刀剣乱舞

狂気の狭間



 その日、鶴丸は主のお伴として政府施設を訪れていた。
「じゃあ、鶴丸、暇を潰して待っててくれよ。…街には出ないように!物を壊さないように!穴を掘らないように!」
 彼の主はピシッと言い置くと、呼び出された部署に入っていった。
 ニッコリ笑って手を振って、探索に出かける。
 ここに来たのは初めてではないが、大抵の場合、主とずっと一緒に居るために自由に散策をするわけにはいかなかった。
 政府施設は小さな街ほどの広さがある。店もあり、任務や生活に必要なものなら大体揃えることが出来た。無いのは娯楽施設や流行の飲食店、カジュアルなファッションの店など。だから、政府に用事があるとき、つまり仕事で訪れたときに外の街まで行くことはあまりなかった。
 今日は何やら難しい話があるらしく、しかもどうも刀剣たちには聞かせたくないようで、参加は審神者のみとのことだ。
「折角だ。くまなく回るか。」
 店が並んでいる通りは勿論、ひとけのない細い道もあちこち見て回った。
 そしてある細い道を進んでいたときだった。
 目の前の立て看板に足を止め、腕組みをして眉間にしわを寄せた。
「なになに?関係者以外立ち入り禁止?…俺は…刀剣だから関係者って言えるんじゃないか?」
 看板には、何やら長ったらしい部署名と、その責任者の名前が書いてあった。
「…研究所…」
 とても心惹かれる。
 が、研究所の関係者で無いことは明白である。
「…よく分からなかった、と言って入っちまってもいい気もするが…」
 もし立ち入り禁止の場所に踏み入って捕まってしまったら、どんな理由があろうと主に迷惑が掛かることになるだろう。
 看板に付いている地図を見て、どの範囲が立ち入り禁止なのかを確かめる。
「ふむふむ。この赤い部分に入っちゃいけないんだな?」
 頭に入れて、外周をぐるっと回ろうと歩き出した。
 一周歩いてみると、その施設は2メートルほどの幅の植え込みで囲まれていた。高さもそこそこあり、普通の人間では覗くのも無理だろう。
「…余程見られたくないものがあるのか…いや、その割に植え込みで囲ってるのはどうなんだろう…」
 植え込みはぎっしりと詰まっていて、あまり隙間が無い。とは言え下草の辺りを這っていけばくぐり抜けられなくはなさそうだ。
 もう一度地図を見に行ってみると、あることに気付いた。
「お?これは、抜け目って言えるんじゃないか?」
 よし、と再度回って、潜り込めそうなところを探す。
「ここなら…」
 キョロキョロと辺りを窺って、人の目がないことを確認してから潜り込んだ。
「この植え込み自体は赤い範囲に入ってなかったからな、境界線ギリギリまでならセーフってことだ。」
 時折木の枝に服を引っかけながら、何とかその敷地の一部が覗けるところまで進む。
 しかし、当然のことながら建物の中は見えず、鶴丸が喜ぶようなものは見当たらなかった。
「…人も通らないし、ハズレか。誰か来ないかね。」
 植え込みの根元にうつ伏せで寝転んだまま、何か面白いことが起こらないか待ってみる。
 すると、人影が通りかかった。
 視界に入った着物の裾は、馴染みのあるもの。三日月宗近だ。
「おーい、そこの、三日月!」
 あまり遠くに声が聞こえないように、小声で、しかし相手にはしっかり届く強さで呼び止める。
「ん?誰だ?」
 その三日月は声がどこから来たのか分からなかったらしく、クルクルと回って探している。
「こっちだ!足元!」
 そう声を掛けると、やっと気付いた。
「…おぬし、何者だ?どうしてそんなところにいる。」
「俺は鶴丸国永。って、知らないのか?」
「刀剣か。すまぬ。俺は世間に疎くてなぁ。…それにしてもどうしてそのようなところに。出てきてはどうだ?」
「俺は関係者じゃ無いからこれ以上中に入れないんだ。良かったら出てこないか?話でもしよう。」
「そうか。ではあちらの出口から出るから、来てくれるか?」
 彼が指し示したのは先程の細い道だった。



「俺は三日月宗近。政府所属だ。よろしく頼む。」
「俺は鶴丸国永。俺の主は…まあ、いいか。とある本丸の、鶴丸だ。…身分証が…あ、主に預けたままだった。」
 鶴丸は自分の着物のあちこちを触ってみたが、それらしきものが無い。自分で持っていなくては意味が無いと常々言われながら、落としそうだからつい預けてしまうのだ。
「よいよい。多分俺が見たところで、分からぬし覚えられん。」
「そうかい?じゃあ、散歩でもしながら話そうぜ。」
 二人は近くの池の周りにある遊歩道を歩き出した。
 聞けばこの三日月はあの研究所に所属しているらしい。鶴丸はワクワクしながら、いったいどんな研究をしているのか、三日月がどう携わっているのか聞き出そうとしたが、殆ど答えて貰えなかった。
「すまぬな。外部の者に喋ると怒られてしまうのでなぁ。…実はあそこから出るのも本当は許可が要るのだ。」
 そう言って三日月は唇の前に人差し指を立てた。
「え?あの研究所から出るのを禁止されてるのか?」
「いや、禁止というほど厳しくは無い。が、どこで何をしているかをハッキリさせておくように言われている。」
「そいつは…窮屈そうだなぁ…。」
「ああ。だが、主のためでもあるからな。仕方がないのだ。」
 彼の主は病気がちでずっと施設内で寝ているのだと言った。そして、近くに花を見つけると、少し嬉しそうにしてそれを摘もうとした。
「お、おいおい、勝手に摘んじゃダメだぞ?それ、植えてあるんじゃないか?」
 その花は綺麗に整えられた花壇に咲いたものだ。
「…ダメなのか…主への土産になると思ったんだが…。」
「花が欲しいなら…街に出ないと無いかもしれないな。ここに花屋は無かった気がする。」
「街か。では諦めるしかないな。外に出るならきちんと許可を取らないと大事になってしまうからな。」
 鶴丸も身分証を持っていない今、外に出るのは無理だろう。少し考えて、提案する。
「じゃあ、食いもんはどうだ?菓子や果物なら手に入るはずだ。」
「気を遣わせたな。ありがたいが、主は自由にものを食べられない状態でな。」
「そんなに悪いのか…。」
「ああ。…少々心配になってきた。そろそろ戻ることにしよう。」
 戻ってみると、三日月が居なくなったことで騒ぎが起こっていたらしく、職員が走り寄ってきた。
「どこに行っていたのです!」
「散歩だ。ほんの少しだったぞ?」
「ちゃんと私たちに声を掛けるように、いつも言っているでしょう!?」
 そう言って、キッと鶴丸を睨み付ける。
 それに気付いた三日月が職員を止めた。
「待て。その者は俺の気まぐれに付き合ってくれたのだ。花を摘もうとしたところを注意してくれてな。そのあと無駄話に付き合わせてしまった。」
 その真偽を推し量ってか、数秒間を開けて、職員は頭を下げた。
「うちの三日月がご迷惑をおかけしました。何か下らぬことを話したかも知れませんが、お忘れください。」
「あー…特に変な話は聞かなかったぜ?質問には答えて貰えなかったし。俺は花壇の花は摘んじゃダメだって話をしたくらいかな。」
 何か秘密にあたるような話を鶴丸が聞いたとしたらまたややこしいことになるだろうと、疑惑を晴らすべく当たり障りの無いことを話す。
「そうでしたか。では、これで。」
「あー、…また会いたいんだが、許可は下りるかな?」
「でしたら、次に来たときに正面入り口から職員に声を掛けてください。お取り次ぎいたします。」
 笑顔こそ見せなかったが、職員の対応は柔らかなものだった。これは信じても問題ないと判断して鶴丸は笑顔を向ける。
「わかった。三日月、次は迎えに行くから、また散歩しようぜ。」
「あいわかった。楽しみにしているぞ?」



 本丸に帰ってからその出来事を話すと、主は首をかしげた。
「政府所属の三日月か…聞いたことがないな。」
「研究所にいるって言ってたし、殆ど外と交流がないようだった。」
 すると近くに居たこんのすけが「政府所属の三日月なら、知っていますよ?」と言う。
「審神者の皆さんも知っているはずです。原初の刀剣男士。二百年前に顕現した、一番最初の刀剣男士ですよ。」
「え?二百年前の三日月が、今もいるのか!」
 審神者は皆、その辺りの歴史を習う。ここの主も習ったのだが、今もいるとは思っていなかったようだ。
「へえ?じゃあ、主さんは代替わりしてんのかね。…今の主さん、病気でずっと施設内にいるって言ってたけど、審神者やらせてないで治療に専念させてやりゃあいいのに。」
 鶴丸がそう言うと、それにはこんのすけが首をかしげた。
「そうですねぇ。今、原初の三日月の主が誰なのかまではわかりませんが、何か事情があるのではないでしょうか。」
「…そりゃそうか。俺が心配するまでもなく、あの三日月が主さんのことを考えていないわけがないからな。」
 主への土産にと花を摘もうとしていた。きっと大切に思っているのだろう。
「それで、主、お願いがあるんだが。」
 鶴丸の言葉に、彼の主はギクリとする。また面倒くさいことを言い出すのではないか。
「政府施設へ行く用事を作ってくれ。今度も俺がお伴をするから。な?いいだろ?」
 手を合わせてお願いしている様は可愛いのだが、だからと言って即OKとはいかない。
「お伴は平等にしとかないと、他の子たちだって現世に出たいだろうし。」
 鶴丸ばかり連れて行ったら文句が出ること必至だ。特に短刀たちは、街でのショッピングやカフェの甘味を楽しみにしている。
「それとは別でいいだろ?街には出ないから。政府施設での、真っ当な仕事の為に行くだけだから。」
「例えば?」
「え?…主が政府から呼び出しを受けるとか、書類仕事を山ほど押しつけられるとか?」
「嫌だぞ!そんな用事!」
「何でもいいからさー、用事作ってくれよ。あの三日月に会いたいんだ。」
「却下!」
 あっさりと断られてしまい、鶴丸は子供のように拗ねてみせる。
 それを見て、側に居たこの本丸の三日月が笑った。
「ウチの鶴丸はよその三日月にご執心と見える。妬けてしまうな。」
 はっはっは、と笑われてしまい、鶴丸はまたむくれる。
「妬いてろ妬いてろ。あの三日月には驚きが隠れてるに決まってるんだ。一日茶をすすってるウチのジジイとは違って。」
「あっはっは。言われてしまったな。」



 数日後、鶴丸は主に呼び出された。
「なーんだい?今日は落とし穴掘ってないぜ。」
「いつもは掘ってるみたいなこと言うんじゃない。」
「で?何の用だ?他に思い当たることがないんだが。」
 指を折って「あれか?これか?」と言っている様子から、思い当たることが山ほどあるのだとわかる。
 主は頭痛でもしているかのように頭を押さえて、書類を差し出した。
「これを、政府施設に届けてきて欲しい。」
 思わぬ仕事に鶴丸はマジマジと主の顔を見た。
「え?行ってきていいのか?ちょっと遅くなるかもだけど。」
「ちゃんと!約束を守るなら、行っていいよ。」
「約束?なになに?守る守る。」
 主はこの前と同じように街に出ないことや物を壊さないことを言いつける。そして何より。
「まず、この書類を届けること!途中で三日月に出会っても、何があっても!立ち去りがたい事象が起こっても、近くの人に事情説明して、一番に書類を届ける!いいか!?」
「わ、わかった…信用ないなー。」
「日頃の行いだろ。」
「わかった。誓うから。一番に書類を届ける。何があっても。三日月と出会っちまったら、主から厳しく言われたから行ってくるって言うから。」
「おー、おー、好きなだけ俺を悪者にしろ。とにかく、一番に書類を届けさえすれば、夕餉まで帰ってこなくてもかまわないから。」
「お、話がわかるねぇ。」
 途端いつもの調子に戻ったのを見て、主は不安を覚える。
「大丈夫だろうな。それ、大事な書類だから!頼むぞ!」
「了解しました。謹んで行って参ります。」
 最後は敬礼をして嬉しそうに出て行った。



 言われた通り書類を届け、駆け足で研究所に向かう。
 玄関で事情を話すと、少し訝りながらもどこかに確認を取ってくれているようだった。
「お待たせしております。」
 声を掛けられてそちらを見ると、この前の職員だ。
「伝達が行き届いてなかったようで、手間が掛かっています。申し訳ありません。今三日月を呼んでいますので。」
「ありがとう、悪いね。」
「いえ。彼にも息抜きが必要ですから。」
 数分で三日月はやってきた。その後ろに、ひとり、子供がついてきている。五虎退に似ているが、どこか違う。頭に疑問を抱えながら、三日月に挨拶をした。
「よ。遊びに来たぜ。散歩に行くかい?」
「ああ、そのつもりで出てきたぞ?…それから、五虎退も一緒に良いか?」
 後ろに付いてきた子供を示して、五虎退と言った。鶴丸は、これは噂に聞く「個体差」というやつだろうかと考えて、五虎退に声を掛ける。
「よ。俺みたいのが来てびっくりしたかい?鶴丸国永だ。よろしくな。」
 五虎退は、鶴丸が知っている彼よりもさらに自信なさげに、三日月の影に隠れたまま、頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします…五虎退…の…レプリカです…」
「すまぬな。こやつは少々気弱でな。許してやってくれ。」
「かまわないさ。…虎くんたちは預けてあるのかい?」
 五虎退はすっかり三日月に隠れて、答えた。
「…虎くんは、いないんです。僕は…レプリカなので…」
「そ、そうか。すまん。要らんことを聞いたな。」
 彼は自分をレプリカと言い、虎は元々いないのだと言う。思わぬ出来事に驚きっぱなしだ。
「とにかく、行こうぜ。また池の周りを回るかい?それとも、店の方に行ってみるか?」
 三日月はこの前の散歩を繰り返すことしか考えていなかったようで、店と言われて戸惑っている。
「…店に行ったことないのか?」
「…買い物をしようにも銭を持っていないからな。昔は主に連れて行ってもらったものだが。」
 結局池の周りを歩くことにして、三人は出かけた。



「じゃあ、キミも最初の主…じゃなくて、三日月と同じ主の力で顕現したのか。」
 代替わりした審神者の最初の人を最初の主、と呼んだら三日月は千年昔の持ち主のことかと勘違いをしたので言い回しに困る。確かに、刀にとっての最初の主は最初の持ち主のことになる。しかし、最初の審神者、と言ってみたら、二人は何故か眉を顰めたからまた呼びにくい。
「二百年前だって聞いたんだが、そうなのか?」
「はい。僕たちは二百年前に顕現しました。」
 幾分か鶴丸に馴れた五虎退は、微妙な距離感ではあるが、三日月の影から出て返事をする。
「…どうしてレプリカなのかは聞いてもいいか?」
「え…?…どうしてもなにも、あるじさまが顕現させたのが、レプリカだったからです。だから、僕の本体はなにも斬れません。」
 それは逆に凄いことなのではないか。付喪神は長い年月と人間の想いによって生まれる。本物の五虎退の付喪神ではなく、作られて数年しか経っていなかったはずのレプリカの付喪神を呼び出したのだから。
「三日月さんの顕現も、僕の顕現も、偶然の出来事だったんです。あるじさまはとても霊力の強い方で。ご自分の危機に無意識に僕たちを呼び出したんです。」
「…そういえば、キミたちが最初の刀剣男士ってことは、その主さんは全部の審神者の中で一番最初ってことになるよな?偶然って…どういう…」
「主の命に関わる事件があってな。その時に俺の本体がすぐ側にあったことで俺が呼び出されたのだ。」
 そう三日月が答えた。



 その日聞いた話は知らないことだらけで、鶴丸は自分の本丸に帰ってから主や三日月に聞いて貰って頭の中を整理しなくてはいけなかった。
 事件については、こんのすけが資料を出してくれた。
「最初の審神者である女性は、展示されていた三日月宗近を見に来た一般人だったようです。そこで事件が勃発。犯人が三日月宗近を展示ケースから持ち出し、あ、これは元職員だったから起こせたことです。鍵を持っていたようで。…そして、観覧客に斬りかかった。数人が大けがを負っております。そして、その女性に斬りかかろうとしたとき、かの三日月は顕現したと言う話です。自分で自分の本体を止めた。ということですね。犯人はすぐに捕らえられ、女性は無傷でした。」
「五虎退は?」
「それは、研究が始まってからのことですね。三日月の顕現により、付喪神の存在が証明され、その方面の研究が盛んになったと記述されています。最初の審神者である女性は…その頃はまだ審神者という呼び名ではなかったようですが、研究に一生を捧げています。その中で、レプリカを実験に使っていた時期があり、その時に偶発的に顕現した、とされています。」
「他の刀は?」
「その女性が顕現させたのは、二振りだけです。理由はわかりません。」
 ふーん、と鶴丸は考え込む。
「五虎退の本体は斬れないんだってさ。ホントにレプリカまんまの顕現ってことだよな。主がさ、顕現させるときって、本物の本体を持ってくるわけじゃないだろ?媒体となる刀を鍛刀で作って、そこから本物の刀の付喪神を呼び出してるんだよな?」
 本物の刀は、種類はあれどそれぞれ世界で一振りだけだ。それなのに各本丸に同じ刀が存在し、同じ物語を背負っている。それは、媒体を通して本物の付喪神を呼び出す方法が確立されているということだろう。
 主は困り顔だ。
「その辺はよく分からないんだ。とにかく、まあそんな感じだろうな。目の前の刀をそのまま顕現させたら、その五虎退と同じような付喪神が生まれるのかも?」
 そうですねえ、とこんのすけが暢気に言った。
「レプリカの顕現は、当時の研究の内容からすると、失敗だったのかも知れませんね。」
 鶴丸がこんのすけを睨む。
「そういうことを言うなよ。」
「す、すみません。その…研究という観点から言うと、という話で…」
 こんのすけの言ったことは間違いではない。何故レプリカを実験に使うようになったかはもう分からないが、最初の顕現と同じ事象を起こしたかったであろう研究者たちにとって、それは予想外だったはずだ。
「五虎退は三日月と仲が良さそうだったか?」
 話題を変えるためか、三日月がそう聞いた。
「ん?ああ、ずっとピッタリくっついてたからな。仲良しだろう。」
「きっと、この二百年、寄り添って過ごしてきたのだろうな。」
 主が代わる度、悲しい思いもしただろう、と想像する。それを二振りで乗り越えてきたのだ。絆はずっと深い。
「それはそうと」
 話題が変わったのを良いことに、こんのすけが主に話を振る。
「新システムの連絡はもう把握してらっしゃいますか?」
「ああ、ちゃんと読んだよ。来月だっけ?」
「何かあるのか?」
 鶴丸が興味を持って尋ねた。
「転送システムが一新するらしい。」
「これまでのシステムが老朽化で不具合を起こしていたのです。それでずっと新システムを開発していたようなのですが、このほどやっと完成に漕ぎ着けたと。今安全面を最終チェックしているところです。」
 こんのすけは端末を操作して、画面にその資料を写し出した。
「もしかしたら、政府の三日月もこれに携わっていたかも知れませんね。」
 画面を見ながら、主が思い出したように言う。
「そう言えば、旧システムは百五十年前から同じものを使っていたらしい。メンテナンスはしていたんだろうが、よく持ったよな。」
「旧システムの開発者の中に件の最初の審神者の名前も挙がっていますね。」
「へー、生涯を研究に捧げたって、そういう研究にも携わっていたのか。」
 主はカレンダーを指さして、来月の初日はシステムが使えないから、と告げた。
「時間遡行軍の動きがあったらどうするんだ?」
「次の日にその時間に飛べば問題は無い。それより、その日に約束はしてないだろうな?」
 もし政府の三日月と約束があるのなら、事前に事情を話して変えて貰わなくてはならない。主はそのことを心配している。
 鶴丸は手を横に振って見せた。
「ないない。いつも機会に恵まれたら会おうってな感じだ。」
「友達になったのかと思えば、案外いい加減だな。」
「友達は友達だろう?」




 それからしばらくは政府施設に出向く機会がなく、鶴丸は三日月に会いに行けずにいた。
 そして新システム稼働開始の日。
「鶴丸、転送システム、使ってみるか?」
「俺かい?いいんなら使ってみるけど、実験台か?」
「まあそんなとこだ。安全は確認されているが、各本丸から取り敢えず、一個体転送してみろって通達が来た。安全が確認できたら、こっちに連絡してくれ。そのあとは遊んできてもいいよ。」
 システムは問題なく動いているようだった。心なしか、転送に掛かる時間が短くなったようにも感じる。
 鶴丸は問題なかったことを通信で主に伝え、三日月に会いに出かけた。
 研究所に行ってみると、三日月と五虎退は既に散歩に出かけたと教えられた。きっとまた池の周りを歩いているのだろう、そう思って追いかけようと建物を出ると、出口の横、施設の職員の休憩所になっているらしいベンチで二人の職員が喋っていた。
「アレ、廃棄するんじゃなかったのか?」
「バーカ、そんなことしたら三日月が激昂するに決まってるだろ?アイツが暴れたら俺たちじゃ止められないだろうが。」
 なんのことだろう、とは思ったが、鶴丸は聞かなかったふりをして通り過ぎた。
 三日月が激昂して暴れるほどのこと…何があるのか。廃棄するとか言っていた。職員たちは捨てたいもので、三日月にとっては大事なもの。さっぱり分からないが、やはり、あの施設で三日月は窮屈な日々を送っているに違いない。
「もっと頻繁に遊びに来てやった方がいいかな…」
 機会に恵まれたらなんて約束ではなく、もっと積極的に関わってやることを考えながら、遊歩道に向かう。
 しばらく歩くと、池が見渡せる場所にあるベンチのところに彼らは居た。
 見れば、三日月の前には車椅子がある。あちらを向いているから、それにどんな人が座っているのかは見えないが、彼らの主ではないだろうか。
 鶴丸は、飛び上がってその前に着地することも考えたが、病み上がりの人物にそれは驚きが過ぎるだろう、と思い直す。
 よし、なるべく静かに、でもちょっと驚かせて自己紹介しよう。
 駆け足で近付きながら、鶴丸は声を掛けた。
「よ!三日月!もしかして、主さん退院出来たのか?」
 三日月は振り返って笑顔を見せた。
「ああ、鶴丸か。主、前に話したろう?鶴丸国永という刀だ。」
 屈んで車椅子の人物にそう説明している横から鶴丸はすり抜けて、その前に躍り出た。
「やあ、鶴丸国永だ。…」
 そこで絶句する。
 自分の顔が引き攣りそうになっているのを感じながら、平静を保って、続けた。
「俺みたいのが急に来て、驚いたかい?三日月とは友達なんだ。あ、五虎退とも友達だ。よろしく。」
「鶴丸は人を驚かすのが好きなのだ。俺も最初は思わぬところから声を掛けられて驚いたぞ?」
 三日月はニコニコと『主』にそう説明した。
 五虎退は、何故かさっきから少し離れたところにいる。チラッと鶴丸を見て、目配せをした。
 しばらく無言になっていると、三日月が申し訳なさそうに言った。
「すまぬな。主はまだ口がきけぬのだ。もう部屋の中にいる必要はなくなったのだが…」
「そうかい。…早くよくなるといいな。」
 鶴丸はくるっと身体の向きを変えて池を見る。
「ここは見晴らしが良いな。療養に良さそうだ。…五虎退、退屈しているのか?俺と散歩するかい?」
 そう言って五虎退に歩み寄ると、彼は鶴丸の手を掴んでそれに応じた。
「散歩、します。」
「そうか。三日月、ちょっと歩いてくる。」
「ああ、主とここで待っているからな。」


 しばらく歩くと、五虎退が口を開いた。
「鶴丸さん、ありがとうございます。…三日月さんに話を合わせてくれて。」
「…ん…。…聞いていいかい?主さんのこと。」

 車椅子に乗っていたのは、人形だった。それも、簡易なマネキンのように目も口もないもの。かろうじて鼻の膨らみだけは作ってある。それに、ひらひらとしたワンピースを着せてあった。若い娘のような姿だ。
「あるじさまは、二百年前に僕たちを顕現してくれたその人一人だけです。代替わりはしていません。」

 三日月が顕現したことで始まった研究に、彼女は携わった。と言っても、特別な知識も無く、ただ霊力を必要とされただけ。実験体のようなものだった。
 何度やっても他の刀は顕現させられず、次第に実験の方法も乱暴になっていった。身体中に電極を付け、電流を流す。命に関わらない程度に痛めつける。霊力を上げるためと言って断食をさせる。思いつく限りの負荷を、彼女の身体にも心にも与え続けた。
 その間、三日月は別施設で神様として奉られていて、事態を把握できないでいた。
 主が悲鳴を上げる度、三日月は主の危機を訴えたが、三日月を取り囲んだ者たちはそれを修行中だから苦行にたえているのだと説明して彼を離さなかった。
「そんなとき、あるじさまに自由な一日が与えられたんです。僕を持って、街に出かけてこい、と。」
 そして、ことは起こった。
 一人で歩いている彼女を、数人の男たちが襲った。ひとけの無いところに連れて行かれ、服を破かれ、悲鳴を上げればナイフで脅され、そして、すがるように彼女が手に掴んだのが、五虎退のレプリカだった。
 五虎退は顕現した。
 しかし、手に持った本体は人の身体でさえ殆ど切れなかった。
 それでも主を守るために必死に戦っていると、そこに助けが現れた。
 すると、犯人たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。
「あとから、あるじさまは言ってました。あれは、仕組まれたことだったんじゃないかって。」
 犯人は捕まらなかった。助けてくれた職員たちは警察に届けたと言っていたが、彼女のところに警察が事情を聞きに来ることはなかった。
 そうこうするうちに、その研究所とは全く関係無いところで、刀剣の顕現が起こった。その審神者は巫女で、霊力の扱いを心得ていたらしく、次第に研究はその人物の方に流れていった。
 顕現の実験からはずされたことで、彼女はやっと人間らしい生活に戻ることが出来た。しかし、元々務めていた会社は既に退職して、その研究所の職員という立場だ。知識の無い彼女はただ、最初の審神者としてそこに囚われていた。
 事態が変化したのは二十年ほど経ってからだ。
 歴史干渉の危機が察知された。
 その時点で顕現していた刀剣たちを、転送しなくてはならなかった。
 そこでも彼女の並外れた霊力が必要とされた。
 そのときの審神者は三十人強。
 転送システムがない状態。転送は審神者の霊力頼みだった。殆どの審神者が一人転送させるだけで倒れてしまう中、彼女は一度に二人送っても立っていられた。
 彼女は日々、歴史干渉の対応に追われた。
 三日月と五虎退だけではなく、他の審神者の刀たちの転送も担った。
 転送システムが開発されはしたが、その機械にも、霊力を流し込まなくてはならなかった。



 そして。
「あるじさまが70を過ぎた頃、システムの機械にある装置が取り付けられました。」
 そこには人が座る椅子があった。
「あるじさまは、そこに据えられて、霊力を流し続けなければなりませんでした。」
 彼女は笑って言った。
 私はもうおばあちゃんだから、これでいいのよ。役に立てるんだから。
 本心なのかどうか、三日月も五虎退も計りかねた。そんなことをさせたくはない。でも、誰かがやらなくてはならなかった。
 彼女はその機械の一部になった。
 そしてまた、次の段階が来る。
「あるじさまが亡くなったのは、84歳のときでした。折り悪く、僕たちは長期の遠征に出されていました。」
 遠征から帰ると、すぐに死亡が知らされた。
「でも、僕も三日月さんも、信じられませんでした。だって、あるじさまの霊力は変わらずそこにあったんです。」
 急いで装置のところに行ってみると、それはあった。
「あの人形が据えられていました。でも、霊力はあるじさまのものでした。」
 死してなお、彼女の霊力は目減りしなかった。研究員たちは、その遺体から人形に霊力を移すことを思いついた。
 そして実行に移し、二振りが戻る前に、遺体は荼毘に付された。
 人形を使ったのは、少しでも霊力を安定させるためだという。

「それで…それで…」
 五虎退はそこで言い淀んだ。
「三日月が、アレを主だと思い込んだんだな。」
 こくりと頷く。
「三日月さんは、人間が到底生き続けることが出来ない年数が経っても、アレをあるじさまだと信じて疑いませんでした。毎日毎日、装置のところに行って、いろんな話を聞かせていました。今日はどこに行ったとか、美味しいものを見つけたとか。本当に…毎日、毎日…」
「五虎退、キミはずっとそれを、見守ってきたんだな。」
 およそ百五十年、狂った三日月の側で、耐えてきたのか。
 鶴丸は五虎退の頭をそっと撫でた。
「偉いな。キミは、凄いと思うぜ?」
 五虎退はしゃがみ込み、膝を抱いて涙を堪えている。
「泣いてもいいんだ。」
「ありがとうございます。…でも、…思うんです。」
 そういうと、滲んでいた涙を袖で拭いて立ち上がる。五虎退はニコッと笑って見せた。
「三日月さんがアレを主と呼び続けて、もう百五十年経ったんです。あと八百年呼び続けて、それを顕現させたら、あるじさまが付喪神として現れるんじゃないでしょうか。そう思ったら、楽しみなんです。…早く、八百年経たないかな…」
 ああ、そうか、と鶴丸は思う。
 コイツも狂気に囚われているんだ。
「…そうだな、そう、なるといいな。」
 同意すると、五虎退ははにかんだような笑顔で頷いた。





 本丸に帰ると、主が出迎えてくれた。
「おう、鶴丸。問題なかっ…おい、どうした?どこか痛いのか?」
 鶴丸はいつのまにか涙を流していた。
「主…」
「どうした?怪我でもしたか?」
 首を横に振って、目の前にいる主を抱きしめた。
「主…死なないでくれ…頼むから…」
「鶴丸…」

 その後、鶴丸はあまり政府施設に行かなくなった。行っても、研究所を遠巻きに眺めるだけで、あの遊歩道には近付かなかった。
「俺は、主と一緒に朽ちるよ。あいつらとは友達になれない…」
「いいのか?」
「いいさ。俺は、アンタの刀で終わる。」
 八百年先、あの二振りは主の付喪神を手に入れているだろうか。
 そうなればいい。
 そう思う自分も狂気に魅入られているのかも知れない、と自嘲の笑みを浮かべた。



fin.
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