みか菊
朔の夜
身体を乗っ取られた三日月に荒らされた本丸は、あちこち修繕は必要であるものの、皆の協力により一週間ほどで日常生活を取り戻した。
三日月と則宗もようやくのんびりとお茶を飲む時間が取れて、ホッとしていた。
「襖は大方元通りだそうだ。障子の方は骨組みが折れたものが多くて手間取っているが。」
「そうか。柱がさほど傷ついていないのは助かったな。建て替えとなると大事だった。」
傷ついた柱も、一部挿げ替えた場所もあるが、殆どそのまま補強を施すだけで済んだ。
三日月はバツの悪そうな顔で笑う。三日月本人がやったことではないが、身体を取られるなんて失態が原因だ。
「主からはしばらく外出禁止を言い渡されてしまった。」
「うはは。当然だ。どれだけ心配を掛けたと思っている。」
近侍の任はそのまま続け、部隊からは外れることになった。今、第一部隊は初期刀の蜂須賀が率いている。
「菊にも迷惑を掛けたな。」
「いいさ。今こうして隣に居るんだ。」
則宗が柔らかく笑むと、三日月は彼の手を取った。
そっと自分の顔に引き寄せ、中指の関節に唇を当てる。
則宗は微かに頬を染めた。
「三日月…もっとゆっくり話がしたい。部屋に行ってもいいかい?」
あれ以来、恋仲としての時間が取れなかった。三日月からの誘いも無かったが、身体の心配もあるしそれも当然だと則宗は納得している。が、そろそろ二人きりの時間を作っても良いだろうと思ったのだ。
当然良い返事が来ると思っていると、三日月はフイッと視線を外した。
「…すまぬ。今から主のところに行かなくてはいけなくてな、また今度だ。」
則宗は少し違和感を持ちながら、呼び出されているのなら仕方ないと諦める。すると、三日月は撫でるように則宗の頭に触れ、ごく軽く額の髪に口づけした。
「ではな。」
「ん、ああ。」
それから幾日か過ぎても、則宗は三日月の部屋に入れなかった。
何故だか三日月は誘わないだけでなく、則宗からの誘いにも良い返事をしなかった。
「…今日も何か用事があるのかい?」
「ああ、少々な。すまぬ。」
そして、それに加えて接触さえ避けているように思われた。
「三日月。」
ひとけの無い廊下で則宗は行く手を遮り、身体を寄せた。キスを求めて顔を近づける。
三日月は困ったように笑って両手で頬を挟むと、また額に口付けた。
「このような場所では控えろと言ったのはおぬしだぞ?」
「…そ、それはそうだが…」
「さあ、仕事を済ませてしまおう。」
スッと身体を離し、三日月は歩き出してしまった。
『問題行動無し/異常無し/日課通り』
則宗は報告書の各欄に簡単な文言を書き、ペンを置いた。
報告書と言っても形だけのものだ。要は政府の指示に従っているという体が取れればいいのだから。
「…問題無し…か。」
何も問題は無い。監視対象は与えられた仕事をこなし、日々を淡々と過ごしている。人格に変容はなく、誰に対しても以前通り人当たりの良さを見せている。
以前通りだ。そう、則宗以外には。
報告書は月に数回、決められた日に提出することになっている。まだ数日先だと確認して、書類をファイルに挟んだ。
部屋から出ると、姫鶴がお茶を差し出した。
「飲むっしょ?」
「ん?ああ、悪いな。」
受け取って居間の座卓に落ち着く。
姫鶴は首を傾げた。
「元気ないね?」
「そうかい?」
「みかちのこと?」
「…いや、まあ、特に問題は無いぞ?」
「特じゃない問題はあるんだ?」
ギョッとして則宗は湯飲みを傾ける手を止めた。
相変わらずよく気が回る、と思いながら、湯飲みの中のお茶を眺める。
「…手合わせでも見に行くかな。」
則宗がそう言うと、姫鶴は小さく溜息を吐いた。そのままはぐらかして去ってしまうと思ったのだ。
しかし、則宗は続けた。
「一緒にどうだい?姫鶴。」
「みかちが冷たい?」
道中、則宗は姫鶴に「山鳥毛たちには秘密に」と前置きをして気がかりなことを打ち明けた。
避けられている気がする理由を話すと、姫鶴は足を止めて考え込む。
「確かに、ちょっと変…。」
考えあぐねている様子に、則宗は「ひとつだけ思い当たることがある」と言った。
「何?」
「僕が監視役を引き受けたことだ。」
姫鶴は目を見開いて大きく瞬きをした。
「…そんなことで怒らないっしょ?みかち。」
「ああ、怒りはしないさ。でも、面白くないと思っていてもおかしくはない。」
状況的に仕方なかったとは言え、恋仲の相手を監視する役目を自ら引き受けたことをよく思っていないのかもしれない。と、則宗は続ける。
「僕は最善のつもりだった。今でもそう思っている。でも三日月からしてみたら、あの場面で僕が取るべき行動は抗議であるべきだと思ったのかもしれない。監視対象から外させるよう政府に働きかけることが出来る者がいるとしたら、それは僕たち政府由来の刀だろう。あの場にいたのは僕だけだ。僕がそうしなかったことが、三日月の中で引っかかっているのかもしれない。」
そう言って則宗は目を伏せて口角を上げた。
「まあ、勝手な想像だ。」
「ん…こっちも勝手な想像だけど…」
姫鶴は顎に人差し指を当て、斜め上に視線を向けて言う。
「近づけないってことは、何か知られたくないことがあるってことっしょ?みかちが御前に知られたくないこと…可能性のひとつでしかないけど…身体の不調、とか?って思うけど。」
則宗はハッとした顔を姫鶴に向けた。
「政府での身体検査では特に異常は見つからなかったが…確かにその可能性はあるな…」
自分が原因かと思ってしまったことで、そこに思い至らなかった。則宗は苦笑いを見せた。
「悪いな、今からちょっと行ってくる。」
「三日月!」
渡り廊下で彼を見つけ、則宗は走り寄った。
「どこか調子が悪いのか?」
その問いに、三日月はいつもの笑みを返す。
「俺は元気だぞ?」
言って両袖を広げて見せた。
普段と変わらぬ彼の優雅な所作に、場違いな気遣いをしたかに思えて則宗はたじろいだ。
「そ、そうか…だが、もし些細なことでも気がかりがあるなら言ってくれ。もう一度政府で検査してもらうことも出来る。内密にというなら僕が上手く掛け合ってやるし、何とでも出来るから任せてくれ。」
あっはっは、と三日月は笑う。
「それは頼もしいな。だが、心配は要らぬ。問題は無いぞ?」
相手の言葉に則宗は顔を曇らせた。視線を落とし、思ったことを言おうか一瞬の躊躇いのあと、口を開いた。
「…今のは…馬鹿にされた気がするな…」
「…菊…すまぬ、そんなつもりは…」
「僕が心配するのがそんなに迷惑かい?」
「まさか、迷惑などと…」
「じゃあ、的外れな心配だったというわけか。なら、このところのアンタの態度は、単純に僕を避けていたわけだ。わかった。もういい。」
待ってくれという三日月の言葉を無視して、則宗は立ち去った。
走ったわけでもないのに、三日月は追いかけては来なかった。それが答えのような気がした。
次の日から則宗は三条に行くのをやめた。朝礼で顔は合わせるが、距離を取り、声を掛けることもない。仕事で関わるときは事務的に会話をするだけになった。
三日月も、特に何かを言ってくることは無かった。
監視役としての政府への報告は当たり障りのない書類を出した。それで何も問題は起こらなかった。
本丸の修繕は大方終わり、庭の片付けと障子貼りの二手に数人ずつが当たるだけになっていた。
則宗はその手伝いに混じり、にこやかに過ごした。周りもそれを不自然だと感じることもなく、三日月との不和を知るものは殆どいなかった。
「自分でもお節介だとは思ってんだけどー。」
姫鶴が廊下の壁に凭れたまま、通りかかった三日月にそう声を掛けた。
「どうした?」
「それはこっちのセリフだっての。なんで会いに来ないの?マジでもう関わらないつもり?」
「そうではない。…少々障りがな。」
「はあ?まさかマジで監視役のことに腹立ててんの?」
姫鶴の言に、三日月は虚を突かれたような顔をする。
「…それはどういうことだ?」
「なんだ、違うんじゃん。どういうって、御前はそう思ってるけど? 御前が監視役を引き受けたことをアンタが不愉快に思ってるってさ。避けてたんでしょ?」
「それは、誤解だ。」
「ふーん?なら、誤解を解きに来れば?」
三日月は少し考えて「今は出来ぬ。」と答えた。
「姫鶴よ、菊に伝えてくれぬか。次の朔が明けるのを待ってくれ、と。」
「朔?」
「石切丸がな、その辺りが頃合いだと。」
姫鶴は眉を顰める。
「はいはい、アンタらしい物言いだよね。嘘は言わないけどホントのことも言わないっつー。」
「手厳しいな。」
「言付けは引き受けた。でもね、みかち、」
言いながら姫鶴は踵を返して歩き出した。少し振り向きながら続ける。
「アンタのその『大事なことを伏せる』癖、例え相手を思ってのことでも、逆に傷つけることもあるって覚えときなよ。」
三日月は無言でその背中を見送った。
短刀たちと楽しげに話している則宗を見つけ、姫鶴は足を止めた。折角楽しそうにしているのに、面倒な話を聞かせるのも気が引ける。どうしようかと少し離れた位置で思案していると、則宗がそれに気付いて立ち上がった。
「じゃあ、僕は行くよ。修繕ご苦労だったね。」
「はい。御前さんもお疲れ様でした。」
短刀たちに手を振って、姫鶴の方に歩み寄る。
「どうかしたかい?」
「ン…言伝がね。あ、そだ。あれ、誤解だって。」
三日月が監視役のことをよく思っていないという話を先に否定しておこうと説明したが、則宗は顔を顰めた。
「アイツが言いそうなことだ。もう聞きたくない。」
則宗はそう言って背中を向け、そのまま一文字棟に向かって歩き出した。
要らないことを言ってしまったと姫鶴は悔やみながら、その背中に声を掛ける。
「ひとつだけ聞ーて。」
「聞きたくないと言ったろう。」
則宗の返事を無視して、姫鶴は付け加えた。
「朔が明けるのを待ってくれってさ。」
則宗はふっと表情を無くした。どういうことだろうと気になって振り向く。
「朔?が、何だって?」
「それが頃合いだって石切丸に言われたって。」
「石切丸が?いったい…」
「詳しいことは知らない。」
考え込んでいる則宗に近付いて、姫鶴は言った。
「朔が明けたら、新しい月が生まれるっしょ。」
則宗はまた顔を顰める。
「子供を慰めるようなことを言うのはやめてくれ。」
「ごめ、でも、上弦だから、凶兆はないっしょ?」
これから生まれて満ちていく月は吉兆を思わせる。それを思い出させてくれたことに、則宗は柔らかく笑みを浮かべた。
「すまんな。ありがとうよ。」
朔の夜が明け切らぬ早朝、平野は兄弟たちの洗濯物を持って井戸に向かった。
昨日数人の兄弟が泥遊びをして汚したものだが、当人たちが一期に見つかるのを危惧して隠していたのだ。平野は偶然知ってしまい、内緒にしてくれと懇願されてしまった。一期に見つかったからと言ってどうということはないだろうと彼は思っているが、当人たちは怒られることより、呆れられるのを嫌がっているようだった。だから一期には秘密にして処理してしまおうというわけだ。
井戸のある区画に差し掛かると、水音が聞こえた。
一体誰が何をしているのだろう、と静かに近付いていくと、誰かが井戸水を浴びているのが見えた。
冬ではないとは言え、早朝の井戸水は冷たい。平野は慌てて駆け寄った。
「み、三日月さん!?何をしておいでです!」
上半身をはだけた状態で手桶一杯の水をまた肩からかぶった三日月は、平野の声に気付いて顔を向けた。
いつもの優しい笑みで、唇を動かそうとしたのが見えたが、何も言わず、また井戸水を汲んでいる。
「お身体が冷えてしまいます!やめてください!」
すぐ側に寄ろうとすると三日月は口を開いた。
「…のいて…いて、くれるか…。…濡れるぞ。」
濡れると言われて平野は反射的に足を止めてしまった。
バシャッと水が跳ねる。
平野はハッとして三日月の手首を掴んだ。
「もうダメです!声が震えているではないですか!」
「すまぬ。離してくれ…。」
「どうしてもと言うなら、僕もかぶります。どうぞ一緒に掛けてください!」
三日月の行動を止めるため、わざと水の掛かる場所に身体を寄せた。
「平野よ、次で最後なのだ。もう終わるから、のいていてくれ。」
「次で?本当ですね?」
「ああ、本当だ。最後の一回だ。」
まだ訝しがりながら、平野はじっと視線を三日月に向けたまま後ずさる。
三日月は井戸水を汲むと、その最後の一杯を身体に掛けた。
手桶を伏せて置いたことにホッとして、平野は近くにあった三日月の寝間着を広げて濡れたままの彼の身体に掛けた。
「さあ、風呂に行きましょう。冷え切っています。」
「すまぬな。」
「一体どうされたのです。」
倒れてしまうのではないかと心配して、平野は三日月を支えるように寄り添って歩いた。
「少々禊ぎをな。」
「何か穢れが?」
「石切丸が言うにはもう悪いものは身体に残っていないらしいのだが、どうにも気持ち悪くてな。それで相談をしたら禊ぎを勧められたのだ。」
滝行でも良いと言われたが、外出禁止を言い渡されている今、出来るのは井戸水での禊ぎだけだった。
「だからと言っておひとりでこんな時間に…」
「心配を掛けたくなかったのでな。昨日まで誰にも見つからなかったのだが…。…それより、平野、おぬしはもう大丈夫か?」
平野は首を傾げた。
「何がです?」
「…俺が怖くはないか?折られかけたのだろう?小狐丸から聞いた。」
心の心配をされたのだと分かって、平野は嬉しさに笑みを浮かべる。
「手入れ部屋から出てすぐに、あれが三日月さんではないと聞いて腑に落ちたのです。なるほど、と思いましたから、あれは別物だったとちゃんとわかっています。」
「そうか。」
風呂の入り口の土間に入ると、丁度渡り廊下から鶴丸がやってきたところだった。
「やあやあ、コイツは驚きだ。朝から随分と色っぽい格好をしているじゃないか。」
「鶴丸さんもお風呂ですか?丁度良かった。三日月さんをお願いします。」
平野は三日月が禊ぎで身体が冷え切っていることを簡単に伝え、温まるまで見張るように頼んだ。
三日月は苦笑した。
「見張りなどなくとも、ちゃんと入るぞ?」
「信用なりません。三日月さんはご自分のこととなるとぞんざいに扱いがちですから。鶴丸さん、お願いしますね。僕は洗濯がありますので。」
風呂に浸かっていると隣の鶴丸が楽しそうに言った。
「やっと唇の色が戻ってきたな。」
「そうか?」
「さっきは真っ白だったぞ?この俺を差し置いて真っ白になるなんていただけないな。」
「それはすまぬ。で、おぬしはどうして朝風呂に?」
鶴丸は昨夜酒飲みたちと夜通し飲んで、気付いたら雑魚寝していた経緯を話した。他の面々はまだ寝ているらしい。
「それにしても、禊ぎねえ。おひいさんはそれで遠ざけていたのかい?」
「ん?菊か?…まあ、そういうことだ。」
「アンタの悪いところだぜ?」
「姫鶴にも言われてな、少々応えた。」
鶴丸はアハハと笑った。
「鶴が揃って同じ事を言ったのか。なら俺は姫鶴と組んでアンタの両耳に煩くわめいてやらなきゃならないかな。覚悟しておけよ?」
三日月は困り顔をして見せる。
「反省したのだから勘弁してくれ」
「反省だけじゃあねえ。ちゃんと謝れよ?」
「あいわかった。」
近侍の仕事もそこそこに、三日月は一文字の棟に向かった。
何か手土産が欲しいところだが、買いに出るわけにいかず、福島のところに寄って花を選んで貰った。茎を持って提げようとしたら福島に大事に抱えていくようにと言われ、仕方なく片腕に抱えている。
「菊は居るだろうか。呼んでもらえるか?」
入り口で南泉を見つけてそう告げる。
程なくして則宗が少し不機嫌そうな顔を見せた。
「…何か、用か?」
「朔が明けたのでな。会いに来た。」
これを、と花を渡す。
則宗は躊躇いがちにそれを受け取って、薫りを確かめるでもなく、顔を隠すような位置に持った。
「会いに来ただけかい?だったら、もう用は済んだだろう。」
プイッと横を向いて戻ってしまいそうな様子に、三日月は困って則宗の腕を掴む。
「すまぬ。話をしたい。ここでもいいが、俺の部屋にでも…」
「行かない。」
「菊よ。そう冷たくしないでくれ。」
「自分は何の説明もせず冷たくしたくせに、僕にはいつもにこやかでいろとでも?」
花越しに則宗の目は三日月をジッと捉えた。
その視線が痛くて、三日月は視線を下げる。
「すまぬ。悪かった。今更だが、話を聞いてくれぬか。何故今日まで来られなかったかを。」
則宗は溜息を吐いて、この場で話せと返した。
三日月は、自分の身体に違和感があったこと、それを石切丸に相談したこと、禊ぎを勧められたこと、そしてひと月ほどでその違和感は晴れるだろう、朔の日を境に変化があるだろうと言われたことなどを順に話す。
「禊ぎも済んだ。先程石切丸にもう一度祝詞もあげて貰った。もう心配ないと言われた。だから、今日から元通りだ。」
「元通りか」と則宗は相手の言ったことを繰り返す。
「ああ、だから、また共に茶を…」
「飲んでいただろう、一緒に。」
遮られて、言われたことが三日月にはいまいち分からず「あ、ああ」と曖昧な返事をした。
「側に寄り添っていた。言葉も交わした。なのに、何故僕には何も言ってくれなかった。側に居させてくれなかった。」
何故遠ざけるような態度を取ったのかと則宗は訴える。
「…それは、穢れをおぬしに移さぬようにと…」
「だったら何故それを言わない!僕は何も知らずただアンタに避けられたんだぞ!」
「心配を掛けたくなかったのだ。」
「僕がアンタの不調を知って心配するのと、知らずに避けられて絶望するのとでは、後者の方がいいと?」
「…すまぬ。間違っていた。許してくれ。」
「アンタが消えてからどれだけ心配したと思っている。目覚めないアンタをどれだけ見舞ったと。返事をしないアンタの名前を何度呼んだと思っているんだ…それなのに…アンタは戻ってから何度僕を呼んでくれた?僕は、アンタのその口で、声で呼ばれて、折られ掛けたんだぞ!それなのに、本物のアンタは、僕を避けて、呼んでもくれず触れてもくれず…。僕が、折られそうなあの時どんな気持ちだったか…」
溢れ出した涙を、花で顔を覆って隠す。
三日月は覗き込むようにしながら、そっと抱き寄せた。
「すまぬ。…菊、俺はずっと触れたかった。側に居たかった。抱きたかった。だが、穢してしまいそうで、怖かったのだ…。どうか、許してくれ。」
嗚咽を漏らす則宗を、ギュッと抱きしめる。
「もう離さぬゆえ…どうか…」
涙も嗚咽も、しばらく治まらなかった。長い時間、二人は身を寄せて佇んでいた。
そしてようやく嗚咽が治まると、則宗が顔を見せた。
「三日月…僕は…アンタを知っていたい。アンタのことを、何でも。」
「分かった。何でも話そう。」
「嘘を吐くなよ。」
「ああ、わかった。」
やっと見せてくれた顔のあちこちに、三日月は口付ける。
則宗はくすぐったそうにしながら、しっかりと抱きついた。
fin.
身体を乗っ取られた三日月に荒らされた本丸は、あちこち修繕は必要であるものの、皆の協力により一週間ほどで日常生活を取り戻した。
三日月と則宗もようやくのんびりとお茶を飲む時間が取れて、ホッとしていた。
「襖は大方元通りだそうだ。障子の方は骨組みが折れたものが多くて手間取っているが。」
「そうか。柱がさほど傷ついていないのは助かったな。建て替えとなると大事だった。」
傷ついた柱も、一部挿げ替えた場所もあるが、殆どそのまま補強を施すだけで済んだ。
三日月はバツの悪そうな顔で笑う。三日月本人がやったことではないが、身体を取られるなんて失態が原因だ。
「主からはしばらく外出禁止を言い渡されてしまった。」
「うはは。当然だ。どれだけ心配を掛けたと思っている。」
近侍の任はそのまま続け、部隊からは外れることになった。今、第一部隊は初期刀の蜂須賀が率いている。
「菊にも迷惑を掛けたな。」
「いいさ。今こうして隣に居るんだ。」
則宗が柔らかく笑むと、三日月は彼の手を取った。
そっと自分の顔に引き寄せ、中指の関節に唇を当てる。
則宗は微かに頬を染めた。
「三日月…もっとゆっくり話がしたい。部屋に行ってもいいかい?」
あれ以来、恋仲としての時間が取れなかった。三日月からの誘いも無かったが、身体の心配もあるしそれも当然だと則宗は納得している。が、そろそろ二人きりの時間を作っても良いだろうと思ったのだ。
当然良い返事が来ると思っていると、三日月はフイッと視線を外した。
「…すまぬ。今から主のところに行かなくてはいけなくてな、また今度だ。」
則宗は少し違和感を持ちながら、呼び出されているのなら仕方ないと諦める。すると、三日月は撫でるように則宗の頭に触れ、ごく軽く額の髪に口づけした。
「ではな。」
「ん、ああ。」
それから幾日か過ぎても、則宗は三日月の部屋に入れなかった。
何故だか三日月は誘わないだけでなく、則宗からの誘いにも良い返事をしなかった。
「…今日も何か用事があるのかい?」
「ああ、少々な。すまぬ。」
そして、それに加えて接触さえ避けているように思われた。
「三日月。」
ひとけの無い廊下で則宗は行く手を遮り、身体を寄せた。キスを求めて顔を近づける。
三日月は困ったように笑って両手で頬を挟むと、また額に口付けた。
「このような場所では控えろと言ったのはおぬしだぞ?」
「…そ、それはそうだが…」
「さあ、仕事を済ませてしまおう。」
スッと身体を離し、三日月は歩き出してしまった。
『問題行動無し/異常無し/日課通り』
則宗は報告書の各欄に簡単な文言を書き、ペンを置いた。
報告書と言っても形だけのものだ。要は政府の指示に従っているという体が取れればいいのだから。
「…問題無し…か。」
何も問題は無い。監視対象は与えられた仕事をこなし、日々を淡々と過ごしている。人格に変容はなく、誰に対しても以前通り人当たりの良さを見せている。
以前通りだ。そう、則宗以外には。
報告書は月に数回、決められた日に提出することになっている。まだ数日先だと確認して、書類をファイルに挟んだ。
部屋から出ると、姫鶴がお茶を差し出した。
「飲むっしょ?」
「ん?ああ、悪いな。」
受け取って居間の座卓に落ち着く。
姫鶴は首を傾げた。
「元気ないね?」
「そうかい?」
「みかちのこと?」
「…いや、まあ、特に問題は無いぞ?」
「特じゃない問題はあるんだ?」
ギョッとして則宗は湯飲みを傾ける手を止めた。
相変わらずよく気が回る、と思いながら、湯飲みの中のお茶を眺める。
「…手合わせでも見に行くかな。」
則宗がそう言うと、姫鶴は小さく溜息を吐いた。そのままはぐらかして去ってしまうと思ったのだ。
しかし、則宗は続けた。
「一緒にどうだい?姫鶴。」
「みかちが冷たい?」
道中、則宗は姫鶴に「山鳥毛たちには秘密に」と前置きをして気がかりなことを打ち明けた。
避けられている気がする理由を話すと、姫鶴は足を止めて考え込む。
「確かに、ちょっと変…。」
考えあぐねている様子に、則宗は「ひとつだけ思い当たることがある」と言った。
「何?」
「僕が監視役を引き受けたことだ。」
姫鶴は目を見開いて大きく瞬きをした。
「…そんなことで怒らないっしょ?みかち。」
「ああ、怒りはしないさ。でも、面白くないと思っていてもおかしくはない。」
状況的に仕方なかったとは言え、恋仲の相手を監視する役目を自ら引き受けたことをよく思っていないのかもしれない。と、則宗は続ける。
「僕は最善のつもりだった。今でもそう思っている。でも三日月からしてみたら、あの場面で僕が取るべき行動は抗議であるべきだと思ったのかもしれない。監視対象から外させるよう政府に働きかけることが出来る者がいるとしたら、それは僕たち政府由来の刀だろう。あの場にいたのは僕だけだ。僕がそうしなかったことが、三日月の中で引っかかっているのかもしれない。」
そう言って則宗は目を伏せて口角を上げた。
「まあ、勝手な想像だ。」
「ん…こっちも勝手な想像だけど…」
姫鶴は顎に人差し指を当て、斜め上に視線を向けて言う。
「近づけないってことは、何か知られたくないことがあるってことっしょ?みかちが御前に知られたくないこと…可能性のひとつでしかないけど…身体の不調、とか?って思うけど。」
則宗はハッとした顔を姫鶴に向けた。
「政府での身体検査では特に異常は見つからなかったが…確かにその可能性はあるな…」
自分が原因かと思ってしまったことで、そこに思い至らなかった。則宗は苦笑いを見せた。
「悪いな、今からちょっと行ってくる。」
「三日月!」
渡り廊下で彼を見つけ、則宗は走り寄った。
「どこか調子が悪いのか?」
その問いに、三日月はいつもの笑みを返す。
「俺は元気だぞ?」
言って両袖を広げて見せた。
普段と変わらぬ彼の優雅な所作に、場違いな気遣いをしたかに思えて則宗はたじろいだ。
「そ、そうか…だが、もし些細なことでも気がかりがあるなら言ってくれ。もう一度政府で検査してもらうことも出来る。内密にというなら僕が上手く掛け合ってやるし、何とでも出来るから任せてくれ。」
あっはっは、と三日月は笑う。
「それは頼もしいな。だが、心配は要らぬ。問題は無いぞ?」
相手の言葉に則宗は顔を曇らせた。視線を落とし、思ったことを言おうか一瞬の躊躇いのあと、口を開いた。
「…今のは…馬鹿にされた気がするな…」
「…菊…すまぬ、そんなつもりは…」
「僕が心配するのがそんなに迷惑かい?」
「まさか、迷惑などと…」
「じゃあ、的外れな心配だったというわけか。なら、このところのアンタの態度は、単純に僕を避けていたわけだ。わかった。もういい。」
待ってくれという三日月の言葉を無視して、則宗は立ち去った。
走ったわけでもないのに、三日月は追いかけては来なかった。それが答えのような気がした。
次の日から則宗は三条に行くのをやめた。朝礼で顔は合わせるが、距離を取り、声を掛けることもない。仕事で関わるときは事務的に会話をするだけになった。
三日月も、特に何かを言ってくることは無かった。
監視役としての政府への報告は当たり障りのない書類を出した。それで何も問題は起こらなかった。
本丸の修繕は大方終わり、庭の片付けと障子貼りの二手に数人ずつが当たるだけになっていた。
則宗はその手伝いに混じり、にこやかに過ごした。周りもそれを不自然だと感じることもなく、三日月との不和を知るものは殆どいなかった。
「自分でもお節介だとは思ってんだけどー。」
姫鶴が廊下の壁に凭れたまま、通りかかった三日月にそう声を掛けた。
「どうした?」
「それはこっちのセリフだっての。なんで会いに来ないの?マジでもう関わらないつもり?」
「そうではない。…少々障りがな。」
「はあ?まさかマジで監視役のことに腹立ててんの?」
姫鶴の言に、三日月は虚を突かれたような顔をする。
「…それはどういうことだ?」
「なんだ、違うんじゃん。どういうって、御前はそう思ってるけど? 御前が監視役を引き受けたことをアンタが不愉快に思ってるってさ。避けてたんでしょ?」
「それは、誤解だ。」
「ふーん?なら、誤解を解きに来れば?」
三日月は少し考えて「今は出来ぬ。」と答えた。
「姫鶴よ、菊に伝えてくれぬか。次の朔が明けるのを待ってくれ、と。」
「朔?」
「石切丸がな、その辺りが頃合いだと。」
姫鶴は眉を顰める。
「はいはい、アンタらしい物言いだよね。嘘は言わないけどホントのことも言わないっつー。」
「手厳しいな。」
「言付けは引き受けた。でもね、みかち、」
言いながら姫鶴は踵を返して歩き出した。少し振り向きながら続ける。
「アンタのその『大事なことを伏せる』癖、例え相手を思ってのことでも、逆に傷つけることもあるって覚えときなよ。」
三日月は無言でその背中を見送った。
短刀たちと楽しげに話している則宗を見つけ、姫鶴は足を止めた。折角楽しそうにしているのに、面倒な話を聞かせるのも気が引ける。どうしようかと少し離れた位置で思案していると、則宗がそれに気付いて立ち上がった。
「じゃあ、僕は行くよ。修繕ご苦労だったね。」
「はい。御前さんもお疲れ様でした。」
短刀たちに手を振って、姫鶴の方に歩み寄る。
「どうかしたかい?」
「ン…言伝がね。あ、そだ。あれ、誤解だって。」
三日月が監視役のことをよく思っていないという話を先に否定しておこうと説明したが、則宗は顔を顰めた。
「アイツが言いそうなことだ。もう聞きたくない。」
則宗はそう言って背中を向け、そのまま一文字棟に向かって歩き出した。
要らないことを言ってしまったと姫鶴は悔やみながら、その背中に声を掛ける。
「ひとつだけ聞ーて。」
「聞きたくないと言ったろう。」
則宗の返事を無視して、姫鶴は付け加えた。
「朔が明けるのを待ってくれってさ。」
則宗はふっと表情を無くした。どういうことだろうと気になって振り向く。
「朔?が、何だって?」
「それが頃合いだって石切丸に言われたって。」
「石切丸が?いったい…」
「詳しいことは知らない。」
考え込んでいる則宗に近付いて、姫鶴は言った。
「朔が明けたら、新しい月が生まれるっしょ。」
則宗はまた顔を顰める。
「子供を慰めるようなことを言うのはやめてくれ。」
「ごめ、でも、上弦だから、凶兆はないっしょ?」
これから生まれて満ちていく月は吉兆を思わせる。それを思い出させてくれたことに、則宗は柔らかく笑みを浮かべた。
「すまんな。ありがとうよ。」
朔の夜が明け切らぬ早朝、平野は兄弟たちの洗濯物を持って井戸に向かった。
昨日数人の兄弟が泥遊びをして汚したものだが、当人たちが一期に見つかるのを危惧して隠していたのだ。平野は偶然知ってしまい、内緒にしてくれと懇願されてしまった。一期に見つかったからと言ってどうということはないだろうと彼は思っているが、当人たちは怒られることより、呆れられるのを嫌がっているようだった。だから一期には秘密にして処理してしまおうというわけだ。
井戸のある区画に差し掛かると、水音が聞こえた。
一体誰が何をしているのだろう、と静かに近付いていくと、誰かが井戸水を浴びているのが見えた。
冬ではないとは言え、早朝の井戸水は冷たい。平野は慌てて駆け寄った。
「み、三日月さん!?何をしておいでです!」
上半身をはだけた状態で手桶一杯の水をまた肩からかぶった三日月は、平野の声に気付いて顔を向けた。
いつもの優しい笑みで、唇を動かそうとしたのが見えたが、何も言わず、また井戸水を汲んでいる。
「お身体が冷えてしまいます!やめてください!」
すぐ側に寄ろうとすると三日月は口を開いた。
「…のいて…いて、くれるか…。…濡れるぞ。」
濡れると言われて平野は反射的に足を止めてしまった。
バシャッと水が跳ねる。
平野はハッとして三日月の手首を掴んだ。
「もうダメです!声が震えているではないですか!」
「すまぬ。離してくれ…。」
「どうしてもと言うなら、僕もかぶります。どうぞ一緒に掛けてください!」
三日月の行動を止めるため、わざと水の掛かる場所に身体を寄せた。
「平野よ、次で最後なのだ。もう終わるから、のいていてくれ。」
「次で?本当ですね?」
「ああ、本当だ。最後の一回だ。」
まだ訝しがりながら、平野はじっと視線を三日月に向けたまま後ずさる。
三日月は井戸水を汲むと、その最後の一杯を身体に掛けた。
手桶を伏せて置いたことにホッとして、平野は近くにあった三日月の寝間着を広げて濡れたままの彼の身体に掛けた。
「さあ、風呂に行きましょう。冷え切っています。」
「すまぬな。」
「一体どうされたのです。」
倒れてしまうのではないかと心配して、平野は三日月を支えるように寄り添って歩いた。
「少々禊ぎをな。」
「何か穢れが?」
「石切丸が言うにはもう悪いものは身体に残っていないらしいのだが、どうにも気持ち悪くてな。それで相談をしたら禊ぎを勧められたのだ。」
滝行でも良いと言われたが、外出禁止を言い渡されている今、出来るのは井戸水での禊ぎだけだった。
「だからと言っておひとりでこんな時間に…」
「心配を掛けたくなかったのでな。昨日まで誰にも見つからなかったのだが…。…それより、平野、おぬしはもう大丈夫か?」
平野は首を傾げた。
「何がです?」
「…俺が怖くはないか?折られかけたのだろう?小狐丸から聞いた。」
心の心配をされたのだと分かって、平野は嬉しさに笑みを浮かべる。
「手入れ部屋から出てすぐに、あれが三日月さんではないと聞いて腑に落ちたのです。なるほど、と思いましたから、あれは別物だったとちゃんとわかっています。」
「そうか。」
風呂の入り口の土間に入ると、丁度渡り廊下から鶴丸がやってきたところだった。
「やあやあ、コイツは驚きだ。朝から随分と色っぽい格好をしているじゃないか。」
「鶴丸さんもお風呂ですか?丁度良かった。三日月さんをお願いします。」
平野は三日月が禊ぎで身体が冷え切っていることを簡単に伝え、温まるまで見張るように頼んだ。
三日月は苦笑した。
「見張りなどなくとも、ちゃんと入るぞ?」
「信用なりません。三日月さんはご自分のこととなるとぞんざいに扱いがちですから。鶴丸さん、お願いしますね。僕は洗濯がありますので。」
風呂に浸かっていると隣の鶴丸が楽しそうに言った。
「やっと唇の色が戻ってきたな。」
「そうか?」
「さっきは真っ白だったぞ?この俺を差し置いて真っ白になるなんていただけないな。」
「それはすまぬ。で、おぬしはどうして朝風呂に?」
鶴丸は昨夜酒飲みたちと夜通し飲んで、気付いたら雑魚寝していた経緯を話した。他の面々はまだ寝ているらしい。
「それにしても、禊ぎねえ。おひいさんはそれで遠ざけていたのかい?」
「ん?菊か?…まあ、そういうことだ。」
「アンタの悪いところだぜ?」
「姫鶴にも言われてな、少々応えた。」
鶴丸はアハハと笑った。
「鶴が揃って同じ事を言ったのか。なら俺は姫鶴と組んでアンタの両耳に煩くわめいてやらなきゃならないかな。覚悟しておけよ?」
三日月は困り顔をして見せる。
「反省したのだから勘弁してくれ」
「反省だけじゃあねえ。ちゃんと謝れよ?」
「あいわかった。」
近侍の仕事もそこそこに、三日月は一文字の棟に向かった。
何か手土産が欲しいところだが、買いに出るわけにいかず、福島のところに寄って花を選んで貰った。茎を持って提げようとしたら福島に大事に抱えていくようにと言われ、仕方なく片腕に抱えている。
「菊は居るだろうか。呼んでもらえるか?」
入り口で南泉を見つけてそう告げる。
程なくして則宗が少し不機嫌そうな顔を見せた。
「…何か、用か?」
「朔が明けたのでな。会いに来た。」
これを、と花を渡す。
則宗は躊躇いがちにそれを受け取って、薫りを確かめるでもなく、顔を隠すような位置に持った。
「会いに来ただけかい?だったら、もう用は済んだだろう。」
プイッと横を向いて戻ってしまいそうな様子に、三日月は困って則宗の腕を掴む。
「すまぬ。話をしたい。ここでもいいが、俺の部屋にでも…」
「行かない。」
「菊よ。そう冷たくしないでくれ。」
「自分は何の説明もせず冷たくしたくせに、僕にはいつもにこやかでいろとでも?」
花越しに則宗の目は三日月をジッと捉えた。
その視線が痛くて、三日月は視線を下げる。
「すまぬ。悪かった。今更だが、話を聞いてくれぬか。何故今日まで来られなかったかを。」
則宗は溜息を吐いて、この場で話せと返した。
三日月は、自分の身体に違和感があったこと、それを石切丸に相談したこと、禊ぎを勧められたこと、そしてひと月ほどでその違和感は晴れるだろう、朔の日を境に変化があるだろうと言われたことなどを順に話す。
「禊ぎも済んだ。先程石切丸にもう一度祝詞もあげて貰った。もう心配ないと言われた。だから、今日から元通りだ。」
「元通りか」と則宗は相手の言ったことを繰り返す。
「ああ、だから、また共に茶を…」
「飲んでいただろう、一緒に。」
遮られて、言われたことが三日月にはいまいち分からず「あ、ああ」と曖昧な返事をした。
「側に寄り添っていた。言葉も交わした。なのに、何故僕には何も言ってくれなかった。側に居させてくれなかった。」
何故遠ざけるような態度を取ったのかと則宗は訴える。
「…それは、穢れをおぬしに移さぬようにと…」
「だったら何故それを言わない!僕は何も知らずただアンタに避けられたんだぞ!」
「心配を掛けたくなかったのだ。」
「僕がアンタの不調を知って心配するのと、知らずに避けられて絶望するのとでは、後者の方がいいと?」
「…すまぬ。間違っていた。許してくれ。」
「アンタが消えてからどれだけ心配したと思っている。目覚めないアンタをどれだけ見舞ったと。返事をしないアンタの名前を何度呼んだと思っているんだ…それなのに…アンタは戻ってから何度僕を呼んでくれた?僕は、アンタのその口で、声で呼ばれて、折られ掛けたんだぞ!それなのに、本物のアンタは、僕を避けて、呼んでもくれず触れてもくれず…。僕が、折られそうなあの時どんな気持ちだったか…」
溢れ出した涙を、花で顔を覆って隠す。
三日月は覗き込むようにしながら、そっと抱き寄せた。
「すまぬ。…菊、俺はずっと触れたかった。側に居たかった。抱きたかった。だが、穢してしまいそうで、怖かったのだ…。どうか、許してくれ。」
嗚咽を漏らす則宗を、ギュッと抱きしめる。
「もう離さぬゆえ…どうか…」
涙も嗚咽も、しばらく治まらなかった。長い時間、二人は身を寄せて佇んでいた。
そしてようやく嗚咽が治まると、則宗が顔を見せた。
「三日月…僕は…アンタを知っていたい。アンタのことを、何でも。」
「分かった。何でも話そう。」
「嘘を吐くなよ。」
「ああ、わかった。」
やっと見せてくれた顔のあちこちに、三日月は口付ける。
則宗はくすぐったそうにしながら、しっかりと抱きついた。
fin.
