みかのり短編

嫉妬



 その日は珍しく、則宗が演練に出ていた。
 というのも、実戦に慣れていない刀たちを鍛えるために隊を組み、その隊長に据えられたからだ。
「演練チームのお帰りでーす。」
 誰かがそう言って出迎えを促すと、三日月が急くように向かった。
「はあ~、疲れた疲れた。どっこいしょっと。」
 則宗はドスンと玄関に腰掛けて、扇子で自分を扇ぐ。
 お疲れ様でした、と会釈をして入っていく面々を見送って則宗自身は上がらないのは、一文字の部屋が別棟だからだ。一度上がってしまうと、着替えに戻るためにまた靴を履くことになってしまう。
「菊や、戻ったか。ご苦労だったな。」
 他の刀たちにひと通り声を掛けた後、三日月は則宗の側まで来てそう言った。
「ああ。久々の演練だったから、どうなることかと思ったが、まあなんとかなった。…とは言え、負け越したがな。」
「無理もない。まだ練度の低い隊だからな。皆難しい顔をしていた。」
「気にするなと言ったんだが…そうもいかんか。」
 主も演練での勝利にはあまりこだわりが無い。『負けて経験を積む』ことが目的だ。そういう話もしてあるのだが、やはり負けは負け。当人たちは気にしないわけにもいかないようだ。
「まあ、これからだな。それより、三日月。今日の演練相手に三日月が隊長の部隊がいたんだが、一騎打ちをしたぞ?」
「ほお?」
 興味深く相槌を打つと、則宗はニカッと笑った。
「いやあ、久しぶりに三日月の切っ先を見たが、綺麗で目を奪われてしまった。…だからというわけではないが、ボロ負けだったがな。」
 あっはっは、と笑って膝を打つと、立ち上がった。
「じゃあ、着替えてくる。あとでな。」
 ひらひらっと手を振りながら、「続きは茶でも飲みながら話そう」と言う則宗はもう向こうを向いていて、三日月が真顔になったことに気がつかなかった。
「ふむ…目を奪われた、か。」




 演練相手は格上。勝ちが見込めないのは勿論のこと、一矢報いるのも難しい。
「まあ、気負うな。あちらの胸を借りるつもりでな。」
 部隊員にはそう言った則宗だったが、自身は充分に鍛練を積んでいる。一人だけでも討ち取りたいところだ。
 ひとり、ふたりと脱落していく中、チャンスがやってきた。
 目の前には相手の部隊長である三日月が迫っていた。
 一度二度、刀を交わしたところで一騎打ちを申し出る。
 相手は快く受けてくれた。
 うちの三日月と同じく極だ。則宗自身は修行の出来ない身だが、どこまで食い下がれるか。
「たまには本気を出してみるか。」
 そのまま戦うのではなく一騎打ちにしたのは、連敗で凹んでいる仲間の気分を上げる為だ。これで負けても責任は隊長である則宗のもの。勝ったら勝ったで皆喜ぶだろう。
「参る!」
「いざ!」
 迫る刀をすんでの所でかわす。切っ先が目の前をかすめていった。その振られた腕を下から切り上げるが、それはあっさりと撥ね除けられた。
 衝撃が重い。痺れる感覚に、次の行動が遅くなる。
 また迫る刀を受けるために己の刀を翻すものの、間に合わなかった。
 次の瞬間には、地面に仰向けに倒れ、切っ先が突きつけられた。
「決まったな。」
 相手の三日月はニッコリと笑った。息も乱れていない。
「まいった…。」
 則宗はなんとも言えない高揚にパチクリと瞬きをして、そして、笑った。
「あっはっは。凄いな。凄い。」
 三日月は少々面食らったような顔をしながら、則宗が立ち上がるように手を差し出す。
「楽しませて貰ったぞ?」
「それは僕もだ。それに、綺麗だった。」
 手を借りて立ち上がって、そう言った。
「綺麗?」
「切っ先がさ。思い出した。前に見たときも、綺麗だと思ったんだ。」
 相手はフフッと笑みを零す。
「何度三日月に刃を向けられているのだ?」
「これで二度目だ。」
 誇らしげなその返事に、今度は彼も声を立てて笑った。




「それで、そのあとお茶に誘われて少し話したんだ。」
「お茶?」
「演練の待機所にカフェがあるだろう?」
 則宗は三日月の問いかけを、単純にカフェの存在を忘れてのことだと思ってそう返す。
 だが三日月にしてみれば、お茶の誘いに応じて会話を楽しんできたことが問題なのだ。
「ああ、あったな。そう言えば。…で?何を話したのだ?」
「あちらの本丸に僕はいないらしくてな。どんな刀か興味があったと言っていた。」
「ほう?で、菊と話して何か印象を言っていたか?」
「印象?…そうだな。楽しい刀だと。」
 最後に「また会おう」と言って別れたと聞き、三日月の眉毛がピクリと動いた。
「楽しかったか?菊。」
「ああ、たまには演練もいいものだな。」
「そうか。それは良かった。」
 三日月は則宗の背に腕を回し、ぐいっと引き寄せる。
 キスをされるのだとわかって、則宗はされるがままに相手に身を任せた。
 今は縁側に並んで座っている。当然触れるだけのキスで終わるのだと思っていると、ねっとりと、時間を掛けた愛撫を施される。
「…ん!…お、おい、こんなところで…」
 少し相手の身体を押して、唇を離し抗議する。が、すぐに首の後ろに手を添えられて、また口を塞がれた。
 舌の感触にぞわりと刺激が走る。
 誰かに見られるかも知れないと思うと気が気じゃなく、則宗は拳で三日月の胸を叩いた。それでもすぐには解放されず、すっかり上気して目が潤んだ頃、やっと離された。
 則宗が何も言えずにいると、三日月は耳元に口を寄せる。
「今夜、待っているぞ?」
 ハッとして、則宗は少し身体を離した。
「今日は…疲れているから勘弁してくれないか。」
 まだ熱の残った顔でそう返すが、三日月はニッコリと笑う。
「愛しているぞ、菊。」
 それにはムッとした顔を見せた。
 三日月は普段「愛している」という言葉を使わない。「好いている」「大事に思っている」などは頼まなくても何度でも言うが、「愛」という言葉がしっくりこないからという理由で、使いたくないのだと前に話していた。
 その彼がそれを言うのは、自分の我が儘を通したいときだ。しかも、則宗が「愛」に弱く、それを言われると断れないのを知ってのこと。
 則宗は逡巡ののち、顔を背けて小さく「イヤだ」と返した。
「愛しているぞ?」
 二度目のそれは、言外に「おぬしは違うのか?」と問うている。
 もう一度抱きすくめられ、三度目の言葉が来る前に、則宗は降参した。
「わ…わかった、わかった。今夜、な。」



 それから一週間ほどが過ぎたある日、第一部隊が演練に出かけるときに、則宗に声が掛かった。
「僕かい?」
「ああ、主がうっかり蜂須賀を遠征に行かせてしまってな、代わりだ。」
 代わりとして名が挙がったのは、主が選んだからなのか、三日月が推したのか、計りかねたが断る理由も無い。
 たまにはいいかと則宗は引き受けた。
 第一部隊が演練に出るのは、負け数が込んで勝ち数をある程度上げておきたい時だ。あまり負けてばかりだと、政府に目を付けられかねない。
 極ばかりの部隊のため、戦闘はほぼ問題ない。今日は勝ち越しだ。
 自分ひとり、極が付かない身なのを少し恨めしく思う。よその本丸から見れば恐らく自分だけ見劣りするのだろう、と。
 次の部隊と対峙するとき、相手の隊長である三日月が「おや?」と則宗の方を見た。
「もしや、いつぞやの一文字殿か?」
「ん?あー、あの時の三日月殿か。」
 則宗は嬉しそうな顔を自分たちの隊長に向ける。
「こないだ話しただろう?一騎打ちして負けた相手だ。」
「ほお?」
 三日月は興味深げに相手に目をやった。
 そして少し歩み寄って言った。
「菊が世話になったそうだな。これはきっちり礼をせねばなるまい。」
 鋭い視線にある程度状況を把握して、相手の三日月は口元を隠して笑った。
「礼には及ばぬ、と言いたいところだが、そういうわけにも行かぬようだな。」
 互いに「よろしく頼む」と軽い会釈をして、自部隊のところに戻る。
 戻ってきた三日月は、あからさまな作り笑いを見せた。
「皆よ、、全力で行くぞ?」
 いつになく本気の覇気を纏っているのを見て、皆たじろぐ。
 コソッと浦島が長曽祢に聞いた。
「ねえ、礼ってどういうこと?」
「…これは、アレだ。お礼参りの礼だな。」
 次郎太刀と薬研もコソコソと言葉を交わす。
「腹いせかい?」
「いや、嫉妬だろう。」
 薬研がそう思うのは、則宗が相手の刀を「綺麗だった」と三日月に話しているのを聞いたからだ。そして、先程の嬉しそうな笑顔。アレが決定打だろうと予想する。
 則宗は三日月があちらの三日月を叩きのめそうとしていることだけはわかったが、その理由が分からず慌てた。
「お、おい、あいつ、いい奴だぞ?何を…」
「そうか、菊は気に入っているのか。」
「は?」
「さあ、出陣だ。皆よ、あとの五人はそちらで片付けてくれよ?彼奴あやつは任せておけ。俺一人であたる。」
「お、おい!」
 止めようとした則宗の肩を、次郎太刀が叩く。
「好きにやらせておやりよ。後腐れないようにさ。」



 最初から飛ばした三日月は相手方を圧倒している。練度はこちらが上のようだ。
 仲間たちはあちらの部隊員がその邪魔をしないよう、引き離すべく上手く陣形を取る。
 相手の面々は一人一人数を減らす作戦なのか、三日月の気を逸らそうとしているのか、則宗を集中攻撃していた。
 程なく則宗は重傷を負って脱落。
「やってくれたな。行くぞ!」
 薬研を筆頭にたたみ掛け、相手を一人、また一人と落としていった。
「そこまで!」
 終了の合図が出たとき、相手の部隊で立っていたのは隊長一人だった。
 三日月は、いつになく息を乱している。
「…倒し切らなんだか…なかなかにしぶとい…」
 三日月が最後に放った渾身の一撃を、相手の三日月はまともに受けながら一歩も引かずに耐えきっていた。
「…なかなか、…楽しませて貰ったぞ?」
 あちらもゼーハーと息を切らしてそう言った。
 あはは、と仲間たちが半ば呆れ気味に笑った。
「三日月さんがあんなに本気なの、実戦でもあんまないよね。」
「久々に見たな。」
 離れた場所にいた則宗も笑う。
「凄いな。うはは。」
 最初に脱落してから、ずっと二人の戦闘を見守っていた。
 何故三日月が相手を倒したかったかについては戦闘開始前のやり取りで理解したが、三日月が伝える気が無いなら気付いてやる必要もないだろうと判断して無視することにした。
 三日月は息を整えると、スタスタと則宗のところまで来て手を差し出す。
「大丈夫か?」
「ああ。演練の傷はこのフィールドを出ると直るんだから、傷のうちに入らないさ。」
「そうは言っても痛いだろう?」
「まあな。歯が立たなかった。うはは。」
「楽しかったなら何よりだ。」
 手を借りて立ち上がったが、やはりフラつく。それを見て三日月は則宗を抱きかかえた。
「お、おい!歩けるぞ!下ろしてくれ!」
「菊を抱きかかえるなど滅多に無い機会だからな。」
「恥ずかしいだろう?」
「良いではないか。」
 そのまま相手部隊に軽く会釈をして、その場を離れた。



 全ての演練を終えたあと、帰る前にカフェに寄ろうという話になり、揃って向かう。すると、そこに先程の三日月とその仲間たちがいた。
 あちらの三日月が片手をあげて声を掛けてくる。
「少し話さぬか、お二方。」
「いいな。あちらで話そう。」
 則宗が即答し、カウンター席を指し示した。
 三人だけ別れて、則宗を挟んでカウンター席に陣取る。
「先程は良い訓練になった。礼を言う。」
 あちらの三日月の言に、三日月は「なんの。」と短く答える。
 則宗はまた楽しそうに、二人の戦闘が迫力満点で凄かった、と興奮気味に見所を解説した。
「いやあ、いいものを見た。実戦もいいが、こういうのはまた違った楽しさがあるな。」
「あっはっは。この前も思ったが、一文字殿は楽しい方だな。」
「折角人の身を得たんだ。楽しまなきゃ損だろう?」
 確かに、と答えてから、彼は「ところで」と話題を変えた。
「お二方は恋仲なのだな?」
 半ば断定した質問に、一瞬気後れして則宗が返事をする。
「ん…ああ。」
「馴れ初めは?聞かせてくれぬか?」
 そんな質問をされるとは思っていなかった則宗は少々困った顔を見せる。
 三日月が逆に聞き返した。
「そんなことを聞いてどうする?」
 あっはっは、と彼は笑い、言った。
「なに、近々主が一文字則宗を迎えるというのでな、仲良くなる秘訣を聞いておこうと思ったまでだ。」
 その言葉が真実かどうかは判断が付かなかった。何せ三日月宗近だ。どちらかと言えば本心は語らず、当たり障りの無い理由を言っていると思った方がいいかもしれない。
 少し思案してから、三日月が答える。
「茶飲み友達になったのが馴れ初めだな。茶に誘うと良いのではないか?」
 則宗は同意し掛けて、そうだ、と思いつく。
「刀を向けてみるのもいいかもしれん。なあ、三日月?」
 それを聞いてあちらの三日月は笑い声を立てた。
「あっはっは。一度目は其方そなただったのか。なるほど、一目惚れというやつだな。参考になった。」
 勝手に納得して、彼は話を終えた。
 飲み物を飲み干して、立ち上がる。
「では、また巡り合わせがあったなら、どこかで。」
「ああ、また。」
「いずれ。」




 本丸に帰っていつものように二人で茶を飲んでいると、三日月がふと首をかしげた。
「一目惚れだったのか?」
 則宗がケホケホとむせかえる。
「い、いや、アレは、勘違いだ!」
「だが、仲良くなるきっかけに刀を向けろ、と言ったのだろう?」
「冗談で言っただけで…深い意味は…」
「ほお?…一度目は俺で、二度目は彼奴。どちらが綺麗だった?」
 またゲホゲホと咳をして、則宗は返答に窮する。
「…同じだろう?どっちも三日月なんだから…」
「彼奴に惚れ直したのか?」
 目移りしたのか、と問われて慌てて則宗は答えた。
「そんなわけがないだろう!?」
「綺麗で目を奪われた、と言っていたぞ?」
「あれは!」
 そんなところで誤解をされていたとは気付いていなかった。が、素直に口に出すのは恥ずかしく、少々口ごもる。
「あれは?」
「…その…アンタを思い出した。…初めて見たときも…綺麗だと、思ったから…」
 三日月はその返事に気を良くして、ニパッと笑った。
「つまり、一目惚れだったわけだ。」
「…そ…そういうことに…なるか…も?」
「そうかそうか。俺ばかりが好いているのかと少し悲しかったのだ。先に惚れられていたとは、知らなかったなぁ。」
 自分の方が先だったと言われ、否定したいがそうもいかない。大体、その時の気持ちが『惚れた』状態なのかどうかも今では思い出せない。
 本当に自分が先だったのだろうか、と思い返しても、誘いを掛けてきたのは三日月が先で、その時まで恋心なんて自覚していなかったはずで。
 恋心が無かったのか、ありながら無自覚だったのか。
 そんなことをグルグル考えている間に、抱きすくめられていた。
 いつものように唇を塞がれると、もう考えるのが馬鹿らしくなってしまった。
 ひとつだけ確かなことを口に出しておこう。そうしないとまた誤解をされるかも知れない。
 そう思って則宗は言った。
「僕が惚れたのは、アンタだけだ。」



fin.
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