みかのり短編

続きは明日の夜に



 誰かが走っている足音が聞こえる。
 まだ早朝。起きるには早いと判断して、三日月は薄目を開けただけで、また眠りに落ちようとしていた。
 うつらうつらとしながら、あれは誰の足音だろう、と考える。今剣だろうか、いや、今剣はもっと軽やかに走る。もっと身体が大きい、誰かが…近付いてくる…。
 そこでやっと、こんな早朝に足音を忍ばせずに走ってくることの異常さに気付いた。三日月は慌てて起き上がり、ふすまを開ける。
 同時に縁側に面した障子が外から開かれた。
「菊…。どうした。何かあったのか。」
 見れば、則宗の目からはぽろぽろと大粒の涙が零れている。
「三日月…」
 相手の名前を呟くように呼んで、則宗は三日月の寝間着に縋った。
「どうしたのだ?こんな朝早くに会いに来てくれたのか?」
 三日月は片腕で則宗の身体を包むように抱き寄せ、障子を閉める。そのままそこに座らせようかとも思ったが、泣き濡れている今、なるべく人目には付かない方がいいだろうと、ねやに連れて行き、布団の上に座らせた。
「怖い夢でも見たのか?」
 冗談めかして言ってみると、則宗は頷いた。
「…アンタが…いなくなる夢を、見た…」
 少し前、まことしやかに囁かれている三日月宗近についての話を調べていた。あの時、則宗は「この本丸には関係無い」と笑っていたが、それは強がりだったのかもしれない。
 三日月は抱きしめて頭を撫でる。
「心配せずとも、ここに居るぞ。おぬしが捕まえてくれているからな。」
「ああ。捕まえにきた。」
「ふふ。俺は信用されていないからなぁ。」
 涙の通り道に唇を当て、チュッと音を立てた。
「いつもの睫毛も綺麗だが、本当に泣き濡れているのもまた良いな。…とはいえ、そんなに泣いては目が腫れてしまうぞ?」
 そう言って瞼にも口付けた。
 則宗は少し避けるようにしながら、仕方ないだろう、と言った。
「勝手に出てくるんだ。」
「ふむ。困ったな。これでは俺が姫鶴に怒られてしまう。」
 依然涙が流れ出る目の端に手ぬぐいを添えながら、三日月はどうしようかと思案する。
「…姫鶴に?」
「ああ。アヤツに釘を刺されたからな。御前を泣かせたらただじゃ置かない、と。」
「そんなことを…す、すまない。」
「菊が謝ることはないぞ? 要は、俺がその涙を止められれば良いのだから。」
 瞼に、頬に、唇に、口づけを施していくが、涙は止まりそうになかった。
「そんなに心配してくれているのか?俺は果報者だな。」
「心配に決まっている…歪な僕を…心の隙間を…埋めてくれる月だ…」
 そう言うと涙はさらに溢れ出てくる。
 その涙を、肌を擦らないように丁寧に拭き取りながら、三日月は「そういえば」と思い出して言った。
「三日月を余所の国の言葉でクレセントと言うらしいのだが、クレセントという言葉は錠のことも言うらしい。三日月の形をしていて、隙間に入り込んで鍵を掛けるのだとか。俺は菊の心の鍵になるのやも知れぬな。」
 則宗は三日月に抱きついて嗚咽を漏らした。
「…すまぬ。余計に泣かせてしまったな。…俺がずっと側にいると言ったところで、信用が無ければ意味はないのだし、さて、どうしたものか。」
 面白い話のひとつも出来ればいいが、と考えて、それは違うか、とまた思案する。面白い話より、安心できる話が相応しいだろう。
 しばらく考えて、ひとつ思いついたことを言ってみる。
「菊。明日の約束をしようではないか。」
「明日?」
「ああ、そして明日になったらその次の日の約束をする。それを繰り返せば、俺は明日の約束のためにずっとここに居るぞ?」
 何度か目をしばたたかせて、則宗は三日月の顔を見上げた。
「明日の…約束…」
「ああ。さて、まずは何を約束しようか。何がしたい?何でも良いぞ?」
 則宗は三日月が持っている手ぬぐいを受け取ってグッと目に押し当て、顔を上げると笑顔を見せた。
「話がしたい。」
「どんな話だ?」
「何でも。」
「そうだな、互いの昔の主の話でもしようか。」
「ああ。それがいい。きっと一晩じゃ語り尽くせない。」
 話の途中で途切れても、続きは明日聞けばいいのだから。




fin.
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