弊本丸の日常

誕生日


「あ…」
 審神者が何かに気付いたような声を漏らすと、側に居た短刀たちがわらわらと集まってくる。
「どうかなさったんですか?」
 彼らの主が見ているのは日めくりだった。
「今日、何かあるんですか?」
「何の日だっけ?」
「記念日ではない気がするけど…」
 口々に言う短刀たちに、審神者は笑って返した。
「別に何もないよ。」
「そうなんですか?」
 何もないなら何故声が出たんだろう、と不思議に思っていると、主は独り言のように呟く。
「私の誕生日だなって思っただけ。」
 途端、廊下に近かった短刀が数人、ドタドタドタっと走り出て行き、驚いた審神者が振り返った。
「…今日はなんだか元気だねぇ。」



「燭台切さん!!一大事です!!」
 あさげの片付けをしていた燭台切を見つけた秋田藤四郎が、駆けてきた勢いのまま詰め寄った。
「どうしたんだい?そんなに慌てて。」
「今日!主君の誕生日なんです!」
 一瞬ポカンとした燭台切だったが、ハッとして手に持っていた食器を取り落としそうになった。
「本当かい!?」
「本当です!」
 そこに洗い桶を持った歌仙がやってくる。
「なんだい、騒々しい。」
「歌仙さんも聞いてください。大変なんです!」
 主の誕生日だと聞くと歌仙も唖然とし、バタバタと厨の中を見回りだした。
「燭台切、祝い膳、出来るかい?」
「ゆうげまでに買い足せる食材で…出来なくはないと思うけど…」
 祝い膳というからには特別感が欲しいところだが、今日いきなり豪華な食材を調達するのはかなり難しい。少し質素な祝い膳になってしまうだろう。
「何でいきなり今日なんだ!?誰が言い出したんだい!」
 事前に準備出来なかったことに腹を立て、歌仙が叱責するように言う。
「みんな知らなかったんです…。さっき主君がご自分で今日が誕生日だと。」
 言ったのが主なら何も言えない、と歌仙が唸った。
「…主の好物、思いつくだけ言ってくれ。」
「みんなにも聞いてきます!」
 秋田藤四郎は主の好物調べに走り出した。



 審神者が第一部隊を呼び出し、今日は演練をみっちりやると告げる。
「最近、強い人が多くて。キミたちばかり連戦で悪いけど、よろしくね。負けるのも経験だから、気楽に行こう。」
 負けてもいいなどと、およそ指揮者の言葉には相応しくない文言に最初の頃は苦笑する者も多かったが、主が平和な環境で育ったことと、競うことすら嫌う性分だと知ると、皆そういうものかと納得するようになっていた。
 とは言え、今日はそういうわけにいかない。
 隊長の三日月宗近が、審神者に届かないように小声で言う。
「皆よ、わかっているな。」
「ああ、ひとつでも多く、勝利を主に。」
 長曽祢虎徹が答えたのを皮切りに、他の面々も拳を握る。
「気合い入れるよ?」
「もちろんだ。」
「っっし!」
「やるぞ!」


 ここのところ演練相手として名が挙がる部隊は同格の相手でも経験の差があり、勝つのが難しくなっていた。
 この本丸はまだ出来て二ヶ月ほど。運良く数人を修行に出すことは出来たが、圧倒的に経験が足りていなかった。
「なんとか二勝…。」
 ギリギリの勝ち、辛勝といったところだ。
「あと一勝ほしい。」
 ところが続く二戦は手も足も出ず、あっさりと負けてしまった。
 最後の一戦は。
 かなり格上の相手だ。
 全員が弱音を吐きたくなるのをこらえつつ、配置につく。

 戦闘が見渡せる場所で、審神者は相手方の審神者と並んで座っていた。
「…あの、よろしくお願いします。」
「ああ、よろしく。」
 気後れしておずおずと挨拶をすると、先方は堂々とした風だった。

 始まりの合図と供に、両陣が動き出す。開始数秒、ひとりが無力化され、次々に討ち取られていく。
 勝てるとは思ってはいないが、それでも審神者は祈るように胸の前で手を組み、ジッと見つめる。
 頼みの綱の三日月も圧されて傷を負っていた。無傷なのは次郎太刀ひとり。
 相手方の太刀が狙いを定めて刀を向ける。その太刀めがけて、三日月が迫った。
「本気で行かせてもらう。」

 ほう、と先方の審神者が息を吐いた。
「真剣必殺か。やるね。」
「真剣必殺…」
「見るの初めてかい?」
「三日月がやったのは初めてです。」
「良かったじゃないか。」
「はい。」
 一人を討ち取ったものの、負けは避けられない。次の一手で終わりだろう、と思っていると、三日月は相手の隊長に何やら言っていた。

「一騎打ちを申し込みたい。」
 相手はふっと笑った。
「ボロボロじゃねーか。意地か?」
「ああ、意地だ。こちらはもう負けが見えているのでな。賭けに出ようというわけだ。」
 ハハッと声を立てて笑い、いいぜ、と返す隊長。
「このまま勝っても面白みがないからな。受けてやるよ。」

「あの!すみません!」
 審神者が先方に小声で尋ねる。
「一騎打ちって何ですか?」
「おや、見たことないのかい? ほら、あの二人がこれから戦って、それで勝敗を決めるんだ。」
 え、でも、と困ったような声を出す。
「ウチ殆ど負けてますけど…。」
「関係ないよ。あの二人の勝負で決まる。」
 審神者は混乱しながら「え?アリ?」と声を漏らし、先方の審神者も「ああ、アリだ。」と答えた。
「…あの、でも、私はそんなに勝ちにこだわりが無いんですが…。」
「アンタになくても、あの子たちにはあるんだろうさ、矜持が。見守っておやり。」
 あの子たちの矜持、と言われて審神者はハッとする。今まで考えたことがなかった。
 胸の前で組む手にぐっと力を入れた。


 勝敗は一瞬で決した。
 三日月は相手の刀を弾き飛ばし、喉元に切っ先を突きつけた。
「ま…まいった…」


「おめでとう。褒めておやりよ?」
「は、はい!」
 戻ってきた刀剣たちに小走りで駆け寄り、審神者は「すごい!えらい!」と子供を褒めるような言葉を掛けている。
 先方はそれを見てフフっと笑うと、自陣の隊長を見下ろした。
「手負いだと侮ったね?」
「申し訳ありません。」
「まあいい。これも経験だ。」

 三日月は主の目の前まで進むと、片膝を付いて恭しく頭を下げた。他の刀剣もそれに倣う。
「主よ、今日の勝利をあなたに。誕生日おめでとうございます。」
 おめでとうございます、と皆が復唱した。
「え!?なんで!?知ってるの!?」
 先方にも聞こえていたようで、あちらの審神者が高らかに笑った。
「そういうことかい。負けられない訳だ。」
 言われてそちらを振り向くと、「言ったろう?矜持があると。」と彼女は口角を上げた。
 審神者は恥ずかしそうに笑って、はい、と頷く。
「あの、胸を貸していただいてありがとうございました。」
「いや、こちらもいい経験をさせてもらった。それに、極め三日月の真剣必殺のご相伴にあずかって光栄だったよ。」
 またどこかで、と言い置いて去って行く。
 その主の後を追う刀剣たちの一人、三日月に負けた隊長が足を止めて振り返った。
「次は負けねえ。」と三日月を指さす。
 三日月は立ち上がって一礼すると応えた。
「次にまでに、手応えのある部隊になると約束しよう。」
 あちらは笑って拳を向けてから、己の主を追いかけた。





 時は少し戻り、主が第一部隊と供に演練に出かけた頃、厨では祝い膳について話し合いの真っ只中だった。
「主は魚より肉だよね。あと揚げ物が好きなはず。」
「お寿司も好きですよ。」
「あと卵!」
 材料さえ手に入れば寿司はいいように思われたが、鮮魚が都合良く売っているかというと怪しい。
「一番入手しやすいのは鶏肉かな。確か鶏肉も好きだったよね。」
「牛肉より鶏肉だった気がするので、いいんじゃないでしょうか。」
「野菜は季節のものがそれなりにあるし、彩りはいい感じに出来るんじゃないかな。」
 歌仙が思いつく献立を書き付けていく。
「主菜は鶏の照り焼きでいいだろうか。」
「唐揚げという手もあるけど…」
 別の案を挙げた燭台切を一瞥し、歌仙は「却下」とだけ言った。
「雅じゃないかい?」
「分かっているじゃないか。」
 やれやれ、と燭台切は肩をすぼめ、照り焼きに同意する。
「甘味はどうする?」
「主、けえきが好きですよね。」
 燭台切がうーんと難しい顔をした。
「ケーキ…、主の好きなケーキは確かクリームで飾り付けてあるやつだよね…」
「そう!あれにしよう!」
「あれはねぇ…材料が揃わないと思う。乳製品だからね。日持ちしない上に作ろうと思って簡単に作れるものじゃないんだ。今日突然というわけにはいかないかな。」
 彼らの買い出し先は殆どが和食寄りで、洋食の材料はあまり売っていない。店先に並ばない商品は注文するしかないのだ。
「けえきがダメなら…寒天のお菓子とか。果物が入ってるの。蜜柑が好きなはず。」
「寒天はあるけど、蜜柑には少し時期が早いなあ…。…でも、いいね。他の果物使ってもいいし。」
 ひととおり作る物が決まり、買い出しやら下ごしらえやら各々が出来ることを始める。
「ゆうげに間に合わせるぞ。」
「ああ。」
 すると五虎退がもじもじと何か言いたそうにしている。
「どうかしたかい?」
 燭台切の問いかけに「あの、」と意を決したように言った。
「今回揃える材料で、あるじさまの大好物を作れるんですけど…。」
「え、それはいいね。どうして言ってくれなかったんだい?」
「その…祝い膳には少し向かない気がしたので。」
「言ってみてよ。案は多い方がいいじゃないか。」
 燭台切に促され、五虎退は一呼吸置いて答えた。
「前に『親子どんぶり』っていう料理作ったでしょう?あるじさまに教えてもらって。あれが大好物だったはずです。」
 燭台切はその時のことを思い出して「いいね」と言いかけたが、即座に歌仙が「却下」と拒否した。
「えー!?どうしてですか!」
「キミもさっき言ったじゃないか。祝い膳には向かない。」
「でも!大好物ですよ!?絶対喜んでくれます!」
「じゃあ、主がお茶漬けを好んだら、祝い膳にお茶漬けを出すつもりかい?」
「…そ、それは…でも、親子どんぶりならいいじゃないですか。」
「雅じゃない。」
「雅とあるじさまの喜ぶ顔、どっちが大事なんですか!」
 珍しく五虎退が強く出たが、歌仙は取り付く島もない様子だ。
 また燭台切が肩をすぼめた。
「歌仙くんはご飯につゆモノを掛けるの嫌うよね。味噌汁を掛けたり、煮汁を掛けたり」
「みっともないだろう、アレは。」
「アレはね。でも親子どんぶりは料理だよ。ご飯に掛かってる状態が完成形なんだから、みっともなくないだろう?」
「でも、祝い膳にはならない。お祝いするなら、美しくあるべきだ。」
 でも、と五虎退が割って入った。
「だって、今挙がってる献立に、あるじさまの大好物はひとつも無いんですよ?全部ほどほどに好きだろうって料理ばっかりじゃないですか!誕生日なのに、大好物食べさせてあげないんですか!?」
 そう言えば、主が好きな料理を揃えるつもりで案を出し合ったのに、材料入手の問題で大好物と呼べる料理はことごとく外れてしまっていた。
「そ…それは…」
 歌仙は返答に困って下ごしらえの手を止めた。
 ふん、と燭台切が息を吐いて少し考えてから「どうだろう」と提案する。
「祝い膳とは別に、小鉢でお出しするのは? 小さい器ならそれほど全体の雰囲気を壊さないんじゃないかな?」
「小さい器…寂しくないですか?」
「普通のどんぶりで出してしまったら、きっとそれ一杯でお腹が膨れてしまうよ。他の料理にも手を付けて欲しいじゃないか。」
 確かに、と五虎退が納得していると、歌仙が気に食わない風にうなり声を出した。
「あー、もう!雅な器にしてくれよ!」
 それが了承だと分かり、燭台切と五虎退は顔を見合わせて苦笑した。




 祝い膳が運ばれて目の前に置かれると、主は声とも息ともつかない音を漏らした。
「…すごい。綺麗。飾り切りがいっぱい!大変だったでしょう?」
「みんなで準備したから、それほどでもなかったよ。はい、主、これも美味しく出来たよ。」
 燭台切が小鉢に盛り付けられた親子どんぶりを差し出した。
「わあ!美味しそう!」
「少し少ないけど、今度また作るから今日はこれで我慢してくれると嬉しいな。」
「ううん、お料理いっぱいだから充分だよ。ありがとう!」
 どの料理も気に入った様子であれこれ手を付けては感嘆の声を上げる主に、皆も満足してホッと胸を撫で下ろした。


 デザートを食べ終えたところに、歌仙がお茶を持ってくる。
「今日のゆうげは雅だったね。」
 主の言葉に歌仙は「僕が担当したからね。」と得意げに返した。
「そう言えば…」
 主の何やら思い出した様子に歌仙は首をかしげる。
「何か気になることでも?」
「あのさ、歌仙、『ご相伴にあずかる』って食べ物をごちそうになった時に言う言葉だよね?」
 突然言葉の使い方を聞かれ、主がどうしてそれを気にしているのかが分からないまま取り敢えず答える。
「主客とご一緒してもてなしを受ける、という意味ですから、食べ物とは限りませんよ?」
「そっか…。」
「どうかされましたか?」
「今日演練で対戦した相手の審神者さんに言われたんだけど意味がわからなくて。」
 そこまで言ったところで近くに居た三日月がむせたように咳をした。
「…コホン…主よ、その話は後で。」
「どんなことを言われたんだい?」
 話を終わらせようとしているのを感じて、歌仙はあえて聞いた。
「えっとね、」
「主、歌仙に尋ねることでもなかろう。」
「是非聞きたいんだが。」
「別段面白い話でもないぞ、歌仙。」
「僕は鶴丸と違って面白いことを追い求めている訳でもないよ。」
「えっとね。『極め三日月の真剣必殺のご相伴にあずかって光栄だった』って。」
 二人のやりとりを全く聞いていない様子で、主は昼間言われたことをそのまま口に出した。
「言われたときは『真剣必殺を見れて嬉しかった』とかそういう意味だと思ってたんだけど、もしかして含みがあるのかなと思って。嫌味を言うような人ではないと思うんだけど、気になっちゃって。」
 どう思う?と尋ねられ、歌仙は口元を拳で隠した。
 どう答えるべきか。
 逡巡してる間に、話を聞いていたらしいにっかり青江が「主、」と声を掛けた。
「それは、三日月のはだ…」
「わー!!」
 へし切り長谷部がにっかりの口を押さえて廊下に連れ出す。
 無理矢理連れて行かれるにっかりをポカンと見て、主は「ねえ、にっかりと長谷部は喧嘩してるの?」とあらぬ心配をしていた。


「貴様!主に何を言おうとした!」
 長谷部の問いににっかりは事もなげに答える。
「何って『三日月の裸ごちそうさまでしたって意味だよ』って教えてあげようと」
「言うな!絶対に言うなよ!?言ったら斬る!」
 え~?とにっかりは不服そうにしている。
「教えてあげた方がいいと思うな。知らないままだと他の本丸の真剣必殺見たときに主がそのまま言っちゃうかもよ?」
「う…それは…」
「困るでしょ?」



 コホンと三日月がもう一度咳払いをして、主よ、と呼びかける。
「最初に思った通り、見られて嬉しい、という意味でいいのではないか? 独特な言い回しを好むお方なのだろう。」
「そっか…。歌仙もそう思う?」
「そう…ですね。少なくとも、嫌味に当たるような意味合いは入ってない気がします。」
「そっか、良かった。」
 笑顔になった審神者は続けた。
「素敵な人だったんだ~。とっても綺麗で凜としてて。あんなふうになりたいな~」
 三日月と歌仙に緊張が走った。
「…主よ、憧れるのは良いが、言葉は真似ない方が良いぞ?」
「…主には主の良さがあるからね。人の真似をしてしまうとその良さが失われることになる。」
 キョトンとして「わかった」と答えた主は、少し腑に落ちない様子だった。




 その後、審神者たちの間で真剣必殺を見たときの決まり文句として「ご相伴にあずかる」が流行ってしまい、刀剣たちが羞恥に悶えることになったとかならなかったとか。




fin.
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