みかのり短編

喧嘩



 ある朝、則宗は南泉を手招きで呼び寄せた。
「御前、どうかしたか?にゃ?」
 南泉がすぐ側まで軽く駆け寄ると、則宗は無言で二つ折りにした紙切れを差し出した。
「?」
 何やら不機嫌な空気を読み取って、南泉がその紙切れを開けようとするとそれは手で覆い隠された。
「そのまま三日月に届けてくれ。」
「了解だにゃ…けど、今日は三日月のところに行かない?にゃ?」
 則宗は返事をせずに、プイッと横を向いた。
 そう言えば、と南泉は昨日の夜のことを思い出す。
 特に何を言ったわけでもないが、昨晩、則宗は機嫌が悪そうだった。口数が少なく、あまり身内の話にも乗らず、早々に寝てしまった。
「届けてくる、にゃ。」



 三日月は南泉から紙切れを受け取ると、それを開いて一瞬固まった。
「…南泉、返事を書くから少々待ってくれるか。」
「わかったにゃ。」
 座卓から一歩引いたところに座り、三日月が手紙を書くのを待つ。
 見れば三日月は筆を手に取ったり置いたり、なかなか書き始めなかった。何度か則宗からの紙切れを見直している。その度に沈んだ表情になっていた。
「…御前と喧嘩でもしたのか?…にゃ?」
 三日月は力なく笑って、「実は」と口を開いた。
「菊が大事に置いていた菓子をうっかり食べてしまってな…。いや、俺が悪いのは分かっているのだが、どう謝ればいいかと考えあぐねているのだ…。」
 紙切れにはこう書かれていた。

龍神のぎょくを奪いし不埒者ふらちものに さかうろこはいまだ戻らず

 逆鱗げきりんに触れてしまったとなると、簡単には許して貰えそうにない。書かれた紙は真っ白な本当に素っ気ないもので、しかも二つ折りにしただけ、という雑な手紙だ。怒りは相当だろうと思われた。
 しかし、南泉は「なーんだ」と呆れた風だ。
「食いもんの恨みは恐ろしいって言うけど、菓子のひとつやふたつ食べられたぐらいならすぐに機嫌直るんじゃないかにゃ。」
「…だと良いのだが…」
 またしばらく考えて、三日月は筆を手に取った。

おのが罪の つたなしさまを悔やむ夜半よわ おじぎそうにこの身をやつせば

 模様が付いた綺麗な和紙にしたためて、丁寧に畳んで小さな花を添えた。
「これを届けてくれるか?」
「わかったにゃ。」



 南泉から手紙を受け取った則宗は一応穏やかな反応だった。呆れたような溜息を吐き、読み終えた手紙を畳む。
 南泉は「御前の気持ちも分かるけど」と困ったような笑みを見せた。
「うっかりは誰でもあることだし、にゃ、許してやってもいいんじゃないかにゃ。」
 それを聞いて則宗は目を見開いた。
「…うっかり?」
「にゃ?」
「南泉、三日月はうっかりと言ったのか?」
 何か言ってはいけないことを言ったかと焦りながら、嘘は吐いていないのだし、と肯定の返事をする。
「ほほう?うっかりか。なるほど。」
 突然、則宗は手紙をビリビリと破り捨てた。怒りにまかせて破ったため、辺りに散らかる。
「出かける。南泉、付いてこい。」
「…き、今日は不動と浦島と一緒に釣りに行く予定…にゃ…」
「それはいい。僕も付き合おう。」
 特に行き先が無かった則宗は、南泉に付いていくことにした。



 昼が過ぎても則宗からの音沙汰がないことに不安を覚えた三日月は、一文字の棟に顔を出した。
「すまぬ。菊はいるか?」
 入り口で声を掛けると、姫鶴が顔を出す。
「御前、出かけたよー…喧嘩してるって?」
「…喧嘩…喧嘩か。そうか。…謝りはしたのだが…。」
 そう言って気を落としている。
 そこに山鳥毛が奥から姫鶴を呼んだ。
「姫鶴、こんなものが落ちていたのだが、心当たりは…ああ、三日月殿、来ていたのか。すまない。」
 出てきて三日月に気付き、軽く頭を下げる。
 三日月は気にしなくていいと返そうとしたが、山鳥毛の手にあるものを見てハッとした。
「そ…それは…」
「ん?破れた紙だが、どうかしたのか?」
「あー、まだ落ちてた?御前が破いてた。全部拾ったつもりだったんだけど、まだあったか。」
 則宗がそれを破ったとき、姫鶴は丁度部屋から出てきたところだった。不機嫌なことは知っていたから、本人に聞くのは躊躇われ、詳細は把握していない。
 姫鶴が捨てるために受け取ると、三日月が手を差し出した。
「見せてくれるか。」
「ん?どぞ?」
 手に取ってみると、やはり自分が言付けた手紙に使った和紙だった。
「…菊が…破っていたというのは本当か?」
「ん。丁度破り捨てるところを見たから、間違いないけど?」
 そうか、と三日月は一層肩を落とす。
「邪魔をしたな…」
 紙の切れ端を手に持ったまま、三日月は帰って行った。
 姫鶴は驚いたような様子で自分の手で口を覆っている。
「姫鶴、どうした?三日月も…どうかしたのだろうか。」
「お…」
「姫鶴?」
「おっもしれー。」



 三日月が三条に帰ると、共有スペースになっている部屋で今剣と小狐丸が寛いでいた。
「…少々相談があるのだが…」
 三日月が相談などというのは珍しかった。二人は顔を見合わせて、居住まいを正した。
 話を聞いてみると、則宗のお菓子をひとつ食べたのだという。それだけでそんなに悩むほどあちらが怒っているということを不思議に思いながら、今剣が言った。
「食べてしまったのなら、同じものを買ってかえしたらいいんじゃないですか?」
「それが、…限定品で、もう二度と同じものは手に入らないというのだ。」
「菊さん、ひとつも食べてないんですか?」
「ひとつしか買えなかったらしくてな…」
 今剣は急に真顔になって立ち上がった。
「…それは、ずいぶんとひどうな行いをしましたね。」
「限定品だということは知らなかったのだ。俺もきちんと返そうと思っていたのだぞ?」
 小狐丸も立ち上がって、今剣を促す。
「馬鹿馬鹿しいですね。放っておきましょう。どうせ三日月はちょっと悪戯をするつもりで『このくらいなら許される』と思って食べたのでしょう?自業自得です。」
「ですね。」
「二人とも、そんな見放すようなことを言わないでくれ…。どうすれば菊の機嫌を直せるか分からないのだ…。俺の手紙を破り捨てたらしくてな、もう、取り付く島もない…」
 心底落ち込んでいる様子に少しだけ後ろ髪を引かれ、二人はチラッと三日月に視線を向けたが、難しい顔をして何も言わずに行ってしまった。



「えー!?限定品だったの!?それは悔しいよね。」
「だろう!?僕がわざわざ並んで買ってきたというのに!」
 釣り糸を垂らしてから、則宗はずっと三日月に菓子を取られてしまったことを話していた。次第にヒートアップして煩くなっているため、一向に魚は釣れていない。
 南泉は片手を顔の前に立てて、浦島に「ごめん」という身振りをした。
 浦島はニッと笑って、「気にしないで」と手を振る。
「やっと買った一個だったのに…僕は、ちゃんと分けてやるつもりだったんだぞ!?それをアイツときたら!」
「三日月、そういうとこあるよな。菓子は全部自分が食べていいものだと思ってる。」
 不動が言うと、浦島は苦笑いをした。
「あー、あれ、どっちかというと食べられちゃった人の反応見て楽しんでるんじゃないかな。前にも山姥切さんのお菓子食べちゃったけど、ちゃんと返してたよ。それに、相手を選んでる。」
「愉快犯にゃ…質が悪いにゃ…。」
「限定品に手を出したとなると、鶴丸の悪戯が可愛く見えるよな。」
「わかる。鶴丸さんのは笑って済ませられるよね。」
 三人の会話を聞いて、則宗は申し訳ない気持ちになってしまった。
「…アイツ…そんなことしてるのか…」
 浦島が慌てて取り繕う。
「あ、たまに、だよ。俺が知ってる限りでは…二回くらい?」
「いや、十回くらいは行ってるだろ。顕現してからもう一年経つんだから。」
「月一だにゃ…」
「…僕から注意しておこう…」
「則宗さんが気にすることないよ。則宗さんだって被害者なんだから。」
 恋仲だからこその行動かと思っていたが、以前からの悪癖だと知って則宗は頭を抱えた。



 三日月はひとり、部屋で項垂れていた。
 座卓の上には、書いてはくしゃくしゃと丸めた手紙がいくつも転がっている。破かれた手紙は、中を読んでくれたのだろうか。それとも読まずに破いたのだろうか。何度手紙を書いても読んで貰えないのではないかと思うと、手紙をしたためるのも怖くなってしまった。
 小狐丸が言った通り、ちょっとした悪戯のつもりで、則宗なら許してくれるだろうという勝手な予想のもとやったことだ。実際これまでも似たようなことはあって、その度に許して貰っていた。今回も限定品でなければそうなっていただろう。
「…愛想を尽かされただろうか…」
 嫌われてしまったかも知れない、と思うとどんよりとした気分になる。
 ぐるぐると答えのない迷路の中にいるような気がして、三日月はコテンと寝転がった。
「みーかづき!」
 ガラッと障子が開いて、今剣が入ってきた。
「いいもの持ってきましたよ!」
 今剣の手には一枚の紙があった。掲示板に貼るような派手な色使いがしてある。
「…なんだ?いいものとは。」
 あまり乗り気ではないながら、無視するわけにも行かず、三日月は起き上がった。
「限定品には限定品です。これ、見てください。」
 それはどこかの和菓子屋のチラシだった。
「三日月が食べてしまったものとはちがうでしょうが、これもかちのある限定品です。これを買ってきて、菊さんにあげたらどうですか?」
 まだ一週間も期限がある。これなら手に入るだろう。三日月は慌てて出かける準備を始めた。
「今剣よ。感謝する。」
 今剣は、ふふん、と得意げに笑って、「小狐丸にもかんしゃしてくださいね。」と言った。
「小狐丸が、じまんの毛並みを使ってあるじさまにじょうほうをおねだりしてくれたんですよ。それであるじさまが調べてくれたんです。」
「そうか。必ず礼をする。では、行ってくるぞ。」
「はい、いってらっしゃい。」



 帰ってきた三日月はまた落ち込んでいた。
 限定品は一日二百個。開店早々に売り切れるらしく、夕方には跡形も無かった。
「みかづき!あしたも行けばいいんですよ!」
「…そう、だな。明日も行ってみよう。」
 ところが、次の日も限定品は買えなかった。
 開店直後に行ったというのに、配られた整理券は五十番。三日月の順番がくるずっと前の番号で売り切れてしまった。
 事情を知った主が、仕方なくまた調べてくれた。
「私はそういうの行ったことないからさー、よく知らないんだけど…」
 ネットで検索を掛けると、いくつか情報が出てきた。
「あ、あったあった。一時間前には整理券をもらうための列が出来てるって。…二時間前に行けば買えるんじゃない?」
 限定品を手に入れる労力を知り、ゲンナリとしながらも明日こそはと思い直す。



 則宗はというと、三日月が連絡をよこさない間、また気を揉んでいた。
 まさかもう許しを請う気もなくなってしまったのではないか。
「気になるなら会いに行けば?」
 姫鶴がそう言ったが、それでは三日月が反省する前に許してしまうことになるからと頑なに会いに行かなかった。
 そして数日後。
 どこかの店のロゴが入った小さな手提げを持って、三日月はやってきた。
 玄関先で顔を合わせた二人は、互いに気まずそうに視線を逸らした。
「菊…先日は…申し訳ないことをした。どうか、許してほしい。…それでな、これは、別の店のものなのだが、とても人気の店だと言うからきっと美味しいはずだ。それに、今だけのものらしくてな、特別なものだ。皆で食べてくれ。」
 そう言って手提げごと渡すと、来た道を帰ろうとする。
「…もう、行くのか?」
「ああ、今日は…謝りに来ただけだ。…その…もし気が向いたら、また一緒に茶でも飲もう。」
 力なく笑った三日月の顔は、いつかの寂しげなものだった。


 則宗が居間に戻って手提げから菓子を出してみると、丁度人数分入っていた。
「ラッキー。貰っていいんだよね?」
「お茶入れるにゃ。」
 おやつ時なこともあって、当たり前のように山鳥毛たちも来て飲み物の準備を始める。
「…僕のお茶はいらないぞ。」
 そう言って則宗は立ち上がった。
「どこかに行かれるので?」
「ああ、茶飲み友達のところに。」
 自分の分のお菓子を手に取ると、それをポケットに入れた。
「…一個でいいの?」
 姫鶴が気にしてそう聞く。則宗はニッと笑った。
「一個がいいんだ。」



 三日月のところに行くと、則宗は言った。
「さっき美味しそうなお菓子が手に入ったんだが、一緒にどうだい?」



fin.
13/15ページ
スキ