みかのり
絡まる糸
「三日月さんって、意外と大胆ですね。」
そう声を掛けてきたのは鯰尾だった。
「ん?何のことだ?」
三日月は見当も付かず、首を傾げた。
「鶴丸さんとのことですよ。いえ、深く立ち入る気はないですからご心配なく。則宗さんにも内緒にしておきます。いやあ、びっくりしたなあ。まさか浮気してるなんて。」
鯰尾の言ったことに一瞬ポカンとして、慌てて否定する。
「ちょっと待ってくれ。何の話だ。浮気などしていないぞ?」
「ん?あ、そういう…なるほど。どちらも本気ってことですね。そうかー。」
「待て待て。何を勘違いしているのか知らんが、鶴丸とは何も…」
「隠したってダメですよ。この前、二人で朝風呂してたの知ってるんですから。」
ハタと思い出す。禊ぎを済ませたあと、風呂で鶴丸と一緒になった。恐らく風呂から出て帰るところを見られたのだろう。
「鯰尾、誤解だぞ。あれはたまたま…」
「またまたあ。そんな誤魔化し利きませんよ。」
「いや待て。本当に鶴丸とは何も…」
「はいはい。何も無かったってことにしておいてあげます。ご心配なく。」
鯰尾はそう言って、三日月の制止も聞かず行ってしまった。
則宗には内緒にしておくと言っていたが、誰にも言わないとは言っていなかった。もし噂になりでもしたら、則宗の耳にも遅かれ早かれ届いてしまうだろう。
不味いとは思うが、何を言っても信じてくれそうにない鯰尾にどう言えばいいのか。見当が付かず、三日月はしばし途方に暮れた。
鯰尾は粟田口部屋に帰ると、そこに居た乱に「びっくりだよね~」と話しかけた。
「何がびっくりなの?」
「あ、いやいや、何でも無いよ。」
「何それ、そっちが話しかけてきたんじゃない。」
少し膨れて言い返すと、鯰尾は悪戯な笑みを浮かべる。
「聞きたい?」
「気になる言い方しておいてズルい!」
「あはは、ごめん。じゃあ、内緒で教えるね。」
「なになに?」
内緒話だと言われて、乱は興味津々だ。
「実は、この前見ちゃったんだけど…」
鯰尾は自分が見たことを憶測混じりで話した。
三日月と鶴丸が先日の朝、一緒に風呂場から帰って行ったこと。二人とも風呂から上がったばかりの風体だったこと。他に人がおらず、何やら声を潜めていたこと。
「え!?三日月さん浮気してるの!?」
「それが、さっきその話を三日月に振ったら、どっちも本気みたいなんだよね。」
「え…?それってどういうこと?」
「浮気じゃないって言ってたから、どっちとも同じように付き合ってるってことじゃないかな。」
「何それ!!」
乱が腹を立てて声を荒げると、その後ろから落ち着いた声が掛かった。
「…それって、側室ってことじゃないですか?」
いつの間にか秋田が側に居て、話を聞いていたようだ。
鯰尾と乱が声を揃えて「側室?」と聞き返すと、秋田は言った。
「ほら、平安に限らず、やんごとない方々って本妻とは別に妻を娶るじゃないですか。三日月さんはそういう高貴な家にあったから、それが普通だと思っているのかも知れませんよ?」
普通だと思い込んでいるとしたら、何の罪悪感も無く複数人とそういう関係になってもおかしくない。
乱は「え~?」と不服そうな声を上げたが、鯰尾は妙に納得した様子だ。
秋田は「それに」と続けた。
「実は僕も先程、ちょっと見ちゃったんですよね。」
「え?何を?」
「三日月さんが鶴丸さんの頬に口を近づけているところを。」
三日月が考えあぐねているところに、鶴丸が通りかかった。
「よ。どうかしたのかい?」
「ああ、鶴丸か。…少々困ったことになってな。」
鶴丸にも関係していることだからと話そうとしたが、誰かに聞かれるのもまずいと思い声を潜める。
「この前…」
こそこそと話す内容を聞き取るために鶴丸は耳を寄せた。
「ふむふむ…ほほ~う?なかなか面白いことになっているじゃないか。」
「笑い事ではない。違うと言っても鯰尾は信じてくれぬし、証明のしようも無い。あの様子ではおぬしが仮に説明をしに行ったところで同じだろう。噂になる前に誤解を解きたいのだが…。」
「それは難しそうだな。」
だろう?と三日月はまた悩み始める。
「噂は放っておいて、先におひいさんに事情を話しておくってのはどうだい?」
「そうしたいのは山々だが、今から仕事が立て込んでいてな。」
「なら、俺が行ってきてやろうか?」
「頼めるか。それは有り難い。」
「キスしてたってこと!?」
「その場面を目撃したわけではありませんが、距離が近かったですし、声を潜めて何やら話していらっしゃったし…特別な関係に見えなくも無かったなって。」
鯰尾はそれを聞いて得意げな顔をした。
「ほら、言ったとおりでしょ?やっぱり、二人はそういう関係なんだって。」
「えー?ちょっとショック…御前さんが可哀想…。」
あ、と鯰尾は神妙な顔になった。
「そう。だから、則宗さんの耳に入らないように、内緒だよ?」
そう言って人差し指を唇の前に立てた。
平野が乾いた洗濯物を持って部屋に帰ると、兄弟たちがひそひそと盛り上がっていた。
また何か噂話だろうとあまり気にとめていなかったのだが、すぐ側に寄ったときに気になる言葉が聞こえてきた。
「三日月さんが?信じられないです。」
「浮気というよりは重婚だって。」
不義の話で盛り上がっているのも注意したいところだが、三日月がという話に引っかかった。
「…三日月さんがどうかしたのですか?」
「あ、平野。お前まだ聞いてないのか。内緒の話なんだけどよ。」
内緒の話だと言いながら、厚はあっさりとその内容を教える。
聞いた平野は途中から焦り始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください!それ、間違いです!」
その場に居た兄弟たちが、皆キョトンとして彼を見返す。
「間違い?」
「その、お風呂の話は僕もいたのです。僕が鶴丸さんに三日月さんのことを頼んだのです。」
平野は三日月と鶴丸が一緒に風呂を使うに至った経緯を話した。
「え?じゃあ、浮気じゃないの?」
「でも、キスしてたって話は?」
「それは…よく分かりませんが、見間違いだったりしませんか?」
そこに秋田が帰ってきて、よくよく聞いてみると、キスをしたところを見たわけではないのだと分かった。
「なんだよ~。偽情報かよ。」
「良かったです。僕、三日月さんを軽蔑するところでした…。」
その場に居る兄弟たちは、平野の話で噂がデタラメだったと納得した。が、噂はどこまで広がっているのか分からない。
「あの、この話、兄弟以外に話しましたか?」
皆顔を見合わせてから、首を横に振る。
平野がホッとしかけたところに、秋田が「でも」と付け加えた。
「鯰尾兄さんが、骨喰兄さんを探しに行っているので…」
鯰尾は嬉々として骨喰を探しに出たらしい。内緒の話を仲のいい相手に伝えないわけにいかないのだろう。とすると、その過程で他に漏れる可能性もある。
「僕が探しに行ってみます。皆さんは、先程の話が間違いだということを伝達してください。」
そう言って平野は急いで部屋から出た。
鶴丸が一文字棟に向かおうと母屋から出たところで、建物の影に誰かがいるのに気が付いた。
立ち位置からして隠れているように感じた鶴丸は、何か面白いことがないかとそっと寄ってみる。と、そこには同田貫と御手杵が居て、特に声を潜めるでもなく喋っていた。
「で、驚いちまってよ。」
「んー、確かに驚きだけど、俺たち関係無いんだからどうでも良くねーか?」
「まあ、どーでもいいっちゃあどーでもいいな。」
鶴丸がポンッと飛ぶように近付いて同田貫の肩を叩いた。
「よ。なんか面白いことでもあったか?」
すると同田貫はビクッとして、振り向く。
「お、…なんだ。噂の二号じゃねーか。」
「二号?ってことはもう俺のことが噂になってるのか。そりゃ驚きだ。」
鶴丸は面白がって噂の内容を尋ね、二人は聞いたままの話を教えた。
「へーえ?じゃあ、三日月は側室として俺を娶ったと。なるほどなるほど。」
「鶴丸、さっきから否定してないけど、どこまでホントなんだ?全部か?」
どうでもいいと言っていた御手杵が、鶴丸の様子をどう捉えていいのか困っている風だ。
鶴丸はニヤッと笑ってみせる。
「どうだろうな。」
「どっちなんだよ。ホントか嘘か。」
同田貫の問いにも「秘密だ。」と答えると、鶴丸は「じゃあな」と手を振って掛けだした。
「おい!」
呼び止めようと声を掛けたが意味が無かった。
「御手杵どう思うよ?」
「うーん、鶴丸だからなあ…」
「ぜってー面白がってるよな。」
平野はあちこち走り回って鯰尾を追ったものの見つからず、代わりに噂がところどころに広がっているのを確認した。
否定できることは否定しておいたが、とにかく元凶を見つけ出さないと、と鯰尾を探す。
「あ、いち兄!鯰尾兄さんを見ませんでしたか!?あと、おかしな話を聞きませんでしたか?」
一期は首を傾げた。
「鯰尾は見ていないよ。…おかしな話っていうのはどういうことだい?」
平野は少し言い淀んでから噂になっている内容を伝えた。
「そうか。三日月が浮気をしているっていう話が…。お前はそれが間違いだと言える立場にあるのかい?」
「はい。三日月さんが禊ぎをしていたことはご存じですか?」
禊ぎのことを知っているのはごく一部だ。わざわざ広めるような話ではないし、面白みのあることでもない。あの件で広まっていることと言えば、三日月と則宗の仲がしばらく不穏だったがまた戻ったというぐらいのことで、それも大して話題に上らなかった。
「禊ぎ?」
「ええ、それで身体が冷え切っていたので、僕がお風呂場まで付き添ったんです。そこで偶然居た鶴丸さんに三日月さんをお願いして僕は洗…」
平野は洗濯と言いかけて、あの時あんな早朝に洗濯に出たのは一期に隠していた泥だらけの服を洗うためだったと思い出した。
「…その…とにかく、二人が一緒にお風呂を使ったのは確かですが、それが原因で不義の話になってしまったんです。」
一期は「そうか」と納得の返事をしたが、平野が二度も言い淀んだことが気に掛かる。
「平野、正直に答えて欲しい。その噂が嘘だと、お前は知っているんだね?」
「は、はい。」
一瞬どうしてそんな質問をされたのか分からず、すんなり返事が出来なかった。
「でも、私に何か、隠しているね?」
「え…い、いえ、何も…」
泥で汚れた服は自分のものではなかったが、兄弟たちに秘密にすると約束した手前、言うわけにはいかない。
一期の視線に緊張しながら、どう切り返そうか悩んでいると、兄は笑みを消した。
「もしや、その噂を消して回るよう、無理強いされているのではありますまいな。」
思わぬ方向に誤解が及んでいることに気づき、平野は慌てて否定した。
「ち、違います!そんなことはけして!」
「では、何を隠しているのか、言ってくれるかい?」
「…そ、その…隠し事など…何も…。と、とにかく!今はそれどころでは。僕は鯰尾兄さんを探しますので。では!」
怪しまれているのは承知の上で、平野はうまい言い逃れが思い浮かばず、無理矢理話を終わらせて兄に捕まらないように走り出した。
「よ、おひいさん。ご機嫌麗しゅう。」
ニコッと笑って鶴丸が則宗を呼び止めた。
「…おひいさんって、僕のことかい?」
「おう、三日月の大事な人だからな。いい呼び名だろう?」
「うはは、ウチには姫が別にいるが、まあいいか。」
「その様子だと、まだ噂は届いてないようだ。ちょっと話があるんだが、いいかい?」
噂?と返して、則宗は応じた。一文字の居間にあげて茶菓子とお茶を出す。
「悪いね。」
「いんや?珍しい客もいいもんだ。で?話ってのは?」
「今本丸内で最新の噂をキャッチしてね。キミに関係することだから、言っておこうと思ったんだ。」
「また噂かい?皆暇だねえ。」
これまでのことを考えると、三日月とのことだろう。また恥ずかしい話が流れているのかと思って苦笑を浮かべた。
「これが驚きなんだ。落ち着いて聞いてくれよ?」
「はいはい。」
鶴丸は一呼吸置いてから口を開いた。
「なんと、この俺が、三日月の妾 になったんだとさ。よろしく、本妻さん。」
「は?」
則宗は混乱して、固まった。それを鶴丸はニコニコと眺めている。
「はあ!?」
「キミが本妻で、俺が側室?みたいな。」
「ちょっと待て、それでお前さんはなんだって…いや、噂か、そうか、お前さん、面白がっているな?」
「だって面白いだろう?」
「面白くはない!」
状況としては、浮気相手が本妻に直接交渉しに来たようなものだ。
「それで三日月から頼まれて来たんだが…」
「三日月が?」
そんな噂がたっているというのに、その浮気相手に何かを頼むとはどういう了見か。則宗は眉を顰めた。
「ああ、悪い悪い。そう不機嫌にならないでくれ。三日月が困っていたんだ。誤解を解きたいが忙しくてこっちに来られないってな。」
そう言って、これまでの経緯を話した。
「それでさ、面白いのが、三日月は側室を持つのが当たり前だと思っているんじゃないかって話になってて、だから俺は妾なんだと。」
「お前さんだって面白がっている場合じゃないだろう?」
「そうか?折角だからこういう状況を楽しまなきゃ損じゃないか。噂がどう変わっていくか、興味ないかい?…と、いうわけで。」
鶴丸は右手を差し出した。
「?」
その手を見て則宗がぱちくりと瞬きをすると、鶴丸は言った。
「ほら、握手。仲良くしようぜ。」
どういうわけか分からないまま、噂が勘違いから出たものならその申し出を断る理由もないと則宗は握手に応じた。
鶴丸はニッコリ笑う。
「本妻と妾が仲良くしてたらみんなどう噂するかな。楽しみだ。」
「は?」
「で、手始めに一緒に買い物でも行くか?」
鶴丸国永という刀が悪戯好きで常に驚きを求めているというのは知っていたが、直接の繋がりが無かった則宗には彼のこういった言動自体が驚きだ。
「あっはっは。まあ、それもいいか。」
実際浮気ではないのだし、自分たち三人は特に困った状況に陥っていない。なら、周りの様子を面白がるのもまた一興だ。
「お?ノリがいいね。今日は買い出し当番なんだ。」
「分かった。準備したら表門に行くよ。」
「ああ、三日月には俺から言っとく。また変な誤解されたら今度は三日月に恨まれちまうからな。」
「てなわけで、俺たちこれから買い物に出るから。」
「分かった。菊があの話を了解してくれているなら構わない。気を付けてな。」
まだ仕事が終わらない三日月は、噂についての誤解が解けたことにホッとしていた。これで慌てる必要はなくなったわけだ。鶴丸に感謝しつつ見送ろうとすると、鶴丸はニヤッと笑った。
「大事な妾に行ってらっしゃいのキスはくれないのかい?」
「何を馬鹿なことを。ふざけていないで行ってこい。」
近づけてきた顔を押し戻して追い払う。
「つれないなあ、三日月は。」
鶴丸はそう言って笑いながら去って行った。
呆れたような溜息を吐いて、三日月が仕事に戻ろうとすると、そこに一期が現れた。
「三日月殿。…お話があります。」
「どうした、一期一振。」
何やら深刻そうに見えたため、三日月は執務の一室に彼を促した。
「すまぬ。まだ仕事中なのでな、ここで良いか?」
「ええ。」
「それで話というのは…」
「弟を巻き込むのはやめてください。」
三日月の言葉を遮るように、一期はそう言った。
「三日月殿、あなたが誰とどのように付き合うかに干渉する気はございません。ですが、弟たちをその付き合いに巻き込んで、いいように使うのは許せません。やめていただきたい。」
許せないとまで言われ、三日月は困り顔を向ける。
「おぬしの弟たちを巻き込むようなことはしておらんはずだが…」
というより、三日月からしてみれば、鯰尾の思い込みによって困った事態に陥っていたのだから、むしろ巻き込まれたのは自分の方である。
「平野に何を言ったのです。あの子は今、あなたのために奔走しているのです。それなのに、結局は噂のとおりではありませんか。鶴丸殿との先程のやり取り、忘れたとは言わせません。」
鶴丸がふざけてキスを求めたところを見ていたのだと気付いて、三日月は「待て待て」と宥めるように言った。
「あれはアヤツがふざけただけで、俺とアヤツはそのような関係ではない。それに、平野がどうとか言っていたが、俺は何も知らぬぞ。いったい何を…」
「しらばっくれないでいただきたい!あの子は噂を消すために奔走しているのです。私の弟にあなたの噂を消す責任はないでしょう!?何を言ったのです!あの子があの様に思い詰めて、私にも秘密にするなど、何かあったとしか!」
困った噂を消そうとしてくれているのだとしたらそれは有り難い話だが、一期の様子からしてそんな単純な話では無さそうだ。
「一期よ。とにかく落ち着いてくれ。平野の行動に関しては本当に何も知らぬのだ。」
三日月が何を言っても納得せず、一期は頑なだった。
「お前さん、もしかして手伝いが欲しかっただけかい?」
買い物荷物を抱えた則宗がそう尋ねると、鶴丸はアハハと笑った。
「それも否定はしないが、キミと仲良くしたいってのは嘘じゃ無いぜ?」
「そりゃ有り難いね。」
「茶屋の甘味、美味かったろう?」
「ああ。そうだな、この手伝いの報酬としては充分だ。」
「あの茶屋は三条の面々にも人気なんだ。覚えておいて損はない。勿論、三日月の好物のひとつだ。」
そうか、と則宗は口角を上げる。そんな情報ひとつが嬉しいというのも面白いと感じて。
鶴丸は相手に退屈させまいとしているのか、ずっと楽しげに喋っている。おかげで則宗はあまり疲れを感じることもなく、買い出しに付き合うことが出来た。
本丸に帰ると、同田貫が意外そうな顔を向けた。
「なんだ、一号と二号じゃねえか。一緒に行ってたのか?」
「なんだそのヒーローみたいな呼び方は。」
則宗が反射的にツッコミを入れると、隣で鶴丸が大笑いした。
「だって鶴丸が二号なら、アンタは一号だろ?」
同田貫はその呼び方が妾から来ていることを忘れているかのように、あっけらかんと言う。御手杵ともども、どうでもいいと言っていただけあって、本当に興味が無いようだった。
「一文字の旦那。」
薬研の呼びかけに則宗が振り向くと、彼はちょいちょい、と手招きしている。
「悪いんだが、三日月のところに来てくれ。鶴丸も一緒に。」
「何かあったのかい?」
「うちの兄弟たちが揃って迷惑を掛けたみたいでな。今そのクライマックスってとこかな。」
溜息混じりの説明は情報量が少なくて要領を得ない。何が起こっているのだろうと薬研についていくと、部屋の中には三日月は勿論、一期と弟たちがいて、それぞれ疲弊したりムスッと黙りこくったり焦ったり泣いたりと、とてつもなく面倒な状況になっていた。
「…ここは、俺たちが『一号でーす!』『二号でーす!』とやって笑わせるところか?」
鶴丸が冗談を言ったが、薬研にぴしゃりと止められる。
「ちょいと今は冗談で済まなくなるからな、ちゃんとホントのことだけ言ってくれよ?」
念を押してから、薬研は二人を鯰尾のところに連れて行った。誤解から始まった騒動の、最初の誤解から解いていこうということだった。
何のことはない。ひとつひとつを解決していけば、全て丸く収まった。
「あの…三日月殿…此度はほんっとうに申し訳ない!私の思い込みで勝手を陳べ連ねたこと、お詫びします!」
一期が指を付いて頭を下げると、三日月は疲れた様子で苦笑した。
「良い良い。こちらも上手く説明が出来なんだ。それより、洗濯の件は大目に見てやってくれ。きっとおぬしに嫌われたくなかったのだろう。その洗濯物のおかげで、平野には世話になったからな。」
「やれやれ…」
三日月は心底疲れた様子で座卓の前に腰を下ろした。
「なんか俺たちが出かけている間に大変なことになっていたな。」
「大丈夫かい?三日月。」
「大丈夫、と言いたいところだが…仕事が終わらなかった…」
書類の束を持ち上げて、ぺらぺらとめくって枚数を数える。
よし、と鶴丸が袖をまくった。
「ここは、俺たち一号二号が助けるところだろ。」
「ヒーローコンビにするのはやめてくれないか…」
不服を言いながら、則宗も座って書類を受け取った。
fin.
「三日月さんって、意外と大胆ですね。」
そう声を掛けてきたのは鯰尾だった。
「ん?何のことだ?」
三日月は見当も付かず、首を傾げた。
「鶴丸さんとのことですよ。いえ、深く立ち入る気はないですからご心配なく。則宗さんにも内緒にしておきます。いやあ、びっくりしたなあ。まさか浮気してるなんて。」
鯰尾の言ったことに一瞬ポカンとして、慌てて否定する。
「ちょっと待ってくれ。何の話だ。浮気などしていないぞ?」
「ん?あ、そういう…なるほど。どちらも本気ってことですね。そうかー。」
「待て待て。何を勘違いしているのか知らんが、鶴丸とは何も…」
「隠したってダメですよ。この前、二人で朝風呂してたの知ってるんですから。」
ハタと思い出す。禊ぎを済ませたあと、風呂で鶴丸と一緒になった。恐らく風呂から出て帰るところを見られたのだろう。
「鯰尾、誤解だぞ。あれはたまたま…」
「またまたあ。そんな誤魔化し利きませんよ。」
「いや待て。本当に鶴丸とは何も…」
「はいはい。何も無かったってことにしておいてあげます。ご心配なく。」
鯰尾はそう言って、三日月の制止も聞かず行ってしまった。
則宗には内緒にしておくと言っていたが、誰にも言わないとは言っていなかった。もし噂になりでもしたら、則宗の耳にも遅かれ早かれ届いてしまうだろう。
不味いとは思うが、何を言っても信じてくれそうにない鯰尾にどう言えばいいのか。見当が付かず、三日月はしばし途方に暮れた。
鯰尾は粟田口部屋に帰ると、そこに居た乱に「びっくりだよね~」と話しかけた。
「何がびっくりなの?」
「あ、いやいや、何でも無いよ。」
「何それ、そっちが話しかけてきたんじゃない。」
少し膨れて言い返すと、鯰尾は悪戯な笑みを浮かべる。
「聞きたい?」
「気になる言い方しておいてズルい!」
「あはは、ごめん。じゃあ、内緒で教えるね。」
「なになに?」
内緒話だと言われて、乱は興味津々だ。
「実は、この前見ちゃったんだけど…」
鯰尾は自分が見たことを憶測混じりで話した。
三日月と鶴丸が先日の朝、一緒に風呂場から帰って行ったこと。二人とも風呂から上がったばかりの風体だったこと。他に人がおらず、何やら声を潜めていたこと。
「え!?三日月さん浮気してるの!?」
「それが、さっきその話を三日月に振ったら、どっちも本気みたいなんだよね。」
「え…?それってどういうこと?」
「浮気じゃないって言ってたから、どっちとも同じように付き合ってるってことじゃないかな。」
「何それ!!」
乱が腹を立てて声を荒げると、その後ろから落ち着いた声が掛かった。
「…それって、側室ってことじゃないですか?」
いつの間にか秋田が側に居て、話を聞いていたようだ。
鯰尾と乱が声を揃えて「側室?」と聞き返すと、秋田は言った。
「ほら、平安に限らず、やんごとない方々って本妻とは別に妻を娶るじゃないですか。三日月さんはそういう高貴な家にあったから、それが普通だと思っているのかも知れませんよ?」
普通だと思い込んでいるとしたら、何の罪悪感も無く複数人とそういう関係になってもおかしくない。
乱は「え~?」と不服そうな声を上げたが、鯰尾は妙に納得した様子だ。
秋田は「それに」と続けた。
「実は僕も先程、ちょっと見ちゃったんですよね。」
「え?何を?」
「三日月さんが鶴丸さんの頬に口を近づけているところを。」
三日月が考えあぐねているところに、鶴丸が通りかかった。
「よ。どうかしたのかい?」
「ああ、鶴丸か。…少々困ったことになってな。」
鶴丸にも関係していることだからと話そうとしたが、誰かに聞かれるのもまずいと思い声を潜める。
「この前…」
こそこそと話す内容を聞き取るために鶴丸は耳を寄せた。
「ふむふむ…ほほ~う?なかなか面白いことになっているじゃないか。」
「笑い事ではない。違うと言っても鯰尾は信じてくれぬし、証明のしようも無い。あの様子ではおぬしが仮に説明をしに行ったところで同じだろう。噂になる前に誤解を解きたいのだが…。」
「それは難しそうだな。」
だろう?と三日月はまた悩み始める。
「噂は放っておいて、先におひいさんに事情を話しておくってのはどうだい?」
「そうしたいのは山々だが、今から仕事が立て込んでいてな。」
「なら、俺が行ってきてやろうか?」
「頼めるか。それは有り難い。」
「キスしてたってこと!?」
「その場面を目撃したわけではありませんが、距離が近かったですし、声を潜めて何やら話していらっしゃったし…特別な関係に見えなくも無かったなって。」
鯰尾はそれを聞いて得意げな顔をした。
「ほら、言ったとおりでしょ?やっぱり、二人はそういう関係なんだって。」
「えー?ちょっとショック…御前さんが可哀想…。」
あ、と鯰尾は神妙な顔になった。
「そう。だから、則宗さんの耳に入らないように、内緒だよ?」
そう言って人差し指を唇の前に立てた。
平野が乾いた洗濯物を持って部屋に帰ると、兄弟たちがひそひそと盛り上がっていた。
また何か噂話だろうとあまり気にとめていなかったのだが、すぐ側に寄ったときに気になる言葉が聞こえてきた。
「三日月さんが?信じられないです。」
「浮気というよりは重婚だって。」
不義の話で盛り上がっているのも注意したいところだが、三日月がという話に引っかかった。
「…三日月さんがどうかしたのですか?」
「あ、平野。お前まだ聞いてないのか。内緒の話なんだけどよ。」
内緒の話だと言いながら、厚はあっさりとその内容を教える。
聞いた平野は途中から焦り始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください!それ、間違いです!」
その場に居た兄弟たちが、皆キョトンとして彼を見返す。
「間違い?」
「その、お風呂の話は僕もいたのです。僕が鶴丸さんに三日月さんのことを頼んだのです。」
平野は三日月と鶴丸が一緒に風呂を使うに至った経緯を話した。
「え?じゃあ、浮気じゃないの?」
「でも、キスしてたって話は?」
「それは…よく分かりませんが、見間違いだったりしませんか?」
そこに秋田が帰ってきて、よくよく聞いてみると、キスをしたところを見たわけではないのだと分かった。
「なんだよ~。偽情報かよ。」
「良かったです。僕、三日月さんを軽蔑するところでした…。」
その場に居る兄弟たちは、平野の話で噂がデタラメだったと納得した。が、噂はどこまで広がっているのか分からない。
「あの、この話、兄弟以外に話しましたか?」
皆顔を見合わせてから、首を横に振る。
平野がホッとしかけたところに、秋田が「でも」と付け加えた。
「鯰尾兄さんが、骨喰兄さんを探しに行っているので…」
鯰尾は嬉々として骨喰を探しに出たらしい。内緒の話を仲のいい相手に伝えないわけにいかないのだろう。とすると、その過程で他に漏れる可能性もある。
「僕が探しに行ってみます。皆さんは、先程の話が間違いだということを伝達してください。」
そう言って平野は急いで部屋から出た。
鶴丸が一文字棟に向かおうと母屋から出たところで、建物の影に誰かがいるのに気が付いた。
立ち位置からして隠れているように感じた鶴丸は、何か面白いことがないかとそっと寄ってみる。と、そこには同田貫と御手杵が居て、特に声を潜めるでもなく喋っていた。
「で、驚いちまってよ。」
「んー、確かに驚きだけど、俺たち関係無いんだからどうでも良くねーか?」
「まあ、どーでもいいっちゃあどーでもいいな。」
鶴丸がポンッと飛ぶように近付いて同田貫の肩を叩いた。
「よ。なんか面白いことでもあったか?」
すると同田貫はビクッとして、振り向く。
「お、…なんだ。噂の二号じゃねーか。」
「二号?ってことはもう俺のことが噂になってるのか。そりゃ驚きだ。」
鶴丸は面白がって噂の内容を尋ね、二人は聞いたままの話を教えた。
「へーえ?じゃあ、三日月は側室として俺を娶ったと。なるほどなるほど。」
「鶴丸、さっきから否定してないけど、どこまでホントなんだ?全部か?」
どうでもいいと言っていた御手杵が、鶴丸の様子をどう捉えていいのか困っている風だ。
鶴丸はニヤッと笑ってみせる。
「どうだろうな。」
「どっちなんだよ。ホントか嘘か。」
同田貫の問いにも「秘密だ。」と答えると、鶴丸は「じゃあな」と手を振って掛けだした。
「おい!」
呼び止めようと声を掛けたが意味が無かった。
「御手杵どう思うよ?」
「うーん、鶴丸だからなあ…」
「ぜってー面白がってるよな。」
平野はあちこち走り回って鯰尾を追ったものの見つからず、代わりに噂がところどころに広がっているのを確認した。
否定できることは否定しておいたが、とにかく元凶を見つけ出さないと、と鯰尾を探す。
「あ、いち兄!鯰尾兄さんを見ませんでしたか!?あと、おかしな話を聞きませんでしたか?」
一期は首を傾げた。
「鯰尾は見ていないよ。…おかしな話っていうのはどういうことだい?」
平野は少し言い淀んでから噂になっている内容を伝えた。
「そうか。三日月が浮気をしているっていう話が…。お前はそれが間違いだと言える立場にあるのかい?」
「はい。三日月さんが禊ぎをしていたことはご存じですか?」
禊ぎのことを知っているのはごく一部だ。わざわざ広めるような話ではないし、面白みのあることでもない。あの件で広まっていることと言えば、三日月と則宗の仲がしばらく不穏だったがまた戻ったというぐらいのことで、それも大して話題に上らなかった。
「禊ぎ?」
「ええ、それで身体が冷え切っていたので、僕がお風呂場まで付き添ったんです。そこで偶然居た鶴丸さんに三日月さんをお願いして僕は洗…」
平野は洗濯と言いかけて、あの時あんな早朝に洗濯に出たのは一期に隠していた泥だらけの服を洗うためだったと思い出した。
「…その…とにかく、二人が一緒にお風呂を使ったのは確かですが、それが原因で不義の話になってしまったんです。」
一期は「そうか」と納得の返事をしたが、平野が二度も言い淀んだことが気に掛かる。
「平野、正直に答えて欲しい。その噂が嘘だと、お前は知っているんだね?」
「は、はい。」
一瞬どうしてそんな質問をされたのか分からず、すんなり返事が出来なかった。
「でも、私に何か、隠しているね?」
「え…い、いえ、何も…」
泥で汚れた服は自分のものではなかったが、兄弟たちに秘密にすると約束した手前、言うわけにはいかない。
一期の視線に緊張しながら、どう切り返そうか悩んでいると、兄は笑みを消した。
「もしや、その噂を消して回るよう、無理強いされているのではありますまいな。」
思わぬ方向に誤解が及んでいることに気づき、平野は慌てて否定した。
「ち、違います!そんなことはけして!」
「では、何を隠しているのか、言ってくれるかい?」
「…そ、その…隠し事など…何も…。と、とにかく!今はそれどころでは。僕は鯰尾兄さんを探しますので。では!」
怪しまれているのは承知の上で、平野はうまい言い逃れが思い浮かばず、無理矢理話を終わらせて兄に捕まらないように走り出した。
「よ、おひいさん。ご機嫌麗しゅう。」
ニコッと笑って鶴丸が則宗を呼び止めた。
「…おひいさんって、僕のことかい?」
「おう、三日月の大事な人だからな。いい呼び名だろう?」
「うはは、ウチには姫が別にいるが、まあいいか。」
「その様子だと、まだ噂は届いてないようだ。ちょっと話があるんだが、いいかい?」
噂?と返して、則宗は応じた。一文字の居間にあげて茶菓子とお茶を出す。
「悪いね。」
「いんや?珍しい客もいいもんだ。で?話ってのは?」
「今本丸内で最新の噂をキャッチしてね。キミに関係することだから、言っておこうと思ったんだ。」
「また噂かい?皆暇だねえ。」
これまでのことを考えると、三日月とのことだろう。また恥ずかしい話が流れているのかと思って苦笑を浮かべた。
「これが驚きなんだ。落ち着いて聞いてくれよ?」
「はいはい。」
鶴丸は一呼吸置いてから口を開いた。
「なんと、この俺が、三日月の
「は?」
則宗は混乱して、固まった。それを鶴丸はニコニコと眺めている。
「はあ!?」
「キミが本妻で、俺が側室?みたいな。」
「ちょっと待て、それでお前さんはなんだって…いや、噂か、そうか、お前さん、面白がっているな?」
「だって面白いだろう?」
「面白くはない!」
状況としては、浮気相手が本妻に直接交渉しに来たようなものだ。
「それで三日月から頼まれて来たんだが…」
「三日月が?」
そんな噂がたっているというのに、その浮気相手に何かを頼むとはどういう了見か。則宗は眉を顰めた。
「ああ、悪い悪い。そう不機嫌にならないでくれ。三日月が困っていたんだ。誤解を解きたいが忙しくてこっちに来られないってな。」
そう言って、これまでの経緯を話した。
「それでさ、面白いのが、三日月は側室を持つのが当たり前だと思っているんじゃないかって話になってて、だから俺は妾なんだと。」
「お前さんだって面白がっている場合じゃないだろう?」
「そうか?折角だからこういう状況を楽しまなきゃ損じゃないか。噂がどう変わっていくか、興味ないかい?…と、いうわけで。」
鶴丸は右手を差し出した。
「?」
その手を見て則宗がぱちくりと瞬きをすると、鶴丸は言った。
「ほら、握手。仲良くしようぜ。」
どういうわけか分からないまま、噂が勘違いから出たものならその申し出を断る理由もないと則宗は握手に応じた。
鶴丸はニッコリ笑う。
「本妻と妾が仲良くしてたらみんなどう噂するかな。楽しみだ。」
「は?」
「で、手始めに一緒に買い物でも行くか?」
鶴丸国永という刀が悪戯好きで常に驚きを求めているというのは知っていたが、直接の繋がりが無かった則宗には彼のこういった言動自体が驚きだ。
「あっはっは。まあ、それもいいか。」
実際浮気ではないのだし、自分たち三人は特に困った状況に陥っていない。なら、周りの様子を面白がるのもまた一興だ。
「お?ノリがいいね。今日は買い出し当番なんだ。」
「分かった。準備したら表門に行くよ。」
「ああ、三日月には俺から言っとく。また変な誤解されたら今度は三日月に恨まれちまうからな。」
「てなわけで、俺たちこれから買い物に出るから。」
「分かった。菊があの話を了解してくれているなら構わない。気を付けてな。」
まだ仕事が終わらない三日月は、噂についての誤解が解けたことにホッとしていた。これで慌てる必要はなくなったわけだ。鶴丸に感謝しつつ見送ろうとすると、鶴丸はニヤッと笑った。
「大事な妾に行ってらっしゃいのキスはくれないのかい?」
「何を馬鹿なことを。ふざけていないで行ってこい。」
近づけてきた顔を押し戻して追い払う。
「つれないなあ、三日月は。」
鶴丸はそう言って笑いながら去って行った。
呆れたような溜息を吐いて、三日月が仕事に戻ろうとすると、そこに一期が現れた。
「三日月殿。…お話があります。」
「どうした、一期一振。」
何やら深刻そうに見えたため、三日月は執務の一室に彼を促した。
「すまぬ。まだ仕事中なのでな、ここで良いか?」
「ええ。」
「それで話というのは…」
「弟を巻き込むのはやめてください。」
三日月の言葉を遮るように、一期はそう言った。
「三日月殿、あなたが誰とどのように付き合うかに干渉する気はございません。ですが、弟たちをその付き合いに巻き込んで、いいように使うのは許せません。やめていただきたい。」
許せないとまで言われ、三日月は困り顔を向ける。
「おぬしの弟たちを巻き込むようなことはしておらんはずだが…」
というより、三日月からしてみれば、鯰尾の思い込みによって困った事態に陥っていたのだから、むしろ巻き込まれたのは自分の方である。
「平野に何を言ったのです。あの子は今、あなたのために奔走しているのです。それなのに、結局は噂のとおりではありませんか。鶴丸殿との先程のやり取り、忘れたとは言わせません。」
鶴丸がふざけてキスを求めたところを見ていたのだと気付いて、三日月は「待て待て」と宥めるように言った。
「あれはアヤツがふざけただけで、俺とアヤツはそのような関係ではない。それに、平野がどうとか言っていたが、俺は何も知らぬぞ。いったい何を…」
「しらばっくれないでいただきたい!あの子は噂を消すために奔走しているのです。私の弟にあなたの噂を消す責任はないでしょう!?何を言ったのです!あの子があの様に思い詰めて、私にも秘密にするなど、何かあったとしか!」
困った噂を消そうとしてくれているのだとしたらそれは有り難い話だが、一期の様子からしてそんな単純な話では無さそうだ。
「一期よ。とにかく落ち着いてくれ。平野の行動に関しては本当に何も知らぬのだ。」
三日月が何を言っても納得せず、一期は頑なだった。
「お前さん、もしかして手伝いが欲しかっただけかい?」
買い物荷物を抱えた則宗がそう尋ねると、鶴丸はアハハと笑った。
「それも否定はしないが、キミと仲良くしたいってのは嘘じゃ無いぜ?」
「そりゃ有り難いね。」
「茶屋の甘味、美味かったろう?」
「ああ。そうだな、この手伝いの報酬としては充分だ。」
「あの茶屋は三条の面々にも人気なんだ。覚えておいて損はない。勿論、三日月の好物のひとつだ。」
そうか、と則宗は口角を上げる。そんな情報ひとつが嬉しいというのも面白いと感じて。
鶴丸は相手に退屈させまいとしているのか、ずっと楽しげに喋っている。おかげで則宗はあまり疲れを感じることもなく、買い出しに付き合うことが出来た。
本丸に帰ると、同田貫が意外そうな顔を向けた。
「なんだ、一号と二号じゃねえか。一緒に行ってたのか?」
「なんだそのヒーローみたいな呼び方は。」
則宗が反射的にツッコミを入れると、隣で鶴丸が大笑いした。
「だって鶴丸が二号なら、アンタは一号だろ?」
同田貫はその呼び方が妾から来ていることを忘れているかのように、あっけらかんと言う。御手杵ともども、どうでもいいと言っていただけあって、本当に興味が無いようだった。
「一文字の旦那。」
薬研の呼びかけに則宗が振り向くと、彼はちょいちょい、と手招きしている。
「悪いんだが、三日月のところに来てくれ。鶴丸も一緒に。」
「何かあったのかい?」
「うちの兄弟たちが揃って迷惑を掛けたみたいでな。今そのクライマックスってとこかな。」
溜息混じりの説明は情報量が少なくて要領を得ない。何が起こっているのだろうと薬研についていくと、部屋の中には三日月は勿論、一期と弟たちがいて、それぞれ疲弊したりムスッと黙りこくったり焦ったり泣いたりと、とてつもなく面倒な状況になっていた。
「…ここは、俺たちが『一号でーす!』『二号でーす!』とやって笑わせるところか?」
鶴丸が冗談を言ったが、薬研にぴしゃりと止められる。
「ちょいと今は冗談で済まなくなるからな、ちゃんとホントのことだけ言ってくれよ?」
念を押してから、薬研は二人を鯰尾のところに連れて行った。誤解から始まった騒動の、最初の誤解から解いていこうということだった。
何のことはない。ひとつひとつを解決していけば、全て丸く収まった。
「あの…三日月殿…此度はほんっとうに申し訳ない!私の思い込みで勝手を陳べ連ねたこと、お詫びします!」
一期が指を付いて頭を下げると、三日月は疲れた様子で苦笑した。
「良い良い。こちらも上手く説明が出来なんだ。それより、洗濯の件は大目に見てやってくれ。きっとおぬしに嫌われたくなかったのだろう。その洗濯物のおかげで、平野には世話になったからな。」
「やれやれ…」
三日月は心底疲れた様子で座卓の前に腰を下ろした。
「なんか俺たちが出かけている間に大変なことになっていたな。」
「大丈夫かい?三日月。」
「大丈夫、と言いたいところだが…仕事が終わらなかった…」
書類の束を持ち上げて、ぺらぺらとめくって枚数を数える。
よし、と鶴丸が袖をまくった。
「ここは、俺たち一号二号が助けるところだろ。」
「ヒーローコンビにするのはやめてくれないか…」
不服を言いながら、則宗も座って書類を受け取った。
fin.