みかのり短編

病めるときも健やかなるときも



「何故あの様なことを…」
 本丸に帰ると、三日月宗近は眉を顰めてそう言った。
 それに対して一文字則宗は怯む様子もない。
「うはは、すまんすまん。思いついたことをそのまま口に出してしまった。」
 三日月は、深いため息を吐いて背中を向けた。

「三日月、資材がそろそろ尽きそうなんだけど、遠征の頻度上げられないかな。」
 加州清光が書類とにらめっこをしている。
 ここは出来て一年足らずの弱小本丸。加えて、審神者が現世に仕事を持っているため、あまり寄りつかない状態だ。代わりに本丸を取り仕切っているのは近侍の三日月である。
「…近頃の出陣で怪我が多かったからな。わかった。しばらくは資材集めに専念しよう。」
 審神者の不在が続くと政府との繋がりが希薄になるため、本丸の運営は徐々に回らなくなっていく。それでもここが続いているのは、審神者が低頻度ながらも訪れたときに、あれこれ整えてくれるからだ。
「ねー、三日月?主、次はいつ来るって?」
「…また、ひと月先だろう。中々時間が無いようでな。」
 次の来訪の予定など知らせていったことが無い。そんな主を皆信じて待っている。
「りょーかい。…俺のこと、忘れてなきゃいいけど。」
 そこに高らかな笑い声が向けられた。
 そちらを見れば、一文字則宗が二人を冷めた視線で見ている。
「とんだ本丸に呼ばれたものだ。」
 また笑って去って行く彼の名を、三日月は叱責するように呼んだ。



 それから三ヶ月、主からの音沙汰が無かった。
 徐々に皆の覇気も弱まっていく。会議を開いても、もう諦めの声しか上がらない。暗い空気の中、一縷の望みを掛けて日々の仕事をこなす。口を開けば、この先どうなるのか、と言った話題しか出ない。
 そんなある日の夜、三日月が本丸内を見回っていると、展望の間に薄明かりが灯っていた。もう遅い時間だ。休むように声を掛けようと上がっていくと、そこに居たのは一文字則宗だった。
「やあ、三日月じゃないか。キミも一杯どうだい?」
 酒を飲んでいるらしい則宗に、三日月は顔を顰めて見せた。
「もう遅い。部屋に戻って休め。」
 則宗は笑う。
「なに。まだまだ宵の口。少しくらい付き合ってくれてもいいだろう?どうせ明日も出陣は無いんだ。」
「仕事ならいくらでもある。」
「僕らがやらなくったって間に合う。一度トコトン話したいと思っていたんだ。なあ、三日月。キミは僕に責任を取らなくちゃいけない筈だろう?」
 三日月はあからさまな溜息を吐いてみせながら、腰掛けた。
「責任とは聞き捨てならぬな。」
 ほら、と則宗はお猪口を渡して酒を注ぐ。
「とぼける気かい?…僕をここに呼んだのはキミだって話じゃないか。」
「それは…」
「違うとは言わせないぞ?主に進言したんだろう?僕を迎えるように。」
 主に少しでも本丸に留まってもらえるよう、三日月は心を砕いていた。だから、少しでも興味を引ける刀を、と考えてのことだった。
「…おぬしは価値のある刀だからな。主の目を引けると思ったのだ。」
「ハズレだったな。僕は主と一度しか言葉を交わしていない。それも、顕現から数日経ってからだ。迎えてくれたのは、キミだったよな。」
 いざ一文字則宗を迎えようというときに、主は現世に用事が出来たと帰って行った。顕現の迎えは三日月が託された。
「悪かったと思っている。…が、致し方ないことでもある。」
「で、呼んでおいてこの有様。どうなるんだろうな、この本丸は。…僕たちは。」
 どうなるのか。聞いた話によれば、主を失った本丸は霊力が枯渇し、いずれ朽ち果てるという。刀たちは力の弱い者から、姿を保てなくなるだろう。
 三日月は暗い気持ちで目を伏せる。
「…お互い、とんだ本丸に来てしまったな。」
 うはは、と則宗はいつものように笑った。
「この本丸は歪だ。そこにいる僕らも、歪なんだろう。」
「歪、か。」
「聞いてみたかったんだ。三日月、キミは自分を歪だと感じたことはあるかい?天下五剣一美しい刀であるキミは。」
 三日月は無言で酒を口に含んだ。
 ゆっくりと飲み込んで空を見る。
「そうさなあ…あの満月に憧れることは、ある。俺は三日月でしかないからな。あの丸い月には逆立ちをしてもなれない。上弦の名を持っていても、満つることはできぬのだ。満つることのない三日月。…歪だと言えるだろうな。」
 言ってまたクイッと酒を煽る。と、則宗がとっくりを差し出した。
「なるほど?…だからこそ、かな。だからこそ、美しい。」
 則宗がとっくりを傾けるに任せて、三日月は二杯目を受ける。そして一口含むと、それを置いてとっくりに手を伸ばした。
「手酌では味気なかろう。」
「すまないね。」
 三日月はフフッと笑った。
「どうしたんだい?」
「おぬしとこうして酒を酌み交わすことになるとはな。」
「僕は嫌われているからなぁ。」
「嫌っているのはおぬしの方だろう?」
 顕現以降、則宗は三日月を困らせることが多かった。他の一文字刀が居ないせいか、彼はどこか子供っぽく、鶴丸と組んで悪戯をすることもある。決まって三日月が居るところを狙った。演練でのこともそうだ。余所の本丸の同位体に失礼なことを言ったのは、自分に対する嫌がらせではなかったのかと三日月は疑っている。
 則宗は笑った。
「まさか。僕がこの姿を得て最初に見たのがキミだ。あの時、勿論すぐ分かったが、最初は主だと思ったんだ。なんて美しい人だろう、と。それを嫌うわけがないだろう?」
「おかしなことを。」
「冗談だと思っているのかい?僕のこの目には、あの日のキミが焼き付いている。この上なく、美しかった。その姿の造形も勿論だが、あの時のキミの顔と言ったら…」
 三日月はその時のことを思い出そうとするが、自分がどんな表情をしていたかなど覚えていない。
「俺の顔は、それほどまでに印象深かったのか?」
「ああ。物憂げで、…寂しそうだった。…今も同じだ。」
 ああ、そうだ、と三日月は思い返す。
 楽しみにしてくれていたはずの新しい刀の顕現を見ることもなく帰って行った主を、作り笑顔で見送った後だ。
 あの時も、捨てられた気がしたのだ。
 ぽろりと涙が零れた。
 ハッとして手で拭う。
 すると、則宗が拭ききれなかった涙を指でそっと拭いた。
「僕が…慰めてやろうか?」
「…何を…」
「ハグをするだけでも、心というのは落ち着くものだ。」
 そう言って身を寄せると、則宗は三日月の背に手を回した。
「…一文字…則宗…」
「ここはいずれ朽ちるのだろう?なら、好きなだけ泣いてしまえ。」
「…そう…だ、な…」
 三日月は抱きしめ返し、声を堪えて泣いた。
 朽ちてゆく。朽ちてゆく。それを止める術が自分たちにはないのだ。


 ひとしきり泣くと、やっと落ち着いて三日月は身体を離した。
「迷惑を掛けた。すまぬ。近侍がこのようではいかんな。」
 力なく笑って、涙を拭う。
「なに。僕とキミの秘密だ。問題ないさ。」
「そうか。」
「もうひとつ、秘密を作ってもいいんだが。」
 そう言って則宗は三日月の頬に触れた。
「もうひとつ?」
「夜を共に過ごさないかと言っている。」
 三日月は驚いて身体を引く。
「な、なにを馬鹿なことを。」
「馬鹿なことかい?」
「ふざけているのだろう?…でなければ、酔っているのだろう。」
 三日月がふいっと横を向くと、則宗の手はその頬に添えられ、クイッと向きを変えられた。
 少し低い位置から、則宗は吸い付くようなキスをする。ゆっくりと、優しく。
「これで少しは伝わったかい?」
「…一文字…」
「ずっと、気を引きたかったのに、本丸がこんなことになるまで言えずにいたなんて、馬鹿だな。」
 三日月の胸に顔をうずめるように、則宗は抱きついた。
「好きだ。好きだった。初めて見たあの日から。」
「…いち…」
「それは家名だ。」
「…則宗…と呼べば良いか?」
「菊でもいいぞ?どこぞの二人のように。」
「いや、それは、やめておこう。」
 今度は三日月からキスをして、包み込むように抱きしめた。
「…慰みものにする気はない。朽ちるまで、共に歩もう。」
「ふふ。ああ、朽ちるまで、だな。」
 いつまでこうしていられるかはわからない。それでも、最期を共に出来れば、幸せかもしれないと思えた。




 霊力の枯渇が危ぶまれる頃、突如主が本丸にやってきた。
「元気だったか?みんな。」
 何事も無かったかのようにそう言った主は、以前より血色が良く、明るい顔になっていた。
「ご無事のお戻り、喜ばしい限りだ。」
「悪かったな。仕事やめたり再就職先探したりで忙しくてな。」
 また現世での仕事を見つけたのであれば、本丸との関わり方は以前と変わらないだろう。それでも霊力さえ保たれるなら、朽ちる心配は無くなる。ひとまずは安心だと思っていると、主は意外なことを言った。
「で、なかなか仕事に就けなくて、ダメ元で政府に相談してみたんだ。そしたら、好待遇で雇ってくれるって言うからさ、もうこれしかないよなって。」
「これしか?」
「あ、えっと、だから、審神者専業になるってこと。もう部屋も引き払うことにしたから、荷物もここに運び込むからよろしくな。」
 それからしばらくは、主の部屋を整えるために掃除や荷物整理でバタバタと忙しかった。



「三日月?」
 共にのんびりと茶を飲みながら、則宗が呼びかけた。
「ん?」
「あれは、誓いだったよな?」
「ん?…あれ?とは?」
「僕たちは、共に朽ちるまでの誓いを立てただろう?」

朽ちるまで、共に歩もう

 三日月の頬に赤味が差す。
 それを楽しげに見つめて、則宗は続けた。
「あれは、婚儀と同じじゃないかと思ったんだが。」
「こ……それは、どう…だろう…」
「まさか!嘘だったのか!?」
 少し大げさに驚いてみせると、三日月は焦ったように答える。
「いや、嘘ではない!嘘ではないぞ!?」
「そうか。なら、僕らは夫婦みたいなものだな。」
「そ…そうなるのか?」
 気圧されながら、三日月は則宗に身を寄せる。
 則宗はコテンと頭を三日月に預けた。
「で、いつそういう関係になるんだ?」
 夜のことを言われたのが分かって、三日月は顔を赤く染めた。
「いや、…その…そのうち…な。」



fin.
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