思案して言った。
「他の審神者をよく知らないのでな、その辺りはなんとも言えないが…。この本丸は主の霊力で満たされている。そして俺はその霊力を心地よく思っているぞ?」
「そうかい?」
 先程よりは納得いったような風で、審神者は笑った。



 ある日、出陣の部隊編成を知らせる場に、いつもは来ない主が顔を出した。
 皆一様に驚く中、近侍の三日月だけは心得ていたようで、「こちらへ」と主を皆の前に促す。
「驚かせてすまない。実は今回の出陣は特別でな。」
 政府から特殊な任務が言い渡されたという。
「審神者が回収しなくてはいけないものがあるらしい。お前たちには触れることも出来ないとか。」
「主も共に出陣するということですか!?」
 初期刀の蜂須賀が信じられないといった面持ちで訊いた。
「そうだ。守ってくれるだろう?」
 事もなげに笑顔を返す。
「それは勿論…。ですが、危険なことに変わりはありません。」
「ああ、だが他に手立てがないそうでな。なに、目的の場所に着いてしまえば、結界が張られているらしいから問題は無い。…とは言え、護衛しつつ道中の敵を殲滅していくのはそれなりだからな、第一部隊で行く。」
 第一部隊はほぼ固定。必要に応じて一人二人入れ替えることはあるが、それも希なことだった。
 近侍の三日月宗近、初期刀の蜂須賀虎徹、脇差からは浦島虎徹、短刀は薬研藤四郎、大太刀の次郎太刀、そして打刀の長曽祢虎徹。すべて最初期からこの本丸で鍛えられてきた刀剣たちだ。
「皆、心せよ。」
 三日月が笑みを携えたまま、それでもいつもよりも気を張った空気を見せながら、そう言った。


 敵の抵抗がいつもより厚いように感じる。それは目的地に近づくにつれ更に強まっていった。
「本当に結界が張ってあるんだろうな。」
 政府の情報が間違っているという可能性もある。一抹の不安を感じて、長曽祢がぼやいた。
「行ってみないことにはな…」
 審神者自身も政府の日頃の対応に多少の不信があったせいで、言い切ることは難しいようだ。
 なんとか敵を殲滅し、指定された場所の前に立つ。
 確かに結界は張られていた。それが誰の手によるものなのかは分からなかったが、審神者だけが入れるということだから、政府側のものなのだろう。
「薬研、索敵頼む。他はこの結界の守りを固めてくれ。」
 そう言うと、主は何やら印を結び言葉を唱えた。
 霊力を纏い、身体が淡く光って見える。その光が見えるのは、ここに居る中では恐らく刀剣たちだけだ。この審神者本人にはその能力がない。
 審神者はそっと結界の中に入る。
「皆は絶対にこの結界に入ってはならない。何があっても、そちらで待機だ。」
「主よ、なにやら不吉に聞こえるが…」
「政府からそう言われているんだ。そこを踏み越えると状況が悪化するとか。なに、今からやる儀式を間違えなければ問題は無いはずだ。」
 言って一旦背中を向けたが、振り返り、
「理論上は完璧、だそうだ。」
 そう悪戯っぽく笑った。
 三日月は苦笑を返して外に向き直ったが、内心に沸いた不安に思考を巡らす。
 理論上、などと言うのは恐らく政府の研究機関の人間だ。そして、理論上でしか言えないということは、まだ誰もやってみた者がいないということだ。
 実験台にされている。
 そして、主はそれを知りながら引き受けたのだろう。
 彼らの主は、そういうところがあった。刀剣たちには相談せず、危ない橋を渡る。そうして、事が過ぎてから「大丈夫だったろう?」と笑うのだ。
 審神者は政府の指示通りに儀式を進め、そこにある壺に手を掛けた。その壺を回収せよとの命令だった。
 が、持ち上げた途端。

 ピシッ…

 壺にひびが入ると同時に不穏な気配が広がった。
「主!?」
 周りを警戒していた刀剣たちが一斉に振り向く。
 壺が大きな音を立てて割れ、そこから黒いモヤが湧き上がって高く盛り上がった直後、審神者に向けて襲いかかった。
「主さん!逃げて!」
 浦島の叫びは間に合わず、影はすっぽりと審神者を包み込んでしまった。
 一瞬のためらいの後、数人が結界に踏み込もうとするも、三日月が止める。
「でも!」
「入ってはならぬと言われただろう。」
 三日月が言うと、それに主が続けた。
「…そう、だ。絶対に…入るな…」
 床に倒れ込み、苦しげにあえぎながら、言葉を出す。
 影は収束しているように見えた。徐々に審神者の身体の中に吸い込まれていく。
「政府に…連絡を…状況を…伝えろ…」
 蜂須賀が即座に連絡を付けると、通信窓が浮かび、中の人物が落ち着いた声で言った。
「問題ないですね。予定通りです。そのまま本丸にお帰りください。」
「はあ!?これが予定通りだと!?」
 壺は割れ、中にあった影は全て審神者の中だ。
「…壺が…割れてしまった…アレを回収するという話だったが…」
「いえ、入れ物は必要ありません。中身を回収したかっただけですので。」
「…話が違うぞ…」
「そうでしたか?でも、問題はありませんから、そのままお帰りください。追って次の出陣先をお知らせします。」
 そういうとフッと通信が切れてしまった。
「おい!」
 政府の人間に向かって長曽祢が呼びかけたが、すでに聞こえてはいないだろう。
 三日月は結界の境界をじっと見て、何の力も感じられないのを確認してから足を踏み入れた。
「もう入って良いぞ。」
 皆が一斉に主に駆け寄る。
 審神者は重そうに自分の身体を持ち上げた。
「…大丈夫だ…」
「…無茶をなさる。」
 眉根を寄せて三日月が苦言を呈すると、主は力なく笑った。



 本丸に帰ってからも政府とやり取りをしたが、今の審神者の状態を改善する方法はない、と言い切られた。
「あと三カ所、出陣をして同じように回収せよとのことだ。その後でないとなんとも出来ない、と言われた。」
「本当に!?」
 審神者は影を身体に入れてから、ずっと苦しげにしている。回収したものは政府が引き取ってくれるという話だったから、早く受け取ってくれと連絡をしたのだが、そんな回答だった。
「嘘だろうな。」と三日月は返す。
「これで引き取ってしまったら、後の回収を渋ると思っているのだろう。全て回収してから引き取る、と言っておけばこちらは回収せざるを得ない。」
「そんな!…主さん、あんなに苦しそうなのに…」
 浦島が主の部屋の方向に視線をやりながら、心配そうに言った。
 苦々しげに蜂須賀は己の拳を掴む。
「…だいたい、アレは何だ。なんであんな物が結界で守られていたんだ。」
「ああ、それに関しては少々の説明はされた。」
 あの壺は、否、あの影は敵の霊力の源なのだという。それがいくつかの時代のいくつかの場所で見つかった。遡行軍の補給所のようなものらしい。これまで壊したり回収を試みたりしてきたがいずれも失敗に終わり、苦肉の策として、敵が利用できないように結界で覆ったのだ。
「自分たちができなかったから、うちの主に押しつけたってことかい?」
 酒をクイッと煽って、次郎太刀が唸った。
「そういうことだな。うちの主は霊力が高いらしい。適任だと思われたんだろう。」
「無責任な!」
「ともかく、政府が何もしてくれない以上、こちらに出来るのは早く終わらせることだけだ。」
 薬研が深い溜息を吐く。
「つまり、あの状態の大将を連れてあと三カ所、早々に回収作業を終わらせろってか。」
「…そんな…」


 次の日の朝には、出陣先の知らせが届いた。
 気は進まなくても、このままでは主が苦しむ時間が長くなる一方だ。割り切って任務をこなすしかない。
「主よ。行けそうか?」
 出陣の準備をする審神者の傍らで、近侍は主の羽織を持って顔を覗き込む。
「問題ない。」
「…また無理をなさる。」
「仕方ないだろう?お前も分かっている筈だ。」
「次からは、俺に相談してくれるとありがたいのだが。」
「わかった。そうしよう。」
「嘘つきは好きではないぞ。」
「そうか。」
 羽織を受け取ろうと差し出された手を袖に通し、反対側の腕を通しやすいように回り込む。
「ありがとう。」
「…なんの。」
 まだ不服を抱えながらも、三日月は小さく息を吐き、気を取り直して笑顔を作った。



 全てを回収し終わったときには、審神者は支えられないと歩けない状態になっていた。
 本丸に帰ると、すぐに回収した影を引き取ってくれるよう要請を出した。
「場所の指定があった。」
「ならすぐに向かおう。」
 蜂須賀がそう言うと、三日月はちょっと待てと止める。
「主が編成を変えると言われてな。」
「え?」
「薬研、おぬしは留守番だ。代わりに長谷部を連れて行く。」
 皆、驚きに言葉を失った。
「長谷部、準備は出来ているな。」
 部屋の外に待たせてあったようで、三日月は声を掛けて招き入れた。
「ちょっと待て、何故彼なんだ。…その…こう言っちゃ何だが、まだ長谷部は第一部隊に入る実力じゃないと思うんだが。」
 三日月はうむ、と頷いてへし切長谷部の顔を見る。
「それは本人も分かっていることだ。それに、主にも俺から進言申し上げたが…主が言うには『嫌な予感がするから長谷部を連れて行く』と。」
 それを聞いて一層驚きの色を見せたのは次郎太刀だった。
「…地獄の道行き…」
 ぼそっと呟くのを訊いて、長谷部がムッとする。
「悪かったな、実力不足で。」
「次郎太刀よ、それはいくらなんでも失礼というものだぞ?」
 三日月の苦言に、ごめんよ、と苦笑いを向ける。
「前に酒の席で出た軽口だよ、悪かった。」
「今から行くのは政府の施設だ。戦闘は起こらない…と思いたいな。その上で、念のために我らを連れて行く、という判断だ。…主の嫌な予感も、外れてくれることを祈るのみだ。」


 指定された場所に行くとそこには祭壇が設けられていて、神主や巫女が儀式の準備をしていた。
「さあ、こちらへ。皆さんはそこで待っていてください。」
 巫女が二人がかりで審神者の身体を支え、祭壇に連れて行く。
 手の空いた巫女が一人、刀剣たちのところにやってきてこれから始まる儀式の説明をしてくれた。
「あの依り代に回収したものを移せば、審神者さまのお身体は回復なさいます。あとはこちらにお任せください。」
 あとは見守るしか出来ない。
 皆、その場でジッと儀式が進むのを眺めた。

 依り代に影が移っていくのが見て取れた。もう少し、あと少しで終わる、と思ったその時、それは起こった。
 う、と審神者が苦しげな声を上げ、ふらっと立ち上がる。
「主…?」
 倒れそうにふらつく審神者を支えようと駆け寄った巫女が突き飛ばされた。
 ハッとした神主の祝詞が止まる。
 途端、依り代に移りかけていた影が力を取り戻したように膨れ上がった。
 影がまた審神者に戻ろうとしているのを見て、刀剣たちは走り出す。
「主!」
 影に飲まれそうな主を助けるべく駆け寄ろうと近づくと、一番前にいた三日月を見つけた審神者が怒声をあげた。
「来るな!三日月!」
 その眼光は鋭く三日月を見据えていた。
 ひるんだ三日月は足を止めた。
 その一瞬で影は審神者を飲み込む。
 その影の塊から、主の手だけが見えた。
「長谷部!来い!」
 声と同時に、長谷部はもう影に飛び込んでいた。
 そして、一気に影が収束し、忽然と消えた。


 皆が呆然としていた。
 儀式を遠目に見ていた政府の人間が慌ててその場を調べに来たが、影も審神者も長谷部も何処にも見当たらなかった。
 本丸で待機を命じられ、三日月たちは戻って出陣命令を待った。
「次郎太刀、話せ。アレはなんのことだ。」
 三日月は壁にもたれて遠くを見たままそう言った。
「…地獄の道行きかい?」
 あの時は長谷部の実力不足に不安を感じて言った言葉だと思っていたが、それは違うのだと、長谷部の行動で気がついた。
「あの時、あやつは呼ばれる前に駆け寄っていただろう?呼ばれることを見越していた。何故だ。」
「そうだね、あいつ、分かってたと思うよ。」
 ふうっと息を吐き、次郎太刀は話し出す。
「だいぶ前の話だけど、主と長谷部と三人で飲んだことがあってね…」


 酒を酌み交わしながら、主は長谷部に向かって言った。
「お前は裏切りそうだよな。」
 笑いながらそんなことを言う主に、長谷部は困惑しながら「心外です。」と反論する。
「裏切るわけがないでしょう?」
「いや?裏切るね。お前は『主』って人種が嫌いで仕方ないんだ。」
「そんなこと…。俺が嫌いなのは、俺に名前を付けたあの男だけです。あなたには何の恨みもない。」
「そうかい?」
「そうです。あなたの命令なら何だって…。それこそ、手打ちでも焼き討ちでも…」
 長谷部がそこまで言ったところで、主は相手の顔を指さした。
「ほら、それだ。」
「え?」
「お前はそう言いながら、いざそんな命令をされれば、その命令を下した者を心底さげすむだろう?そういう口ぶりだ。」
「…そんなことは…」
「あるね。」
 言い切られてしまい、返事に困っていると、主は言った。
「だが、こうも思う。地獄の道行きは、長谷部、お前とだ。」
「え?」
「何処までも、ついてきてくれるだろう?」
「は、はい!例え行き先が地獄だろうと!主命とあらば!」


「もう二、三年前の話だよ。別に今回のことを予見してたわけじゃないと思う。」
「そうか…そんなことを…」
 話を聞いて、三日月は視線を落とした。心なしか気落ちしているように見える。
「俺は…全幅の信頼を得ていると思っていた…とんだ思い上がりだな…」
 来るな、と言ったあの怒声は聞いたこともなかった。睨み付ける目も、見たことがなかった。
 あの局面で拒絶するということは、命を預けるに値しないということではないか。
「それは…どうかな。俺の目にも、大将はアンタを信頼してるように見えてたぜ?」
「そ、そうだよ!三日月さんのこと、すごく頼りにしてたもん!」
 薬研と浦島の言葉に、微かに笑みを返し、三日月はまた視線を落とした。
「皆さん!政府から連絡が来ました!位置が特定できたそうです!」
 こんのすけが駆けてきて出陣を告げると皆、ぐっと拳を握りしめた。


 出陣は2部隊。敵の多さも理由だが、それだけではなかった。
「石切丸、おぬしの力が必要かもしれん。」
「わかった。…でも私では足手まといじゃないかい?」
「そのための第二部隊だ。守ってもらうと良い。」
 石切丸がこの本丸に来てから、まだ日が浅かった。神事には長けているが、戦闘となると経験が少なすぎる。
「任せろ。お前はいざという時のために力を温存しておけ。」
 岩融の言葉に、石切丸は静かに頷いた。





「長谷部…。」
 体重を殆ど長谷部に預け、よろよろと進みながら審神者が名を呼んだ。
「なんでしょう、主。」
「…悪いな、覚悟をしてくれ。」
 長谷部はごくりとつばを飲み込み、一拍おいてから返事をする。
「はい。元より、覚悟はしております。」
「すまない…。」
 どこかわからぬ地に飛ばされてから影に操られるように道を進んでいるが、時折出くわす遡行軍はしっかりとこちらを敵として認識しているらしく襲いかかってくる。その度に長谷部が戦って徐々に疲弊していく。何処まで持つか。影から逃れる方法を考える気力もなく、ただ、これが地獄の道行きになるのか、と二人は思っていた。




 政府が割り出した座標に、2部隊は降り立った。
 日本のどこかの時代、という風ではない。切り離された時間か、もっと別の亜空間か。とにかく、人間はいなさそうだった。戦うには都合が良い。
 目指す場所を確かめると、そこには黒くそびえ立つ城のようなものが見えた。
「あそこに主がいるのだな?」
『微弱ですが、審神者さまの霊力が感知されています。近づけば皆さんにも分かるかと』
「あい分かった。救出に向かう…でかまわないか?」
「当たり前だろう!」と蜂須賀がいきり立つ。
「いや、政府のことだから、救出より影の消滅を優先しろと言われるかと思うてな。」
「そんな気遣いをしてる場合か、三日月!」
「そう怒るでない、蜂須賀。俺も気を遣うつもりはないぞ?嫌味のひとつも言ってやりたくてな。」
「そんな悠長な!行くぞ!」
「あい分かった。」
『ご武運をお祈りしております』
 その言葉を最後に通信が切れた。随分と丁寧だ、と三日月は思う。通信役の性格か、もしくはこちらのやる気を削がないために対応を細かく指示されているのか。先日の突っ慳貪とした応対とは雲泥の差だ。手のひらの上で転がされているのかと思うと腹立たしい。が、
「今はそんなことを言っている場合ではないな。」
「三日月。大丈夫か。」
 薬研が足を止めて振り返った。
「ああ、問題ない。」
 地獄の道行き、か。この道がそうなら、あそこは地獄だ。そんなことを考えながら、黙々と進む。


 敵は無限に湧いてくるようだった。
 それでも襲いかかる敵を蹴散らしつつ、主の霊力を頼りに道を進むと、城に辿り着いた。
 そこは人間の感覚で言う『城』とは違っていた。大きな建物に見えたその中はがらんどうで、何もない。その中心にその人はいた。
「主…。」
 近付くと、その人は刀を向けた。その手にあるのは、へし切長谷部。
「悪い、三日月。長谷部も頑張ってくれたんだが、もう身体は支配されている。斬ってくれ。」
「主よ…」
「私を斬れるのはお前だけだ。そうだろう?」
 そのためか、と三日月は思った。あの時、来るなと言った理由はこれだったのか。こうなることを予見して、その時に俺がこちら側にいないと困るから、か。
 くっと唇を結ぶ。震えを隠すために。
「…そのような信頼、嬉しくはないのだがな。」
「そう言うな。ついでに頼みがある。…コイツを折らずに回収してやってくれ。もう刀装もお守りも失った。」
 しっかりと握られたその刀を、回収しろと。
「難しいことをおっしゃる。」
「腕を切り落とせ。簡単だろう?」
 それが難しいのだと口に出そうとする刹那、主が先に絞り出すような声で言った。
「…頼む…」
 フッと主の気配が消えた。
 と、同時に斬りかかってくる。
 刀で受けようとして、すんでの所でかわす。打ち合ったら、折れてしまうかもしれない。
「まったく、また一方的に…。勝手に決めて、勝手に約束をとりつけて…。我らの想いは置いてきぼりではないか…」
 斬りかかってくる主を無駄だと知りつつ峰打ちで応戦し、隙を見て身体をぶつけるようにして吹き飛ばした。
 周りから押し寄せる敵の相手をしている仲間たちに声を掛ける。
「石切丸!準備を。それから、虎徹たち!浦島を借りるぞ!」
 呼ばれて浦島が駆け寄った。
「浦島、アレを引き剥がしてくれ。」
 アレ、とはあの影のことだというのは分かる。しかし…
「…どう、やって…?」
「心の目で見ることだ。切っ先に霊力を込めろ。いつものように。」
 二刀開眼のことを言っているのだと気付いた。
 刀装を斬るとき、目視での認識は刀装そのものを斬っているが、実のところ刀装の効果を霊的に斬っているのだと聞いたことがある。浦島はそんな意識はなく感覚で使っているが、それでも切っ先に霊力が籠もるのは感じていた。
 それを応用しろということだ。
「隙を待て。いいな。」
 そう言い置いて、三日月はまた主との戦闘に戻った。
「心の目で…」
 浦島は目を瞑る。
 主の霊力と、それに絡みつく影。それをしっかりと認識して、切っ先で引き剥がす。
 出来るだろうか。しかし、やるしかない。
「主さんを助けるためだ…やらなきゃ…」
 腰を低くして構える。切っ先に霊力を込める。
 刀を振るったときに主に当たるかもしれない。そう思うと怖かった。
 緊張に心臓が高鳴った。主を斬ってしまうかもという恐怖に目頭が熱くなり、涙が溢れそうだ。
(ああ、こんなにも人の身は厄介だ…)
 浦島はそのまま、隙を待った。


 主の気配が消えた主は、屈強だった。
 峰打ちで背中を打ってみても、物理的によろけることはあっても落ちる気配はなかった。刀を持つ手も、何度か打ち据えてはみたものの同じだ。普通の人間なら痺れて力が抜けるだろうに、その手はしっかりと掴んだままだった。
 両腕をもう数回ずつ打っている。これ以上やれば骨が折れるだろう。既にひびは入っているかもしれない。どうやってあの刀を回収するか。
「…仕方ない…」
 あとは鍔に引っかけるようにして、抜き取るぐらいしか思いつかない。しかしそれをするには手の間近に剣先を差し込まねばならず、下手をすれば手の肉をえぐることになる。
「…すまぬ、主よ。」
 汗ぐらいかいていてくれと祈りながら、その一点を狙う。
 すれ違いざまに振られた刀を避け、振り抜かれたその手元に切っ先を向ける。カシッと引っかかった感触に、今だ、とそのまま己の刀を振り抜いた。
 多少の抵抗は感じたものの、主の手は滑るように刀から離れた。勢い、ポーンと刀が飛んでいく。
「誰ぞ!長谷部を!」
「任せろ!」
 薬研の声を聞いてあちらは大丈夫と判断すると、刀を失った主に柄で打撃を加える。
「浦島!」
 武器もなく困惑したように数歩下がった主を、浦島はしっかりと見据えていた。
 三日月の声に背中を圧されるように、後足で地面を蹴って一気に距離を詰める。
「でぇりゃああああ!」
 主の横をすり抜けつつ、身体に当てぬようすれすれのところで刀を振るう。
(心の目で…)
 俯いて目を瞑った。切っ先の霊力を意識するとそこに『重さ』を感じた。
(かかった!)
 その重さを手放さぬように一気に振り抜く。
「いっけぇええ!」
 浦島の刀の切っ先に釣り上げられるように、影が現れた。
「石切丸!」
「任せて!」
 石切丸は結んでいた印を切り、影に向けて気を放つ。
「は!」
 影は苦しみ悶えるように縮こまった。
「主君から切り離したよ!今だ!」
 それを合図に、三日月が、そして蜂須賀や長曽祢など数人が影に斬りかかる。
 そして霧散しかかったところにまた石切丸が祝詞を唱えると、それは完全に消滅した。





「あーるっじさん!」
 ふすまを開けてひょっこりと浦島が顔を出した。
「ああ、浦島か。」
「お見舞いに来たよ。行っていいって聞いたから。」
 本丸の主の寝所には、暫くのあいだ近付かぬようにお達しが出ていた。審神者の意識が戻らなかったのだ。
 しかし、目を覚まして身体の状態も問題ないとのことで、皆に面会が許された。
「大丈夫?」
「ああ。…と言っても、手は使えないがな。」
 そう言って包帯でぐるぐる巻きの両腕を見せる。
 三日月の予想通り、腕の骨にはひびが入っていた。幸い手の肉は抉られずに済んだが、痛みのせいで指もあまり動かせない状態だ。
「…ごはん食べにくそうだね…。そうだ!俺が食べさせてあげるよ。」
 主の役に立てると嬉しそうに言った浦島に、後ろから声が掛かった。
「はっはっは。残念だが、その役目は予約がいっぱいだぞ?」
 振り向くと、本を数冊かかえた三日月が入ってきたところだ。
「え?いっぱいって?」
「先程、粟田口の坊たちがじゃんけんで順番を決めておったからな。」
 そう言って主の側に行き、「これで良かったか?」と本を見せている。頼まれて持ちに行っていたらしい。
「え~?…俺も何か主さんの役に立ちたいよぉ~」
「何を言う。そなたは充分に役に立ったではないか。見事だったぞ?」
 あの影を引き剥がした件を持ち出して三日月は柔らかく笑った。
 審神者は頷く。
「聞いたぞ。良くやってくれた。あの件の誉れは浦島にと言っていたんだ。」
 えへへ、と浦島は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「俺、頑張ったよ。…だって、主さんの為だもん。絶対、助けなきゃって…思ったから。」
「ああ、ありがとうな、浦島。」
 浦島の目にじわりと涙がにじんだ。
 うっかり泣きそうになって、慌てて明るい声を出す。
「…でも!それはそれ!俺はもっと役に立ちたいの!何かできることない?」
 あはは、と審神者は笑って「そうは言ってもな」と困ったような顔をした。
「腕以外はなんともないんだ。もう歩き回ってもいいぐらいなんだが…」
「また、そんなことを」
 三日月が叱るような視線を向ける。
「熱があるのだろう?」
 知っていたのか、と気まずそうに言う審神者に、薬研から聞いたと答えた。
「『大将は放っておくと無茶をするからしっかり見張っておけ』だそうだ。」
「じゃあ、俺が見張る!」
 嬉々として浦島が身を乗り出し、三日月も賛成の意を返す。
「よし、二人で見張るとしよう。」
 不服そうな主には、恨み言で応戦して承諾させた。
 その後、見舞いが訪れる度に見張り役が増えてしまうことになる。

「主よ、もう無茶はしてくれるなよ?」
「そうだよ。俺たちすんごく心配したんだから。」



fin.
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