みかのり短編

闇に溶ける桂



 毎日明日の約束をしよう
 その約束のためにずっとここにいるぞ

 三日月がそう言ったのは、数ヶ月前のこと。




 三日月宗近消息不明

 突然の知らせに、主も側にいた刀剣たちも言葉を失った。
 通信窓には、疲弊した仲間が映っている。
『ある地点で三日月の気が途絶えた。その辺りをくまなく探したのだが…何も…』
 岩融はそう言って悔しさに眉を顰めた。
「とにかく、みんな一度帰ってきて。万全の状態で探そう。座標の固定を忘れずにね。」


 三日月は遠征に出ていた。
 資材集めが目的の簡単なものの筈だった。
「あの場所で、三日月が何かの気配に気付いたのだ。」
「ぼくたちも感じましたが、言われてやっとわかるくらいのごく弱い気配でした。」
 岩融に続いて今剣がそう説明した。
 そして、三日月の指示の下、全員でその気配を探っていた時だ。気配が弱いせいで場所が特定できず、別れて辺りを探索していたのだが、三日月の声が聞こえたかと思ったら、次の瞬間には彼の気配が消えてしまった。
「三日月はなんて言ってたの?」
「『皆よ』と呼びかけただけだ。恐れも緊張もない風の、いつもの声だった。」
「たぶん、そのあとに『来てくれ』って言うつもりだったんじゃないかと思います。」
 少なくとも、三日月は自分の意思で姿を消したわけではないと分かる。
 主は政府への報告と調査依頼を出すことを決めた。
「勿論こちらでも捜索するよ。部隊をひとつ、捜索に充てる。それと、手の空いている刃員で過去に同じような事例がないか探そう。」
 主がそう言うと、一文字則宗が手を上げる。
「僕を捜索部隊に入れてくれるかい?」
 ジッと主を見据える目は、いつもと違って硬い意志を伝えていた。
「わかった。菊、隊長を務めて。」
 次の日から、早速捜索が開始された。



 政府は調査の約束はしてくれたものの、捜索自体は本丸に任せる、との回答だった。
 あまり現地に刀剣を送るわけにはいかないということだろう。検非違使のこともある。
「政府のシステムなら、現地に行かずともかなり正確なことが調べられる。座標を知らせたんだ。それなりの成果を期待して良い。」
 政府からの調査報告が来たらすぐに知らせるように頼んで、則宗は部隊を連れて現地に足を運んだ。

 数日、調査には何の進展も無かった。捜索も芳しくない。何の手がかりも無いまま、その座標の周りを何度も訪れた。
 三日月が消えたらしき場所はのどかな丘の上だった。
 農村の外れ。街道からも離れているため、人は滅多に訪れない。
「岩融、気配は感じるかい?」
 則宗の問いに、岩融は困ったような顔を向ける。
「…おぬしに分からぬものが俺にわかるとは思えんが…」
 岩融は三日月の気配を聞かれたと思い、そう返した。彼が同じ三条だと言っても、今は関係が近しい則宗の方が気配を手繰りやすいだろう。
「ああ、いや、すまん。最初に感じた気配の方だ。三日月がこの辺りの探索を決めた、その原因さ。」
「あ、ああ、すまぬ。……今は分からん。あの時は確かに何か…気になる気配があったのだが。」
 ジッと目を閉じて集中してみても、何も感じられなかった。
「いつからか分かるかい?その気配が消えたのは。」
 岩融は腕を組んで唸った。
「三日月が消えたとき、もうその気配も無かったような…いや、弱かったからな…なんとも言えん…」
 三日月の失踪に動揺して、その気配から気が逸れてしまっていた。あのとき消えたのか、感じられなかっただけか。
「もし、同時だとしたら、やはりその気配が原因と考えるのが妥当だろうな。」
 そうだとしても、今感じられない気配を辿るのは不可能だ。
 則宗はくしゃくしゃっと頭を掻いて、苦々しく溜息を吐く。
「…三日月!約束を破る気か!返事をしろ!」
 ふっと空気が流れた。
 皆が顔を見合わせる。
「…三日月の気配だった…」
「ほんの一瞬だったが…確かに…」
「…どこから…」
 則宗の声に反応したようだった。もう一度呼んでみるように言われ、則宗は応じた。
「三日月!」
 微弱だが、どこからか気配が来る。
 皆で広がって確かめると、やはりその丘の中心が一番強かった。
「何も無い、こんな場所で…」
「則宗さん、もう一度お願い。」
「わかった。…三日月!」
 一番気配を感じられる場所に立ち、名を呼ぶ。
 すると周りに居た部隊員たちが驚愕の表情を浮かべた。
「どうした…」
「則宗さん!後ろ!」
 浦島が飛びついて則宗の身体を庇い、身を屈める。
 見れば則宗が立っていた場所のすぐ後ろに小さな黒い影が出来ていて、そこから手が出ていた。
「…これは…」
「この装具は…」
「三日月だ!」
 慌てて皆がその手を掴む。引っ張り出すと、すぐに全身が現れた。
「三日月!」
 名を呼ぶが、反応はない。気を失っているようだった。
「とにかく、連れて帰ろう!」



 本丸に運んで、政府から来た調査員や研究者が三日月の様子を見たが、何もわからなかった。ともかく、このまましばらく寝かせておくしかないと結論付け、政府の人間は帰っていった。
「折角見つかったのに…」
 浦島がしょんぼりと膝を抱えている。
「なに。すぐに目を覚ますさ。お前さんもご苦労だったな。頼もしかったぞ?」
 則宗は庇われたときのことをそう言った。
「へへっ…びっくりしちゃったよ、宙から手が生えてくるんだもん。」
「そりゃそうだ。あの岩融でさえ、凄い顔で驚いていたからな。うはは。」
 浦島は少し元気を出して、立ち上がった。
「これで捜索隊は解散かな。また普通の出陣になるんだよね。」
「ああ、今日はゆっくり休もう。」


 三日月は三日経っても目を覚まさない。次第に不安が募って則宗は日に何度も三日月を見舞った。
「主、頼みがある。」
 則宗は第五部隊を空けてくれるように頼み、そこに一文字全員を組み込んだ。
「あの身体、…空のように思える…。三日月の魂が、抜けているかもしれない。」
「では、御前、あの場所に?」
「ああ。無駄足かもしれないが、付き合ってくれるかい?」
 もし魂が抜け落ちているとしたら、あの時代のあの座標に残されているはずだ。それを早く連れて帰らなければ、二度と目を覚まさないなんてことにもなりかねない。
 現地に着くと、則宗はあの場所に立った。
 三日月の名を呼ぶ。
「三日月!返事をしろ!…いや、僕を呼べ!」
 必ず助けてやるから、と目を閉じて念じる。

 菊

 ハッとして目を開けると、辺りが闇に包まれていた。何の景色もなく、仲間たちもいない。

 菊、帰れ

「な、何を言う!アンタを迎えに来たんだぞ!?」

 急がねば取り返しが付かなくなる
 俺の身体は『アレ』に奪われた
 今あの身体に入っているのは『アレ』だ
 主が危ない
 すぐに帰れ

「主が!?」

 急げ

「わ、わかった!…必ず、迎えに来るからな!」
 そう返事をすると、辺りの景色が戻った。
「御前!大丈夫ですか!?」
 三日月と話している間、周りからは則宗が黒いモヤに包まれている様に見えていた。呼んでも返事が無かったため、山鳥毛が焦って則宗の肩を掴んだところだった。
「帰るぞ!主が危ない!」
「一体何が…」
「道々説明する!」



 三日月の様子を見に部屋に入った平野は、彼の目が開いたことに気付いて嬉しそうに呼びかけた。
「三日月さん!気がつかれたのですね!」
 途端、三日月は起き上がり、傍らにあった本体を手に取った。
 平野はハッとして防御姿勢を取るが、防具も武器もない状態では防ぎきれない。切りつけられ、吹き飛ばされて壁に激突した。
「み…かづき…さん…どう…して…」
 重傷を負って動けない平野に、三日月は迫る。
「だれ…か…」
「三日月!何をしているのです!」
 すんでの所で小狐丸が駆けつけてその刀を止めた。
 騒ぎを聞きつけて、他の刀たちも集まってくる。
 小狐丸は何度か刀を交わしたが、力の差がありすぎて完全に止めることが出来ない。すぐに吹き飛ばされて庭に転げ出た。
「三日月がおかしい!誰か!平野を手入れ部屋に!」
 そう叫んで、また三日月に掛かって行く。
 小狐丸が三日月の相手をしている間に、粟田口の兄弟たちが平野を運び出した。
「どういうことだよ!なんで三日月が…」
「ゆうてる場合じゃなか!とにかく運ぶばい!」
 短刀たちは平野を手入れ部屋に入れ、戦準備をして駆けつける。
 三日月が寝かされていた部屋は、もうぐちゃぐちゃだった。
「早くあるじさんを安全な場所に!」
「小狐丸!アンタも早く手入れ部屋に行け!そのままじゃ折られる!」
「す、すみません。…持ちこたえてください。」
 本丸に残っている刀が全員で事に当たるが、強い刀たちは今外に出ている。三日月の相手をまともに出来る者はいなかった。


「主!三日月が暴れ出した。とにかく今は隠れてください。」
 長谷部が知らせに来て、そのあとに短刀たちも駆けつける。
「お前たち、主を守ってくれよ。俺は、…行ってくる。」
 刀たちの話を聞いて、ある程度状況を把握した主は、こんのすけに政府に助けを求めるよう頼んだ。
 第五部隊が帰還し、本丸の状況を見てすぐに戦闘に入る。
「あれは三日月じゃない!中身は別物だ!」
 則宗は戦いながら、周りの者に少しずつ説明する。何度も入れ替わり、怪我をした者は手入れ部屋に、回復すると戦闘に加わる。
 三日月の殻を被った敵は、少しずつ主の居場所に近付いていた。
「あれは三日月さんではないそうです。主君は一度本丸から出てください。政府施設に行くのがいいかもしれません。」
「でも…」
「どうか、お聞き入れください。」
 仕方なく転送陣に向かおうとすると、そこにこんのすけが駆けてきた。
「主さま!大変でございます!」
「どうしたの!?」
「転送ゲートが…この本丸の転送ゲートが封鎖されました!もはや、出ることも戻ることも出来ません!」
「どうして…」
「状況を伝えたところ、他の本丸や政府施設への影響が懸念されるため、隔離する、と。今回の件が解明されていない以上、隔離しか方法が無いと。…調査が完了するまで、この本丸内で事に当たれ、との命令です…。」
 そんな、と誰ともなく声が漏れる。
「主君、とにかく、隠れましょう。僕たちが、必ずお守りします。」
 戦闘音が近付いてくる。短刀たちに促されて歩き出した主は、ふと足を止めた。
「敵はひとりなんだね?」
「は、はい、そうですが…何を…」
「なら、隠れるより、見える場所にいた方が怖くない。神楽堂に行く。五虎退!蔵から鈴を持ってきて!誰か、石切丸を呼んで。神楽を舞う。乱、秋田、一緒に習ったでしょ?踊るよ。」
 この本丸の神楽堂は簡易なもので、四方に壁がない舞台だ。中庭に位置し、本丸の母屋がぐるっと取り囲んでいる。二階と同じ高さがあり、その向かいには同じ二階部分に広間がある。神楽堂で舞を踊るときに鑑賞するための宴席を設けられるようになっている。

 神楽堂に呼ばれた石切丸は、主の提案に半ば呆れていた。
「襲撃を受けながら神楽を舞いますか。」
「鈴の音って悪いものを寄せ付けない感じするじゃん。」
「まったく、突拍子もない。…でも、悪くない思いつきです。」
 神楽舞は神に捧げるものだ。舞自体に邪気を払う意味合いがあり、鈴や他の楽器もそういう効果がある。
 石切丸は結界を張り、その守護に太郎太刀が付く。その結界の中で、乱と秋田は主と共に神楽舞の準備を始めた。
「主、鈴をよどみなく鳴らせるかい?」
「結構褒められたから、大丈夫だと思う。」
 しゃん、と鳴らしてみる。
「ふむ。悪くないね。その鈴の音を保って。」
「あ、そうだ、石切丸。この鈴の音を、三日月の魂が囚われているところに届けられる?」
 石切丸は深い溜息を吐いた。
「また無茶な注文をなさる…。」
「三日月、確かにそこに居たって話だし、鈴の音が道しるべになって帰ってこれないかなって。」
 則宗が持ち帰った情報は、伝達され主のところまで届いていた。三日月の魂はまだあの地点に囚われている。そこに鈴の音で道を作ろうと言うのだ。
「座標を。」
「出来るんだね!?」
「言っておきますが、時間を超えなくてはなりませんから、主の霊力を使わせていただきます。…鈴を淀みなく鳴らし、奉納舞を舞う。霊力がどんどん減っていく中で、倒れずに…出来ますか?」
 一瞬返事に詰まり、それでも主は答えた。
「や、やる。」
「分かりました。私も全身全霊であたらせていただきます。」

 準備を整えて、三人が舞を始める。
「主、左手の振りが甘い!その音では意味がありません。」
「は、はい!」
 右手の鈴と同じ音が出せるよう、くっと左腕に力を込める。
 しゃん。
「その音を保って。乱、秋田、主に調子を合わせて。ゆっくりすぎると主の筋力では持たないよ。」
「はい!」「はい!」
「祝詞が始まったらもう助言してあげられないからね。いいね?行くよ。」



「前に出る者は必ずお守りを持て!」
「手入れは手伝い札ですぐ済ませるんだよ!」
「まだ鍛錬が進んでない者は神楽堂の周りを固めろ!戦闘に加わる必要は無い!」
 声を掛け合って、全員が主を守るべくやれることをやる。
 最近顕現したばかりの刀たちは戦闘服に身を包み、神楽堂の足元を囲むように並んだ。戦闘に加わらなくて良いとは言え、攻撃が飛んできたらそれを受け止めるしかない。避ければ神楽堂が崩れることになるかもしれないのだから。皆、覚悟を決めたように無言で頷き合った。

「行くぞ、南泉。」
 一度怪我を負って下がった則宗と南泉が復帰した。
「御前、お守り持ったか?にゃ。」
「受け取った。お前さんこそ忘れるなよ。」
「持ってるにゃ。」
 前の数人が怪我を負って下がった。
「お前さんは三日月とやり合ったろう?」
「もう少しだった、にゃ。」
「なら勝てる。アイツは三日月じゃないからな。」
「うす!」
 敵が纏っているのは三日月の身体だ。折るわけには行かないが、今本丸にいる刀たちでは本気で行かないと折られてしまう。則宗は各々に全力で行けと伝えていた。
 則宗が前に出て打ち合う合間合間に、南泉が奇襲を仕掛ける。
 遅れてきた山鳥毛たちも、上手く隙を突いて敵を押しとどめた。
「コイツは何故小鳥を狙っているのだろう。」
「時間遡行軍の気配はしませんし、不可解ですね。」
「ねー、このみかち、折っちゃダメっしょ?」
「折るなよ?」
「まあ、折れそにないんですけど。」
「これは、多分僕の仕事だねぇ。」
 一文字の面々の後ろからそう言ったのは、にっかりだ。
「ゆ、幽霊ってことか?にゃ…」
「そう。でも、せめて三日月の身体が弱ってくれないことには、僕の刀じゃ太刀打ちできないんだよねぇ。」
 引き剥がすことが出来れば一番いい、とにっかりは付け加えた。


 大きな音がして、神楽堂の向かいの広間のふすまが吹き飛ばされた。
 今、あの三日月は主にも視認できる場所に居る。
 主はチラッとその姿を確認するが、舞に集中するために視線を逸らした。
 敵はまっすぐに神楽堂の方に向き直り、攻撃の合間を縫って斬撃を飛ばす。
 それを太郎太刀が真正面から受け止める。
 ビリビリ、と結界が震えた。
「く…この距離でこの衝撃ですか…」
 まだ大きな部屋の奥にいるというのに、飛んできた斬撃の威力は相当なものだった。今更ながら、太郎太刀は鍛錬の進んでいない己の不甲斐なさを呪った。この本丸ののんびりとした空気に甘えすぎた、と悔やむ。

「中庭に落とせ!」と則宗が指示を出す。
 いよいよ距離が縮まってくると、主への直接の攻撃が懸念された。真正面の広間に陣取られては、攻撃を止めるのが一苦労だ。だが、地面に落としてしまえば、二階の高さの舞台中央にいる主を狙うのは難しくなるだろう。
 則宗は刀を合わせて鍔迫り合いに持ち込むと、縁側の柵に向けて押し出した。
 やはり弱い、これは三日月ではない、と確認するように思って、渾身の力を込める。
「その刀で!勝手をするな!」




「皆よ。来てくれ。」
 三日月がそう言ったとき、辺りが闇に包まれた。
「やや?何も見えぬな…はて、困った。…皆よ!聞こえるか!」
 しばらく返事を待ったが何も聞こえない。
「ふむ…」
 足元の地面さえ真っ暗で、足で踏みしめてみても先程までの下草の感触がない。
 一歩踏み出すことさえ躊躇われ、立ち尽くす。
 何度か呼びかけてみたが、仲間たちの声はしなかった。
「誰ぞ、おらぬか。」
 仲間を呼ぶことは諦めて、この奇怪な現象を起こした何者かが返事をしないかと呼びかけてみる。
 すると先刻感じていた微かな気配が三日月を取り囲んだ。
「…おぬしは…おぬしたちは、何者だ?」
 声は聞こえなかったが、念のようなものが降りかかってきた。

…力を貸せ…

「力、か。この力は主のためのもの。勝手に貸すことは出来ぬな。」
 そう答えると、途端に空気が張り詰めた。

…あるじ…お前はあの男の手下か…ならば帰さん…

 纏わり付く気配が三日月の自由を奪う。
「待て!俺の主は…」
 反論しようにも、口も封じられ、そのまま意識を失ってしまった。


 名を呼ばれ、三日月は意識を取り戻した。
『三日月!』
(あれは菊の声だ。)
 返事をしようとするがままならず、身体も動かない。
「…き…く…」

…仲間か…丁度いい…あの男のところへ連れて行ってもらおう…この恨み…晴らすときが来た…

「…違…う…」
 身体が鉛のように重い。縫い付けられたように動かない身体とは裏腹に、ふわっと狩り衣の袖が宙に浮いた。何事かと凝視すると、身体が衣と共に前方に流れていく。自分は闇に縫い付けられたまま、身体が引き離されていった。
「待ってくれ…」


 暗闇にひとり取り残された三日月は、待つしかなかった。
 身体を奪ったあの気配は、主を宿敵として討ちに行ったはずだ。どうか、気付いてくれ。それは俺ではないのだと。
 祈りが通じたのか、また仲間の気配を感じた。
『三日月!僕を呼べ!』
「菊!」
 主の危機を伝えることは出来た。自分が助けに行けないのは歯痒いが、今は仲間を信じるしかない。
 三日月は、ただただ祈った。


 しゃん。


 鈴の音が聞こえる。
 暗闇に、緩いカーブを描いて音が流れ込んだ。
 音が連なり、光の道筋を作る。
 主の霊力を感じ、三日月は手を伸ばした。あるはずのない身体がうっすらと描き出され、その手は鈴の音に触れた。
「石切丸…感謝する。主よ、その光を絶やさないでくれ。」




 中庭の植木も庭石も、切りつけられて無残な有様になっていた。
 敵は主に近付くために右へ左へとこちらの攻撃を掻い潜ろうとするが、結界の効果もあり主への直接の攻撃は出来ないようだった。
「お前さんたちは結界の中に入れ!」
「しかし…」
「邪魔だと言っているんだ!下がれ!」
 神楽堂の外を囲んでいた面々に、則宗はそう言って下がらせた。勿論それは彼らを折らせない為だ。
「いい加減、その刀を返せ!どこの誰だか知らんがその刀でうちの者を折るなど許さん!」
 激しい打ち合いで、則宗の身体に再び傷が付いていく。
「御前!下がってください!」
「まだ行ける!」
 今の本丸では一文字の練度が一番高い。極の短刀も数振り居るが、修行後の鍛錬があまり進んでいなかった。中身が違うとは言え、三日月相手に立ち回れる刀は少ない。元より、山鳥毛が本丸を守るのが己の役目だと感じているのと同じように、則宗もそう思っているのだ。
 息の合った連携で敵を翻弄する。傷ついているのはこちらばかりではない。三日月の身体にも少しずつではあるが傷が増えていった。
 にっかりは「三日月の身体を弱らせればなんとかできる」と言った。なら、出来れば中傷を負わせたい。
 南泉が何度目か隙を突いて懐に飛び込んだ。
 切りつけようとしたところで足を掬われる。
「にゃんこ!」
 即座に姫鶴が相手の刀を止めに出た。が、二人纏めて押し飛ばされた。
 山鳥毛と日光が即座に前に出て、二人が体勢を立て直す時間を作る。そこに横から則宗が打って出た。
「そら!」
 勢いよく中庭の端まで吹き飛ばし、追撃に迫る。
「行ける!」
 相手の刀を受け流し、そのまま片腕を狙って斬り付ける。則宗の刀を避けたその腕は刀から離れ、刀を持った方の腕は大きく振りかぶられた。その軌道を避けつつ、懐に入り込んで刀を水平に振り抜く、その瞬間。

 きく

 三日月が自分を呼んだと思い、則宗は刀を止めてしまった。
 驚きの表情で見上げると、敵は一歩下がりながら刀を勢いよく振り下ろした。
「御前!!」
 ピシッと嫌な音がして、同時にお守りが弾け飛んだ。
 則宗は足元に転がる庭石の欠片に足を取られ、そのまま倒れてしまう。それを追ってまた刀が迫った。
 皆が駆けつけようとするが今一歩届かない。

(僕は折られるのか…その刀に…)

(三日月…)

(ああ…綺麗な…刀だ…)

 目前に迫る刀をスローモーションのように見ていると、間に何かが立ち塞がった。
「菊よ、無茶をしてくれるな。おぬしを折ってしまったら、俺は悔やんでも悔やみ切れん。」
 その刀を止めたのは三日月だった。

 則宗を庇った三日月はうっすらと透けて見えた。
「三日月!」
「離れていてくれ。」
「御前!こちらに!」
 山鳥毛に促され、則宗は急いでその場から退く。
 霊体の三日月が持つ刀は淡く光って、どこかから光の筋が糸のように繋がっていた。それを視線で追うと、神楽を舞う主の鈴から出ているのがわかった。
 事態に気付いた石切丸が、先程までの祝詞を止めた。
「主、乱と秋田も、そのまま神楽をお願いします。私はあれを三日月の身体から引き剥がすからね。」
 二本の指を顔の前に立て、気を集中させる。
 三日月本人が対峙している今なら、身体を取り戻せるかもしれない。確信があるわけではないが、充分に可能性はある筈だと石切丸は踏んでいる。
 三人の鈴の音と石切丸の祝詞が、霊体の三日月が持つ刀に力を与えているようだった。
「その身体、返してもらおう。」
 三日月は、敵である己の身体を圧倒した。吹き飛ばし、転ばせ、追い詰める。
 石切丸とにっかりが側に駆けつけた。
 三日月が覇気を纏い、身体を乗っ取った相手を威圧する。それと同時に石切丸が印を切った。
「はあっ!」
 石切丸の後押しで、三日月は己の身体に溶け込むように入っていく。そして、中にいたものを追い出した。
 にっかりが笑った。
「さて、出番だね。任せてくれていいよ?」
 三日月の身体から抜け出た黒いモヤを、にっかりはあっさりと両断する。モヤはすぐに霧散した。
「…そうかい。でもまあ、うちの主は関係無いからねぇ。」
 にっかりは誰かと会話するようにそう言った。
「可哀想だったかい?」
 石切丸が尋ねると、にっかりは慈愛の笑みで頷く。
「祈ってやってくれるかな。」
「引き受けたよ。」
 主と呼ばれる誰かに恨みを持っていたその霊が、どこの誰なのかはにっかりにも分からない。しかし、虐げられた者たちだという事だけは理解していた。

「やれやれ。」
 安堵の溜息を吐いた三日月の胸に、則宗は飛び込むように抱きついた。
「この嘘つきめ!」
「はっはっは。約束を破ったことか?」
「相応の詫びを入れてくれるんだろうな。」
 抱きついたまま、三日月の顔を見上げて膨れてみせる。
 三日月はまた笑って、「わかった」と答えた。
「しかし、まずは手入れ部屋に行かせて貰えるか?自分でやったことだが、痛くてかなわん。」
 操られた身体を止めるために手加減無しに痛めつけた。その状態で戻ったせいで自分が痛い思いをしていることに、若干の理不尽を感じる。
「仕方ないな。付き添ってやる。」
 そう言った則宗も万全ではない。なにせお守りが発動したのだから。
 回りに急き立てられて、二人は手入れ部屋に向かった。



 次の日、主と共に数振りが政府に呼び出された。
 三日月は勿論のこと、捜索にあたった則宗と、元凶を斬ったにっかり、そして石切丸。
「三日月宗近は身体検査と事情聴取を。他の方も事情聴取にご協力いただきます。」
 言われるまま全てを終えると、係員がこそっと審神者に話しかけた。
「これは本来、お伝えしないものなのですが…」という前置きで聞かされたのは、この主の本丸と三日月が監視対象リストに入れられたということだった。
「監視レベルは一番下ですから、そう問題視されているわけではありませんが…そういうことなので今後お気をつけください。」
 則宗は呆れたように息を吐いた。
「今回の件は事故のようなものだろう。元より政府に刃向かう思想も持っていない。監視されなくちゃならない覚えは無いんだが。」
「ですから、監視レベルは一番下だと…」
「なら、僕がその役目を引き受けよう。掛け合ってくる。」
 スタスタとどこかへ向かった則宗は、半時ほどで戻ってきた。
「僕が監視役を仰せつかった。」
 定期的な報告を約束させられたものの、それ以外に課せられることはないと言う。
 則宗は交渉するにあたって、今回の件で調査にあたった部署の不甲斐なさとそれによる対処の不味さ、転送ゲートを閉じるという暴挙によって本丸が受けた被害(部隊を呼び戻せていたらもっと早くカタが付いたはずだ)の補償云々を並べ立てた。
「政府の調査機関はもっと働けるものだと思っていたのだが、と言ってやったら渋々認めたよ。初動の遅さは自覚があったらしい。」
 恐らく、本来話さないはずの監視対象リスト入りを伝えたのも、そういうことがあるからだろう。


 本丸はあちこち壊れて見るも無惨な状態だ。しばらくは修繕に時間を取られるだろう。
 三日月は気まずそうに笑った。
「…何というか…すまんなあ…」
「アンタがやったことじゃない。気にするな。」
「そうは言っても…」
「はいはい、お二人さん。手を動かしておくれよ。」
 則宗と三日月が喋っていると、横から次郎太刀が瓦礫を担いで邪魔そうに押しのけた。
「このあたしが飲まずにやってんだから、さっさと終わらせて酒に付き合えっての!」
「あはは。そうだなあ。」
「働いたあとの酒は美味いしな。」
「そうそう、明日も明後日も、仕事終わりは酒で締めるよお?三日月、付き合ってくれるだろ?」
 次郎太刀はそう言うと、返事も聞かずに行ってしまった。
 三日月はフフッと笑う。
「参ったな。約束が増えてしまった。」
「僕との約束を破った分の詫びも、忘れないでくれよ?」
「ああ、覚えているとも。何せ、政府の監視役に見張られているからな。」
 則宗の腰に手を回し、軽く抱き寄せると頬にキスをした。
「さあ、給料分は働くか。」
「そうしよう。」




fin.
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